最果てアーケード (講談社文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784062931021

感想・レビュー・書評

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  • 『アーケード』、それは”建物間を覆う屋根状の構造物”のこと。そして、そんな『アーケード』に覆われた商店街は全国各地に今も点在しています。そんな『アーケード』を想像する時、あなたはそこにどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか?様々なお店に、様々な品物が並べられ、その横にはお客さんを迎え入れるお店の人が笑顔で立っている、そしてそんなお店にそれぞれの目的を持って訪れる人たちがいる。そこには、笑顔に溢れる人々の声が今にも聞こえてきそうな、そんなイメージが思い浮かびます。その一方で昨今ニュース報道されるように、様々な理由で寂れてしまい、シャッター街と化してしまった『アーケード』が存在するのも現実です。この世に永遠に存在するものなどないことを考えると、これはやむを得ないことなのかもしれません。

    しかし、ここに時代の変化に関係なく、『「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店ばかり』が集まった『アーケード』があります。多くの人々は『そこにアーケードの入口があることさえ気づかず通り過ぎてゆく』というその『アーケード』。この作品は、そんな『アーケード』で生まれ育った『私』と『アーケード』の日常が静かに描かれていく物語です。

    『そこは世界で一番小さなアーケードだった。そもそもアーケードと名付けていいのかどうか、迷うほどであった』という『一様に古び』たその場所。『アーケードというより、誰にも気づかれないまま、何かの拍子にできた世界の窪み、と表現した方がいいのかもしれない』というまさにその場所で生まれた『私』。そんな『私が十六歳の時、町の半分が焼ける大火事があり』、『大家だった』父は『近所の映画館』で死んでしまったという苦い記憶。しかし『なぜかアーケードだけは屋根のガラスが割れただけで焼け残った』こともあって『ずっと変わらずそこに暮らしている』という『私』。『突き当たりに中庭があ』り、『飼い犬のベベと一緒に』、『中庭で長い時間を過ごす』という『私』。『お客さんの数はそう多くな』く、『大通りを行き交う人々のほとんどは』、『入口があることさえ気づかず通り過ぎてゆく』というそのアーケードでは、『「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店ばかりが集まっている』こともあって来訪者が少なくても『仕方がなかろうと、店主たちは潔く自覚してい』ます。そんな『ある日、何の前ぶれもなく、誰かがアーチ形の入口に』現れ、『一軒の店の前で立ち止ま』りました。『ねえ、ちょっと。あの棚の一束、見せてもらえる?』とレース屋の店主に頼むその女性は『もう常連になって久しい老女』でした。『老女は昔、映画館の隣にあった劇場で長く衣装係をしていた女性だった』ことで、今も『皆彼女のことを衣装係さんと呼』びます。そんな衣装係さんは、麻紐で十字に縛ってあるその束を見て『他のお客に売ろうとして、私の目の届かないところへ隠したんじゃないだろうね』と『一人で愉快そうに笑』います。『いいえ。そんな…とんでもありません』と慌てて否定するのは『アーケードの中でも最も無口で、気の弱い店主』。『ここまで歩いてきた甲斐があった。これ、全部いただくわ』という衣装係さん。『かなりの量がございますから、ご希望の場所まで配達させていただきましょう。ここのアーケードにはちゃんと、配達専用の者がおります』と説明する店主に微笑む衣装係さん。そして『見事に晴れ渡った』翌日。『生地やボタンやリボンやもちろんレースが詰め込まれた荷物を抱え、衣装係さんの自宅へ向った。べべも一緒だった』というのは配達のアルバイトをしている『私』でした。『表札の隣には「舞台衣装研究所」の看板が掛けてあった』というその家に上がることになった『私』。そして…という物語。『アーケード』で暮らす『私』と『アーケード』を訪れる人々の日常が描かれていきます。

    十編の短編が連作短編の形式を取るこの作品。何と言っても『アーケード』の独特な世界観の描写が何よりもの魅力です。『入口はひっそりとして目立たず』、『通路は狭く』、『ほんの数十メートル先はもう行き止まり』という『世界で一番小さなアーケード』。小川さんはその小ささを読者に印象付けるために、さらに『人々のほとんどは、そこにアーケードの入口があることさえ気づかず通り過ぎ』てしまうとまで書きます。アーケードが小さければそこにあるお店が大きいはずがありません。『天井は低く、奥行きは限られ、ショーウインドーは箱庭ほどのスペースしかない』とまで書く小川さん。『箱庭ほどのスペース』で何を売るんだ?とも思いますが、それを『使用済みの絵葉書、義眼、徽章、発条、玩具の楽器、人形専用の帽子、ドアノブ、化石…』と例示していきます。何とも微妙感の漂うマニアックな品物ばかりですが、一方で『それを必要としているのが、たった一人だとしても、その一人がたどり着くまで品物たちは辛抱強く待ち続ける』と小川さんは書きます。そして、さらにこれらが『窪みにはまったまま身動きが取れなくなり、じっと息を殺しているような品物たちばかり』であると表現します。この『窪み』という表現は全編で合計二十箇所に登場しますが、この作品における一つのキーワードとなっています。それは、この『世界で一番小さなアーケード』を象徴的に指す場合もあれば、『Rちゃんの重みが窪みになって残っていた』と亡くなったRちゃんの存在を重ね合わせたり、または『窪みを満たしているのはあくまでも静けさだった』というようにノスタルジックに捉えられたりもしますが、共通して言えるのは、『窪み』というものが喪失感の象徴とされていることです。この『アーケード』で売られているものは一見需要が限られ、そんなもの誰が欲しがるんだというものばかりです。しかし、その一つひとつを見ていくとそこにはひとつの共通点があることに気づきます。例えば『義眼』ですが、それを必要とする人は普通には限られるはずです。しかも『兎』の『義眼』となればなおさらです。それを小川さんは『死んだものの声は全部、目に閉じ込められるのかもしれない』。だから『皆、義眼を買いに来る』というように『兎夫人』に語らせます。また、勲章店では『勲章を買い取ることは、そこに潜むさまざまな記憶も一緒に引き受けるということ』と書く小川さん。これらに共通するのは、何かを失った人々が、色々な思いの詰まったそれら品物を入手することで、自身の喪失感を埋めていく、一方でそれら品物からすれば、入手してくれた人の手により『窪みにはまったまま身動きが取れなくな』った状態から解放されることになる。そんな風にそこを訪れる人にも、そこにあることで身動きが取れなくなっている品物にとっても前に進んでいくための一つの場として機能しているのがこの作品の『アーケード』なのかもしれない。そんな風に思いました。

    そして、この作品の主人公であり、最後まで名前が語られない『私』。そんな『私』は、『アーケード』で配達係のアルバイトをしています。『配達する品物が発する小さな音を耳と両手で感じるのが』好きという『私』。これを『生まれて初めての労働で得た、一番の収穫だった』とまで言い切る『私』。十六歳の時に映画館の火事で父親を亡くした『私』は、『アーケード』を離れることなく『アーケード』とともに生きてきました。そんな『アーケード』で売られる品物。上記したとおり、それらは色々な思いの詰まったものの象徴でもあります。そんな品物の側に立ってその気持ちを考えてみる時『自分を必要としてくれる人の元へたどり着けるのが待ち遠しくてならないという、品物たちの喜びの声』を聞く『私』はとても満たされた気持ちになります。『その声が自分の掌の中にあると思うだけで、誇らしい気持ちになれた』という『私』。それは『アーケード』の大家として『アーケード』を守ってきた亡き父の思いにも繋がるものなのだろうとも思います。この世に永遠に存在するものなどありません。それは物であっても命であっても同じことです。それ故に、人はどうしようもないほどの喪失感に苛まれる時があります。そんな時にその『窪み』を埋めたいと願うのは自然な感情の発露だと思います。そして、自らの心の『窪み』を埋めるために『アーケード』という『窪み』を訪れ、そこに嵌まり込んでいるものを拾い上げ、それによって自らの心の『窪み』を埋めていく。そして、そんな『窪み』を埋めるための品物を運ぶ仕事に喜びを見いだす主人公の『私』という図式。乱暴に扱うと壊れてしまいそうな、繊細な感情の世界の物語。『読者の中に物語が入っていった時、言葉の意味を言葉として受け取るのではなく、映像にしていただけると、文字で書かれていないことまで伝えられるのではないかと思います』と語る小川さん。優しく繊細に綴られる品物たちの姿を思い浮かべる時、そこには品物たちに宿る美しい記憶の数々を垣間見ることができたように感じました。

    『「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店ばかりが集まっている』という『アーケード』。そこには『いらっしゃいませ』という一言でお客さんをねぎらう人たちが営むお店がありました。『はるかな道のりの果て、ようやく求めるべき品に巡り合えた彼ら』、そして『窪み』の中で彼らの訪れをじっと待っていた品物たちとの出会いの先に、解放感に満たされた人々の笑顔がありました。

    「最果てのアーケード」という書名から抱く寂しさの極限の感情が先行するこの作品。乱暴に扱うと壊れてしまいそうなその絶品の表現の数々。その中から浮かび上がる静かな死の世界の前に、優しく、柔らかく、そしてほんのりと温かく燃える炎の揺らぎを感じた、そんな小川さんらしさに包まれた作品でした。

  • 使用済みの絵葉書、義眼、徽章、発条、玩具の楽器、人形専用の帽子、ドアノブ、化石……。「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店ばかりが集まっている、世界で一番小さなアーケード。

    そこは誰にも気づかれないまま、何かの拍子にできた世界の窪みのようなアーケード。
    自分を必要としてくれる人に巡りあう事を店主と一緒にずっと待ち続ける商品たち。そんな彼らの元に、愛するものを失った人々が色んな思いを抱えて訪れる。
    それを見守る配達係の「私」と犬のべべ。「私」にも色々ありそうで目が離せない。

    私も毎日30分だけその不思議な商店街を訪れた。静かで優しくて幸せだけど、迷子になったようにどこか不安で寂しい、どう説明すればいいのかわからないこの世界。起きているのに深い眠りの中にいるような毎日だった。

    本当にこの世界はあるのか?「私」のラストをどう捉えればいいの?誰かと語りたいような、自分の心にそっとしまっておきたいような、小川洋子さんの世界には毎回悶々とさせられる。

    • あいさん
      杜のうさこさ〜ん、こんばんは(^-^)/

      いつもコメントありがとう(*^^*)♪

      毎日30分というのは、1章読むのにちょうど3...
      杜のうさこさ〜ん、こんばんは(^-^)/

      いつもコメントありがとう(*^^*)♪

      毎日30分というのは、1章読むのにちょうど30分だったのです(笑)
      杜のうさこさんなら毎日15分かもしれないね♪

      そうそう、小川さんは独特だよね。
      なんとも言えない雰囲気にちょっともやもやが残る物語。
      アーケードにあるステンドグラスがこの物語の不思議感を増してるからアーケードなのかな。
      でも、訪れたと書くなら商店街の方がいいかも。
      いつかこの商店街を訪れたらまたお話しましょう(*^^*)♪

      うさちゃんの特集見なかった。
      残念だなぁ。
      最近うさちゃんを飼う人が増えてきて嬉しいんだ!
      特集を見た人がうさちゃんの可愛さをわかってくれたらいいなぁ。
      私の事思い出してくれてありがとう!
      2016/03/17
    • nejidonさん
      けいたんさん、お久しぶりです(^^♪
      昨年ブクログで本棚をリニューアルされてから、
      すっかり使いにくくなってしまい、遠ざかっていました。...
      けいたんさん、お久しぶりです(^^♪
      昨年ブクログで本棚をリニューアルされてから、
      すっかり使いにくくなってしまい、遠ざかっていました。
      また(四苦八苦しながら・笑)ゆるゆるとレビューを載せていきますので
      よろしくお願いします。

      小川洋子さんのこの作品、懐かしいです。
      ひとつひとつの編が印象的で、ラストで一気に繋がるのが素晴らしかったですね。
      悲しいけれど、美しい。素敵な一冊だと思います。
      2016/05/30
    • あいさん
      nejidonさんへ♪

      お久しぶりですね(^-^)/ コメント嬉しいです♪

      ブクログのリニューアルでは、皆さん戸惑われたみたいで...
      nejidonさんへ♪

      お久しぶりですね(^-^)/ コメント嬉しいです♪

      ブクログのリニューアルでは、皆さん戸惑われたみたいですよ。
      私は元々よくわかっていなくて、間違ったり失礼があったりするかもしれませんがよろしくお願いします。
      ブクログでお話できる人が少ないのでnejidonさんがレヴュー再開してくれて本当に嬉しいです♪
      月1冊絵本を読むことにしました。
      参考にさせてください。

      小川洋子さんいいですよね。
      悲しいけれど、美しい本当にそうですよね。
      不思議な心地よい世界でした。
      まだまだ読みたい本がたくさんあります。
      2016/05/30
  • レース屋さん、義眼屋さん、輪っか屋さん…
    最果てアーケードの店主たちと、そこに訪れるわけありのお客さんたち。
    主人公の生まれ育ったアーケードのひっそりとした懐かしい空気にひき込まれ、最終章で涙が出そうになった。

    どんなに時が流れても、悲しみを癒すことのできる静かな場所がここにはある。

  • とあるアーケードを軸にした短編集。それぞれの話が絡み合って短編集全体として一つの作品となっている。何かをテーマにした短編集は小川洋子さんのよくあるパターンだが、それぞれの話が関連し合うというのは意外と珍しいかも。こういう個別の話はそれぞれで完結するものの全体として大きな話が流れてる、というのは連続もののTVドラマとかでよくある手法と思うが、1話ずつの長さがちょっと読むのにちょうどいい分量なのもあり、TVドラマを見ているような趣もある。

    内容は小川洋子さん特有の現代のファンタジー。レースの切れ端、使われた絵葉書、義眼など、何だか美しくて儚い雰囲気がいい。特に以前読んだ『猫を抱いて象と泳ぐ』の空気感と似たイメージ、好きな人には堪らないと思う。また最後のエピソードもとても素敵。全体の儚さをまとめ上げるような役割で、これがこの作品全体の読後感を決定付けていると思う。

    意味だけではなく、文章そのものが生み出す空気感を堪能できる小川洋子さん好きなら必ず満足のいく作品だと思います。

  • アーケード街大家の父親を亡くしたわたしが、お店を訪れるお客様と織り成す小さな物語。
    どこかもの悲しい雰囲気のなかに灯る小さな光、お店それぞれの味わいがありました。

    小川洋子さんの作品に漂う雰囲気は本当に独特。
    穏やかで静謐な世界観。

    レース屋、義眼屋、ドアノブ店、勲章店など、
    「一体こんなもの、誰が買うの?」
    という品を扱う店ばかりが集まってるアーケード。
    買いに来る人は少ないけど必要とする人がいて、そんな人のためにお店がある。

    お気に入りは、
    *衣装係さん
    *百貨辞典少女
    *紙店シスター

    小川さんの作品は、個人的にやっぱり静かな環境でゆったり落ち着いて読みたい。
    小川さんの文章表現がとても好き。
    やっぱり良いなぁ。

    アーケードの突き当たりの中庭で愛犬ベベと過ごす時間が愛おしい。
    店主だけじゃなく、配達屋さんの思いも胸に響くものがありました。
    小川ワールド堪能しました。

  • アーケードの店主たち。訪れる客。
    誰かの思いや誰かの気配がずっと
    この世界の片隅の窪みには満ちている。

    読み始めてなかばで
    誰も触れていないものの気配が濃くなり
    少しずつ私の心に
    哀切といったようなものが忍び込んできた。

    死と、それを受け止める生者の思い。
    生と、その世界を充たす死者の気配。

    分かち難いもの。別れ難いもの。
    たくさんの人たちの濃密な思いに
    私の心もまたこの世界を去り難かった。

    だが私は読み終えた。
    二度とあそこには戻れない。

    人さらいの時計はもう動かないのだから。

    胸をきゅーっと締め付けられるような
    そんな気配に満ちた
    ぼやけた輪郭の世界でした。

    小川洋子さん、さすがです。
    さらりとした狂気が
    人の世界にとけこんでいました。

  • 小川洋子さんらしい、静謐で硬質な連作短編でした。一話一話は、アーケードの店主やお客さんとの、ちょっと不思議で心温まるエピソードを中心に描かれてはいるのだけれど、視点になっている少女の記憶はあっちこっちに飛ぶし、全体として時間の流れは一方向ではなく曖昧にぼやかされている。

    輪っか屋さんの揚げるドーナツを除けば、アーケードの商品はどれも限りなく「遺品」に近いものばかりで、死の気配はずっとひたひたとたちこめている。「勲章店の未亡人」での少女と図書館員とのやりとりで不穏さはピークになり、「遺髪レース」で少女が自らの髪を持ち込むところで「ああ、やっぱり」とため息。

    解釈の仕方はひとつではないけれど、私好みの理解の仕方では、これは自分が死んでいるのに気付いていない(死んだことを受け入れられていない、あるいはやりのこしたことがある)少女の亡霊が、心優しいアーケードのひとたちのあいだを徘徊しつづけ、やがて死を受け入れるまで、のお話に思えました。


    「衣装係さん」「百科事典少女」「兎夫人」「輪っか屋」「紙店シスター」「ノブさん」「勲章店の未亡人」「遺髪レース」「人さらいの時計」「フォークダンス発表会」

  • 小さなアーケードで、
    人々が少しずつ、それぞれの人生を重ねながら
    今を生きている。

    アーケードに暮らす登場人物それぞれについての部分は短編でも、小川さんの情景表現があれば、ずっと昔から知っているような、自分も何かしらの当事者のような、関わりがあるような、、
    そんな不思議な気持ちになれます。

    (衣装係さん)描かれているのは今の衣装係さんについてなのに、衣装係さんが歩んできた長い長い歴史に、ふと触れてしまった、たしかに生きていたんだと実感する感覚を味わえました。

    ここに記されているのは、誰かの人生のほんの少しの期間でしかないはずなのに、それぞれの歩みや暮らし、それぞれの時代の姿や感情がすごく凝縮されていてとても贅沢な気持ちになります。

    こんなにもリアルに想像できた上で
    どこか現実味のない、幻想的な空間を作り出せるのは何故なのか。

    日本なのか海外なのか、時代はいつなのか、
    小川さんの作品はそれらがわからない。
    わからないのにまるでこの目で見たような気がする。本当に不思議です。

    現実から一旦離れてもう一つの世界に没入したい時にぴったりです。

  • 配達係の「私」視点で描かれる短編集。
    変わったお客様、アーケードの店主、仕事等々とても美しく、でも全てが偽スタンドグラスに表されるようなどこか嘘なんじゃないか、でも読むのをやめられない。。。

    小川先生三冊目の読了作品。少しずつ小川先生の作品にハマりつつあります。

  • ひっそり、という言葉がとても似合う。

    生きている者と亡くなった者の境界がふわっと溶けていくような、不思議な空気が漂う連作短編集。一遍一遍を読み終わるごとに、ふと寂しさが迫ってくる。いつの間にか「私」がどんどん透き通っていく。

著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小川洋子の作品

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