日露近代史 戦争と平和の百年 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062884761

作品紹介・あらすじ

幕末期以来、米英協調を基軸とする主流派に対し、ロシアに眼を向ける一つの潮流があった。ロシア皇室との信頼関係を樹立しようとした伊藤博文。満洲経営のため日ソ国交樹立に腐心する後藤新平。満洲国建国後、孤立を深めるなか独ソとの提携に望みを託す松岡洋右……。日露戦争、シベリア出兵、ノモンハン事件、そして1945年の日ソ戦。幕末から敗戦までの「遠い隣国」との知られざる関係史。

感想・レビュー・書評

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  • 主な役回りを果たした人物を軸にしているので読みやすい。祖父がシベリア抑留を経験したが、その体験談は誰にも一切語らなかったという。それを知る覚悟が私にあるのか、終戦の章を読み思った。

  • 日露戦争から第二次世界大戦までのロシアとの関係。
    樺太の領土争いで、榎本武揚が、樺太と千島列島を交換して、決着。
    ロシアのニコライ2世が京都観光中に、大津で攘夷思想の警察官に切られ、これを口実に戦争を仕掛けられるのを回避するため、日本皇室に対する大逆罪を適用して死刑を求めたが、裁判所が適用しなかった大逆事件。もし戦争になったら、大馬鹿裁判官か?
    ロシアが旅順租借に加えて、不凍港を求めて韓国に進出しようとしてきたので、満州はロシアー韓国は日本の交渉を持ちかけるも断られ、日本侵略を恐れて、やむなく日露戦争を開始。南樺太しか得られず。ちなみに、日本もロシアも一千数百万人の韓国人の主権などは、どうでもいいと思っている。
    伊藤博文は、満州鉄道とシベリア鉄道との接続を求めて、ロシア勢力下のハルビン駅に行き、友好関係醸成のため護衛を断ったところ、刺殺された。
    第一世界大戦で、協商側のロシアでレーニンの革命が起きてドイツと停戦したため、ドイツから強い攻撃を受けたイギリスとフランスが、シベリア出兵を要求。日本は、アメリカと出兵するが、7万人も出兵し、加藤高明が戦後交渉を有利に進めるため撤兵しなかったため、世界から避難され、ロシアの恨みも買う。北樺太の利権のみ得る。
    その後、国力が疲弊したロシアは、日本の求めに応じて満州国の存在も否定せず。
    松岡洋右が、三国同盟を結んだ上ロシアも加えた4国にし、米英の干渉を押さえようとするが、ヒトラーは日本が米と戦争することでヨーロッパへの出兵を防ごうと考えていた上、ドイツがロシアに出兵し、絶望的に。
    ロシアと米英を同時に相手にすることは、不可能なところ、松岡洋右がロシアと中立条約を締結。
    陸軍は南方進行を主張し、海軍は北方進行を主張し、両方に進行したため、間延びし、天皇が懸念を示す。
    ドイツが勝っていたこともあり、アメリカからの交渉を流した上、石油を得るため、フランス領の南印に進出したら、アメリカが激怒し、日本の財産凍結し、ロシアと連携開始。ロシアはヤルタ会談で、日本への出兵を約束。
    7月に原爆が完成し、アメリカは、ロシアの協力が不要になるが、一応関係継続。ロシアの北海道北半分割譲は、拒否。
    日本は敗色濃厚で、ロシアに停戦仲介を求めるが、日米の国力低下を望むロシアは無視。
    8/6広島原爆投下後、ロシアが8/10日本に戦争開始し、8/11日本はポツダム宣言受諾を決定。
    日本が完全武装解除してないとしてー現に抵抗ありーロシアは進行。
    シベリア出兵の恨みに加え、人質も必要として、4〜50万人の満州関東軍らを抑留。その前に、満州の日本人に帰って来られても困るところ、韓国と中国からの迫害をおそれ、現地での保護をロシアに求めるも拒否され、むしろロシア軍人に掠奪される。
    松岡洋右は、三国同盟同盟は、一生の不覚と悔やむが、判決前に病死。
    日本は、ロシアやアメリカと戦争したくなかったが、スパイも少なく、情報不足の中、外国の考えに思いが至らず、外交に失敗し、陸軍と海軍の両方の顔を立てて不合理な妥協戦法により、早期自滅など、学ぶことが多かった。

  • 近くて遠い国、ロシア。その国との脈々とした、交流の軌跡。

  • 本館開架(新書) [日本 -- 対外関係 -- ロシア -- 歴史]
    http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB2592949X

  • 東2法経図・6F開架 B1/2/2476/K

  •  幕末から日ソ戦終結までの通史。新書なので読みにくいわけではなかったが、400頁超にはひるんだ。19世紀後半以降、教科書レベルの出来事を追うと日露はずっと警戒か対立かというイメージだったが、より複雑だったことが分かった。
     対露外交に積極的だった伊藤博文、後藤新平、松岡洋右の3人を軸に描いている。筆者も述べるとおり、この系譜は日本外交の傍流だったのだろう。実際、日露戦争後の協約や結局は破られた日ソ中立条約ぐらいしか、この路線が国として結実した目立った成果は見当たらない。それと関係するのかどうか、3人とも国士型というか、自分の信念で動いていたように見える。伊藤と後藤は首相や外相という外交に携わる公職以外の時期の活動の方が多く、また後藤は明確に霞ヶ関(のみの)外交を否定している。松岡は職業外交官出身だが、帝大卒の官僚型というわけではない。むしろ、三国同盟+対ソ提携という信念に拘り日米諒解案の交渉を邪魔すらした外相時期の松岡ははた迷惑な人に見えるのだが、それは後世から見るからなのだろうか。
     各時代を通してみると、他国と利害がぶつかる時、調整と妥協を図るか、「力の外交」で押すかという選択があるようだ。朝鮮や満洲を巡っては、前者の日露外交を選んだ伊藤と後藤と、後者の日英同盟を選んだ桂太郎と小村寿太郎。時は下り、日米諒解案が示されると、対米交渉が望ましいと考えた天皇以下と、先に三国同盟+対ソ提携という力をつけるというそれまでの方針になおこだわり続けた松岡。

  • 319.1038||As

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著者プロフィール

麻田 雅文(あさだ・まさふみ) 1980年東京生まれ。2010年 北海道大学大学院文学研究科歴史地域文化学専攻スラブ社会文化論専修博士課程単位取得後退学。博士(学術)。専門は東アジア国際政治史。現在、岩手大学人文社会学部准教授。著書に『中東鉄道経営史—ロシアと「満洲」1896-1935』(名古屋大学出版会、2012)、『シベリア出兵』(中公新書、2016)、『日露近代史』(講談社現代新書、2018)などがある。第8回樫山純三賞受賞。

「2021年 『蔣介石の書簡外交 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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