密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062920629

作品紹介・あらすじ

大乗の教えをつきつめた先に現れる深秘の思想、密教。宇宙の真理と人間存在の真実を追究する、その精髄とはなにか。心のありかたを説く『大日経』住心品、真言宗などで読誦される『理趣経』、それらの奥義を理解するための注釈書『大日経疏』と『理趣釈』。詳細な語釈を添え現代語訳を施した密教の代表的経典をとおし、その教義と真髄を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • 大日経、読了。

    空海を掘り進めるのにまず密教経典から、という。

    断つのでも、否定するのでもなく、ひたすら離れること。


    理趣経 読了

    自性清浄。

    十七清浄句の過激にも見える表現を読みたかった。

    顕教では断つべきものとされる煩悩も、それは密教の悟りの立場からすれば、宇宙の発現なのであって取り除くべきものではなく、浄化されるべきものである。捨てるべきものも取るべきいかなるものも存しない。っていう解説がわかりやすい。
    性欲や性交すら本来、清浄である、というのは、少子化で人を滅ぼす顕教の考えよりよっぽど現実的。
    ちなみに、釈迦はそんなこと言ってない。

    司馬遼太郎も空海の風景で理趣経は取り上げてる。
    最澄と空海が袂を分かった原因の経典でもある。

  • 新書文庫

  • 2012.09.22
    どのようなものが狗の心であるかというと、わずかばかりのものを得て、喜び満ち足りている(わずかばかりの善き事柄を得ても行いがたく、それ以上のすぐれたものを求めようとしない、真言の実践者は、大海が細流をも大河をも選ぶことがないようでなければならない)。(P74)

    U・x・U そんなことないよ!

    2012.09.21
    どのようなものが狸の心であるかというと、(狸や猫などは、射った獲物を捕るときに)除々に進んでいくのにしたがう(狸や猫のように、そのときを窺っているが、進んで積極的に修行することをしない。真言の実践者は時と場所を考慮することなく、見聞にしたがって直ちに実践し、恩の恵みに報いなければならない。狸や猫がひとに飼育されていても、その恩徳がわからぬように、他人の恩の恵みに報いなければ、狸や猫と変わりがないという意味をも含む)。(P74)

    (*`・ω・)ゞ  o(^・x・^)o そんなことないよ!

    2012.09.07
    どのようなものが迷いの心であるかというと、執るところと異なり、思うところと異なる(不浄観を修めようとして、清らかなすがたをとり、無常・無我の理法を修めようとしても、かえって常住・自我の思いに住する。真言の実践者は、専念して、このように錯乱した観察することがないように勤めなければならない)。(P79) ・・・ヾ(_ _。)

    2012.09.05
    どのようなものが窟(いわや)の心というと、洞窟のなかに入る法にしたがう(真言の実践者は、現実において実践修行すべきであるから、竜宮や阿修羅宮といったような理想の海底または地下の宮殿とされる存在に心を奪われてはならない)。(P76)

    2012.09.04
    どのようなものが剃刀の心であるかというと、ただ(髭を剃るように)そのように剃り除くことにとどまる(髭や髪を剃った出家修行者が世俗の善事にすら一切かかわらないとすれば、世間がすなわち仏法であることを知らないことになる。世俗に即して仏法を実現するのが、密教の極意である)。(P81)

    2012.08.27
    つまり、<そのようにただ人間存在の構成要素のみが存在して実体的自我は実在しないということを理解して、器官、認識対象、認識の領域にとどまって進むことなく修行し、迷いの行為を引き起こす>煩悩の残りかすである根源的無知の可能力が十二因縁を生ずるのを抜き取って、建立などの教えを離れる。このような(清らかなさとりを求める心の)非常に深い静けさは、すべての(内外の)思想を報ずるものが知ることのできないところのものである。(P84)

    2012.08.25
    心・・・・・・(・_・?)

    秘密王よ、心というものは視覚のはたらく世界に(あって目に見えるもので)あることもなく、聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考器官のはたらく世界に(おいて認識されるもので)あることもない、見ることのできないものであり、そこにかたちをとって現れているものでもない、なぜかというと、大空のかたち(と同様)の心は、さまざまな思慮や思慮なきものを離れているからである。

    そのわけはどうかというならば、性質の点では(心は)大空と同じであるから、そのまま(大空のかたちは)心と同じである(つまり、心はすがたなきこと大空がかたちがないようなものである)。(大空の)性質は心と同じであるから、(すがたなき心は)そのまま(すがたなき)さとりと同じである。

    このように、秘密王よ。心と大空の領域とさとりの三種のものは、分かちがたいものである。これら(のさとりと全智と)はあわれみ(悲)を根本とし、手立ての完成(方便波羅蜜)を成就する。(P38-39)

    2012.08.23
    菩提心を因となし、 大悲を根となし、 方便を究竟(くきょう)となす。

    菩提心って・・・・・・(・_・?)
    いうなれば、ありのままに(ことごとく)自分の心を知ることである。

    2012.08.21
    大日経を読み始めた。・・・___φ(・_・*) フムフム

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著者プロフィール

1921年長野県に生まれる。1948年東北大学文学部印度学科卒業。高野山大学教授、名古屋大学教授を経て、退官。文学博士。名古屋大学名誉教授。智山伝法院院長、真言宗智山派管長、総本山智積院化主等を歴任。2011年逝去。著書『仮名法語集』『真理の花束・法句経』『人間の種々相・秘蔵宝鑰』『仏教の起源』『密教思想の真理』『仏教経典選・密教経典』『密教世界の構造』『宮坂宥勝著作集』全6巻、『生き方としての仏教』『ブッダの教え・スッタニパータ』ほか多数。

「2018年 『密教の学び方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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