木菟燈籠 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 31
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062903318

作品紹介・あらすじ

そこはかとないユーモアやはにかみを湛えたかざりのない文章でどこか懐かしいような風景を描き上げて多くのファンを持つ“小沼文学の世界”。季節や時代の移ろいに先輩の作家や同僚の教員、学生時代の友人など愛すべき人々の風貌を髣髴とさせる、この著者ならではの好短篇集。

感想・レビュー・書評

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  • そうなんだよねえ、すんなりした文章のようでいなかがら、なんだか引っかかるのは、後書きで堀江敏幸が言うように、「ふたつの地層がぶつかりあって」「時間の小さな揺れが生じる」からなんだろうな。時制が内包されたような不思議な引っかかり。

    人がさらりと死に、さらりと去っていく。

    なんだか鳥がたくさん出てくるな。

    「四十雀」もよいし、最後の「花束」の締めたあとの静謐が重い。
    こういう文章を書ける人は、今の作家さんには見当たらないと思う。

  • 一人称の出てこない徹底した主観ながら、目線の優しさから偏った思考や不快感を催さないという、不思議な文章。落ち着いた読書を楽しみたい時には、どうも小沼丹か野呂邦暢を選んでしまいます。
    『木菟燈籠』それそのものが墓標のように、誰かから風の噂の様に流れてきて知る知人の死について描かれる作品が殆どですが、其処には悲惨さが無く、心の何処かにひんやりとした秋口の風が吹くような、そんなちょっとした寂しさが、優しく軽妙な筆致で綴られています。小説とも随筆とも思える曖昧さも居心地の良さかもしれません。
    上質な時間を楽しめる1冊でした。

    あっ、大寺さんもでてくるよ!

  • 大寺さん(著者)の日常を淡々と描いた短編集。戦争が終わったのに、彼の与り知らぬうちに周りの人々は呆気なく亡くなる。それを大袈裟に語る事なく、ただ吃驚という言葉で受けている。読む此方は、うっすらと悲しみを感じるのだが、感心出来ないのがひとつ。
    「入院」という章で、奥さんの入院から退院直前までの大寺さんの心情を描いているのだが、これがいけない。巷の妻がこれを読んだらあまり面白くない気持ちになると思う。

  • あっけらかんとして、次々と人が消えていく。
    こんな小説があったのだ。

    「みんなみんないなくなった」

  • 読んでいると唐突に死が現れる。その死が何を暗示しているのかわからない。また鳥屋がちょこちょこ出てくるが、それも何の暗示かわからない。
    つかみどころがない小説である。

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著者プロフィール

東京生まれ。1942年、早稲田大学を繰り上げ卒業。井伏鱒二に師事。高校教員を経て、1958年より早稲田大学英文科教授。1970年、『懐中時計』で読売文学賞、1975年、『椋鳥日記』で平林たい子文学賞を受賞。1989年、日本芸術院会員。

「2018年 『ゴンゾオ叔父』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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