対話のレッスン 日本人のためのコミュニケーション術 (講談社学術文庫)

  • 講談社 (2015年6月11日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784062922999

作品紹介・あらすじ

「日常会話」や「雑談」は得意でも「対話」は苦手なことが多い日本人。ふだん同じ価値観の仲間とばかり会っているので、異なるコンテクストの相手と議論をしなくて済んでしまう。文化の違う相手と交渉したり共同作業をする経験が、まだ日本人には少ないのだ。さらに携帯電話などの登場で、世代間のギャップが広がる。それではどのようなスキルが必要なのか。豊富な具体例をもとに、新しいコミュニケーションの在り方を真摯に探る。


日本人の多くはなぜコミュニケーション・スキルが身につかないのか。政治家も経営者も、「演説」「日常会話」「雑談」は得意でも「対話」「談話」は苦手なことが多い。
ふだん同じ価値観の仲間とばかり会っていると、異なるコンテクストの相手と議論をしなくて済む。文化の違う相手と交渉したり共同作業をする経験が、まだ日本人には少ない。さらに携帯電話、ネットなどの新しいツールの登場で、世代間のギャップは広がる。
それでは、どうしたら対話が生まれるのか。どのようなコミュニケーション・スキルが必要なのか。
――豊富な具体例をもとに、新しいコミュニケーションの在り方を真摯に探る。

解説――高橋源一郎
「みなさんも、この本を読みながら、著者である平田オリザさんと共に、ゆっくりと(平田さんが指摘するようなこと、あるいは、それに触発されて、みなさんの内側に巻き起こってくることについて)考えてもらいたいのである。それは、みなさんにとっても、たいへん貴重な時間になるだろう」

みんなの感想まとめ

異なる考えを持つ人々とのコミュニケーション、つまり対話の重要性が深く掘り下げられています。日本人は日常会話や雑談には慣れているものの、対話を苦手とする傾向があり、その理由や克服方法について詳しく説明さ...

感想・レビュー・書評

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  • 対話とは、異なる考えを持っている他人と話をし、自分の考えを変えていくこと。
    なぜ、それが必要なのか、日本人はどうしてそれができないのか、が詳しく書かれていた。
    どうしたらそれができるようになるのか、ヒントのようなものは書かれていたが、普通の人は演劇をやる機会はあまりないし、なかなか難しいと思った。

  • 拾い読みでも面白かった。
    「話し言葉の地図」(p.15)は、整理のされ方に学術っぽさを感じた。
    演劇雑誌への連載だったということだが、新聞にもこういう連載が載っていたらいいのになぁ。

  •  対話の本質について知りたくなり、この本を手に取った。
     常日頃から対話の大切さには痛感させられる。人と対話する前は自分の中で正しいと思っていたことが、正しくないのでは…と気付くことが多々ある。また、対話を通して、狭まっていた視野が少しだけ広がることがある。対話は人と人が繋がる可能性がある。

     平田さんは、対話をこう考えている。「お互いのことをあまり知らない者同士が知らないということを前提として行う意識的なコミュニケーション」
     確かに、目的に向けて意識的にコミュニケーションをとるということは納得できる。しかし、お互いのことを知っている上でも対話は成り立つのではないだろうか。ある程度、土台ができている人間関係で行えば、さらに深い対話が期待できると思う。

     ほめ言葉についても触れている。英語はほめ言葉が多いそうだ。英語は、シンプルで感情を伝えることに長けている。
     エクセレント、クール、ナイス、ビューティフル、グッドなど、思いつくだけでも多い…。
     それに対して、日本語はほめ言葉が少ないそうだ。

     日本人は対話が苦手らしい。それは、歴史的な背景もある。
     ギリシャでは、王政からいきなり民主政治になった転換期があった。その時に、ギリシャ人は選挙という方法を編み出した。しかし、それぞれの考えに差異があることに変わりはない。そこで、人と人同士が対話をするために生まれたものがある。それが、哲学と劇だ。劇を練習することを通して、対話の鍛錬をしたそうだ。

     日本はどうだろうか。江戸時代が終わり、約150年が経った。その間、日本語を公用語としてなくそうとした時期もあった。明治、昭和初期に言葉としての価値がないと思われたからだ。

     平田さんは、「わかりあえないこと」から対話をスタートすると書いている。多くの違いがある人と対話を通して、繋がることが大切だと思う。

  • 20世紀末に書かれたものを再編した本。フランスワールドカップの話題や、ニフティサーブの話題が懐かしい。「対話のレッスン」とあるが、最初は日本語の変遷、日本人という民族性、コミュニケーションのことについて書かれている。これはこれで面白い。
    そして後半はいよいよ対話について書かれている。2500年前のギリシャの民主制からの対話の始まり。哲学、演劇。日本での対話の位置づけ。
    ハウツー本ではないが、対話やことばに興味を持たれた方は読んで見ても良い本と感じる。

  • 対話を実行することはとても難しい。
    でも他者はすぐそこにいる。自分も誰かの他者。
    すぐに答えは出ない。出そうとしない。
    20年前に書かれた当時より社会はもっとおかしくなっている。全てが薄っぺらい。効率とかタイパとか。
    でもそれも含めて価値観、考え方だから対話をしていかないといけない。

  • 難しい、高橋源一郎の書評がわかりやすい。

    対話、自分でもよく言葉にするが、何のために?違いはと聞かれるとうまく説明できないだろう。

    言葉と時代背景、行動とのリンクも納得。

    考えは伝わらないをスタート地点にし、価値観の違う人にわかってもらうことが対話。納得。ここにかける説得力の必要性

    現代語版ハムレットは爆笑

  • 参考になる部分も多いけど、どうにも鼻につく文体。「レッスン」という名の雑記帳。書かれたのが20年前だということを考えれば仕方がないかもしれない。

  • 少し前に連載された記事を編集した内容ですが、平田オリザ氏が提言されている対話と会話の違いを事例も含めわかりやすく紹介されています。違いがある人と対話を通して繋がること大切さを確認できる一冊です。

  • ギリシャで生まれた「演劇」あるいは「哲学」は、この「対話」の訓練であり、シミュレーションに他ならないのだ。

  • 20年前に書かれた連載をまとめたものなので、スマホなどなくてIモードが登場してびっくり。
    しかし平田オリザの感覚は全然古くない。
    2500年前にギリシャで生まれた演劇や、250年前のルソーの社会契約論に比べたら、平成から令和の20年なんて同じ時代のくくりかもしれないけれど。
    日本人には対話が必要ってことだけは、変わってはいないと思った。

  • 2017年2月7日(火)に紀伊國屋書店梅田本店で購入。

  • そもそも会話と対話とは異なる概念であり,日本語には対話の概念が存在しない,という視点から話が展開する.対話の概念が存在しないことから生じる日常のひずみを列挙するとともに,近代演劇を成立させるには対話の概念を導入する必要があり,そこから日常に対話の概念を産出する方法論を詳らかにする.日本という文化とグローバル化という概念との齟齬が浮き彫りになる.改めて,グローバル化とは英語が喋れることなどではなく,日本文化を見つめ直し,その中で他者との対話を通じた自らの立ち位置確認に他ならないことが理解できる.

  • 対話のできる人になれ。

    平田オリザが主張する「会話」と「対話」の違い。そう,中身のないことを口にしてなんとなくやり取りするのはできるけど,コンテクストの違う人と情報をやり取りしていく,そして何か目的にたどり着こうとするコミュニケーションはなかなか難しいのだ。私たちはこれからどう変わっていくのだろう。日本語はどのように変化するのだろう。でも,言語は必要に応じて変化するのだ。もっとも使われる形へ。

  • 副題に「日本人のためのコミュニケーション術」とあるから「術」を説いているのかと思えばさにあらず。
    日本人に限らず、あらゆる意味で自分とは違う他者と「わかりあう」ことのために私たちはこころを砕くことが大切なのは、わかっているのだけれど、こういう「問題提起」を改めてされないと、私たちは忘れてしまうものなのだな、と思う。文中に引用されている、「音羽お受験殺人」について評した東京大学助教授(当時)汐見稔幸氏の言葉に、わがことを言われているようでハッとしたので、ここに書いておく。
    「違ったバックグラウンドの人と付き合うのが苦手・・・」
    「自分が自分でいられる場をほかにつくっていたら・・・」
    「専業主婦だと子育ての有能さを示すしか自己実現の方法がない・・・」
    この最後の「子育ての有能さを・・・」は専業主婦でない私も、そして多くの親が「自己実現」あるいは「自己顕示」の一つの方法にしていると思わざるをえない、のは悲しい。

  • 対話(dialogue)とは他人と交わす新たな情報交換や交流のこと。会話(conversation)とは既に知り合ったもの同士の楽しいお喋りのこと。対話とは他者との事なった価値観の擦り合わせ。その擦り合わせの過程で自分の当初の価値観が変わっていくことを潔しとすることが基本的な態度。例えば親や教師が子供に自分の価値観を一方的に押し付けるのではなく、きちんとした価値観を子供に提示し、子供との対話の中でその価値観が変わっていく可能性も開けておかねばならない。それには訓練(discipline)が必要。

  • 他者を嫌悪、排除する、対話のない社会。日本はいまだにそんなところがある。こわいわ。

  • いつものオリザさん。コミュニケーションというふわふわしたものをつかもうとしている本、ということで、なかなかこれに書いてあることをすべて飲み込む、というのはむずかしいんですが、それでもこういう本は読めば自分のどこか奥底のほうまで染み込んでいくことがあるのでは、と思う。それが自分のこれからのコミュニケーションを変えていく、そういうもんやと思う。

  •  伝わらないという前提で語りかけ、1度のミスマッチで断念せずに継続して相互理解に挑む、という姿勢が対話である。この定義にいたく感動。会話はできても対話はできてないことをようようと自覚するに至る。日本語ならではの隠しの文化も、対話を避ける一因とも説明。これも納得。演劇関係者の視点で、この対話についての分析を試みているのがおもしろい。若干冗長なところもあるが、連載記事ということもあり、こんなもんなんだろうと。
     レッスンねたもちゃんと記されており、試しはじめたところであります。

  • ええ本でした。
    最近、色々なニュース(東京五輪のエンブレム問題とか、夏休み明けに自殺する中高生が多いこととか)を見ていて思う。
    「いいね」を押したり、批判したり、ネットというツールがあれば、自分の意思が表明できる。自分の意思をすぐに出力できる環境は、出力する前に
    考えること、自分がどう感じているかを観る機会を奪っているのではないかと思う。(そういう環境に疲れている・・。)
    もっと言葉にならない、いいとも悪いとも言えないことはたくさんあるのではないかと思う。言葉にならないことを言葉にならないままでいい時間、余白がないことが、世の中の様々な問題の元にあるのではないかと思う。自分の心の中にある言葉にならないことに色々な角度から見せてくれるのが、本と対話する時間、本と対話して、自分と対話する時間だと思う。
    そうやって自分も生きてきたし、そうした場や時間を子どもにも大人にもつくりたいのだと思う。
    下記、引用。
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    「人は、たとえば誰かを好きになったときに、その言うに言われぬ気持ちを言葉に託したくて、はじめて詩を読むものだ。
    あるいは愛する者を失った悲しみを、そのままにはどうしてもしておけなくて、小説を読んだり芝居を見たりして、その気持ちを表すのに、何かぴったりの言葉や表現を見つけて、かろうじて精神の均衡を保つのだ。
    21世紀のコミュニケーション(伝達)は「伝わらない」ということから始まる。この連載で何度も繰り返してきたように、対話の出発点は、ここにしかない。
    私とあなたは違うということ。
    私とあなたは違う言葉を話しているということ。
    私とあなたが分からないということ。
    私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないこと。
    そして、それでも私たちは、理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、ひとつの社会の中で生きていかなければならないということ。」

  • 1997年9月から2000年9月まで雑誌に連載された、平田オリザの日本語に関するコラムを集めたもの。「対話と会話の違い」にスポットを当てた文章に始まり、日本語の様々な特性や問題点、その背景にある日本社会や日本文化について論じている。15年以上前の文章なので、さすがの平田オリザもまだ若く、最近の文章に比べると若干の硬さや性急さが感じられるのが面白い。逆に言うと、最近の彼の文章や発言は、昔よりも肩の力が抜け、ますます達人の域に到達していることが分かる。意地悪く言うと、この頃よりも毒気が薄れている印象もあるが。
    内容については、極めて新しい視座は少ないものの、漠然とした概念を実に理路整然とした言葉にまとめている点に感心させられる。すでに述べた「対話と会話の違い」をはじめ、「コンテクストのずれ」に関する文章など、痛いほどよく分かる。平田が全編で最も言いたかったであろう「日本社会/日本語は対話のための言葉を持ちえなかった」という主張にも納得。ただし「対話の言葉」を獲得するレッスンのために演劇が必要だという話は、いささか我田引水の感を拭えない。もちろん演劇も確実にその一端を担うことになるだろうが、この問題は演劇以外の様々な芸術やメディア、そして何よりも教育が、根本から少しずつ変わっていくしかないだろう。なお「少しずつ」と加えたのは、言葉の急速な変化が生み出す弊害も、この本を読むことでよく分かるからだ。15年以上前の文章なのに、問題は今日でも全く変わっていない…とつい言いたくなるが、15年程度で言葉の問題が一変するようでは、確実に何らかの弊害が生じる。言葉も、その背景にある社会や文化も、少しずつ、しかし着実に変化していくしかない。そのための指標として、この本は大きな役に立つだろう。学校の国語の教科書に収録したい(もうされているのかな?)。

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著者プロフィール

1962年、東京都生まれ。劇作家・演出家。芸術文化観光専門職大学学長。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ受賞)、『日本文学盛衰史』(鶴屋南北戯曲賞受賞)。『22世紀を見る君たちへ』(講談社現代新書)など著書多数。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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