保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062884556

作品紹介・あらすじ

保守は右翼とは大いに違う。
世界の思想史を紐解きつつ、混迷を深める
世界の政治情勢と向き合うために
日本が抱える諸問題への老師からの鋭い提言の書。

【本書での老師・西部の主張は以下の13項目である】
1・日本の核武装―是非もなく
2・天皇譲位―俗世は口幅を狭くせよ
3・立憲主義―悪報は法に非ず
4・領土―施政権と不可分と知れ
5・国連―屁の突っ張りにもならず
6・日米同盟―「51番目のアメリカ州」にしてもらえるはずがない
7・反左翼は言うに及ばず左翼も右翼も――人が馬鹿になる早道
8・テロリズム―それと戦争の区別などは不可能
9・資本主義―文明の砂漠に咲く「拝金とイノヴェーション」の毒花
10・民主主義―文明の砂漠に吹く「人気とスキャンダル」の砂塵
11・宗教―詐欺が人間精神に必然とはこれいかに
12・社会科学―エッセイ以上のものと詐称する専門人ども
13・自裁―それを生きいきとなすのが人生の締め括り方

【本書の章構成】
第一章 文明に霜が下り雪が降るとき
第二章 民主主義は白魔術
第三章 貨幣は「戦さの女神」
第四章 「シジフォス」の営みは国家においてこそ

【サブタイトルの「紊乱論」の意味を知りたい方へ】
著者の本文からのその主旨を抜粋する。
「 紊乱とは「文がもつれた糸のように乱れる」状態を指す。文が明ではなく暗に近づいているのだとすれば、高度文明などという表現すらが虚しくなる。だが、我が身それ自体の老酔狂という紊乱にあっては、文暗のあとに何がやってくるのか、予測も予想も想像もつかない。というより「文暗の深刻化が止めどなく進行するのであろう」と漠然と思うだけのことである。
 これを絶望の境地といえばそういえなくもないが、「絶望するものの数が増えることだけが希望である」(J・オルテガ)と考えるならば、これから述べ立てる紊乱論も希望の書といえなくもない。」

感想・レビュー・書評

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  • モダンの訳語は近代的ではなく、「模流」である。明治維新後、日本は西欧を模倣し、社会を築いてきた。それが特に戦後さらに社会に表面化し、ここ30年に至ってはマスメンたちが流されるままに社会を変革してきた。理想を求めれば格差や軋轢が生じ、現実主義ばかりでは自由や権理が埋没する。その間には平衡が必要であり、活力、公正、節度、良識の観念をその国家の伝統から導き、その具体化について状況の中で試行錯誤しながら吟味することが要求される。
    私はここ30年程度の状況しか見ていない世代であり、戦後の時代の流れを一部しか実感できてはいない。しかし、リーマンショック後、日本以外では行き過ぎたグローバリズムを抑制する動きがある中で、この国ではその中でも構造改革を推進し、国民が結果的にそれを支持している。少数の意見は排除され、無関心が慣習となり、多数者の専制が行われている。オルテガが言うように「絶望するものの数が増えることだけが希望である」のかもしれないが、国家や政治について議論をするのがタブー化している状況では先は明るくない。
    さて、相変わらず著者の記述にはカタカナ語も多く読むのに苦労するが、著者が生きていれば、このコロナ禍やウクライナの状況をどう評論していただろうか。世の中の状況を的確に厳しく評論する人が少なくなっている中で惜しい人を亡くしたものである。
    本書の中で、著者と私の意見が異なるものの1つで、核武装論を著者は唱えているが、勿論その議論はあって然るべきだが、核保有が周辺国への抑止力に果たして繋がるのだろうか。核があろうがなかろうが、国家として侵略や武器の使用は起こりえるし、核を含めて国家の防衛、安全保障全体、そして現憲法を議論し、考える。その環境をまずを整えなければならないと感じる。

  • 第47回アワヒニビブリオバトル「平成」で発表された本です。
    2019.01.08

  • 西部氏の最後の本である。まるで遺書のようでもある。筆者ではなく述者と自らをよんでいる口述による本である。とは言え、かつては『朝まで生テレビ』や佐高信氏との番組(番組名は忘れた)など、話すことが達者な方で、昔見たテレビでの語り口を思い出す。
    言葉の豊富な方なのだが、やたらカタカナが多い方で、テレビでもテロップが出ていた記憶がある。本書も()だらけで、文章としては最悪。
    安倍晋三氏を評して「陋習とそうでないものを峻別しながら伝統を守るのが保守。故に保守ではない」といったそうだが、カタカナで話す西部氏に陋習な知識人を感じる。でも、米国大好きの安倍晋三氏が日本国憲法をGHQ憲法だというのは、岸・鳩山の陋習であると思うので、西部氏の指摘もあながち間違えではない。
    〇〇イムズで語ることが好きな人だったのだな。と思うのが読後感である。だけど何が言いたいのかさっぱりわからない。要はエドマンド・バークのように悪し平等は嫌いだといいたいのか。現代人が馬鹿だとののしりたいのか。知識の豊富さには頭が下がるが、西部氏の言う「矛盾に切り込む文学のセンス」も「矛盾に振り回されない歴史のコモセンス」もまるで感じませんでした。
    今、西部氏を偲ぶのは、むかしテレビで見た一瞬のひらめきのような言葉と、ふてぶてしいお顔です。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • BSフジのプライムニュースに出演していたことから著者を知る。圧倒的な知識量と思考に感銘。自死を選択した方だがもっとテレビで直接話を聞きたかった。

  • 2018年1月に自死した著者の最後の書籍。

    もう全部読む気になれず。
    後半の死生観と
    後書きは悲しかったな。

    享年78
    弟子に自死を手伝わせて、その2人は自殺幇助で逮捕されてしまう。

    どうやって人生の幕を閉じれば良いのかねえ。

  • 2018年1月にみずから死をえらんだ保守思想家が、最後の思索を語っている本です。

    本書の最後には著者の死生観が述べられており、どのような考えにもとづいて自裁という道をえらんだのかということをうかがうことができます。

    『人間論』(PHP文庫)や『知性の構造』(ハルキ文庫)といった著作でも語られているように、著者の保守思想は日本の特殊性に依拠するものではなく、むしろ人間の普遍的な知性についての理解にもとづくものだといえるでしょう。本書でも、「TEAMの構造」と呼ばれる知性の「言語論的な構図」が普遍的なものとして示されたうえで、現代日本に特有の偏差を明らかにし、そのことがヨーロッパにおいては存在している「近代」に対する健全な懐疑をうしなわせているという指摘がなされています。著者の「解釈学的転回」についての理解は問題を含んでいるといわざるをえないように思いますが、その思想の核心は本書において明快に示されているといってよいと思います。

    ところで、本書のサブタイトルは「老酔狂で語る文明の紊乱」となっていますが、著者は本書のような議論が現代の日本において受け入れられないことを知りつつ、言っておくべきことは言っておかなければならないという決意で、その最後の思索を語っているように思われます。著者は、かつて硬直化した旧来の左翼の言説を舌鋒鋭く批判していましたが、東側世界の崩壊とともに左翼が衰退し、アメリカ由来のグローバリズムがこの国を席捲し、みずからの信じる保守思想を押し流していくこと深い絶望をいだいていたのかもしれません。

  • 繰り出される外来語、専門語の数々に戸惑うばかりである。そして、そこから読み取ったのは述者のこの国の現状に対する憂いであった。
    それにしても、この書がすべて口述筆記であるということにただただ頭が下がる。
    それにしてもニシベさん。われわれはこの先、一体どうすれば良いのでしょうか…。

  • 時代を象徴する長文の遺書。

    読み始めて思いました・・・
    「これは絶筆宣言だよね。それを新書で出すとは・・・」
    否、多くの読み手を考えて(私のような貧乏人も居る)
    敢えて新書版として出されておるのだ・・・等と。
    気合の入り方が違うがな・・・当初より自死を予定していらっしゃいますがな・・・
    手書きがもう出来ない、西部先生の選んだ必然なのやも等と
    市井の末席を汚す阿呆は思うわけです。
    同時に己の阿呆さ加減にも嘆く始末ですよ。
    もうちっと考えが及ばんのかいなと。

  • 保守とはそもそも何を守るのか?といった本源的な事がなおざりにされて言葉だけが先行し、いわば都合よく使われている現状を明確に指摘しながら我国に通低している軽薄さがどうした変遷を遂げて今に至っているかを示してくれている。著者が示す言葉には元来有している意味があり、それを元来に意味で使うべく主張する側としての著者が疎んじられつつあった事が何に起因しているかが終始語られており、著者はそれを改める事への期待を放棄すると共に自死を選択した経緯が詳細に語られており、胸が詰まる思いがした。

  • 結局、難解なので読み飛ばした。何となく言っていることは解るんだけど、平易な言葉で語って欲しかった。

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著者プロフィール

西部邁(にしべ・すすむ)
評論家。横浜国立大学助教授、東京大学教授、放送大学客員教授、鈴鹿国際大学客員教授、秀明大学学頭を歴任。雑誌「表現者」顧問。1983年『経済倫理学序説』で吉野作造賞、84年『気まぐれな戯れ』でサントリー学芸賞、92年評論活動により正論大賞、2010年『サンチョ・キホーテの旅』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『ソシオ・エコノミクス』『大衆への反逆』『知性の構造』『友情』『ケインズ』など著書多数。

「2012年 『西部邁の経済思想入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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