日本語と事務革命 (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
3.00
  • (1)
  • (2)
  • (4)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 60
レビュー : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062923385

作品紹介・あらすじ

梅棹忠夫は、1960年代初期から最晩年まで、半世紀ちかくにわたって「知的生産の技術と情報処理、そして日本語」について考えつづけていました。また、ローマ字論者、カナモジ論者としても知られました。彼は言います。
「問題は、日本語をどのようにして機械にのせるかであった。今日、OAすなわちオフィス・オートメーションがすすみ、各種の事務機械が大量に導入されている。日本語の機械化についても、ワープロの出現によって事態はおおきくかわった。しかし、じっさいは問題のかなりの部分は先おくりされているだけで、本質的にはなんにも解決されていないのだ。実務のながれと日本語の関係などについては、ほとんどかんがえてみたこともないというひともおおい。技術方面の人たちも、言語のことはあまり気にしていないように見うけられる。しかし、これは大問題なのである」
音読みと訓読みの混在、正書法の不在……。かつては「悪魔の言語」とまで呼ばれてきた日本語のこうした諸問題もいまや変換キーさえ押せばすべては解決するように思えます。また、漢字仮名交じり文という世界にも類を見ない表記法の効用を説く人も多い。
しかし、梅棹の説くとおり、すべては先送りにされただけです。ひょっとしたら20世紀末の技術の発展は、21世紀において日本語をよりローカルな言語へと押しこめてしまったかもしれないのです。日本の人口がますます減り、経済力も萎んでいったならば、そして日本語を学ぼうとする人びとの数が増えなかったらどうなってしまうのでしょうか。いまなお梅棹の警告が生きているゆえんです。

本書は数ある梅棹の「日本語と情報」に関する著作の中心に位置するものです。多くの読者の考えるきっかけになることを期待して文庫化いたします。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 事務革命
    文書革命の現実と将来
    カナモジ・タイプライターは実用になるか
    カナかなタイプライター始末記
    ワード・プロセッサーは知的生産のあたらしい道具になりうるか
    ワープロのもたらしたもの―事務革命はおわったか

  • ワープロ、PCの登場が50年遅れていたら、日本は一体どうなっていただろう。
    欧米のタイプライターによる事務革命を目の当たりにした1960年代。
    どう見ても機械化には向いていない日本語を、如何にしてタイプライターに載せるのか。
    ローマ字やひらがな、カタカナでなんとか出力できたとしても、
    入力側には圧倒的広範囲に負荷を生じることになる。
    果たして利便性と効率化のために国語を変節させることは可能なのか。

    今でこそ振り返れば電子化を目指すべきだと物知り顔で語れるが、
    当時コンピュータどころか電卓すら存在しない時代にあってタイプライターに出会った時、
    圧倒的な速度で事務処理を行う人たちを目の当たりにした後、
    いったい何ができるだろうか。

    だが、言語・文化によって生じる生産性の違いなんてものは、案外溢れているのではないかとも思える。
    議論に適した文化、美術的概念を学びやすい歴史、数学的思考力に適した発音、小さい面積に情報を収められる書き文字。
    タイプライターほど分かりやすくなくとも、国の違いによる影響は思って以上に大きいかもしれない。

    もちろん、当事者にとってはそれで諦められるものではない。
    配られたカードで戦うか、手札を変えられるチャンスを待つか、戦場を変えるか。
    本書からは、その挑戦の手法の一つを学べるかもしれない。

  • (後で書きます。今読んでも示唆に富む)

  • 全集に掲載されていた「日本語と事務革命」は、ちょうど1年前文庫化され再販売された。ただ今の時代に本書を読み何を得るかなかなか難しい。「書く」という「事務」について、前半で検討した商業史的な考察や事務改善の歴史的検討は貴重だろう。またウメサオ節による事務の定義は一度味わって損はない。ただ「カナモジ」「カナヅカイ」の知見や思想を現代の事務に応用することは極めて難しい。

  • ・梅棹忠夫「日本語と事務革命」(講談社学術文庫)は、 今となつては一種の日本語の機械処理に関する歴史文書とでも言ふべき書であらう。いや、機械処理とはいささか大袈裟か。仮名タイプライターからワープロへと移行し始める頃の出来事である。だからこそ、時代の雰囲気を知ることのできる歴史的文書たりうる。今となつては貴重である。何しろ、例の「知的生産の技術」「文明の生態史観」の梅棹忠夫である。一世を風靡した学者の著作である。その人の日本語処理に関する考へ、時代からして古いのは当然だが、だからこそ 歴史的な資料として読める。しかもそれなりにおもしろい。梅棹といふのはかういふ人だつたのだと改めて思ふ、そんな文書である。
    ・本書はどこをとつてもおもしろいし、歴史的な資料たりうる。こんな一文がある。「ひらかなを主体とし、部分的にカタカナをまじえ、用語をえらんで,全体にわかちがきをほどこせば、じゅうぶんによむにたえる文章になる。わたし自身は、ちかい将来の日本語のむかうべきかたちとして、この方法はじゅうぶんに検討にあたいするとかんがえている。」(212頁)これはカナかなタイプライターに関する記述である。梅棹は70年代にブラザーと組んで日本語のタイプライター開発に挑んだ。結局は商品化されることなく終はつたが、試作品はできた。引用はそれに対する感想の一部で、要するにカナかなタイプは使へるといふのである。ただし、引用のやうな文章にしてといふことである。私のやうに現代仮名遣ひを使はず、漢字も使へる字は使ひ、決して分かち書きなどは考慮しないといふ人間は以ての外、あくまで仮名文字主体の文章を書けといふのである。そのためには用語選択で漢語を減らし,難解語は言ひ換へで漢語以外にせよといふことでもあらう。さうして、それでは読みにくいから分かち書きにせよといふのである。私は以前、カナモジカイの機関誌『カナノヒカリ』を読んだことがある。カナモジ、分かち書きの文章、読みにくくてつまらない文章だと思つた記憶がある。梅棹はたぶんこの支持者である。カナモジ論者ではないのかもしれないが、十分に共感して同志的な心情を抱いてゐたはずである。だからこそ引用のやうな考へができる。仮名文字中心の分かち書きを「じゅうぶんによむにたえる文章」と評価できるのである。現在でもカナモジカイは存続してゐるらしいが、私がこんな書き方しかできないのだから、以前に比べるとずいぶん影が薄くなつた。昔は 国語問題で表意派と張り合つて意気軒昂だつたはずである。梅棹はその後にこの文章を書いたのであつたか。本書のテーマの日本語の事務処理、機械処理がタイプラーター中心に動いてゐた頃のことであらう。さう、正にこれは歴史的な一文である。梅棹のやうに情報処理に長けた人でも、その頃はこの程度の日本語処理しか期待してゐなかつたし、現実に処理できなかつたのである。その結果として、いやそれ以前に、梅棹には信念、あるいは思想としての仮名書き、分かち書きがあつた。これはさういふことを教へてくれるのである。現在ではほとんど通用しない考へであらう。梅棹のいふ「ちかい将来の日本語」の中に私はゐて、今、 これを書いてゐる。所謂歴史的仮名遣ひは傍流でしかなくとも、仮名文字主体の分かち書きもまた傍流でしかなからう。いや、更なる隅に追ひやられてゐるのかもしれない。それは日本語の機械処理が梅棹等が考へるよりはるか上をいつたからである。梅棹のやうな人でもここまでは見抜けなかつたのである。日本語の現状を見て、梅棹はさぞあの世で悔しがつてゐることであらう。本書はそんな歴史的文書なのである。

  • このタイトルはなあ。こんなものいまさら読んでもなあ。などと思っている人がいたら、それは甘い。なんといっても梅棹先生は50年先を見て本を書いている。いま読んでも十分考えさせられるのだ。日本語のタイプライターを作るのは難しかっただろうし、ワープロが追いついてしまったというのは納得がいく。かなだけの文章は読みづらいよなあ、ローマ字書きの文章なんてそれ以上だろう、と思うのだけれど、いまもこうしてローマ字変換で入力している。ワープロを使い始めたときは、かなで入力していたと思うのだけれど、いつのまにかローマ字で入力するようになった。ならば、ローマ字の文章もなれると読みやすくなるのではないか。でも、そうなるとは思いにくいなあ。それに、入力の仕方が、ケータイ、スマホといろいろ変わっていくから、また状況は違ってくるのだろう。梅棹先生もここまでは想像がおよばなかっただろうか。解説にあったけれど、顔文字とか絵文字とかは世界共通になっていくのかなあ。青色は冷静で赤色は情熱とかの感じ方は文化によらないようだから、世界共通のコミュニケーションツールができてくるんだろうなあ。

全6件中 1 - 6件を表示

著者プロフィール

梅棹忠夫

一九二〇年(大正九)、京都市に生まれる。四三年、京都大学理学部卒業。学生時代の白頭山登山および大興安嶺探検隊以来、調査、探検の足跡は、ひろく地球上各地にしるされている。京都大学人文科学研究所教授、国立民族学博物館長を経て、同館顧問・名誉教授。専攻は民族学、比較文明学。理学博士。九四年、文化勲章受章。二〇一〇年(平成二十二)、死去。著書は、『東南アジア紀行』『サバンナの記録』『文明の生態史観』『知的生産の技術』『地球時代の日本人』『日本とは何か』『情報の文明学』など。いずれも「梅棹忠夫著作集」(全22巻、別巻1)に収録。

「2020年 『女と文明』 で使われていた紹介文から引用しています。」

梅棹忠夫の作品

日本語と事務革命 (講談社学術文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする
×