ユダとは誰か 原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062923293

作品紹介・あらすじ

キリスト教世界で「裏切り者」「密告者」の汚名を一身に受けてきたユダ。イエスへの裏切りという「負の遺産」はどう読み解くべきなのか――。原始キリスト教におけるユダ像の変容を正典四福音書と『ユダの福音書』に追い、初期カトリシズムとの関係から正統的教会にとってのユダと「歴史のユダ」に迫る。イエスの十字架によっても救われない者とは誰か。

感想・レビュー・書評

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  • イスカリオテのユダに関する語源から芸術まで、ユダづくしの一冊。キリスト教におけるユダの位置付けの原理的な難しさを感じる。ユダはイエスを引渡した者であるという意味では確かに悪人であるが、そのユダの罪悪なかりせば死をもってみせたイエスの十字架の贖いも、その後の復活もないわけで…。
    時代が下るにつれて、ユダの評価が厳しくなるという事実はおもしろい。当初はユダの行為を含めて、イエスの辿った奇跡の一部とみていた可能性がある。後世の解釈次第でユダのポジションは大きく変わる。
    でも、歴史の中のイエスはやはり正直に思ったのだろう。こいつ「生まれてこなければよかったのに」と。

  • 読みながら・・・本当のユダは「駈込み訴え」のユダの
    ようであって欲しいな、と思って読んでいました。
    冷静に、多くの文献や芸術的資料によってユダとはイエス
    にとって、また12人の弟子たちの中にあってどんな位置
    づけにあったのかが述べられています。マルコ、マタイ、
    ヨハネ、ユダと福音書によって「ユダ」の扱いは違って
    います。「罪」や「赦し」は布教や教育について根幹を
    成すものであり、「ユダ」は恰好の材料ということなの
    でしょう。

  • 誰に向けた本なんだろ。宗教画の中でユダとユダヤ教が混同されている点が指摘されていて、自分にも当てはまっていたのでなるほどと。

  • 12人いたといわれるイエスの弟子の名を、
    すべて挙げることができますか?
    4~5人は思い出せるかもしれませんが、
    全部答えられる方は、
    少ないのではではないでしょうか?
    それでもユダの名は、
    ほとんど誰もが知っているはずです。

    ユダについて書かれた本は、
    以前にも何冊か読みました。
    なぜユダに惹かれるのでしょう?
    彼がいなければ新約聖書の物語は
    成立しなかったと思えるからかもしれません。
    そういう意味では、
    12使徒の中でもユダは極めて
    重要な役割を担っていたことになります。
    イエスはユダが裏切るということを知っていながら、
    あえて彼の思い通りにさせました。
    なぜならば、
    そのことがイエスにとっても、
    とても重要だったからです。

    本書では4つの福音書の記述を比較しており、
    とても興味深い内容でした。
    時代によって福音書の書かれた目的、
    著者の意図が異なり、
    マグダラのマリアのイメージが、
    グレゴリウス1世によって歪められたのと同じように、
    ユダについての記述も、
    時がたつにつれて変化していることがよくわかりました。

    ユダもイエスの愛した弟子のひとりです。
    その罪は許されていると信じたいです。




    べそかきアルルカンの詩的日常
    http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
    べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
    http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
    べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
    http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2

  • 救世主イエスを裏切ったとされるイスカリオテのユダ、その原始キリスト教におけるイメージの変遷を解説した書。正典四福音書およびそれに続く諸文書(使徒教父文書・新約聖書外典)、および『ユダの福音書』におけるユダ像を考察、それぞれの資料がユダにいかなる意味を与えたか、それらから逆算される史実上のユダ(「歴史のユダ」)の姿を説く。
    本書は、原始キリスト教の諸文献におけるユダの描かれ方を追い、その変容と実情を解説したものである。キリスト教における「裏切者」「背教者」の代名詞として有名なイスカリオテのユダではあるが、その描かれ方は正典四福音書内においても差異がある。著者は各文書におけるユダの描写を丹念に抽出し、それぞれの作者(ひいては、それらを聖典とした初期教会)がユダをどう捉えていたのかを考察している。また、本書の巻末には石原綱成氏による『ユダの図像学』を収録し、古代~中世の美術作品におけるユダ像の実態を紹介している。
    著者は四福音書のユダ記述を突き合わせることによって、時代が下るにつれて(他の使徒たちが理想的に描写される一方)ユダが「悪魔視」されていく傾向にある点を指摘、逆に成立が最も早いと考えられている『マルコによる福音書』においては、復活後イエスと再会する"十二"使徒の内にユダが含まれている(=ユダの裏切りの罪はイエスを見捨てた他の使徒の罪同様許されている)可能性が示唆されていると主張する。各福音書におけるユダ描写の差に着目したこの主張はなるほどと思い、イメージの時代的な変遷という意味でも面白く感じられた。ただ他の論点については(資料が元々限られていることもあり)憶測を投げっぱなしにしている箇所がいささか目立ち、それらを踏まえた「歴史のユダ」の復元像についても根拠に乏しいのではないかと思うのが正直な点であった(特にユダのイエスに対する「愛憎関係」、裏切りに対するイエスの「(呪詛を伴うような)憎悪」など)。また著者は総論として「正統的教会は自らの罪をもユダに負わせ、彼をスケープゴートとして教会から追放した」としているが、この「自らの罪」というのもいささか唐突に出てきた論点のように感じられた(恐らくは使徒の内から背教者を出したという「負の遺産」のことを指しているのであろうが、だとしてもそれがそのまま「教会の罪」となるかと言われると疑問である)。

  • ちょっと着眼点ずれてるな。。

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著者プロフィール

あらい・ささぐ氏は、1930年生まれ。東京大学教養学部、同大学院西洋古典学専攻を経てドイツ・エアランゲン大学で神学博士を取得。原始キリスト教史・グノーシス研究に開拓的な業績がある。現在、東京大学および恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。著書『荒井献著作集』(全10巻+別巻、岩波書店)、『使徒行伝』上中下(新教出版社、現代新約注解全書)ほか多数。

「2018年 『キリスト教の再定義のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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