- Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062919500
作品紹介・あらすじ
日本的なものとヨーロッパ的なものとが重層をなして成立した日本の近代。西周、西田、九鬼、和辻らは、その中で"あるべき近代"を模索した。たんに近代日本の精神構造の解明にとどまることなく、ヨーロッパ近代に対する根本的な反省をも孕んでいる彼らの思想遺産を通し、われわれが直面する現代文明の課題を考察する「日本近代」のトポグラフィー。
感想・レビュー・書評
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9章のテクノロジーと宗教を引き受ける場所としての「身体」という考察がとくに印象的でした。
それにしても、最近、僕が「日本人的である」ということを強く感じる。あまり思い出したくないので、そう思った出来事については書かない。ただ、わずかばかりの勉強で、自分自身のアイデンティティを相対化しようとそれなりに試みてきたつもりだけど、それはお釈迦様の手の上で飛び回る孫悟空よろしく、まったくもって「日本人的なもの」を脱していなかったのだ。僕の身体に深く刻み込まれた「日本的なもの」は驚くほど柔軟でそして強固なのだ。
それでも、少しでも「お釈迦様の手」から抜け出したいと願い、いまさら外国語を勉強したりしている。しかし外国語を勉強するにしたって、日本語を用いてそれを勉強するわけで、そう思うと僕が「日本人的なもの」から離れることは容易ではない。
もちろん、別に日本のことが嫌いだから「日本人的なもの」から離れたいわけではない。ただ、自分をなるべく遠くから眺めてみたいと願っているだけなのだ。僕はそういう人間なのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本文化と、ヨーロッパ文化についての考察。
西周とか、夏目漱石だとか歴史的に有名な人を参照しつつ展開されていく論が面白いし、読みやすい。 -
図書館で借りて読んだけれど、近いうち買って読み込む予定。