- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062900225
作品紹介・あらすじ
若き日に師事した芥川龍之介の姿を活写した、著者晩年の作。芥川文学の、漢文脈による洗練された修辞をはじめとした教養主義は、「私」を語ることのできない「物語作家」に彼をおしとどめ、「小説家」へと転身をはかろうとした試みの不可能性を悲劇を読み解く。芥川の作品の持つ窮屈さは、養子・龍之介の養家への気兼ねの表われだとも喝破する。身近に接した芥川を、老成した小説家の眼で捉えた快作。
感想・レビュー・書評
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芥川龍之介、好きな作家です。作品も沢山読んだし、彼に関する本も読みました。(芥川賞受賞者に不満がありますがw)小島政二郎の「長編小説 芥川龍之介」を読みました。1977.11刊行、2008.8文庫化。ここまで芥川を語った本、初めて出合いました。楽しく読了しました。小島政二郎、1918年、芥川に出会い、1927年、後輩代表で弔辞を読み、1977年、83歳でこの本を刊行。20代で既に文壇の流行作家だった芥川のすごさ、そのすごさを83歳で記録に残した小島・・・師匠も師匠、弟子も弟子だと感じ入りました!
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文芸評論家時代の宮本顕治は、芥川龍之介を評するに
「行き場をなくしたブルジョワジー」と呼んだらしい
その説を借りるなら、芥川の弟子筋で
グルメエッセイをたくさん書いた小島政二郎も
やはり「行き場をなくしたブルジョワジー」だったのだろう
しかし、それに対して死を選んだ芥川とちがい
小島はひたすら自我を肥大させる方向へと進んだようだ
自由の代償がどういうものか
「永井荷風」の出版差し止めを経て理解できなかったというなら
それはそれで幸福な人生なんだろうけれど
芥川崇拝者だった小島が「転向」に至るまでの精神のゆらぎは
芥川が「羅生門」以降繰り返し書いてきたものに同質で
どうも手のひらの上、といった印象がぬぐえない
ただし速読や三角関係といった個々のエピソードは
たいへん興味深いものである -
小島政二郎から見た芥川龍之介。
芥川は小説家ではなく物語作家であった、と論じています。
別物なのか!と若輩者のワタシは吃驚。お恥ずかしい。
物語作家の芥川、結構でないですか。
芥川の紡ぎだす物語、好きで好きでたまりません。 -
/?day=20090928
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1977年に発表された同名の作品の文庫化。龍之介の2つ下で親交のあった著者から見た龍之介像。「評伝」ではなく「長編小説」だと断ってある。
龍之介は多才で博識だったが、小説家に一番向いていなかった。漱石に見いだされ書きついだ作品は「物語」であり、「小説」ではなかった。「小説」が書けなかったのは基盤に「生活」がないからである。養子という位置づけが彼から「生活」を奪っていた、という内容だ。
『眼中の人』と重なる部分もあるらしいが、未読なのでおもしろく読んだ。83才の作であり、話が他へ流れたり引用が長かったりするが、それがまた他の同時代作家たちの作品案内にもなって、興味深かった。
戦死した多加志の聡明ぶり、新婚の楽しい時期は初めの1年だけで人の3倍は苦労したと語る妻文さんのエピソードなどにも思うところが多かった。