- Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062923002
作品紹介・あらすじ
明治・大正・昭和を通じ活躍した言論人、徳富蘇峰が、終戦直後から書き残していた膨大な日記を発掘。戦争中、大日本言論報国会会長として戦意を煽ったと戦犯容疑のため自宅に蟄居しながら綴り、『頑蘇夢物語』と自ら命名した日記には、無条件降伏への憤り、昭和天皇への苦言から東條英機、近衛文麿ら元首相らへの批判と大戦の行方を見誤った悔悟の思いが明かされている。この日記が戦後60年以上も蘇峰直系の孫、徳富敬太郎氏によって密かに保管され、封印されてきたのはなぜか。それは敗戦の責任について、蘇峰の昭和天皇へのラディカルな批判がこの日記にこめられていたからだ。蘇峰は日露戦争と比較し、「この戦争」には「戦争に一貫したる意思の無きこと」「全く統帥力無きこと」が明白であるとし、「我が大東亜戦争は、誰が主宰したか。それは申すまでもなく、大元帥陛下であることは多言を俟たぬ。しかも恐れながら今上陛下の御親裁と明治天皇の御親裁とは、名においては一であるが、実においては全く別物である」と痛烈に批判。そして単刀直入に「極めて端的に申し上げれば、今上陛下は戦争の上に超然としていましたことが、明治天皇の御実践遊ばされた御先例と異なりたる道を御執り遊ばされたることが、この戦争の中心点を欠いたる主なる原因であった」と結論づけたのである。昭和天皇在位中には公開を憚られた内容が、戦後60年以上を経て明らかにされ、敗戦をめぐる議論を巻き起こした注目の書を改めて世に問う。
原本:『徳富蘇峰 終戦後日記――『頑蘇夢物語』』講談社 2006年
感想・レビュー・書評
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此頃ハ秋ノ夜長ニ夢ヲ見ル日清日露戦役ノ事
徳富蘇峰
先月、初代宮内庁長官による昭和天皇の「拝謁記」が公開され、話題となった。戦後の詳細な資料で、戦争への後悔や反省、退位の可能性の言及等もあったという。
象徴ではなく、君主的な思いが吐露されたもののようだが、戦後の1945~46年、その君主としての昭和天皇に手厳しい評価を下していたのが、徳富蘇峰である。
日清・日露戦争から太平洋戦争まで、日本の言論をリードしたジャーナリスト。弟である作家徳富蘆花との確執も知られているが、遺族によって戦後の日記が翻刻され、遅ればせながら文庫版を読んでみた。
公職を辞した謹慎生活の中で、満州事変以降の「負ける戦争」をなぜ戦ったのかと、ひとつひとつ回顧、分析した日記である。
1863年(文久3年)生まれの徳富蘇峰は、ほぼ同世代である明治天皇への評価はひじょうに高い。それゆえに、昭和天皇に対する評価が厳しいようだが、まずは、周りを取り巻く「君側」に苦言を呈している。「世の中は、非常時非常時と叫びつつ、君側はむしろ平常時であった」
その上で、昭和天皇は「戦争そのものは、その当局者に御一任遊ばされることが、立憲君主の本務であると、思し召されたのであろう。しかしこれが全く敗北を招く一大原因となったということについては、恐らくは今日に於【おい】てさえも、御気付きないことと思う」
そこからさらに持論が展開されており、拝謁記と比べつつじっくり読んでみたい。
◇今週の一冊 徳富蘇峰著「徳富蘇峰終戦後日記『頑蘇夢物語』」(講談社学術文庫、2015年)
(2019年9月15日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/741214 -
記事タイトルは迷った挙げ句に悔恨よりも悔悟を選んだ。『頑蘇夢物語』は全4冊だがIだけが文庫化されている。徳富蘇峰は時流に迎合したジャーナリストと受け止められているが、自分で著作に当たって判断するのがよろしい。私は人物と見た。好き嫌いは別にして。
https://sessendo.blogspot.com/2020/12/blog-post_26.html