パラダイムと科学革命の歴史 (講談社学術文庫)

  • 講談社 (2013年6月11日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784062921756

作品紹介・あらすじ

科学史の第一人者による「学問の歴史」。科学革命で生まれた新たなパラダイムが学問的伝統を形成していく過程を解明する。古代以来の東西学統の比較から、学会誌などのメディアの発明、職業的科学者の誕生、現代のデジタル化まで、社会的現象としての科学と科学者集団を分析。『歴史としての学問』(1974年、中央公論社刊)を学術文庫化にあたって改題し、新たに「学問のデジタル化・グローバル化」を論じた補章を加筆。


トマス・クーンの「パラダイム論」を日本に紹介した科学史の第一人者による「学問の歴史」。科学革命で生まれた新たなパラダイムが学問的伝統を形成していく過程を解明する。「記録的学問」と「論争的学問」という古代以来の東西学統の比較から、学会誌などのメディアの発明、職業的科学者の誕生、現代の巨大科学とデジタル化まで、社会的現象としての科学と科学者集団を分析。
『歴史としての学問』(1974年、中央公論社刊)を学術文庫化にあたって改題し、新たに「学問のデジタル化・グローバル化」を論じた補章を加筆。

みんなの感想まとめ

学問の歴史を深く掘り下げ、科学革命がどのように新たなパラダイムを形成したのかを解明する内容が特徴です。著者は、古代から現代までの学問的伝統を比較し、記録的学問と論争的学問の違いや、メディアの発明、職業...

感想・レビュー・書評

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  • 難しく感じてしまい目が滑ってしまう。これは読書の習慣がない自分にはまだ早いと言うことかと気を引き締めなければと思った。読了できず。

    目が止まるところはすごく興味深いフレーズも多々ありで、自分のレベルが上がったらもう一度手に取ってみたい。

  • " ギリシアの政治は民主政治のプロトタイプだといわれる。これは少なくとも市民による直接民主政である。民主政、話し合いの政治では、どうしても説得技術が出世の手段となる。論争で勝てば官軍という「言主制」である。したがって、自然についての論議もあたかも政論のごとく論じられた。
     彼らは多くギリシアの植民地からアテネの富に惹かれて集まってくる遊説の士で、その本質は政客である。ただ事志とちがい、あるいは弾圧され、追放されたりすると、数学に逃避したり、自然学で偽装したりするふしがある。彼らはまっとうなギリシアの市民の目からすると、寄生虫のような存在であった。その典型的なものはソフィストである。
     ソフィストは日本語に訳せばふつう詭弁家ということになっている。はじめてこの名が日本語であらわれた時、西周はなんと「偽学者」と訳している。しかしその頃(十九世紀後半)から、学界ではソフィストのための名誉挽回が試みられている。" p.22
    ……哲学ゥ。

    " ソフィストを攻撃したプラトンの『ゴルギアス』には、弁論家ゴルギアス(前四八四―三七五年)に対するソクラテス(前四六九―三九九年)の攻撃を通して、弁論術(レトリック)が「正と不正の何たるかを知識として教えるような説得ではなく、信じこむことだけが結果として起こるような説得」であることをゴルギアスに肯定させている。単なるいいくるめの術を「偽技術」とし、弁論術はよいが真理を求めるためのものでなければならぬ、とするプラトンの見解は今日の感覚に近いであろうが、今日的感覚からして驚かされるのは、『ゴルギアス』を読んで、いかに当時弁論術が学問技術の本質的な不可欠の部分として位置していたか、という点である。そしてまた、ソクラテス自身も大変な弁論家なのである。" p.24

    "占星術の学問的伝統は、決して近代科学によって否定され、置き換えられたのではなく、近代科学のような明快な法則化ができないために、飽きられ、後続者を引きつける魅力を失って、立ち枯れになったのである。占星術に限らず、学問の末路はこのような終熄の仕方をするのがふつうである。一方論争的学問は、いわば問題の創造そのものである。問題提起がその主な機能である。
     しかも、論争がしっかりした結論にいたるということは、むしろ稀である。たがいに自説を主張し、相手を説得しようとする。その間に自らの説をますます磨き上げることにはなるが、自、他両説を超えた彼岸にある「真理」への到達を目指すものではない。したがって、いつまでたっても「真理」として定着しない。論議しっぱなし、というのがふつうの結末である。記録されないままで、論敵がいなくなり、関心が薄らぐと、まったく跡形もなく消えてなくなり、学問的伝統を形成しない。" p.29

    " 二十世紀の後半には、ギリシアの自然科学は、実は奇蹟でも何でもなくて、バビロニアの経験科学の集積を借りて、その上にできたものだ、というのが定説に近くなっている。" p.30
    無知とは怖いもの。先見者を知らず、気付きを無邪気に喜んでしまった。

    "社会科学その他の学問が、近代科学、特にその中の物理科学をモデルとしようとするのは、この自然科学のもつ累積的、「通常科学」的進歩にあこがれるからである。" p.46

    " 彼らが諸子百家のなかからパラダイム的人物を選び支持する場合、その選択基準はその選択によって官職にあり月、名利と栄達をうることにある。中でも儒学は最も秩序を重んじ体制に密着した学であるので、前漢に儒学が官学となり、儒者が官吏となる資格を与えられたため、学をもって名利栄達を求める士は、みな儒学の門に走った。そして前漢の儒学は何よりもまず帝王の教化の具としての政治の学であった。この学問の官学志向性は漢代以来中央集権的官僚体制の確立ととおにますます強化される。
     諸子百家から単一のパラダイムを選択するにあたって、儒家が特別に後続者に魅力があったのは、必ずしも論理的整合性とか客観的真理とかいう学問の内的論理によるものではない。論争なら法家の方が儒家より強いはずである。その選択の際に政治その他の要素が介入することを、この例は強烈に示している。" p.62

    " 現在でも、ある種の公式主義にはこの種の傾向がみられる。パラダイム的公式が"抽象的原理"に昇華してしまったために、公式をふりかざして、現象によるチェックやフィードバックを"修正"として拒否する態度である。このように理論が現象界から遊離すると、パラダイム理論を現象によってチェックすることが困難となる。そこでは、パラダイムが正当に機能しない。一方、どんな異常現象もどのようにも解釈できるパラダイムの枠内で収拾する陰陽五行の体系は、きわめてルーズな構造をもっている。したがって、パラダイムとそれによって説明できない異常現象の矛盾という危機もないし、パラダイムの検証のために現象に立ち向かう、という新しい問題意識を生むことにもならない。ただ宇宙秩序についての心理的自己満足を与える、という自然哲学本来の機能だけは維持しつづける。
     ところが新しい近代科学のパラダイムは、数学と実験という仕掛けを使って現象に対して責任をもつ。理論と実験、観測とが合わなければ、どちらかまちがっている方が責任をとる。改良されるべきものとなる。" p.136
    ゆえに経済学は近代科学ですらない、と。

    "最初二年間は数学・物理学・化学だけを詰めこみ、三年目にその応用だけを教える、という教育を思想形成期の若い時代に受けると、そこからどういう種類の人間が生まれるか?
     ハイエクの指摘するところでは、エコール・ポリテクニクの出身者たちは、社会を自然科学や工学の方法で取り扱おうという性癖をもち、橋や道路を作るのと同じように、社会も人間も改造できる、すべての政治的、社会的問題に他の誰よりもわれわれは満足な解答を与えられる、という科学技術至上主義にもとづいた傲慢な自信をもった人間を作り出した、という。" p.239

    "今日では化学の通常科学的進歩が体制的に保護されるようになったから、もはやその阻害を憂える必要はないのである。" p.268
    著者は2014年にご逝去なさったようだ。もしご存命であったなら、財務省に物申したであろうか。

    "普遍的科学の発展を歪曲し弾圧しようとしたナチス・レジームのような反科学的体質をもった政権は、もうあらわれないであろう。" p.268
    昨今巷にあふれる非科学的なアレコレについても。


    パラダイムというのは巨大な場のようなものを指すと漠然と認識していたが、方向性を指向するものという意味だけを取るならば、個人的なものでも、少人数的なものでもそれになりうると理解した。定義が曖昧なのだそうだ。

    読んでいる最中にはいろいろ思いもしたが、補章を読んで、哲学者はサンドボックスに隔離しておけという思いに上書きされた。
    恣意的に運用される学問の皮を被ったなにか、権威に裏付けられるだけで検証できないなにか、そういうものが権力と結びついてろくでもないことをする。そういうことが繰り返されすぎている。

  • #科学道100冊2022

    毎年恒例の企画展示「科学道100冊」に、今年新たに加わった本。

    金沢大学附属図書館所在情報
    ▼▼▼▼▼
    https://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB12705922

  • 第1章 記録的学問と論争的学問
    第2章 パラダイムの形成
    第3章 紙・印刷と学問的伝統
    第4章 近代科学の成立と雑誌・学会
    第5章 専門職業化の世紀
    第6章 パラダイムの移植
    補章 その後の変革とデジタル化―四十年の時を経

    著者:中山茂(1928-、尼崎市、科学史)

  • 140726 中央図書館
    科学史というよりも、大学などアカデミズムの役割や意味についてのエッセイのようだ。

  • 本書の原典である『歴史としての学問』のその後を知りたく、手に取った。あとがきでは著者自身が「自分の仕事について論じる最後の機会」と述べている。学問のデジタル化により、議論が双方向的に促進されることを推定し、学問がさらに市民社会に広がるとした。最後に「学問論も科学革命」を受けると指摘している。このことから学問と科学を扱う大学も、革命を受け入れざるを得ない時代だと感じた。

  • 2013 8/28 第3章まで読了。札幌の紀伊國屋書店で購入。
    図書・図書館史授業用。札幌の紀伊國屋をぶらぶらしていて目に入り、これ使えるんじゃないか・・・と気付き買った。
    とりあえず中世ヨーロッパにあたる部分まで読了。

    特に「天変占星術型の記録的学問」と「ソフィスト-諸子百家流の論争的学問」を対比していて、東洋・中国が前者より、西洋が前者も多く入りつつ後者の要素を含むものであるとして、ギリシアまわりの話をいろいろ入れてくれているところが有難い。
    授業の学問史的な側面で参考になりそう・・・パラダイム概念の拡大的利用にはいささか疑問も覚えるけど。

  • 【選書者コメント】クーンのパラダイム論が理解しやすくなる。

  • 30年ほど前に出した「歴史としての学問」というタイトルの復刊本。トマス・クーンの「パラダイム論」を中心に科学史について論じている。「パラダイムシフト」に代表されるように言葉だけが本来の意味を見失い、暴走している感があったが、源流はここにあったようです。

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著者プロフィール

1928-2014。科学史家。神奈川大学名誉教授。ハーヴァード大学Ph.D(科学史)。著書に『歴史としての学問』『帝国大学の誕生』『近世日本の科学思想』、訳書にクーン『科学革命の構造』など多数。

「2023年 『数学の文化史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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