第三の新人名作選 (講談社文芸文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062901314

作品紹介・あらすじ

戦後新世代の魅力的作家群

近代文学でもっとも人気も実力もある「第三の新人」。
その魅力的短篇選。

第三の新人、と称された戦後新世代の作家達は、のちに、文壇の中心的存在となっていく。十人十作品を精選。阿川弘之「年年歳歳」、遠藤周作「アデンまで」、小沼丹「白孔雀のいるホテル」、近藤啓太郎「海人舟」、小島信夫「アメリカン・スクール」、島尾敏雄「湾内の入江で」、庄野潤三「プールサイド小景」、三浦朱門「冥府山水図」、安岡章太郎「ガラスの靴」、吉行淳之介「驟雨」収録。

富岡幸一郎
読者は本書の各作品を通読すれば納得されるだろうが、ここには今日でも(いや、むしろ現在の地平においてこそ)、まさに「新しい」と驚嘆させずにはおかない文学の瑞々しい魅力が溢れているからだ。一個一個の短編は、当然のことながらその主題も内容、個性も全く異にする。しかし、作品の言葉の奥底に降りていくと、ある共通する普遍的ともいえる感性の層に突き当る。――<「解説」より>

感想・レビュー・書評

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  •  吉行淳之介の「驟雨」とかの文章は全然頭に入ってこなくて、読み終わっても何が書いてあったかまったくわからない。昔、そういう失敗をしたので、二度目なので、ゆっくり読んだ。そしたら、売春婦を愛しそうになって、洗面台行ったら、いろんな男が使っていった錆びついたカミソリがあって、やっぱり商売女やんなあと黄昏るものでした。
     安岡章太郎のガラスの靴は、男の純心をたぶらかす女の話。それほどガツンと来るものじゃなかった。嘘つき女。女は嘘と誤魔化しと言い訳と人格の使い分けがまずベースとしてあるのだから、もっときついことがあっていいと思った。
     三浦朱門の冥府山水図は、芥川の筆致というが、うーん……内容も、そんなに。この中華の世界にとてつもなく深い造詣があったうえで書かれてある作品とはとても思われない。幸田露伴が描いたらまずはこうはならないし、物語の流れに意外性もないように思う。昔読んだ「箱庭」のほうがよかった。
     庄野潤三のプールサイド小景は、今定期刊行しているいわゆる昔ながらの同人誌の長老世代にいかに大きな影響を与えてきたかわかる一編。会社を突然首になって、情景が一変して崩れてくる。この壊れ方が、同人長老文学に激似だ。
     島尾敏雄は相変らず筆致が淡々としていて、彼の妻を描写するのと、特攻前の世界と空気感は、まったく変わらない。あまりに苦しい生ばかりを味わっていた人なんだなと思う。だからこういう文章になるのだろうか。
     小島信夫のアメリカンスクールは行軍のように歩かされ、英語学校を見学させられに行く敗戦後の日本の話。そこで、日本人としての「言語」の苦しみと直面する話だ。抵抗は「黙ること」という選択肢も良い。相手は自分たちのことを猿としか思っていないのだが、学校で鍵を閉められるところはリアルだ。人が好い外国人女性のようで、きっちり鍵は閉めるのだ。それから何度もジープで日本人の女教師をのせて連れて行くよという誘いが場面としてあったと思うのだが、まあ乗ったらレイプだろう。行軍と女とジープと学校と。道があって、歩かされて、学校があって。外国に占領された世界の行き場のなさが出ている。
     近藤啓太郎の海人舟。熱くていいなあ。海の中から海面に出るまでの息苦しさの段階の描写がよかった。
     アデンまでの遠藤周作は、いつもそうだが、遠藤周作は、神は何も答えないし、宗教的な感動をもたらそうとも思わない、むしろ神的な何かというものを徹底して拒否しても神について何か思うということを文学で書く人だと思う。死海のほとりとかがそうだったかもしれない。(記憶違いか)
     阿川弘之の年年歳歳の、原爆から桜の花見への展開はとても美しかった。富岡幸一郎はこれを一番チョイスしたかったんじゃないかと思った。
     最後に、小沼丹の白孔雀のいるホテルが一番面白かった。ヘンテコな客と、バーでのバカ騒ぎ。それから、最後に夢を語る場面。で、いつか白い美しいホテルを建てるのは「間違いのないことなのだ」と確信までしてしまうところ。なんとも言えない哀愁があるけれども、それでいて、余裕を感じる、とてもいい空気だと思った。
     第三の新人は、大きな物語から小さな物語へということで富岡幸一郎に解説されていた。戦争の悲惨さではなく、特攻出発前の日常と、静謐さとか。この収録されている中で、最も、作品のやり方として、今使われているのはプールサイド小景だと思う。こういう感じの作品はたくさんたくさんある。第四の新人になろうとした同人作家たちはみな、プールサイド小景から出発している気がする。(気のせいか)

  • 庄野潤三「プールサイド小景」/安岡章太郎「ガラスの靴」

  • アデンまで、強烈なインパクトがありました

  • 部分的ですが、読みたいものは読み終わった。
    小島信夫「アメリカンスクール」。なるほど、なるほどね…。阿川弘之、遠藤周作もあわせて読んだ。
    この世代は「開戦」「敗戦」を越えた世代。
    「他者」と「自己」のありようを、その存在について、突きつけられた、ということでしょうか。他のもそのうち、また読んでみます。

  • ▼阿川弘之「年年歳歳」(1950)

    まさに敗戦直後といった物語の情景に、もう文学的にどうとか考えることも出来ないまま吸い込まれてしまって、くるしい。夏が近づくにつれ、昭和文学を読まなければ、という焦燥感を感じる。


    ▼遠藤周作「アデンまで」(1954)

    おそらく高校一年生のころに読んだことがあるのだけど、ほとんど何も覚えていなかったので初読のつもりで読みました。こわすぎてびっくりしたし、これをすっかり忘れてしまえた高校生のころの自分にもびっくりしたし、アンソロジーの中でも異彩を放つ力強い文学性と描かれている人種差別の苦しみに圧倒された。大城立裕を読んだ時も感じたことですが、戦争が終わって平和が訪れてみんな平等ということになって、それでも消え難い苦しみや傷を負っていて、必死に取り繕われたものがふとした瞬間に崩れさってしまう緊張と絶望のなかにある戦後の姿を小説を通して見ることは大きな価値がある。こわいけど。


    ▼小沼丹「白孔雀のいるホテル」(1955)

    冴えないホテルとそこに訪れる人びととの一時的な交流。ちょっと離れたところから見るともう滑稽で、くだらないようなことばかりなんだけれど、当事者はみんなで必死に夢を見ようとしていて、主人公は最初そこから距離を置いているんだけど、最後はその夢に参加しようとする、そんな話に思えた。がらくたのような夢が、それでもある人びとにとっては紛れも無い理想であることの滑稽さと切実さを見事に描いている。こういう文学は戦後が生んだんだろうと思うけれど、その切実さは現代でも十分に胸を打つものではないか。


    ▼近藤啓太郎「海人舟」(1956)

    前近代的な村社会とか家族制の呪縛とかがどうやって個人の欲望を歪めるか、幸福を奪うのか、ってことが描かれているように思えて、とても怖いなあと思った。勇もナギも、個人の望みをしがらみで抑圧して、主体的に耐えようとするとふっと解放されたりして、もうどんな望みを追い求めているのか、何が幸福なのか、そういったことがわからなくなってしまっている。ナギは地に足をつけ、勇は現実から逃げ惑う、というその書き分けは性差から来たものなんだろう。時代性と作者のジェンダー観。現代が負うものとはまた違った困難さではありますが、なんかもうこういうの読むと、人間が集団として生きる以上、人と人がどのように繋がるかということは問題ではなく、集団になったことそれ自体が苦しみを生むのかなあと思えてしまって、ほんとう絶望する。


    ▼小島信夫「アメリカン・スクール」(1954)

    自虐やばい。笑えない。敗戦という事実とその状況をどう捉えるかについて。それはみじめで、哀しく恥ずかしく、でもふと笑い飛ばしてしまいたくなるようなばかばかしさと、やけを起こしたような滑稽さと、色んなものがぐちゃぐちゃになっている感じ。平成生まれのわたしはここまでひねくれた感情に共感することは出来ないんだけど、今までわたしが読んだことのある日本(文化、思想など)論が執拗に敗戦にこだわっていたのもさもありなん、という気分。肌で感じていないぶん、なかなか難しいものがありますが、今後も昭和文学にきちんと触れ続けることで戦後日本の精神史を自分なりに理解していきたい。


    ▼島尾敏雄「湾内の入江で」(1982)

    島尾敏雄は第二次戦後派なのか第三の新人なのか、微妙なところですがまあそんな括りはどうでもよくて。戦争体験、それも人間魚雷として特攻隊に志願する、学徒のお話。もう、どうしようもない気持ちになった。主人公の考えていることは、非常に学生らしい浅薄さや幼さがあって、迷いでいっぱいで、戦を厭いつつも軍人的かっこよさに憧れたり、そのくせ戦争以前の日常を彷彿とさせるものに出会うと言いようの無い悲哀を感じたりする。本当に普通の人。主人公のあまりの平凡さに、集団というのはやっぱり名も無き個人の集合であって、戦争は個人を搦め捕ってしまうシステムで、それに巻き込まれて死んでしまったであろう多くの普通の人達、を思うと、なんにも言えない。そして文学は名も無き個人をすくいとる試みなのだと。


    ▼庄野潤三「プールサイド小景」(1955)

    日常の脆弱性を明らかにする、というものですが、その脆弱性告発を越えて見えてくるものというのは、日常性では扱えないもので、だからこそその先が見たかった。


    ▼三浦朱門「冥府山水図」

    芸術のかなしみと、俗世のかなしみ。皮肉がやばい。こうして俗性を告発することで、なにになるんだろう、このひとはなにがしたいんだろう。

  • 東日本大震災のあとのせいか、原爆投下後のヒロシマに復員兵が帰って来て、奇跡的に両親に会えた阿川弘之の年年歳歳が一番印象に残りました。

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著者プロフィール

円地文子(1905.10.2~1986.11.14)小説家、劇作家。東京生まれ。国語学者の家に生まれ、幼時より古典に親しむ。「ひもじい月日」で女流文学者賞。著書に『妖』『女坂』(野間文芸賞)『なまみこ物語』(女流文学賞)『朱を奪う者』(谷崎潤一郎賞)『遊魂』(日本文学大賞)『円地文子訳 源氏物語』(全10巻)がある。
佐多稲子(1904.6.1~1998.10.12)小説家。長崎県生まれ。26年、同人誌「驢馬」の同人(中野重治、窪川鶴次郎、堀辰雄など)と出会う。28年、「キャラメル工場から」を発表。プロレタリア作家として出発する。著書に『くれなゐ』『女の宿』(女流文学賞)『樹影』(野間文芸賞)『時に佇つ』(川端康成文学賞)『夏の栞-中野重治をおくる-』(毎日芸術賞)など。
宇野千代(1897.11.28~1996.6.10) 小説家。1921年、『時事新報』の懸賞小説に「脂粉の顔」が当選。36年、ファッション雑誌「スタイル」創刊。着物デザイナーなど実業家としても活躍。著書に『おはん』、『色ざんげ』、『或る一人の女の話』、『幸福』(女流文学賞)、『雨の音』(菊池寛賞)など。

「2014年 『個人全集月報集 円地文子文庫・円地文子全集 佐多稲子全集 宇野千代全集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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