• Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062901970

作品紹介・あらすじ

折口信夫の対話集。文学は北原白秋、川端康成、小林秀雄等と、民俗学は柳田国男等と、仏教・神道は鈴木大拙等との対談・鼎談を編纂。

感想・レビュー・書評

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  • 小林秀雄や鈴木大拙との対話があることを知り、いったい彼らがどんな対話を繰り広げるのか、その有様を感じてみたくて。
    編集の都合もあって、純粋な会話では決してない。その場にいなければ、わからないような雰囲気だってある。文字だけ見れば、折口はあまりしゃべらず、会話の噛み合わなさのようなものが見られるかもしれない。
    しかし、それこそ、これが想像された会話ではなくて、純粋に対話されていることの表れなのだと思う。互いに相手の立場を痛いほどにわかっているから、決して相手のことばを打ち崩すのではなく、自身の立場を守っている。わかりあえないからこそ、相手を尊重して耳を傾けられるし、自分の主張もできる。そうして、語られないところで、相手のことばを吸収して、自身のものとして生きているのだ。
    対話時期が戦時中~戦後にかけてと思想も偏り過激な様子が見えるが、そんな中にあっても静かに耳を傾け、けれども流されることなく、自分の主張をする。どちらかといえば、折口は会話の得意な方ではないと思う。しかし、その分思考の飛躍は、他の対話者も驚くほどのものである。習俗からことばの語源へと至る過程は、折口の成し遂げたひとつの発見である。柳田國男は、早くもその才を見ぬき、それをミンゾク学へ持ち込ませたのだ。柳田はその創造性から新たな物語を紡いでいき、同時に、科学的手法のために、折口の飛躍を御す。折口も自身のことをよくわかっているから、柳田の限界と慎重さの意味をよく守っている。
    今まで、柳田がどうしてこんなにも抽象化を嫌い、収集にとどまったままにあったかわからずにいたが、ふたりの対話を追っていくと、柳田が折口のような後進の者のためを思い、またその科学的手法を徹底して学問をしていたことが伺える。柳田にとってミンゾク学は物語ではなく、学問だったのである。
    折口からしても、小林秀雄の言うような歴史の再考はきっと考えていたはずである。しかし、それをすぐにことばにするにはあまりに、収集が少なすぎたのであろう。若い頃の折口なら、すぐに小林のことばに反応しただろう。

  • 右系の団体が折口信夫の思想を持ち出して右翼的思想擁護していたので、そんなことが可能なのか著作を読み返したが、やはりちょっと無理があるぞ~ってことを確認。では折口氏の思想の起源にさかのぼって知りたい欲求に駆られこれに行きついた。
    青春時代(この本のなかでは13歳ごろから25,6歳くらい)の早熟な思想の萌芽が生い立ちや環境にあるとしながらも、かなり論理的を欠く強引さを過去の折口研究と理解度をもって包み込むような結論付けだった。その論旨はさておき、ああ、こんな構造でも本になるんだとの感慨にふけった。
    対談形式というのも、軽く話してみました、といった感をのこしているため、果たして著者が論旨を強く主張しているのかどうか疑問を持つが、先述のように、ああ、こんな風にも書けるのか、と・・・。
    折口信夫の著作は好きだ。明治から大正、昭和の時代を感じさせず近代に居ながら古代の香りを漂わせるような歌も(作名は違いますがね)好きだ。
    本書の中でも触れていたが、折口氏が日本的な美を文学、言語学や民俗学の中でつまびらかにしていたことは間違いないがそれは日本的な美を独立して賞賛していたのではなく、世界的な視野にたって、個々の美を認めたうえでの日本的な美であって、唯我独尊思想ではない。この点では本書の著者が論じる思想の萌芽期にあっても同様であった点では本書に納得させられた。よって右翼的な思想の擁護にはまったく当たらないことを確認した。引用するには都合のよい部分だけ引用してはいけません。

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著者プロフィール

民俗学者・国文学者

「2019年 『折口信夫 山のことぶれ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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