- 講談社 (2015年11月13日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784062932486
作品紹介・あらすじ
ある夜、勤務先の会議室で目醒めた土屋徹生は、帰宅後、妻から「あなたは3年前に死んだはず」と告げられる。死因は「自殺」。家族はそのため心に深い傷を負っていた。しかし、息子が生まれ、仕事も順調だった当時、自殺する理由などない徹生は、殺されたのではと疑う。そして浮かび上がる犯人の記憶……。
死者たちが生き返ってくる世界を、息を呑む圧倒的なリアリティで描き出し、現代における「自己」という存在の危機と、「幸福」の意味を追究して、深い感動を呼んだ傑作長編
<内容紹介>
ある夜、勤務先の会議室で目醒めた土屋徹生は、帰宅後、妻から「あなたは3年前に死んだはず」と告げられる。死因は「自殺」。家族はそのため心に深い傷を負っていた。しかし、息子が生まれ、仕事も順調だった当時、自殺する理由などない徹生は、殺されたのではと疑う。そして浮かび上がる犯人の記憶……。
安西は、腕組みして、背もたれに体を預けると、神妙な顔で徹生を見つめた。
「なあ、土屋、――いいか? 人間一人死ねば、その一人分の穴が開く。大きい穴もあれば、小さい穴もある。けど、その穴をいつまでも放っておくわけにはいかんだろう。みんなで一生懸命埋める。じゃないと、一々その穴で躓(つまず)くことになる。――な?」
「……。」
「仕事の穴、家族の穴、遺された人の心の中の穴。――お前は、それがちょうど、塞(ふさ)がったところに戻って来てる。無理に抉(こ)じ開けようとすると、破れてしまうぞ。」
――本文より
感想・レビュー・書評
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以前ドラマで見て
気になって買っておいた本
やっと手に取る
ドラマの内容は肝心なところは記憶にない
なんて頭なのでしょうか?
情けない!
がしかしまた味わえるのは嬉しいかな
平野啓一郎さんらしい文章で
手に汗握る展開に一気に入り込んでいく
はたして彼は自殺か?他殺か?
それとも?
生き返る意味は?
謎ばかり
誰もが秘密を抱えていそうで
誰も信用できなくなってくる
下巻に突入です!
表紙のゴッホの絵は何かを語っているのだろうか
惹きつけられる詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私とは何か。
平野啓一郎さんのこの作品を読んでから、すっかり「分人」という捉え方の虜になっている。
この作品の中で、平野さんは対人関係ごとの様々な自分のことを「分人」と定義づけている。(「私とは何か、P7」)つまり、人間を「分けられる」存在とみなし、恋人との分人、両親との分人、職場での分人など、人は必ずしも関わる人全員の前で同じ顔をしているわけではなく、対人関係ごとに複数の顔があるという考え方である。
当時のレビューを参考にしながら、書く。
「本当の自分」が一人しかいない、という考え方は、人を苦しめる。平野さんは、リストカットや自殺を「分人」の視点から解説する。
(P59)もし、たった一つの「本当の自分」しかないとするなら、自己イメージの否定は自己そのものの否定に繋がってしまう。先の話になるが、私は、『空白を満たしなさい』という小説で、この主題を日本の自殺者問題と併せて更に深く考えることにした。
そして、自殺については、以下のように解説する。
(P125)人間が抱えきれる分人の数は限られている。学校で孤独だとしても、何も級友全員から好かれなければならない理由はない。友達が三人しかいないと思うか、好きな分人が三つもあると思うかは考え方次第だ。(中略)そうして好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。否定したい自己があったとしても、自分の全体を自殺というかたちで消滅させることを考えずに済むからだ。
つまり、本作品「空白を満たしなさい」は、「分人主義」と「自殺問題」という二つを主題として描かれているのだ。上巻では、亡くなったはずの主人公が生き返る場面から始まる。そして、なぜ亡くなったかについては「自殺」だということを知らされる。その衝撃的な事実を前に、主人公が真相を確かめようとする、というストーリーである。設定がSFのような世界観にも関わらず、読者を現実世界にいるかのように伝える筆致は素晴らしく、ミステリーのように、謎を解いているような面白さがある。また、文体が美しく軽やかな中に、平野さんの知的さが横溢している。辞書で漢字を調べながら本を読んだのは久々の体験だった。
(P115)「私は多分、あなたが羨ましいんでしょう。妬んでるんですかね。…家族を養うことが幸せだって!違います。そう思い込めること自体が幸せなんです。」
(P206)「人間の幸福というのは、つまり、自分の価値観と自分自身とが合致してる実感じゃないですか?」
(P235)過去の不幸に現在を奪われないためには、未来の幸福へと駆け込む以外にない。
上巻では「幸福」がキーワードだったように思います。いや、今自分が幸福について考えているから、ちょうど重なっただけかもしれないけれど。
今後、分人がどう関わってくるのか。下巻へとつづきます。-
なんで、友人の顔がここにあるんだ!?と、思わず笑ってしまったこの表紙ですけど(^^ゞ
ま、こういうことを書くのは失礼だとは思うんですけ...なんで、友人の顔がここにあるんだ!?と、思わず笑ってしまったこの表紙ですけど(^^ゞ
ま、こういうことを書くのは失礼だとは思うんですけど。でも、「私とは何か」(でしたっけ?)のnaonaonao16gさんのレビューを読んだ時にも思ったことなんですけど、その「分人」がイマイチイメージ出来ないんですよね。
ていうか。え、相手毎の自分がいるって、普通じゃないの!?って思ってしまうんです。
例えば、子供の頃。普段の親に対する自分と。何か買って貰いたくておねだりする時の自分の態度って、違ってたように思うんですよ。
おねだりする時は、お手伝いしたり、TVを見ないで勉強(するフリ)したり、明らかにいい子を演じてた(^^ゞ
ここで言う「分人」というのは、そういうことではないということ?
というか、それよりもう一段底(深い部分)があるってことなのかな?
いろんな人の感想を読んでも、私と同じように「それって普通じゃないの?」という人がいる反面、「それを聞いて楽になった」と書いている人がすごく多いんですよね。
変な話。(もしかしたら上から目線になるのかもしれませんが)ある年齢で、意見がそんな風にわかれたりするするのかなーなんて思ってしまったり(^^;
まぁそんなこと言ってないで読んでみればって話だとは思うのでw
とりあえず、読んでみようと思います。2021/02/23 -
本ぶらさん
コメントありがとうございます。
分人は、親におねだりする自分と普段接している自分とが違う、というのは異なります。もう...本ぶらさん
コメントありがとうございます。
分人は、親におねだりする自分と普段接している自分とが違う、というのは異なります。もう一段深い、ということなのかどうかは分かりませんが、家族の前での自分、友人のまでの自分、友人の中でも、地元の友人、大学の友人、みんなその人の前での自分がいて、「ありのままの自分」という一人だけがいるわけじゃない、接する相手に応じた数の自分がいていいんだよ、という考え方です。
そりゃそうだ、と思って生活している方にとっては普通のことかもしれません。
けれど、「自分」というものに向き合い続けて苦しんでいる人や、人間関係にストレスを感じている人は、救われるのかもしれないなと、わたしは思いました。
本ぶらさんは「私とは何か」よりも、こちらの「空白を満たしなさい」の方がストーリーとして面白く読み進められるのではないかなと、そんな風に思いました。2021/02/23
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オーディブルにて聴く。
徐々に引き込まれていった。おもしろい!
主人公は復生者(生き返った者)の徹生。
「徹底的に生きる」という名にもかかわらず一度自死した(ことになっている)。その真相は…?
下巻へ続く!
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装丁に惹かれました。
ゴッホと目が合って。
そんな人も多いはず、、!
死んだ人が生き返るなんて嬉しいにきまってる、なんてこともないんだな。
当の本人は復生者として肩身の狭い暮らしを余儀なくされ、死に方が自殺だったならば余計に生きづらい。
自分の本当の顔というのはどれが正解なのか、親といるときか友人か家族か1人でいる時か。
分人という考え方をそのまま物語に落とし込んだような世界観。
大切な人を失うということは、その人と過ごした自分の分人も失うということ。
深いところまで掘り下げて結局本当のところが見えないから人を心から信じられない。
ドラマで実写もやってたの知らなくて、途中から役者さんに当てはめて読み進めたんだけど、佐伯の阿部サダヲ合うな、、観たい、、
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同じ著者の「決壊」は断念したけどなんとか読み切ることができた。
死んだ人が生き返るのは無条件でいいことだと思ってたけど、そんなに楽観視できることじゃないんだなぁ……そもそも幸せって一体なんなんだろう?
そんなことを深く考えさせる作品でした。 -
他の作品と比べたら、すらすら読める。
分人主義を先に読んでおくと深く読めるかも。
ミステリー感は強めで下巻を読むのが楽しみ。
※ハイライト
人の死は悲しいものだと、みんな当たり前のように考えている。しかし、「死」というそのたった一音が耳に触れただけで、スイッチでも入れたように、人はそんなに簡単に悲しめるものだろうか? そういう知人は、他にもたくさんいたはずである。ずっと会ってなかった昔馴染みにとって、「どこかにまだいる」ことと、「どこにももういない」こととは、一体、どう違うのだろう? 二度と会うことも、連絡することもない人は、死ぬ遥か以前から、実は死んでいるも同然なのではないだろうか? ただその「死」という言葉を、聞くかどうかの違いだけで。…… -
※上下巻合わせての感想です。
ある日会社の会議室で目を覚ました土屋徹生は、自分が3年前に自殺したと知らされる。死ぬ前後のことは覚えていなかった徹生だが、当時、仕事も家庭も順調だった彼にとって、自殺する理由は思いあたらない。もしかしたら誰かに殺されたのではないか、と疑うが…
物語の前半は、徹生が自らの死の真相を探るというミステリ要素をストーリーの中心に置きつつ、徹生が生き返った(復生した)ことによって、家族や友人関係の間に生まれる波紋を描き出す。
死んだ人間が突然復生したら社会はどうなるか。一見荒唐無稽な設定だが、復生後の周囲の反応は、実際にこういうことが起こったらさもありなん、と思わせられるほどリアルだ。
徹生とそれほど近しい存在ではなかった者は、徹生の存在を気味悪がる。会社は既に徹生がいない状態で通常運転しており、徹生の居場所はない。
運転免許証など、自分のアイデンティティの根拠となるものは失効し、就職活動もままならない。さらに、徹生の死後支払われた生命保険金は返還を要求される。
死亡当時、徹生には1歳半になる息子、璃久がいたが、彼は突然現れた徹生に対してなつこうとしない。妻の千佳は、夫が自殺したという事実に苦しめられ、その傷は未だ癒えていない。
徹生は、全国で生き返った復生者たちの集会に参加することで、さまざまな問題を打開するきっかけをつかもうとする。
物語の後半は、本書のテーマである「分人」という思想から、徹生の死の真相を読み解いていく。
「分人」とは、対人関係ごとに構成される、その人の「顔」である。人は誰しも、対する相手によって少しずつ「顔」を変える。そのうちの一つだけが本当の自分なのではなく、どれもが自分という人間なのである。
この「分人」という考え方は、著者の平野啓一郎さんが『私とは何か―個人から分人へ』という新書で詳しく語っており、本書はそれを小説で表現したものであるといえる。
人は、故人に対して、死んだ時点の情報でその人となりを判断してしまう。個人のことを良く知らない人は、その亡くなり方も判断に影響するだろう。しかし、「こういう人間である」と一言で語れる人間など誰もいない。なぜなら、人は相手に応じてその人向けの「分人」を作り出すからである。
著者がこの小説で「復生」というウルトラCの設定を作り出したのは、言い訳のできない死者に対して反論の機会を与えたかったからではないかと思う。
もう一つ、著者が「分人」を描くためのアイコンとして登場させたと思われるのが、佐伯という男だ。彼は、徹生の勤める会社で警備員として働く男で、徹生が彼の行動をとがめたことから、徹生に異常に執着する。
彼の存在がこの小説にどのような意味を持つのか、最初はわからなかったが、徹生の「分人」の一人なのかもしれない、と考えると腑に落ちる。
徹生は真面目な性格で、愛する家族がおり、慕ってくれる友人もいる。そんな彼の負の側面を持つ「分人」を、徹生自身の中にいるものとして描くのではなく、あえて別の人間として分離させ、対峙させたのではないか。
小説のテーマは深遠だが、前半のミステリ部分と、物語をどう収束させるのか、という緊張感で一気に読ませる良質なエンターテイメントでもある。
切なくも優しいラストが心に残る。 -
難しいなぁ。そして胸糞。
なぜゴッホの表紙なのかまだ謎。
でもところどころにゴッホの人生とリンクするような事がちりばめられてる気がする。
下巻はすぐ読んだ方が良さそうだな。 -
SF要素もありつつもミステリー感が強く、読みやすかった。
続きが気になるので、すぐに下巻も読み進めようと思います。
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下巻まで読み終わってからの感想。
主人公の葛藤、周囲の人々の迷いが伝わってくる作品。後半へ向けて、ミステリー要素強め。 -
平野啓一郎はジャンルがないと言われるけれど、私にとってはやっぱり平野作品にしかない特徴があると思う。文体の滑らかさも含めて。
出てくる人物の思考が、紡がれる描写の端々から伺えて、人格を持った存在として認識させられる。当たり前だけれど、悪人や善人で人を切り分けない。だからなのか、物語が終わると置いてけぼりにさせられた気持ちになる。あまりにも人々がリアルすぎて、この人たちのその後の人生があることを前提のように捉えてしまって、私にはもうその人生を垣間見させてくれる権利が無くなったような。そんな心持ちになる。
分人思考というが作家の思想に深くあるのだと思うけれど、そこが本作品に組み込まれたことで、それゆえに物語の輪郭がぼやけてしまった?追えなくなった部分が発生した。
それでも読んで良かったと心から思う作品。 -
面白かった!!一巡目は重たくて苦しくて心臓のドキドキだった。何かが気になってもう一度佐伯の言葉を読み返してみた。(もし仮に自分が徹生だったとしたら、佐伯の言葉を思い返す時点で本当に擬態してる感じがする!)読んでいる最中は徹生のようにパニックでこいつは何を言ってるんだ…と感じた。イライラもした気持ち悪くも感じだ。でも読み終わって再度佐伯と千佳の会話を読み返してびっくりした。
自分は佐伯派だった。むしろ言い得ていて確信をつきすぎて言い返せず受け入れることもできなかったのかもしれない。
相手を受け入れ理解することは自分に余裕がある時だけだと思う。それに気づけれた。私生活でもきっとそうだとおもう。イライラして反発して言い返したくなる時もあるけど相手を否定して何になるんだろう。それが全てな訳でもないし場合によっては立場と口論の場所が違えば認めざるおえない時だってくる。自分をコントロールできるようになればすごい楽になれるのにとおもった。
幸福を言葉で表現している部分に作者に感動した。自分の価値観と自分自身とが合致すること素晴らしいと思った。ちなみに私は現時点ではお風呂に対して1番の幸福と感じとメモしておく。見返す時の幸福と違っていたら、またそれはそれでおもしろいな笑。社会に植え付けられた価値観と自分自身がが合致ひないのは当たり前だとおもった。本当に徹生は自殺したかったから自殺した。自分の死を選択することそれを周りが止めることは周りのエゴなんじゃないかとおもった。 -
とんでもない設定ではありながらも、徹生の抱える謎が気になります。
下巻では謎のこたえと、その先が気になります。
人が生き返るというとんでもない現象がどういう結末を迎えるのか? 幸せか不幸か… -
自分は何故死んだのか?を探るミステリーな面もありつつ、哲学的側面もあって面白い。
どうやら「分人」という考え方を知っておくとより深く楽しめるらしい。
最後が「え?」ってなったので、下巻もそのまま読もう。 -
なかなか最後に行き着くのに困難だった。
なんとか読み終えたという感じだ。
設定が苦手。
こんな本を読むことを読書と言うのかも。
ずいぶん前でレビューは忘れた。 -
あなたと一緒だった私をもう生きられない
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「文人」という考え方、とても好き。
というより、普段から思っていた内容だったから仲間を見つけたような気分。
社会学におけるアイデンティティに近い考え方のようにも思う。 -
すごく面白かった!平野啓一郎先生の本はこの本が初めて。オーディオブックで完聴。
自分が死んだあとに生き返る(復生)するという有り得ない設定ながら、登場人物の動きや分人主義という考え方や先が気になって読み進めるのが止まらなかった。
自分が自殺したあとに蘇ったら、自分の夫が蘇ったら、などと空想しながら読み進めたが、自分の立場と重ねて、夫の自殺という乗り越えるのが難しい壁をやっと乗り越えたところで夫が蘇えったら、嬉しい反面、この3年間は何だったんだろうと考えてしまうだろう。
途中出てくる佐伯という男の気味の悪さは印象的ではあるが、同意できる部分もあった。
命の価値って、重さって、何なんだろう。
自分の中に複数ある顔、分人。同じ生身の人間から発せられた分人同士なのに、その中の他者を消す。
自分自身でも、あまり好きじゃない自分の顔はある。それを消すのは殺人なのか、自殺なのか。
物語の途中、複生者たちが消えてしまう下りがあるが、私の理解不足たとは思うが、何故消えてしまったのかは私には分からなかった。
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3年前死んだはずの主人公がある日突然「復生者」として生き返った。
自分が死んでも回り続けていた世界に、自分の居場所はなくなっていて……
生き直そうと必死にもがく主人公。
佐伯という人物がとにかく気持ち悪い。
後半、物語が動き出して続きが気になる。
著者プロフィール
平野啓一郎の作品
