テンプル騎士団 (講談社学術文庫)

  • 講談社 (2014年12月11日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784062922715

作品紹介・あらすじ

12世紀初頭、十字軍の聖地奪還により誕生したテンプル騎士団。イェルサレムの防衛と巡礼者の守護を担う騎士、教皇に属し厳格な規律に生きる修道士、東西文化交流の媒介者、莫大な資産を有し王家をも経済的に支える財務機関。近代の国民国家や軍隊、多国籍企業の源流として後世に影響を与えた謎の軍事的修道会の実像に、文化社会学の視点から迫る。

みんなの感想まとめ

歴史的な背景と文化の交錯を描く本作は、12世紀初頭に誕生したテンプル騎士団の興亡を通じて、当時の社会情勢や政治的陰謀を鮮やかに浮かび上がらせます。騎士団は、武力と莫大な資産を背景に、フランス王フィリッ...

感想・レビュー・書評

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  • 武力と莫大な資産を持つがゆえにフランス王フィリップ4世に異端として滅ぼされたテンプル騎士団。

    各地に分散した拠点と軍隊を維持するために優れた財務システムを整備し、テクノクラートとしてヨーロッパ各国を経済的に支え、彼らが作り出した金融業務や組織体制が近代の株式会社などに影響を与えたという視点は新鮮であった。

    また、中東におけるキリスト教徒の内部対立、イスラムやモンゴルとの勢力争いなどの歴史も紹介されており、それほど厚くないながらも充実した一冊。

  • テンプル騎士団の創立から滅亡まで詳細に書かれていました。
    騎士団の財産を狙ったフィリップ4世の策略で滅んだとは知っていてもフィリップ4世と教皇との様々な遣り取り等は知りませんでしたし、騎士団のシステムが近代の株式会社に生かされているとも知りませんでした。色々と知ることができる内容の濃い本でした。

  • 「Assassin's Creed(アサシン・クリード)」は、フランスのゲーム会社Ubi softが手掛ける人気ゲームである。

    プレイヤーは近未来と過去を行き来し、「エデンの果実」や「かつて来たりしもの」といった人類誕生の謎にまで迫るストーリーを軸にながら、アサシン教団の1人としてテンプル騎士団と戦う。

    本ゲーム作品の面白さは、世界の歴史的な事件を「アサシン教団 VS テンプル騎士団」の物語として上書きしているところにある。

    例えば、第1作は十字軍とイスラム教徒の戦いを舞台とし、イスラムの英雄サラディンが(名前のみだが)登場する。

    第2作ではルネサンス期のイタリアを舞台にし、チェーザレ・ボルジアをはじめとするボルジア家は敵役のテンプル騎士団の一員として登場する。このチェーザレ・ボルジアは人気マンガ『チェーザレ』(講談社)の主人公と同一人物である。
    一方、『君主論』で有名なマキァベッリは味方のアサシン教団の一員として登場する。

    第3作でもアメリカ独立戦争を舞台としてジョージ・ワシントンやチャールズ・リーが登場し、第4作でもカリブ海の海賊時代を舞台としてバーソロミュー・ロバーツや、通称「黒髭」で知られるエドワード・ティーチ(本作ではエドワード・サッチ)が登場するなど、史実とリンクさせている。


    本書『テンプル騎士団』(講談社学術文庫)はこのゲーム作品で敵役として登場する「テンプル騎士団」について、文化社会学者が解説したものである。
    (誤解を避けるため念のために書いておくと、本書は1972年に刊行された単行本の文庫版であり、もちろんゲームを解説するために書かれたものではない)

    ゲーム「Assassin's Creed(アサシン・クリード)」では、テンプル騎士団の末裔は近未来において「アブスターゴ社」という大企業を隠れ蓑として活動しているが、これは実はそう現実離れした設定ではない。

    現代でも、テンプル騎士団の後継を自称する組織としてはロータリークラブ、ライオンズクラブといった社交団体、あるいはフリーメイソン、薔薇(バラ)十字騎士団などが紹介されている。
    また、テンプル騎士団はドイツで生まれた株式会社の源流であり、企業統治のあり方はテンプル騎士団のノウハウが活用されているそうだ。

    さて、そのテンプル騎士団はどのようにして生まれたのか。
    それを知るにはローマ教皇の命令により出征した十字軍の歴史をたどる必要がある。

    1099年の第1回十字軍は、イスラム教徒が平穏に暮らしていたエルサレムを突然襲撃する。当時のイスラム文化はキリスト教側と比較にならないほど豊かであり、略奪が目的の侵攻だったと思われる。
    このときエルサレム住民は、アラブ側の記録では10万人におよぶ人々が虐殺されたという。

    なお、当時のイスラム教は寛容であり、エルサレムはイスラム圏でありながらも、キリスト教徒やユダヤ教徒の巡礼は認められていたというから、宗教上の問題として、この十字軍による侵攻・略奪について正当性はないと思われる。

    とりわけ第3回十字軍を率いたリチャード獅子心王は、十字軍の残虐さの象徴でもあり、毎日2000~3000人のアラブ人捕虜を殺害し、内臓を切り裂いて、捕虜が飲み込んでいた財宝を取り出したという。

    しかしキリスト教側は、文化だけでなく軍事的にもイスラム側に劣っていた。
    第2回十字軍以降は敗退を重ねただけでなく、襲撃に向かったはずの西欧人が豊かなイスラム文化に魅了されイスラム圏に住み着くことになる。


    テンプル騎士団はそういった状況下で1118年に修道会として創設された。
    ローマ教皇の認可を得た修道会だったが、大きな自治権を与えられる。

    十字軍の遠征に参加するが、やはり次第にイスラム側に感化され、キリスト教側とイスラム教側の仲介役のような存在となる。

    特筆すべきはその財産で、騎士団のメンバーは私有財産を全て寄付し、さらに戦争の勝利により褒賞や土地なども得る。
    その結果、テンプル騎士団の財産は国家予算をはるかに超えるに至り、フランス王などが多額の借入を行った。
    「通帳」や「手形」といった現代にも使われる金融手段も、テンプル騎士団によって生まれたという。

    国家を超える富を持ち、キリスト教側へもイスラム教側へも影響力を持った組織であるテンプル騎士団は、今でいうならGoogleやTwitter、Facebookのようなグローバル企業のようなものかもしれない。

    だが、最終的にはテンプル騎士団から多額の借金をしているフランスのフィリップ美王が、その借金から逃れるために陰謀を用いて、キリスト教皇により異端者とされたことにより解体され、テンプル騎士団の最後の総長は1314年に処刑される。

    しかし以降、そのノウハウや教義が様々な組織に継承されたのは既に書いた通りである。

    なお、ゲーム「Assassin's Creed(アサシン・クリード)」でプレイヤーが扱うアサシン教団も、本書では「アササン騎士団」として登場する。
    本書によればイスラム教イスマエル派スキート教団を源流とし、第1回十字軍に対抗したところからその存在感を現したとされる。

    歩行でゆっくりと軍を進めるキリスト教軍に対し、アササン騎士団は俊足のアラブ馬により神出鬼没、疾風のごとく死体を生み出していった。
    そこから「暗殺(Assassination)」という言葉が生まれたという。

    キリスト教側で発生したにも関わらず独立した勢力となったテンプル騎士団に対し、アササン騎士団でも一部はキリスト教側へ改宗したり、キリスト教側から暗殺を請け負ったりしたようである。

    なお、本書ではアササン騎士団の最後については詳しく触れられていないが、サラディンの死後、イスラム側の衰退に伴って消滅したように描かれている。

    またウィキペディア「暗殺教団」によれば、それにまつわる物語はほとんどが伝説で史実とは異なる旨が記述されている。
    一方、WEBサイトなどではアジア民族の襲撃を受けて離散したという記述も見られる。
    (例:http://www.y-history.net/appendix/wh0501-063_1.html

  • 12世紀初頭、十字軍の聖地奪還により誕生したテ ンプル騎士団。イェルサレムの防衛と巡礼者の守 護を担う騎士、教皇に属し厳格な規律に生きる修 道士、東西文化交流の媒介者、莫大な資産を有し 王家をも経済的に支える財務機関。近代の国民国 家や軍隊、多国籍企業の源流として後世に影響を 与えた謎の軍事的修道会の実像に、文化社会学の 視点から迫る。

  •  この本は、単なる世界史の書籍のように見えて、組織論の書籍でもあり、人間関係の書籍でもあり、現代にも通ずる欧州の軍事・外交儀礼の書籍でもある。
     テンプル騎士団は、11世紀末の第一次十字軍をきっかけとして、その終了後の12世紀前半に創設された。元来は、十字軍の結果として欧州の手中に落ちたイェルサレムへ巡礼するキリスト教徒を保護することを目的とした。
     それが、近東の進んだ各種技術を吸収し、大きな組織となっていった。特に近東やモンゴルの軍事技術は強力な軍事力を与えた。
     また、総長—管区長―修道院長という縦の組織に、巡察使の導入に監査での横串を入れた大規模組織運営能力、入団者の寄進による金融資産や金融サービス提供による金融ノウハウを蓄積し、欧州でも最も先駆的な組織となった。
     最終的には、その強大な資産に目を付けた仏フィリップ美男王に嵌められて解散に追い込まれるも、そうしたノウハウは、プロイセンの職業官僚システムの礎になり、また現代の(ドイツ式)株式会社の発祥となった。すなわち、現代の政治学・組織論を語る上で、必ず押さえるべき組織だったのである。

    ==================
    P.31
    東西の落差はあまりにも大きく、それが結局、第一次十字軍の奇襲による成功のあとは、キリスト教徒軍は、敗退を重ねることとなる。そのために「テンプル(聖堂)騎士団」は創設されるが、やがて敗戦によるモラルの低下から生じた十字軍内の仲間割れと、敗因追及の犠牲となる。まさにテンプル騎士団こそは、十字軍の発生とともに生まれ、終焉とともに消滅するその歴史そのものである。

    P.43
    テンプル騎士団により欧州にもたらされた組織運営の技術が、専門の行政官僚を擁する近代的国家運営を可能ならしめ、その基礎の上に民族国家が発生する。そしてこれが擡頭するナショナリズムのゆえに、多国籍性のテンプル騎士団と相容れずして、その滅亡を招来する。結局、教皇にとりテンプル騎士団解散に協力せざるをえなかったことは、自己の外濠を埋めたこととなる。

    P.50
    シトー修道会は、この「定住性」を廃して、早朝の命令によっていずこにも赴き、使命を達成するという「移動性」を持つ。それと同時に、本部があって、これが各管区長を統制し、全修道院は本部の巡察によって厳正にチェックされる。今日のコンツェルン組織である。

    シトー修道会とテンプル騎士団の関係は切っても切れない。

    PP.51,53,54
    テンプル騎士団も、従来の修道院(モナステリウム)の独立性を棄て、これを管区(プロヴィンチアもしくはバライ)に統合し、総括機関として「オルド」Ordoを編成する。(……中略……)各騎士団の総長も君主として認められていたのであり、マルタ島に移ってマルタ騎士団と呼ばれたヨハネ騎士団の総長は今日に至るまで、主権者であり—領国は無くとも—一国の元首と同等に扱われ、その会員にはパスポートの発行もできる。(……中略……)このようにして欧州に初めて移動性という横の組織と、ハイアラーキー(序列)という縦の組織を併せた集団形態が定着する。

    P.52
    マルタ(ヨハネ)騎士団とドイツ騎士団の階級章は、今日でも国家の授与する勲章と同様、公式佩用が認められる。こちらのほうが元祖だからである。

    P.54
    「オルド」は、はたして語源をギリシア語に求めるべきであろうか。むしろ疾風迅雷の騎士団の伝統を、アラブ人騎士団とモンゴル人騎士団に求めるべきではなかろうか。

    P.58
    アササンが築城架橋の専門技術者の集団「タルク」(Tarouq)を持っていたように、テンプル騎士団も同様の工兵部隊を設置し、これがのちにロッジ(The Mason's Lodge)もしくはバウヒュッテ(Bauhütte)として、ゴシック建築を造る技術的基盤と組織的前提を築く。

    P.78
    騎士団は「近代的」機能社会(ゲゼルシャフト)であるから、行政、財務などの機能はそれぞれ独立していて、総長は金庫に手を触れることができない。最重要事項決裁は評議員会に仰ぎ、その事項は会則に列挙されている。「その他些細事項に関しては経験ある修道士に諮問するか独自で判断すべし」とある。

    PP.89-90
    将校(騎士)と下士の関係は明確であったが、全社が先頭に向かうのに対して後者は銃後を守るのを主とし、経営と管理を業務とすることが多かった。それゆえ、当初、前線になかった管区、たてばアッコン海岸小管区は騎士でなく、下士であった。これは主に経営の機能を重視したからである。同様に戦線にない修道院の院長も下士であることがあった。
     その他に準会士があり、これは騎士出身でなくてもよく、市民はこの栄誉にあずかることを望んだ。イノチェンティウス三世(在位一一九八~一二一六)も、教皇でありながら準会士となった。準会士は多く係累もなく、その全財産を持参して修道会に入る者であった。これが騎士団の不動産を巨大なものにする。
     テンプル騎士団の本部はイェルサレムにあったが、その領地は十四世紀初期にはギリシアからポルトガルまで、シリアからスコットランドまで散在していた。イェルサレム王国管区内には十六の修道院があった。管区と修道院の関係は師団と連隊の関係としてみるとよい。

    PP.92-3
    広大な領地と、国際的な組織を集中管理した機関は当時の欧州には、教会、国家といえどもなかった。教会はローマ教皇が教義の正当性を保持すべく、公会議により全司教区に影響を及ぼすが、各地の司教と修道院長は独立した領主の立場にあり、ローマから監察されることはなかった。国家はまだ近代的職業官僚制度が育つ前であり、地方領主の私有領土であるにすぎなかった。国家の財産の国王の財産の分離がまだできておらず、国王の浪費は直接国家の会計の負担になった時代である。
     テンプル騎士団設立後十年間は小組織であったが、その後、騎士数三百名、下士約三千名の大組織となる。しかし、次第に国家規模を超える。彼らはソロモン神殿前広場の地下に二千頭の厩舎を設け、事業は巡礼の敬語と病人の看護から関連業務へと拡大される。占領地の統治、植民、戦費調達である。欧州が中世にあり近東は近代に合ったので、植民地統治に当たってテンプル騎士団は先進技術を惜しみなくとり入れ、十数年の間にこれを完全に吸収する。

    PP.122-4
    欧州と近東との交通の際に、諸侯は軍資金を多量に運ぶわけにはゆかない。英仏などのテンプル騎士団管区本部へ行き、紙幣か小切手に換えてもらう。そして近東でイェルサレム、アッコン、巡礼城なりの騎士団の拠点で現金に戻してもらう。ここで初めて欧州で紙幣がテンプル騎士団証券として発行される。(……中略……)取扱手数料と利息収入は莫大なものであり、各管区本部では戦費調達のために「金融債」を発行するが、これだけ安全な有価証券は当時ないこともあり、売れ行きは上乗である。資金は領地管理の近代化に投資されるから、総収入はますます増大する。
     テンプル騎士団の国際金融の中心地はロンドンの管区本部で、金融用語、経理簿記、銀行業務ノウハウがここに蓄積される。英国が社用になっても揺らぐことのないシティーを遺したのはこの騎士団である。十字軍によって起こったインフレは国庫を空にするが、国債金融業者のテンプル騎士団を富ませる。

    P.124
    近代的軍隊組織、総長—管区長―修道院長の三段階と、巡察使による監査は、同時に大組織運営の道具でもあった。この熟達した行政能力に国際金融のノウハウが蓄積されたのであるから、以後のあらゆる組織は近代においてみなテンプル騎士団の築いた土台の上にうち立てられる。

    P.198
    「株式民主主義」が導入される。これにより東征機関としての監査役会と執行機関としての役員会が分岐する。まさにテンプル騎士団のトップ・マネジメント組織である。

  • 偶然とも不意打ちともいえる第一回十字軍でエルサレムを占領し、イスラム世界の威容を垣間見てしまったヨーロッパ世界が、エルサレム防衛のために置いたテンプル騎士団。そのテンプル騎士団が中央集権化を進めるフィリップ4世の策略によって壊滅させられるまでの歴史は、最初から最後まで時代を体現した存在なのではないでしょうか。テンプル騎士団の馬に2人乗った紋章から男色の罪を被せる件は何とも。。。

  • レベル高い!学術書でありながらメイスンの記述あり。

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著者プロフィール

1928~1992。海軍兵学校、上智大学、ケルン大学卒業。上智大学教授を務めた。専門は経済学、文化社会学。著書に『日本人とドイツ人』『文化の時代』『ドイツの知恵が日本を救う』、訳書に『日本の企業』『ドイツの奇跡』『コンツェルンの組織』『日本の神話と現実』ほか多数。

「2014年 『テンプル騎士団』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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