青春の終焉 (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 56
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062921046

作品紹介・あらすじ

小林秀雄は、なぜ、青春にこだわらなければならなかったのか。秀逸な小林論でありながらそこにとどまらず、近代日本の文学・思想を博捜し、さらには江戸時代までさかのぼってスリリングに展開する画期的文芸評論。「日本近代文学は青春という病の軌跡にほかならない。その視点に立ってひとつの歴史が語られなければならないと考えた」著者の会心作。

感想・レビュー・書評

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  •  一応、近代の批評、小説が青春という座標系においてどれだけ語られてきたかということが主軸にあるが太宰が口頭伝承的で落語に期限があるとか、並置してドストエフスキーも口頭筆記が多かったとかの話がでてきて、そのほか様々なことについて語られしかも掘り下げ方が半端ないのでついていくのに結構大変だった。
     一番おもしろかったのは村上龍、春樹、中上健次を大江の万延元年のフットボールの作内の対立構造において語るところで、「失うものは何もない」という急進性において、主人公の蜜三郎と弟の鷹四は対置されるのだが春樹においては鷹四(急新性)は最初から解雇されるか、すでに失われており、「失うものは何もない」という意識そのものが失われているというところだった。村上龍においては世界は破壊され失われるものの集積で、しかし春樹においては逆に世界はすでに終わっているという地平から始まっている。この対立は鮮明だろう。しかしその地平において語られる「失うべきものはなにもない」という言葉はもはや何かのはじまりの決意を告げるものではなくただ、終わりの悲哀を告げるものでしかない。この「失うものは何もない」という言葉がもはや何の意味も持たない世界が、著者のいう青春の終焉である。
     しかし一時期いれあげてた身からすれば春樹は世界の終わり、青春の終焉から、ただの悲哀的嘆きばかりでなく何か新しい構造や価値観を作ろうと腐心した、またはしているように思う。これは村上龍が、鷹四に対応する、行動のための行動から転じた、破壊のための破壊のほうにいったのとはやはり対照的で、今の評価の開きはここらへんにあるのではと思う。

  • 内田樹推薦。

  • 141018 中央図書館
    大正期以降の日本文学評論の系譜を、小林秀雄を中心として濃厚な主観で記したもの。日本にとって成長や教養という意味が重要であった「青春」が、1970年前後には失われていったというのが主題。

  • 『出生の秘密』は圧倒的だった。こっちも期待わくわく(^○^)

  • 長い間、日本の近代文学の中心的テーマで、人生の核心でもあったという青春という概念が,学生反乱の花火と一緒に1968年に消えてしまったということを、青春の巨匠小林秀雄をはじめ、北村透谷、太宰治、三島由紀夫、吉本隆明、村上春樹など多くの文学者生き方とその作品を通して15章にわたり論証している。ドストエフスキー、滝沢馬琴まで遡るはなしの流れが飛び切り面白く、かなりの長編だがあっというまに読み終わった。これだけの材料を破綻なく料理する手際は見事である。青春の終焉の原因のひとつが、女性の登場だという示唆は、納得できる。このあたりの詳しい論証も読んでみたかった。学生運動が女性の地位の向上(中進国から先進国への移行)に伴って消滅していくという事実も、青春の終焉という現象の例だろう。

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著者プロフィール

評論家・編集者

「2016年 『ポストモダンを超えて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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