差別感情の哲学 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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レビュー : 15
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062922821

作品紹介・あらすじ

差別とはいかなる人間的事態なのか? 他者に対する否定的感情(不快・嫌悪・軽蔑・恐怖)とその裏返しとしての自己に対する肯定的感情(誇り・自尊心・帰属意識・向上心)、そして「誠実性」の危うさの考察で解明される差別感情の本質。自分や帰属集団を誇り優越感に浸るわれらのうちに蠢く感情を抉り出し、「自己批判精神」と「繊細な精神」をもって戦い続けることを訴える、哲学者の挑戦。

感想・レビュー・書評

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  • 差別感情はどこから生まれ、育っていくのか。
    偏った者が差別感情を生み出していると考えられがちではあるが、所謂ふつうの人こそが差別の温床である。ふつうの人が、差別などしていないという意識でいるからこそ、無意識に差別が起こるのだ。
    ナチスドイツがその最たる例である。
    私たちはあらゆる行為に差別感情が付随していることを意識し、「他人」を自分の目線から外すことのないよう行動しなければならない。そのために、差別する自分と向き合わねばならない。

  • 普段から差別について考えていると、あまり目新しい感は受けないと思う。内容は格別に革新的ということもない。不快や嫌悪の情を根本から否定することはできないという論にはまったく同意するが、その依拠するところが「人間らしさ」の喪失であるのはいささか心許ない。学術書というよりはエッセイに近い印象をうけた。

  • 日常の中にある差別をえぐり出す本。

  • 心を刺される

  • 差別感情という人間の奥底に潜んでいるものを徹底的に炙り出している力作。

    著者の中島義道に関しては、社会不適合である自意識のある人に寄り添い、励ましてくれるような言葉を投げかけてくれるような印象を勝手にもっていたが、概ね間違ってはいなかったようだ。本書でも中島義道は「常識」や「普通」といった言葉の危険性を訴え、違和感を実直に書き連ねることで、同じような経験をした読者との間に共感の橋を架けている。

    一般的に疎まれる「高慢」や「驕り」などの否定的感情と「誇り」や「高邁」などの肯定的感情を対置させ、どちらにも差別感情は含まれていると説く。
    自分自身を肯定する感情のそばには、他者を蹴落とす精神も必ず付いて回るという。相手が社会的弱者である、ということを無意識にでも認識した時点で差別感情は必ず発生しているともいう。

    ただ、筆者はすべての差別感情をなくすことは難しく、むしろ無くそうといった偽善的な行為はますます社会を窮屈にしていき、そういった(強い)差別反対の意思表示は逆説的に差別を助長しているとまで説く。
    どうすれば良いのかといった問いに対しては、解決策を具体的に提示するわけではない。ただ、どんな些細な事象であれ、必ず差別感情は発生するので、その感情と自分が向き合えるか、意識できるかどうかというのがポイントなのだろう。

    文中に出てきた「パレーシア」という概念が気になるので、その発案者のフーコーもかじってみたいと思った。

    昨今の群集化した怒りの感情や、過激な差別反対主義に違和感を感じる人は読んでみても良いかもしれない。

  • -非権力的が権力に立ち向かい自らの理念を実現するためには、それ自身が権力を持たねばならないという自己矛盾に陥る。
    SNSでだれかが悪を糾弾しあっというまに炎上、忘却を繰り返す世間。正義とは善とは、わからなくなる今日に読みたい本。新聞で引用されていた、フランス文学者の渡辺一夫の”寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきではない”という言葉を思い出す。

    寛容は寛容にしか守れない。
    難しいけども、常に繊細な自己批判を行うこと。いかなる理論もそれを欠如していて、無条件に自らを正しいとするならば、背を向けてよい、というメッセージ。

  • 本棚に中島義道の本が何冊か刺さっている。本棚に中島義道の本が何冊もあるのは恥ずかしいことだ。それは、社会に適応していないことの証明である気がする。しかし何故か読んでしまう。書名がネガティブで魅力的なせいもあるが、ひねくれた中島節にウンウンそうだよな~とうなずきたくなるからだ。

    この本は、いつもの中島節エッセイでありつつも、ちょっと趣が異なる。本の内容としては『ひとを<嫌う>ということ』と重なる部分があるけど、哲学の領域にもう一歩踏み込んでいると思う。特に前半部分は学者や哲学者の言葉の引用などもあって、じっくりと読まねば言わんとしていることを理解するのが難しい。弛緩した脳みそには噛み応えのある本だった。もう一回最初から読み直したほうがいい気がする。

    前半部分では主に、差別のメカニズムについて書かれている。正常でありたい、普通でありたい、善くありたい。そんなところに差別の根があるのは、ぼんやりとわかった気がした。これらはどれも周りとの比較において成り立つことだ。周りを気にし過ぎると生き辛い。そこで、「人と比較するのをやめよう」なんてことを言う人がいる。みうらじゅん大先生はそれを「比較三原則」と称して、「親、他人、過去と比較しない」なんて言っている。なぜそんなことが言われているかというと、実際はそれが殆ど不可能だからだろう。残念ながら、人は人と比較せずにはいられない。

    所属するコミュニティを誇ってしまう問題も考えさせられた。そういえばネット上で「普通の日本人です」などと名乗っている人のネトウヨ率の高さよ。土地や家にがっちりした居場所がある、囚われている人は、どうしても保守的になる。それは内と外の区別が明確になることだし、差別の根になることだ。ただやはりコミュニティに根を張っているほうが精神的には安定しているだろう。そういう人は自信満々というか高慢に見えることがしばしばある。しかし人はどの時代の国、土地、家に生まれるかなんて選べない。つまりコミュニティを誇ってしまうかどうかなんて選べない。

    そして反差別を掲げる人が差別的である問題。逆差別になる問題。これもネット上でよく見る。障害者やフェミニストなどなど。もちろん正当な権利を主張する必要はある。しかし差別されているから、弱い立場だから、被害を受けたから、だから正しいのか?イコールで正しいと結び付けていいのか?これは難しい問題だと思う。自分のしんどい状況や立場を訴えたりして、それが正しさの主張に聞こえてしまうことがある。その結果、周囲から嫌われてしまう。正しさを訴えることなく正当な権利を主張をするのは、相当に頭を使う必要があると思う。

    障害者とすれ違う時の話はリアルだ。目線を、まざざしをどうすればよいのか?同じ経験を時々するから、ここに書いていることは全くの自分事だ。やはり相手にバレバレなんだろうか。きっとバレバレなんだろう。つまり無化しているってことなんだろう。ただ、これは慣れの問題ではないかという気もする。見慣れていれば、身近に接していれば、こういうことにはならないのではなかろうか?

    そして本書の終盤。ではどうすればよいのか?わかりやすい回答はない。ここに書いてある結論も何を言っているよくわからない。自分なりに解釈すると、自分の差別性を正確に自覚し、理念に達していないことを自覚する。ということだろうか。差別の最大の問題は、それが差別であることを自覚できないことだろうから。

  • 哲学

  • 現実的かどうかはわからない。しかし、どうだろうか? と考えることは大切だと思う。綺麗事かもしれない。しかし、一面的な綺麗事とは一線を画すと思う。加えて、必要になるであろう景色も著者は提示している。どこまで添えるかは各人それぞれだと思うけれど個人的には、こういう率直な議論が一番、響くように思う。有意義な読書だった。

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著者プロフィール

1946年生まれ。東京大学教養学部・法学部卒業。同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。専門は時間論、自我論。「哲学塾カント」を主宰。

「2019年 『ウソつきの構造 法と道徳のあいだ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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