- Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062924610
作品紹介・あらすじ
『認識問題』、『シンボル形式の哲学』などの大著を完成したエルンスト・カッシーラー(1874-1945年)が、ナチスが台頭し、第2次世界大戦に向かっていく状況の中、最晩年に至ってついに手がけた記念碑的著作。国家という神話は、どのようにして成立し、機能するようになるのか。独自の象徴(シンボル)理論に基づき、古代ギリシアから中世を経て現代にまで及ぶ壮大なスケールで描き出される唯一無二の思想的ドラマ!
本書は、ドイツの碩学エルンスト・カッシーラー(1874-1945年)が最晩年に手がけた記念碑的著作、待望の文庫版である。
新カント派に属して哲学、文学、歴史学を学んだカッシーラーは、現代文明の土台をなす近代科学の構造とその基礎概念の認識批判的な研究『実体概念と関数概念』(1910年)で経歴を開始した。だが、当の現代文明は、程なく第1次世界大戦という破局をもたらす。この現実を前にして、大戦で争われていた精神的価値に対する態度表明を行う『自由と形式』(1916年)を発表したカッシーラーは、その一方で、大著『認識問題』全4巻(1906-50年)、そして主著『シンボル形式の哲学』全3巻(1923-29年)に取り組んだ。
しかし、世界は再び大戦に向かって突き進んでいく。祖国ドイツでは1933年にナチス政権が誕生し、独裁が強化される。その支配が頂点を迎えつつあった1941年、ついにカッシーラーはそれまで正面から扱うことがなかった「国家」という主題に取り組むことを決意した。
過去の著作で確立された象徴(シンボル)に関する理論に基づきつつ、本書は国家を「神話」として解読していく。その射程は、古代ギリシアから中世を経て、マキアヴェッリ、ロマン主義、ヘーゲルから現代に至る、きわめて広大なものである。独自の理論を構築した哲学者であるとともに第一級の思想史家でもあったカッシーラーにして初めて書き上げることができた本書は、新たな危機に向かっているように見える今日の世界の中で、何度でも精読されなければならない。
政治学・ヨーロッパ思想史の大家が手がけた翻訳が、半世紀以上の時を経て、全面改訂と新たな解説を加えた文庫版として登場。
感想・レビュー・書評
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とても楽しめた。
ヘーゲル、マキャヴェリ、カーライルあたりが特に面白い。
画一的な通説に惑わされることなく、入念なリサーチで獲得した知識をフルに使い、対象の人物の言説をを鋭く分析する。
客観性を多分に含んだ論文で素晴らしかった。
ナチズムの台頭を横目に見てきたカッシーラーならではのリアル味が文章の細部に宿っている。
さりげない言葉遣いの変化や公私が曖昧になる異常性など、ナチス政権下の実情も記されていて資料的な価値もあると思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古代や中世の話などは期待していた内容と違う気がしたけれど、必要があって論じているのだと後半わかって納得した。特に興味が広がったのはヘーゲルの話。
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質量ともにヘビーで読み応え十分だった。
『シンボル形式の哲学』のカッシーラーが、主に西洋の各段階における「神話」思考や「国家」概念を読み解いていく。もちろん網羅的ではないが通史的な思想史のようにもなっている。
特にマキャヴェリについては、何章にもわたって詳細に検討されており、ここだけでもマキャヴェリ論として成り立つような精細な論述だ。自分もマキャヴェリ『君主論』をどう受容するべきかためらっていたので、これは参考になった。
英雄崇拝のカーライル、人種主義のゴビノー、至高性としての国家論のヘーゲルを経て、いよいよ全体主義国家が出現する。
1941年に書き始められた本書は、カッシーラー没後翌年の1946年に出版された。つまりナチスの時代を見つめつつ書かれたことは明らかであり、それならどうして「ナチスの現在」について「あとがき」だけででも言及しなかったのか、不思議な感じもする。
もっとも、「神話」の思考が、ふたたび「国家」のもとでゾンビのように復活しようとしているという、その危機感・絶望の気分で本書が綴じられているのは印象的だった。
そしてそのゾンビは、20世紀末頃から21世紀の現在に至っても、またもや復活しているのであり、該博な本書による分析を今、再読して考え直すことに、大きな意味があると思う。