湯川秀樹歌文集 (講談社文芸文庫)

  • 講談社 (2016年10月8日発売)
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本 ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784062903257

作品紹介・あらすじ

日本初のノーベル賞学者を文学的側面から読む。少年時代の読書体験や源氏物語、漢詩、和歌についての随筆に、歌集「深山木」を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 歌文集とあるように、湯川秀樹の短歌(本人は、「和歌」と呼んでいた)とエッセイを収録した1冊。老子、荘子、源氏物語など古典への深い造詣や内省的な人柄が窺える。

    収録されている歌集『深山木』は京大退官記念の私家版で、文庫として手軽に読めるようになったのは、うれしい。外出先でのものが多いが、原爆投下を詠んだ一首が、物理学者・湯川の作品であるだけに、印象的であった。

    この星に人絶えはてし後の世の永夜清宵何の所為ぞや

  • 湯川秀樹さんの「混沌と煩悩」。物理学の天才は、研究の成果が実るまでに、こんなにも多くの、一見、無関係に見えることへ興味と関心があったのだと思う。短歌についての考え方、言語に関する繊細な捉え方、とてもとてもおもしろかった。

    「一日生きることは、一歩進むことでありたい」

  • ななかまどあかき実【み】枝にみつるとき柳葉魚【ししゃも】の味のことによろしく
     湯川秀樹

     日本人で初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞した湯川秀樹は、和歌をこよなく愛していた。細川光洋選による「湯川秀樹歌文集」では、理論物理学者の心の内に、孤独と、混沌とした世界とが共存していたことが丁寧に解説されている。

     1907年(明治40年)、東京生まれ。幼児期に京都に移り、中学時代に西行の歌集「山家集」と出合い、その抽象的な言語世界に没頭したという。

     近代的、合理的な科学を専門としながら、その対極にあるような非論理的で不確定なものにも理解があり、むしろそれが、想像力の源泉であったそうだ。歌を作ることを「安息所」にたとえたエッセーも収録されており、説得力がある。

     71年、京都大の退官記念として刊行された歌集「深山木【みやまぎ】」(私家版)も本書の読みどころである。少年時代の回想歌や、旅行詠、戦時下の弟の応召の歌のほか、次の歌は、49年、ノーベル賞授賞式のためにストックホルムを訪れた折の感慨。

     忘れめや海の彼方の同胞【はらから】はあすのたつきに今日もわづらふ

     まだ日本は、敗戦わずか数年後であった。自分は晴れの式典に立っているが、日々の「たつき(生計)」に苦労する故国の人々への思いやりも歌われていたのである。

     3度にわたる北海道訪問の連作もあり、掲出歌も、その中のもの。釧路、層雲峡、小樽、札幌などが順に歌われているので、その旅情を私たちも追体験したい。
    (2016年11月13日掲載)

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著者プロフィール

理学博士。専門は理論物理学。京都大学名誉教授、大阪大学名誉教授。
1907年に地質学者小川琢治の三男として東京生まれ、その後、1歳で転居した京都市で育つ。23年に京都の第三高等学校理科甲類(16歳)、26年に京都帝国大学理学部物理学科に入学する。33年からは大阪帝国大学講師を兼任し、1934年に大阪帝国大学理学部専任講師となる(27歳)。同年に「素粒子の相互作用についてⅠ」(中間子論)を発表。日本数学物理学会の欧文誌に投稿し掲載されている。36年に同助教授となり39年までの教育と研究のなかで38年に「素粒子の相互作用についてⅠ」を主論文として大阪帝国大学より理学博士の学位を取得する(31歳)。1939年から京都帝国大学理学部教授となり、43年に文化勲章を受章。49年からコロンビア大学客員教授となりニューヨークに移る(42歳)。同1949年に、34年発表の業績「中間子論」により、日本人初のノーベル物理学賞を受賞。1953年京都大学基礎物理学研究所が設立され、所長となる(46歳)。1981年(74歳)没。『旅人―ある物理学者の回想』、『創造への飛躍』『物理講義』など著書多数。

「2021年 『湯川秀樹 量子力学序説』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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