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Amazon.co.jp ・本 (294ページ) / ISBN・EAN: 9784062919395
みんなの感想まとめ
日本の音環境とコミュニケーションの特性について深く考察する本書は、往復書簡形式で展開され、二人の哲学者の異なる視点が魅力的に交錯します。音に対する感受性や、公共空間での「音」の影響が、どのように私たち...
感想・レビュー・書評
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ヨーロッパ諸国との比較も交えながら、日本中に溢れる「注意を喚起するメッセージ」をやかましいと感じ、それを許容している(あるいは全く気にしていない)日本人と日本の文化を対談や往復書簡形式で大学教授がやり取りする。
著者達は迷惑行為(犯罪ではない)を誰構わず注意をし、それを正すよりも「なぜ注意喚起が分かっていて迷惑行為をするか」を相手に問いただしたいという一念で様々な一般人に絡んでいく。当然、時には危険な目にも遭ってしまうことも。その時の周囲の反応(注意した側が白眼視される)を観察もする。その度胸たるや大したものだとは思うが、日仏マクドナルドでの無茶なオーダー実験や、生協の配達車へ「拡声器の声が大きい」と抗議するなど、かなり面倒くさい人たちでもある。
関心すると同時に、なまじ頭が良い人たちだけに身近では関わりたくない、面倒くさい思想の本。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この書簡集を読んで、改めて、対談や聞き書きとの違いってなんだろうか?を考えました。中島義道氏の「騒音」に関する著作だったか雑誌記事だったかは、ずいぶん昔に読んだ覚えがあり、学者というより、クレーマー偏屈じいさんみたいだなと感じながらも、言っていることに筋が通っているし、ストレートとに「嫌だ」と言い切る姿勢に共感を覚えていました。
で、この書簡集を読んで思ったのは、書簡でのやり取りに漂う緊張感やすれ違いと、最後の対談の雰囲気が、随分と違うものだなぁと。書簡は、1人で書いて、相手に届いて読むまでのタイムラグがかなりあるという特徴から、たとえ相手への返信だとしても、考え抜いて書いているので、隙がない。だからこそ、辛辣な批判や、場合によっては人格を否定するような表現も、誹謗中傷に貶められることがない。
ただ、相手への返信を意識するあまり、テーマから逸れているように感じる箇所もあり、もう少し「日本的騒音」に対するお二人の知見を知りたかった。 -
目から鱗をぼろぼろ落としながら読み進めた。
主題となっている「音」の話よりも、文化論的な展開が面白かった。
びゅんびゅんと飛び交う、歯に衣着せぬ剛速球に読者であるこちらは冷や冷やしつつ、しかし、次第にその率直さが心地よく感じてくる。
彼らが述べている「音」の違和感については、正直そこまでとは思っていない。
もちろん、拡声器から日々流される騒音の数々には閉口してはいるのだけど。
特に、JRのホームはほんとなんとかして欲しい。
中島氏の下記部分には心から共感。
<blockquote>他者を理解できたと思うのは傲慢です。むしろ、理解できないことを理解しなければならない。</blockquote>
そして、続く以下の部分にハッとさせられた。
<blockquote>わが国に対話が欠けているのは、他者を理解しようとしないからではない。むしろ、他者をあまりにも安易に理解してしまう。正確に言えば理解していると思い込んでしまうからなのです。</blockquote>
これを受けての加賀野井氏が書かれた以下にも共感。
<blockquote>大切なことは、常に言葉を重ねていくこと。「議論を高める努力」を放棄した単なる「住み分け」社会とは違う「他者との共存」社会を目指すならば、私たちは常に他者に訴えかけることを止めず、また、他者を理解しようとし続けなければなりません。</blockquote>
かつて、ソクラテスが行ったことが、つまりそういうことであるのかなと。
他者との関わりから発生するものから目を背けず、常にそこから受ける違和感や嫌悪感を為しているものを突き詰めようとする試み。
上辺だけの「話が分かる奴」は年々増えているが、その一方では、本当の意味で「他者」を理解しようとする人が確実に減っているように思う。
膝をつき合わせて、腹を割って話す行為が出来る人、どれだけいるだろう?
まともな感性を持っているのであれば、一般的に、注意をする側には注意をされる側以上の心労があるのだと感じ取れるはず。
しかし、その「まともな感性」とは、いちどでも「する側」を経験した人でなければ身につかない。
まずは飛び込んでみること。それが全ての始まりになる。
理解できないものを、理解できないまま理解しようと試みること。
それは、乳幼児が『人間』として成長するために必ず通っている道であると思う。
本書は、お手軽なパッケージ化が文化の名の下で進められている原題に警鐘を鳴らす良書と感じた。 -
‹内容紹介より›
注意・勧告・案内・お願いなど、公共空間に日常的に撒き散らされている「音」。サービス・親切・気遣いのつもりの音の洪水が私たちに苦痛を与えるのは何故なのか。また苦情が理解されない背景には何があるのか。二人の哲学者の往復書簡の形で日本人の言語観・公共観・コミュニケーション観の特性を考察。感受性のマイノリティに救いの道はあるのか。
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「哲学書」「思想書」でもありますが、中島義道と加賀野井秀一による往復書簡形式で話が進むので、読みやすく感じました。
一般的な哲学や現代思想の書籍に比べ、「相手(読者)に伝えよう」という意図がより明確に打ち出されていたように感じます。
中島と加賀野井の思想・思考のズレも読んでいて面白かったです。どちらの言い分にも納得できる部分と、「それは違うのでは?」と感じる部分とあり、自分の中で「他者を理解する」ということについて考えるいいきっかけになりました。
「あなたの考えは私とは違うけど、ひとはそれぞれちがうものだから、それでいいんじゃない」という志向スタンスは、「他者を理解」しているとはいえず、議論を打ち切ってしまい、相互理解にもつながらず、”マジョリティ”の価値観を無批判に受け入れる社会になりかねない、という言説にはとても共感できました。
「相手を完全に理解することはできない」ということを念頭に置きつつ、「相手が自分とは異なる価値観を有している」ということを認識し、互いに対話を続けることが重要なのではないか、と感じます。
この二人のように、「確固たる基盤」があるかどうか、ということに悩むのは大切かもしれませんが、まずは「自分が思っていること」を自分の中で言語化し、他者の批判にさらすこと。
これからの生活の中で取り入れていければよいな、と思います。 -
音に対しては、中島さんと同じ意見です。
闇雲に、音が流れているこの日本は何処かおかしいと
想います。
春休みや夏休みなど、警察が小学生を乗せて、その時期
その時期の注意喚起を、マイクを通じた上に大音量で流すのはやめて欲しいですね。
隣の歩道に歩行者が居ても、かまわずに大音量なのです
から・・・。 -
『うるさい日本の私』で提起された、日本の「隠れた」騒音問題に関する本。
また同じテーマの焼き直しかなと思ったら、意外に面白かった。
本書は中島義道と加賀野井秀一の往復書簡の形式をとり、騒音問題を主軸としながら
日本の社会や文化の特異性を議論する。
その過程で浮き彫りになる、日本と西洋を比較する際の両著者の
スタンスの違いが読みどころ。
後半は両者の人格的な差異、その原因になったと思われるヨーロッパ体験の差異が
主な話題となり、徐々に殴り合いのようなやり取りになってゆくが、
両著者とも「言葉を信頼する」と宣言するとおり、紳士的かつ友好的な文体のまま
過激さを増していくあたりが読んでいて笑える。
繊細な感受性、言葉や議論を尊重する態度などの共通性を持ちながら正反対な
人生を送る両著者は、失礼ながら性格診断の格好の材料のように思える。
「エピキュリアン」の加賀野井氏と、「自虐的」な中島氏。
僕は、どちらかといえば中島氏に共感する。
「人生は楽しむべきものだ」と頭では理解するが、自分でもよくわからない後ろめたさ
によって、それが実現できない。しかし、それを実現している人には憧れている。
著者プロフィール
中島義道の作品
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