日本語とはどういう言語か (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062922777

作品紹介・あらすじ

「はるかぜ」というと温かい、「シュンプウ」というと春の風には違いないけれども何かちょっと厳しい感じがするというようなニュアンスの違いを、われわれはごく日常的に感じて生きている。距離感が違い、温度感の違う言葉を使い分ける。日本人は非常に繊細で、表現がニュアンスに富んでいるというが、それは日本人が繊細であるというより、日本語の構造が繊細であるということにすぎない。

日本語は、漢字と平仮名と片仮名の三つの文字からなり、平安中期以降は漢語・漢詩・漢文と和語・和歌・和文つまり漢語と和語との二重複線の歴史をたどった。
アルファベット文化圏の「言語学」では捨象されざるをえなかった、、
東アジア漢字文化圏の書字言語の諸現象。
なかでも構造的にもっとも文字依存度が高い言語といえる日本語の特質を
鋭くダイナミックにとらえた、石川日本語論の決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/741178

  • 言葉は乱れるものである。
    本書P31

    日本語が、漢語と和語の二重複線の歴史をたどってきた。「おはよう」「おなかよう」「おそよう」というような訓語的整合性も、また「今朝は」「今日は」「今晩は
    という音語を軸に据えた統一性にも欠く。
    これらの日本語の挨拶語「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」は、現在の言語学の通念を相対化する手がかりを与えてくれる。

  • 日本語の起源、言葉のなりたち、他の諸言語との違い、すべて明瞭になる。
    タイトルに偽りなし、完全に予想外のアタリ本。

    350頁程度の文庫本の姿からは想像もできないような、内容の広さと深さ。
    他者の先行研究成果を、自分のことばに言い換えただけのつまらない本とは全く違う。

  • この人の文章は見つけたら読んでる。書を見たことは無いんだけど。日本人ならではの評論でいい。

  • ・直ちに三浦つとむを思ひ起こさせる書名の石川九楊「日本語とはどういう言語か」(講談社学術文庫)を、 現在読みかけてゐる。正確にはまだ読み始めである。しかし、その最初のあたりだけでもいろいろと感じるところがある。後に書いてあるかもしれないが、そこまで読むことなく、とりあへず自分の感じたことを書いてしまはうといふことで、ここに書くことにした。的外れかもしれない。ご寛恕を乞ふ次第である。
    ・序章「日本語の輪郭」もおもしろいのだが、書名になつてゐる第一章「日本語とはどういう言語か」は章題通りの内容でやはりおもしろい。その小節題は、例 へば「言葉は乱れるものである」「すべての言(はなしことば、tetu注)は抱合語的、孤立語的、膠着語的、屈折語的である」「音声、音韻は文字が作る」 などとなつてをり、なかなか刺激的である。かういふので日本語を説明してゐるのだから、当然、日本語は膠着語であるといふ議論が出てゐる。本書では、それ 以前にこの三分類が問題にされる。これはごく端的に、「自らの西欧語がいかに高度な言語であるかを説明するための植民地主義的、帝国主義的発達史観の説である。」(36頁)とされ、更に別の言ひ方で、「語と文が明確に分けられないときは抱合語に分類され、日本語でいう助詞が声調に溶けてしまって文字として 記されなければ孤立語であり、また助詞が詞と分類できると把えれば膠着語で、詞と分けられないと把えれば屈折語とみなされるといふこと以上ではない。」 (44~45頁)とされる。確かにかういふことであらうと思ふ。孤立語は中国語のみ、膠着語はその周辺、朝鮮、日本、モンゴル等、そして「屈折語とはアル ファベット言語の別名である。」(43頁)となれば、植民地主義的云々といふのも納得できるといふものである。かういふ人だから「言葉は乱れるものである」といふ言ひ方も出てくるのであらう。この節は「いつものことながら、『日本語が乱れている』といわれ、『美しい日本語』『正しい日本語』などという言 葉が、またぞろ飛び交うようになった。」(30頁)と始まる。「またぞろ飛び交う」のである。筆者の「美しい日本語」に対する嫌悪が知れる。「個別の日本語の美しいスタイル表現はありえても、日本語が構造的に『美しい』とは、全く手前味噌な風説で云々」(同前)になると、このまま日帝批判になるのではないかとさへ思へてくる。これは「正しい日本語」に対して言ふのであらうが、それにしてもさう言ふ人は「構造的に『美しい』」日本語と普通に言つてゐるのであらうか。さうだとしたら「構造的に『美しい』」とはいかなることをいふのか、これが私には分からない。「言葉は生きて活動しているから……自らの姿を次々 と変えようとする。」(同前)これは当然である。みだりに言葉の乱れといふのはをかしい。だから、「美しい日本語」に対する嫌悪は私にも分からないわけではない。しかし、それが「構造的に『美しい』」となると私には分からなくなる。文法的に正しい日本語であるのならば分かる。例へばら抜き言葉である。この 文法的が構造的の意味であるのかどうか。たぶん違ふのであらう。失礼ながら、もしかした筆者が勝手に敵に難癖をつけて、自分の土俵に引き込まうとしてゐるだけかもしれないと思ふ。そんな筆者に思へるのである。本書にはその他にもいろいろとおもしろさうなことが書いてある。私には、例へば上の三分類はおもしろいと思へたが、下の「構造的に『美しい』」日本語は分からなかつた。馬の耳に念仏の類で私には響かないだけではあらうから、この先どんなに響くものが出てくるか楽しみではあるが……。

  • 著者:石川九楊(書家・批評家)

    【メモ】
    ・出版社
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?code=292277&_ga=1.82013087.882771584.1418552940

    【目次】
    文(かきことば)篇
    序 章 日本語の輪郭
    第一章 日本語とはどういう言語か
    第二章 日本語の書法
    第一節 日本語の書字方向
    第二節 日本語の文字

    言(はなしことば)篇
    第一講 日本語とはなにか
    第二講 文字とはなにか
    第三講 日本文化とはなにか
    第四講 日本文化論再考
    第五講 日本語のかたち
    第六講 声と筆蝕
    第七講 文字と文明

  • 日本語の成り立ちや,構造などについて興味があったので読みました。日本語って,いろいろな言語とは違い,文章から様々な意味が引き出せることに気付くことができました。

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著者プロフィール

書家。京都精華大学客員教授。1945年福井県生まれ。京都大学法学部卒業。1990年『書の終焉 近代書史論』(同朋舎出版)でサントリー学芸賞、2004年『日本書史』(名古屋大学出版会)で毎日出版文化賞、同年日本文化デザイン賞、2009年『近代書史』で大佛次郎賞を受賞。2017年東京上野の森美術館にて『書だ!石川九楊展』を開催。『石川九楊著作集』全十二巻(ミネルヴァ書房)、『石川九楊自伝図録 わが書を語る』のほか、主な著書に『中國書史』(京都大学学術出版会)、『二重言語国家・日本』(中公文庫)、『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫)、『説き語り 日本書史』(新潮選書)、『説き語り 中国書史』(新潮選書)、『書く 言葉・文字・書』(中公新書)、『筆蝕の構造』(ちくま学芸文庫)、『九楊先生の文字学入門』(左右社)、『河東碧梧桐 表現の永続革命』(文藝春秋)、編著書に『書の宇宙』全二十四冊(二玄社)、『蒼海 副島種臣書』(二玄社)、『書家』(新書館)、作品集に『自選自註 石川九楊作品集』(新潮社)、『石川九楊源氏物語書巻五十五帖』(求龍堂)などがある。

「2022年 『石川九楊作品集 俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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