王朝百首 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062900553

作品紹介・あらすじ

百人一首に秀歌はない-かるた遊びを通して日本人に最も親しまれる「小倉百人一首」(藤原定家・撰)にあえて挑戦、前衛歌人にして"現代の定家"とも称されたアンソロジスト塚本邦雄が選び抜き、自由奔放な散文詞と鋭い評釈を対置した秀歌百。『定家百首』『百句燦燦』と並び塚本美学の中核であると同時に、日本の言葉の「さはやかさ」「あてやかさ」を現代に蘇らせんとする至情があふれる魂魄の詞華集である。

感想・レビュー・書評

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  • 「私はこの王朝百首を、異論を承知の上で、あくまで現代人の眼で選び、鑑賞した。權威の座を數世紀にわたって獨占した趣の百人一首にことごとく反撥を示した。私の擇びこそ、古歌の真の美しさを傳へるものと信じての試みに他ならぬ。單に晩年の定家の信條に對する彈劾の志ばかりではない。資質、才能、業績にふさはしからぬ作品を以て代表作と誤認されてしまった各歌人の復權、雪辱の意も多分に含めたつもりである。

    さらに言へばこの百首は譯も解説も蛇足であり、任意の時、任意の作品を、自由に吟誦して楽しむのが最上の鑑賞である。難解な用語は、もし必要とならば古語辭典一冊を座右に置けばおのづから解けよう。さうして、歌自體のうつくしさに陶然とすることのできる讀者には、もはや作者名さへ無用である。 」

    「百首の選擇に臨んでの配慮に今一言を加へるなら、私の不如意は、あるいは口惜しさは、讀人知らずの作を加へ得なかったことである。 古今集は作者不詳の戀歌を除いては甚しくその價値を減じるだらう。もし王朝に奈良朝を加へたとするなら、萬葉はこの場合どうなつたらう。歌は作者名によつてその美を左右されることは決してない。作者名によつて陰影を深め、あるいは享受者の第二義的な欲求を満たすことはあらうとも、それ以上の 何かを附加し得ると考へるのは幻覺に過ぎまい。私達は今日まで、いかに作者名に惑はされてその作品を受取って来たことか。これは單にこの王朝和歌に限ることではないのだ。

    作者名も註譯もすべて虚妄であらう。眞にすぐれた作品はそれらを拒み、無視して聳え立つものである。逆に言へば、その絶唱、秀吟は、おのづから作者の、唯一人の小宇宙の中に浮び、その背後には彼を生かしめた時間と空間が透いて見えるはずである。詩歌にそれ以上のいかなる要素を求めようといふのか。

    私がこの後選ぶとならば、記紀から現代に到るあらゆる詩歌の中からのみづから發光することによって享受者を誘ふ無名の、あるいは名を消し去った、日本人の魂の糧ともなるべき詞華一千であらう。」

  • 歯に絹着せぬ、百人一首批判が面白かった。評者選出のほうが好ましくおもったり、元のほうが良いと思ったり。そこに時代の流れ、感性の違い、個人の違いが立ち現れておもしろい。和歌を身近に感じさせてくれる評者の本音は一見の価値あり。

  • 最早執念の百人一首批判を除けば面白かった。好きな和歌を沢山発掘出来た。俊成卿女と躬恒と源順の歌が好み。

  • 4/19 読了。

  • 平安時代の和解

  • 7位

    王朝和歌から百首を撰び、
    現代語訳と解説をつける、
    一見よくある本なのですが、
    この現代語訳が自在すぎる。

    「ふる畑のそばのたつ木にをる鳩の
    友呼ぶ聲のすごき夕暮  西行法師」

    が塚本邦雄の手にかかるとかうなる。

    「ぼろろんぼろろん
     おおぼろろん」

    え、なにこれ。鳴き声?

    「鳩が鳴く崖の野鳩が
     それでも「今日」は死んでしまう」

    ちよ、ちよつと待つてよ、
    そんな形而上学が原歌のどこに?

    「白い秋、黒い冬、紺の黄昏」

    秋や冬のことなんてなかつたでせう?

    「狂はずに私は生きて
     友など忘れ
     私自身にも忘られ
     襤褸をまとひ
     いつはりの泪を流してゐる」

    狂ふ? 襤褸? いつはりの泪?
    西行の歌をどう汲み取つても
    そんな解釈はできさうにないけど……。

    「おおぼろろん
     ぼろろん」

    ああ、また鳴き声で終り……。
    どこをどう訳したらかうなるんだ!

    この本は天才の天才による天才のための本です。
    それはつまり、常人は蚊帳の外
    といふことでもあるのですが、
    逆にいへば、読者に選民意識を與へてくれる。

    日本文学の遺産である美しい和歌を
    「端しく深く亨け繼いでゐる」人が
    あまりに少ないことを嘆き、
    藤原定家撰なる『小倉百人一首』への
    不満をぶちまける「はじめに」に耽溺する人も
    多いのではないでせうか。

    この本は、二人の大批評家に
    影響を與へたのではないかと
    私はにらんでゐます。

    一人はもちろん解説を書いた橋本治。
    26歳で本書を読み、その美しさに震えた彼は
    「日本国民必読の書である」とまで称揚する。
    そして後年『桃尻語訳百人一首』で
    三十一文字のまま、百人一首を現代語に訳す。
    この前衛ぶりは北村薫の名著
    『続・詩歌の待ち伏せ』(『詩歌の待ち伏せ3』)
    に詳しいので、ぜひ御一読を。

    ,その裏話も解説に書いてゐます。
    「それ(註・百人一首の現代語訳)をして、
    「もっといいものがあるじゃないか!」
     と訴える塚本邦雄氏の怒りが分かった。
    訳せるものは所詮「訳せるもの」なのである(略)
    『王朝百首』の百首歌は、訳せない」

    もちろん塚本邦雄の審美眼をほめるつもりで
    「訳せない」と書いてゐるのですが、
    ぢやあ、あの現代語訳はいつたい……。
    ま、それはそれ、これはこれなのでせうね。

    ところで、本書に影響を受けたもう一人は、
    これはちよつと大胆な推測なのですが、
    丸谷才一だつたのではないか。
    彼は畢生の大作『新々百人一首』を
    断続的に書き続けてきましたが、
    最初の掲載は「新潮」1975年2月号。
    そして『王朝百首』は1974年12月刊!
    2月号が実質的には1月発売なのを考へると、
    同時進行といつてもいいくらい。

    『新々百人一首』の「はしがき」によると
    「何かの折に、当時「新潮」の編集長だつた
     谷田昌平さんから『小倉百人一首』の
     向うを張つて和歌を百首選んでみないかと
     提案された。(略)気がついてみると
     わたしはこの仕事を引き受けてゐた」
    とあり、もしかしたら谷田昌平が
    『王朝百首』の刊行を聞きつけて
    「負けてゐられませんよ」と
    たきつけたのかもしれません。
    丸谷才一は名随筆「いろはにほへと」で
    塚本邦雄の『ことば遊び悦覧記』を引用してをり、
    まんざら読まないわけではなかつた。
    『王朝百首』だつて、
    読んでゐたかもしれないのです。
    ちなみに「いろはにほへと」を書いたときは
    すでに『新々百人一首』の大半を発表済だつた。
    だから安心して塚本邦雄の名前を
    出せたのかもしれません。

    もつとも、『王朝百首』と『新々百人一首』には
    大きな違ひがあります。
    『王朝百首』は天才が貴族のために書いた本。
    『新々百人一首』は秀才が平民のために書いた本。
    対象とする読者が違ふのです。

    私は平民なので、
    ときどき貴族に憧れもするけれど、
    本質的にはわからない。
    塚本邦雄の解説はかなり不親切で、
    それでもわかつてしまふのが
    橋本治のやうな貴族なのでせう。
    ただし高揚感は半端ではない。

    丸谷才一は王朝和歌に詳しくない人にも
    懇切丁寧に序詞の大切さや
    読みびとしらずの分類法を伝授する。
    作品は明晰な論理で貫かれてゐる。
    密教ではなく顕教なのです。
    そこが評論家としてすばらしい。

    かうした深読みを誘つてしまふほど、
    塚本邦雄『王朝百首』は魅力的なのです。
    最後にもう一つ、仰天の現代語訳を。

    「いかにせむ眞野の入江に潮みちて
     涙にしずむ篠の小薄   源顕仲」

    が、かうなります。

    「マノン
     哭くなと言つただらう
     涙の海に溺れて
     いつも渇いてゐるのは
     マノン
     たんたろすといふ男だ
     御覧花薄が招く
     あれは死者の白髪だよ
     マノン」

  • 自分の信じるものを選ぶ、ということを考える。なにが美しいか、とかのことだ。他のだれかが、じゃなくて、自分がどう思うか。それはほんとうにむつかしいのだと思う。のだけれど、このひとはそれをやって見せてくれる。百人一首のかわりに百首選びますよ、だって?という冷ややかな視線を受け流して、やってみせてくれるのだ。信じられない。

  • 塚本邦雄を知ったのは、寺山修司がすきだったからだ。彼の芸術に対する考え方には共感できるし、定家百首やこの王朝百首に見る感性もまたすばらしく、昔のうた、今のうたを読むにしろ、彼に付き従っていきたくなる。日本語はやはり美しいと実感させられる一冊。

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著者プロフィール

1920年生まれ。2005年没。歌人。51年、第1歌集『水葬物語』刊行、以後、岡井隆、寺山修司らと前衛短歌運動を展開。現代歌人協会賞、詩歌文学館賞、迢空賞、斎藤茂吉短歌文学賞、現代短歌大賞など受賞。

「2023年 『夏至遺文 トレドの葵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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