江戸滑稽化物尽くし (講談社学術文庫)

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062920681

作品紹介・あらすじ

絵と文章で構成され、江戸時代中期、社会風潮や流行をパロディー化する大衆文学としてさかんになった黄表紙。そこに登場する、人間社会に興味津々な化物たちが巻き起こす数々の「笑い」は、現代を生きる我々に何を伝えるのか。化物という「異文化」を通し、江戸時代の生活様式や価値観、江戸っ子の心性を鮮やかに描き出した、異色の近世文学研究。

感想・レビュー・書評

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  • 化け物は滑稽である。特に江戸の黄表紙に載ってる化け物は、メディアが作り出したお笑いコンテンツ。

    流行り廃りがあり、その時代の人の心が求める姿になる。

    くだらないとされるモノにこそ、人の心が本来求める要素がある。

    化け物を研究すると、人の本質が見えてくる。

  •  表紙に惹かれて読んで見た。江戸時代に流行った化物の本について内容まで詳しく記載されている。昔の人々はバケモノを恐れていたように感じていたが、これを見る限り結構時代遅れの物事として恐れてはいなかったようだ。江戸という都市だからこそであり、はぼすべての生活が都市の中にある自分たちにも通じる部分だろう。
     しかし江戸の人々はそれでもバケモノを愛したし、その滑稽さやあどけなさを笑ったのだ。そこに清濁の感情はあったが、それでもバケモノが好かれていたことは、人間のように振る舞う化物や純粋な化物、どこか可愛らしくまの抜けた化物の数々を見ればどれだけ好かれていたからわかる。我々は今も華麗な化物や恐ろしい化物はもちろん、滑稽な化物達を身近に感じながら楽しんでいる。化物尽くしは確かに現代まで続いているのだろう。

  • 解説:佐藤至子

  • <暗いニュースが多い世の中で真面目に問題に直面する明治のスタンスは現代にも必要かもしれないが、くだらない笑いで重い荷物をおろすことも必要であろう。徹底的にくだらなくて不器用なのに陽気な江戸の化物たちは我々のいい手本になるかもしれない>

  • 少し前に擬人化が流行って、何だか凄い世界だなぁなどと思っていたのだけれど、江戸時代の黄表紙は、(付喪神とは全く別モノの)文具同士の恋愛やら蕎麦とうどんの合戦物やら、現代の遙か先行く擬人化レベルで、呆れ半分、何だか誇らしくなって笑ってしまった。

  • こんなにも黄表紙を研究している外国人がいたことにびっくりした。どちらかといえば、妖怪の研究書なのかと思っていたけれども、文学史として読んでも十分に面白い。
    名づけられた妖怪はもはやポケモンのように都市文化の生み出したキャラクターなのですね。納得。

  • 江戸時代の黄表紙本に出てくる化物たちのなんと滑稽でひょうきんで人間臭いことか。そこには化物がもつ「怖さ」はなく、「親しみ」がある。
    尻子玉を抜かれた間抜けな河童がいたり、徳利が忠臣蔵を演じたり、小筆と硯の恋物語があったり(文房具が擬人化されているあたり、筒井康隆の『虚構船団』の先駆けをなすか)、もうなんでもありのハチャメチャ・ワールドが黄表紙本にはある。
    かつて江戸時代には、このような”くだらない”本が流行していたかと思うと、とても楽しくなる。ひょっとして、明治以降の”真面目な”日本人像は実は虚像でしかなく、滑稽を愛する姿こそが古来からの真の日本人像ではないのだろうか。

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著者プロフィール

1954年、米ニューヨーク州生まれ。1981年に来日。1985年、東京大学大学院総合文化研究科修士過程修了、博士課程に進む。1988年より武蔵大学の教壇に立ち、現在、同大学教授。近世・近代日本文学、比較文学専攻。主要著書に『美女の図像学』(共著、思文閣出版)、『「甘え」で文学を解く』(共著、新曜社)。翻訳に『思い出トランプ』(向田邦子)、『家族八景』(筒井康隆)など。

「2015年 『江戸化物草紙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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