暗い絵・顔の中の赤い月 (講談社文芸文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062901079

作品紹介・あらすじ

一九四六年、すべてを失い混乱の極みにある敗戦後日本に野間宏が「暗い絵」を携え衝撃的に登場-第一次戦後派として、その第一歩を記す。戦場で戦争を体験し、根本的に存在を揺さぶられた人間が戦後の時間をいかに生きられるかを問う「顔の中の赤い月」。-初期作品六篇収録。

感想・レビュー・書評

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  • 野間宏の初期の短編集。
    巻末の年表を確認すると収録作は終戦直後1946年に発表された『暗い絵』から、一番遅い『崩壊感覚』でも1948年3月で、氏の代表作である『真空地帯』より前に書かれた作品のみになっています。

    野間宏といえば本書収録の「暗い絵」と長編の「真空地帯」くらいしか知らなかったので、個人的に氏の作品を知るいいきっかけとなりました。
    第一次戦後派作家としての野間文学が良くわかる短編集だと思います。

    各作品の感想は以下のとおりです。

    ・暗い絵 ...
    野間宏によって本格的に書かれた小説としては最初の作品であり、氏が注目されるきっかけとなった作品です。
    後の大東亜戦争に取り込まれる前の、いわゆる支那事変直前の若者たちが描かれています。

    タイトルの"暗い絵"は、オランダの画家「ブリューゲル」の描いた絵を指しています。
    本書は、主人公の学生「深見進介」がブリューゲルの作品から受けた所感から始まっています。
    また、現代の自分が当時を振り返るような書き方になっていて、作中登場する友人は、思想弾圧により獄中死したことが述べられます。
    彼らは左翼活動に青春を賭けており、厳しい状況の中で自分たちが進むべき道について、ブリューゲルの絵を絡めて哲学している内容となっています。

    1929年の世界恐慌により、世界的な経済恐慌が発生しますが、そんな中ソビエト連邦だけは共産主義だったため、主要国では唯一影響を受けずに経済成長を続けることに成功しました。
    そういった状況下ということもあってか、マルクス・レーニン主義は学生たちの間で日本の現状を打開する手段という認識を深めていました。
    本作は野間宏の自伝的な部分がある作品で、作中登場する友人は野間宏の実際の友人をモデルにしていると言われています。
    本作中に登場する学生たちは、その時期において本気で日本を憂い、良くするために活動を行っていて、そのリアルな空気を感じることができます。
    書かれている会話の本質的なところは理解は難しいですが、非常に興味深く読める一作でした。

    ・顔の中の赤い月 ...
    東京駅近くにあるビルに勤める「北山年夫」と、廊下を隔てた向かいのビルに勤める戦争未亡人「堀川倉子」の間に流れる共感性、想い、あるいは絶望が描かれた短編。
    恋愛小説と言えばそうなのですが、そうシンプルに述べることができない、2者間の隔たりが書かれたものとなっています。
    初期の小説ということもあり、表現が婉曲的で、よく読むと非常に大げさに感じる部分もありました。
    例えば、年夫はごく短い時間すれ違うだけの倉子に対し、"美のエネルギーが放出される"のを感じたり、"自分の過去の苦しい思い出を引き出し、蘇らせてくる"のを感じ、更には"正体のしれない不可解な暗い感情の稲妻"が通り過ぎるのを感じます。
    倉子からすればいい迷惑のように思えたのですが、作者が述べたい本質的なところを読み解けばわかりやすい作品だと思います。

    ・残像 ...
    高等学校在学中に別れ、それぞれ別の相手とパートナーになった男女が、戦後再び出会う話です。
    「沢木茂明」は妊娠中の妻がいたが、既に死別しており、「藤枝美佐子」は利害計算により茂明と別れて親の定めた相手と結婚したが、思うところがある様子である。
    結局どうあっても自分は自分であったろうという一種の哲学を持った茂明と、茂明と別れてしまったことで後悔をし続けていた美佐子の会話が主な内容です。
    シンプルに読みやすく、小説としておもしろい作品でした。

    ・崩壊感覚 ...
    1948年連載された、本書収録作では一番後期の作品。
    崩壊感覚は野間宏の初期の頂点であり、本作までの短編群によって、第一次戦後派として先の大戦を経験した人々の内面を描き出してきました。
    崩壊感覚の主人公は「及川隆一」という青年です。
    彼は恋人の「西原志津子」を訪ねるため部屋を出たところ、下宿に住む主婦に呼び止められます。
    彼女に、別室に住む「荒井幸夫」という男が、部屋の中で首をくくって死んでおり、人を呼んでくるのでここで待って欲しいと懇願され、仕方なく死体の吊るされたその部屋の前で、主婦の戻ってくるのを待つという展開になります。

    彼が死んだ理由は直接的に述べられず、戦争により身体的にも心理的にも障害を負った及川により、その表現しようのない内なる想いが表現される内容となっています。
    "敗戦で終わって虚しくなった"とか、"人を殺してしまったのにのうのうと生きてはいられない"とか、そういうわかりやすい単純な理由で述べられない、戦争経験者でないと持ち得ることができない感情が独特な文体で描かれています。
    本書などを読むと、野間宏氏は、後世に伝えるべき重要な仕事を残していただけた、責任感の強い人物だと思いました。

    ・第三十六号 ...
    陸軍刑務所に政治犯として収容された主人公が、そこで出会った逃亡の常習犯"第三十六号"に関する話になっています。
    慣れきった獄中生活に余裕面をして、獄中生活を楽に過ごす極意などを主人公に教える"第三十六号"だが、刑務所はそれほど甘くはなく、想定外の地獄のような責め苦を受けてしまうという内容です。
    本作も戦争の悲惨さと、敵が憎くて進んで戦争に参加したわけではない兵隊の心情が描かれた傑作です。

    ・哀れな歓楽 ...
    20ページほどの短編。
    外出許可証を持った3人の兵隊が、心斎橋に来て休暇を楽しむ内容です。
    うまいものを食って女遊びをし、追い立てられるように快楽を得てまた戻ってくる話で、他作品と比較すると若干のコミカルさもあり、読みやすい作品です。
    街ではだらしなさも垣間見える様子なのですが、兵舎に戻った後はキリッと気を引き締めているのが対照的でした。
    また、野間宏はそれを"兵隊の本能"と述べているのもまた特徴的に感じました。

  • 戦争の負の面を描いた野間宏。これが太平洋戦争時代の真実であったと思う。戦争で人を殺したことでいつまでも心が病んでいる者、戦争で連れ合いをなくしたもの同士の出会い。また陸軍刑務所のむごさ、軍人の休暇時の哀れな売春による楽しみなど、旧帝国陸軍がいかに人道的におかしかったがわかる。

  • 「暗い絵」――
    ブリューゲルの絵の描写が印象的だ。

    草もなく木もなく実りもなく
    吹きすさぶ雪嵐が荒涼として吹きすぎる。
    はるか高い丘のあたりは雪にかくれた黒い日に焦げ、
    暗く輝く地平線をつけた大地のところどころに
    黒い漏斗形の穴がぽつりぽつり開いている……。

    野間宏の卓越した筆致力。

    この描写は、
    特高警察監視下における
    京大左翼活動家たちの苦境を
    見事に表現している。

    主人公・深見進介もまた活動家の一員だが、
    他の仲間との距離感は複雑である。

    仲間の一人は自分たちの行動を「仕方のない正しさ」と述べ、
    活動の結果獄死を遂げる。

    しかし、深見進介は言う。

    「やはり、仕方のない正しさではない。
    仕方のない正しさをもう一度真直ぐに、
    しやんと直さなければならない。
    それが俺の役割だ。
    そしてこれは誰かがやらなくてはならないのだ」。

    これは仲間と道を別ったうえでの発言ではあるが、
    決して否定ではない。
    そこには尊敬と肯定の想いがある。

    これは深見進介=野間宏による、
    そこに生じた歪みを引き受ける
    苦渋の決断といえよう。

    それは身が引き裂かれるような思いであったはずだ。
    この畢生の決断と勇気を尊重したい。

  • 戦中、戦後の暗い日本、暗い思考を描いた作品。
    「暗い絵」は解説に書かれてある通り、限定的な時代・場所を舞台としているので、時代背景などよく分からず、閉塞感だけは感じられました。
    「顔の中の赤い月」はパートナーを失った男女の物語。男は失ってからはじめてその大事さがわかり、女は得た瞬間から失った後も大事さを実感している。お互いのことを意識しながらも踏み出せず終わってしまう。感情移入しやすかったです。

  • 野間宏。真空地帯があまりに面白くて、デビュー作の暗い絵がどうしても読みたくって読みました。

    「暗い絵」「顔の中の赤い月」「残像」「崩壊感覚」「第三十六号」「哀れな歓声」の六編を収録。

    デビュー作である「暗い絵」は正直よくわからなくて、でも、ブリューゲルの絵についての冒頭の長々とした記述が異様なものであることは伝わりました。
    一枚の絵についての描写が、こんなに長く冒頭に続く小説は珍しいのではないでしょうか。
    この描写を読んでいると、永遠に暗い絵の風景が広がり続けるんじゃないかという錯覚すら覚えます。

    でもストーリーとしては、筆者の経緯や、歴史的背景を知っていないとわかりにくいものだったと思います。それを知っていてもよくわからなかったです。でもよかった。

    暗い絵以外は、分かりやすいものが多かったです。なかでも「崩壊感覚」はとてもよかったです。久々にクラクラした小説でした。

    私が長年知りたいと思っていたことの一つに、戦争によって転換を迫られた価値観があります。
    敗戦によって何かを奪われたり、大きな喪失感を覚えたりすることによって価値観が変化したり、男性であれば兵営生活や野戦による経験、女性であれば身近な人の死や苦しい生活の経験などを通して築かれていった価値観というものにとても興味がありました。

    この小説には、そういったものを知る糸口が示されていたように思います。ああ、これこれ。これが知りたかったの。という感じで、スッと自分の中に入っていきました。坂口安吾の白痴なんかも、それに近いものがあったんですが、どうも腑に落ちないような部分があったりして。でもこれは違いました。

    野間宏の人生や社会活動には賛否両論あると思いますが、私は小説は好きです。久々に、安部公房以来のヒットでした。ただ現在出版されているもので、容易に手に入るものが少ないというのが非常に残念な点です。

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著者プロフィール

1915ー1991 作家。毎日出版文化賞、朝日賞、谷崎潤一郎賞。『真空地帯』『青年の環』『狭山裁判』など。生誕100年。

「2015年 『日本の聖と賤 中世篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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