新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)

  • 講談社 (2016年2月13日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784062933285

作品紹介・あらすじ

気に入った手袋が見つからなくて、風邪をひくまでやせ我慢を通した22歳の冬以来、“いまだに何かを探している”……(「手袋をさがす」)。凛として自己主張を貫いてきた半生を率直に語り、人々のありふれた人生を優しい眼差しで掬いあげる  名エッセイの数々。突然の死の後も読者を魅了してやまない著者最後のエッセイ集。文字が大きく読みやすく、カバーの絵も美しくなった新装版。解説/太田 光

みんなの感想まとめ

自己主張を貫きながら、日常の中のささやかな瞬間を優しく描くエッセイ集は、心に響く深い感動を与えます。没後40年以上経った今もなお、著者の作品は読者を魅了し、ノンストップで読み進められる力を持っています...

感想・レビュー・書評

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  • 1981年8月22日に飛行機事故で亡くなられて、今年で没後40年の向田邦子さん。
    今作は編集の途中でお亡くなりになった向田さんへの、編集者たちからの追悼の気持ちの込められたエッセイ集とのこと。

    家の冷蔵庫にビールを欠かさない程の酒豪。
    打ち合わせ等でご自宅は常に来客が絶えない。
    向田家の手料理・海苔弁、葱雑炊、麻布の卵、枝豆の醤油煮等も食べたくなるものばかり。
    向田家の台所がTVドラマを観ているように、目の前に浮かんでくる。

    特に印象深かったのは『手袋をさがす』。
    向田さんの若い頃から培った信念がよく分かった。
    妥協しない潔さ。
    熟考に熟考を重ねて、でも結論はさっぱりと。
    向田さんの自分に嘘のない生き方に共感しきりだった。

    そして『時計なんか恐くない』。
    どんな毎日にも生きている限り無駄はない。焦りも後悔も貴重な栄養。
    向田さんのどこまでも前向きな考え方を改めて知り、泣きそうになった。合掌。

  • 定期的に読みたくなる向田作品。

    没後もう40数年も経ってしまったのかと
    ふと思い出した。
    こちらの本を購入していなかった事を
    思い出し購入後直ぐに一気読みした
    毎回の事だけど向田さんの作品は 
    読み始めるといつもノンストップ。
    止まらないと言うより止められない。

    今回も同じくで、新装版を読んだのですが
    太田光さんの後書きを読み、芸人としては
    あまり好きじゃない(ごめんなさい)のだけど 
    生粋の向田邦子ファンなのを知って
    見方が変わりましたし何故か涙が出ました。
    いや、かっこいい。
    そこから派生して、太田さんが書いた
    「向田邦子の陽射し」も読む事になりそうです
    これだから読者はやめられませんね。

  • 〇木を書かなかったのではなく、書けなかったのだ。(p15)
    ☆育っていくものを朝晩眺める視線が暮らしになかったと書いている。見ていないものは書けない訳だ。この本にもだが、向田邦子さんのエッセイの中には食べ物の話がよく出てくる。暮らしに根付いているものが書ける。

    〇女学生と呼ばれた五年間をふりかえって、まず思い浮かぶのは、スカートの寝押しをしている自分の姿である。(p555)
    ☆思い出した。そんなことをしていた時期があったな。スカートの襞なんて本当どうでもいいのに(と今の私は思う)そういう細かいところが全てだと、思ってしまう年代。

    〇「無料(タダ)ですよ」(p78)
    ☆渋谷駅で「渋谷一枚!」と叫んだ向田さんに対応した駅員さんの話。こういうお洒落な言葉がつかえるようになりたい。

    〇「食らわんか」(p124)
    ☆一番面白かった。
    おいしいものは、面白い。
    塩味をつけた卵を支那鍋で、胡麻油を使ってごく大きめの中華風入り卵にする。食べたい。
    のりごはんもいい。
    ごはん+かつおぶしを醤油でしめらせたもの+のり
    を3回繰り返す。
    これに向田さんは肉の生姜煮と塩焼き卵をつけるらしい。最高ではないか。

    〇点は、つまり部分は線の全体を当てることがあるのだ。(p225)
    ☆だから、細部まで気をつか。
    相手のどこを見るか、というのもあるだろう。
    今日の私はどうだっただろうか。

    〇私は子供の頃から、ぜいたくで虚栄心の強い子供でした。(p257)
    ☆自分のことをこんな風に言えるってすごい。
    自分はどうだろうか。全く、全くもって、言えない。
    ぐじぐじしていて、感じの悪い子だったような気がしている。なんであんなだったのだろう。で、今も。
    良い人であろうとしているところがそもそも嫌だ。そして、そうなれないところも。

    〇私は、どちらかといえば負け犬が好きです。(p277)
    ☆3年、5年を無駄にしたとしても、60年、70年の人生にとってひっかき傷ほどにもなりません、と言えると同時に、自分にとって濃い時間の使い方をしたいと最近切に願う。
    そして、それは、どうすると濃くなるのかは、人によって違う。充実してそうに見える人のライフスタイルを真似しても、むなしくなることが最近ようやくわかってきた。人と比べない。自分の中との反芻、そして、日常を生きることが、今の私にとっての充実と言えるのかもしれない。
    周りで起こっている出来事を大切に受け止めたい。
    SNSに惑わされない。
    ラインにつきっきりにならない。
    合理的をやめる。
    今までが合理的すぎたのだ。

  • 向田邦子さんの文章を初めて読んだ。
    少し昔の方のエッセイなので、
    知らない俳優さんや映画監督さんもたくさん。
    たまにピンとこないお話もあったけど、
    この時代に、自立して強く生きた
    たくましい女性だったんだなあと分かる。
    堂々としていて素敵だなと思った。

    特に心に残ったお話↓

    夜中の薔薇
    玄関前に置かれたくたびれた薔薇の花束。
    贔屓にしていた花屋が店じまいしたため、
    売れ残りを置いたらしかった。
    どう見ても生き返らないと思われるものは、
    諦めて捨てようかというとき
    タクシー運転手の話を思い出す。

    その人はノモンハンの生き残りであった。
    ひどい負傷をしていたが、軍医が間違えて
    青札をつけたおかげで、九死に一生を得たという。
    結局わたしは、一本残らず水風呂に漬けた。
    漬け終わってから、自分が風呂に入れないことに
    気付いた。その代わり、浴室いっぱい
    「くれない匂う夜中の薔薇」であった。
    ———

    牛の首
    チュニジアの田舎町の店先で、
    牛の首がぶら下がっている。
    私は、牛が深い二重まぶたであることをはじめて
    知った。金色の長いまつ毛も、まだ艶があった。
    まつ毛の下の目は、妙にのんきそうで、
    格別怒ったり恨んだりしているようには見えない。
    立派な死に顔である。感心しながら、
    人はこんな顔では死ねないなと思った。

    牛は生まれたときから諦めている。
    人は、叶わぬと知りながら希望を持ち、
    生に執着しながら死んでゆく。
    牛を食べる人間のほうが、食われる牛より
    おびえた顔をして死んでゆくのである。
    ———
    ・視線
    胸の手術の後遺症で、しばらく右手が
    使いものにならないことがあった。
    荷物が増えて傘をさすことができなくなった。
    仕方なく傘を小脇に挟み、雨の中を歩きだした。
    すれ違う人が、けげんそうに私を見ていた。
    薄気味悪そうな目、好奇心丸出しの目は、
    中年の主婦に多かった。

    人にはさまざまな事情がある。
    他人の腑に落ちないしぐさを見かけても、
    じろじろ見ないようにしようと肝に銘じたのだが、
    薄情なもので、いざ見物に廻ると、
    私は誰よりも熱心に見てしまう人間なのである。
    ———
    ・ことばのお洒落
    自分に似合う、自分を引き立てるセーターや口紅を
    選ぶように、ことばも選んでみたらどうだろう。

    ことばのお洒落は、ファッションのように
    遠目で人を引きつけはしない。
    無料で手に入る最高のアクセサリー、流行りもなく
    一生使えるお得な「品」である。ただし、
    どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、
    身につけるには努力がいる。

    本を読む、流行語は使わない。人真似をしない——
    何でもいいから手近なところから始めたらどうだろう。
    ———
    ・下駄の上の卵酒 酒中日記
    書きたくないとき、書けないとき、気がつくと爪を
    噛んでいる。両手の指十本分を噛み終っても
    爪くずが散らばっていないところを見ると、
    すべてわが腹中に納まってしまうらしい。
    他に取り柄はないが、歯と骨が丈夫なのは、
    カルシュームの自己補給のせいだろう。←そう?笑
    ———
    ・酒中日記 2
    人寄せをするのは一年ぶりである。
    午前三時、七人の客が帰ってゆく。引き上げにあたり、
    全員後片付けを志願してくださったが、
    これは泣いて辞退する。
    アルコール入りのこの連中に洗い物などされたのでは、
    瀬戸物やグラス類が後家だらけになってしまう。
    ↑表現が好き。
    ※後家(二つで一組になっている道具などの
    片方がなくなって残っているほう)
    ———

    ・海苔と卵と朝めし
    焼き海苔は毎朝のように食膳にならんだが、
    うちでは子供は一膳目からそれを食べることは
    禁じられていた。おみおつけでまず一膳のごはんを
    食べ、生卵か海苔、納豆は二膳目でないと
    箸をつけてはいけないというのである。
    ごはん一膳では、いつまでたっても今の大きさだよ、
    子供は二膳目のごはんで大きくなるのだ、
    というのである。
    おかしな理屈だが、今の子供みたいに口答など
    思いもよらない時代だったし、知識もなかったから
    子供は一生懸命にごはんを食べた。
    ↑カワイイお話。
    ———

    ・寺内貫太郎の母
    年をとったからといって、どうして、人生をおりる
    必要があるだろう。寺内きんさんではないが、
    最後まで人生の捕虜にならず、
    戦い抜くことのほうが素敵なのではないだろうか。
    人はそれを老醜というかもしれない。
    でも、行いすました寂しい美しさよりも、
    バタバタと最後まで抵抗する見苦しさのほうに
    人間らしさを感じてしまう。

    美しくなくてもいい、最後まであきらめず、
    勇猛果敢に生きてやろう。
    ———

    ・十文字美信 細目
    日本の古い諺に「女の目には鈴を張れ。
    男の目には糸を引け」というのがある。
    女はぱっちりした目が上等、
    男は目の細い方がいい。
    目が大きいとどうしても気持ちが目に出てしまう。
    大人物に相応しくないという意味らしい。

    警視庁のスリ係のベテランはみんな細目だと、
    聞いたこともある。本気か面白半分か、
    本当のところをうかがわせない目が、
    時々いたずらっぽく笑いながら、
    飾らずリキまず、自分を語る。

    大きくて強い動物だけが持つやさしさとけだるさ。
    ひと仕事終えたライオンが木陰でお腹を出して
    昼寝しているような具合であった。

    ・落語家
    趣味は鈴虫を飼うこと。八か月もの長い間、
    砂の中にもぐっている。どじょうやうなぎの頭や
    おからを食べさせる。そして、ごく短い間、
    オスだけが鳴く。

    このはなしは、私には少しばかり切実に聞えた。
    長い、気の遠くなるような辛い修業。時としては
    不公平なマスコミの陽のあたり方にも耐えて、
    師匠の芸を盗み、芸をみがいて、
    鳴く日のために備えるのである。

    鈴虫の音色は夜の草むらがよく似合う。
    そして、落語家の芸は、ラジオやテレビよりも、
    やはり寄席の高座だろう。
    男一匹、人を笑わせることを職業に選んだ辛さを、
    この人はみじんも匂わせない。
    ———

    ・手袋をさがす
    私は決めたのです。
    反省するのをやめにしよう——と。

    私はヘンに完全主義者のくせに、身を責めて
    努力するのをおっくうがるところがあります。
    要領がいいので、その場その場で、
    いともお手軽に反省をしてしまうのです。
    本心からすまないことをした、と思わないくせに
    誤ったほうが身のため、まわりのためと思うと
    アッサリと謝り、自分のとった行動を反省して、
    こんどは反省したことで、罪業消滅したと
    錯覚して、そのことに何の罪悪感ももたず、
    一日もたてば反省したことすら忘れてしまって、
    また同じあやまちを繰り返していたのです。

    これでは、良心をうぬぼれ鏡にうつして、
    自分の見栄っ張りな心におべっかを使っているのと
    同じではありませんか。

    毎日毎日の精神の出納簿の、小さな帳尻は
    あってはいるものの、さて「一生」という
    大きな単位で見ると、何の変りはなく、むしろ、
    私は毎日反省をしています、という自己満足だけが
    残るのではないか、と思ったからです。

    生れ変りでもしない限り、精神の整形手術は
    無理なのではないでしょうか。
    女として自活していること、
    いまだ定まる夫も子供もなく、
    死ぬときは一人という身の上であること、
    これらを幸福と見るか不幸とみるかは人さまざま。

    ↑自分を客観視して、悪いところも無理に直さず
    自分にとって一番良い方法に落ち着いた。
    ———

    ・時計なんか怖くない
    時というものは、一秒一秒、時計のセコンドの
    ようにせわしなく過ぎてゆくものでもありますが、
    一生の単位で見れば大きな河の流れにも似て、
    ゆったりと流れてゆくものでもあるはずです。
    三年五年を、無駄にすごしたとしても、
    六十年七十年の人生にとって、
    引っかき傷ほどにもなりません。

    人間は、時計を発明した瞬間から、効率的には
    なりましたが、同時に「時計の奴隷」に
    なり下がったようにも思います。
    時計は、絶対ではありません。
    人間のつくった、かりそめの約束です。

    恐れと虚しさを知らず、得意になって生きるより、
    すばらしいことに思います。
    いつの日かそれが、無駄にならず肥やしになる日が
    あかにならずこくになる日が、必ずある。
    真剣に暮してさえいれば——です。
    ↑少しくらいのお休みも、アリだよね。
    ———

    ・女を斬るな 狐を斬れ 男のやさしさ考
    菊池寛の言葉
    「人を批評したり判断する時には欠点を先に
    言いなさい。あの人は好いがだらしがない、
    というとだらしがない人だということに
    なってしまう。しかし、だらしがないが好い人だと
    考えれば世の中は楽しくなります」
    ↑「世の中は楽しくなります」っていうのが良いな。

    女は、小さい時からそう躾けられたから、
    或いはやさしくすると、あと自分自身ゆったりと
    やさしい気持になるから——
    意地悪くいえば鏡の前でやさしく振舞うような
    ところがありますが、本当の男のやさしさには、
    人に見られるとはにかんだり、逆にテレて
    腹を立てたりする、そういうところがあります。

    男のやさしさで嫌いなものが二つ、
    ひとつはテクニックだけのやさしさです。
    見せかけだけの、口先だけのやさしさなら、
    かえってなにもしない不器用の方が女には
    好もしいものです。
    もうひとつ男性へのお願いになりますが、
    どうか男は、「男のやさしさ」などと
    おっしゃらないでいただきたいのです。
    私はたしかに、名古屋までの二時間、
    身を縮めっぱなしだった高砂親方のやさしさに
    心打たれました。しかし、もしそのあとで親方が
    「男のやさしさ」について書いたり語っておられたら
    いっぺんに興ざめしたと思うのです。

    ↑確かに分かる。
    不器用な人、男女問わず割と好き。
    ———

  • エッセイを久しぶりに読んだ。
    昔エッセイストになりたいと思ってたことを思い出した。エッセイはその人がそのまま出る。
    我ながら畏れ多いことを考えてたものだ。
    著者のドラマは、細かな描写、心の内側が現れる仕草などが、繊細で物凄いものがあるな、と昔観て思っていたけど、このエッセイを読んでなるほどと納得した。

  • 生きていて欲しかったな、ほんとにこのおかたには。
    黒柳さんくらいの歳になつておられるのよね、そしたら…。
    「手袋をさがす」にグッと来た。

  • 向田邦子、直木賞小説とか脚本とかも書いてるけど、文章めっちゃかっこいいなと思ったらエッセイの名手って言われてた人なんだ。

    男を好きな女って男の手が好きって言いがちだけど、私も女のおっぱいとかより女の手が好きでドキドキする。手って色々詰まってるよね。

    向田 邦子
    (むこうだ くにこ、1929年〈昭和4年〉11月28日 - 1981年〈昭和56年〉8月22日)は、日本のテレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞を受賞。週刊誌のトップ屋時代は幸田 邦子名義で執筆していた。共同ペンネーム「葉村彰子」の一員でもある。父親の転勤で全国を転々とするが、本人は鹿児島時代が文学の原点と語った。実践女専国語科を卒業後、映画雑誌の記者を経て、ラジオ・テレビの台本・脚本を書く。『七人の孫』『寺内貫太郎一家』等、自分の実感をもとに庶民の生活を温かくかつその暗部をも描いて「ホームドラマの旗手」といわれた。1980年短編連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(後に作品集『思い出トランプ』に収録)で直木賞を受賞した。1929年(昭和4年)、東京府荏原郡世田ヶ谷町若林(現在の東京都世田谷区若林)に生まれる[1]。父親は石川県七尾市能登島出身[2]で、高等小学校卒業後に第一徴兵保険(東邦生命保険を経て、現在のジブラルタ生命保険)に給仕として入社し、たたき上げで幹部社員にまで登りつめた苦労人[3]。父が転勤族であったため一歳で宇都宮に転居したのを初めとして、幼少時から高等女学校時代まで日本全国を転々としながら育つ。高松市立四番丁小学校(香川県)、東京都立目黒高等女学校、実践女子専門学校(現在の実践女子大学)国語科を卒業した。
    新卒で財政文化社に入社し、社長秘書として勤める。その後雄鶏社に転職し、「映画ストーリー」編集部に配属され、映画雑誌編集者として過ごす。そのころ市川三郎の元で脚本を学び、シナリオライターを目指した。雄鶏社を退社した後は脚本家、エッセイスト、小説家として活動する。
    ホームドラマ作品の脚本家として現在も知名度は高く、『パパと呼ばないで』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』といった人気作品を数多く送り出した。1970年代には倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた[4]。
    1981年(昭和56年)8月22日、台湾への取材旅行中、苗栗県三義郷で発生した遠東航空機墜落事故で死去。51歳没。
    法名は、芳章院釋清邦大姉。墓所は東京都府中市の多磨霊園。墓碑銘は森繁久彌による「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る 久彌」。遺品はかごしま近代文学館に寄贈され、常設展示されている。寄贈を決めた時の母・せいの言葉は「鹿児島に嫁入りさせよう」[5]であった。
    エピソード
    小学生のころには、父の赴任にともない鹿児島県鹿児島市の鹿児島市立山下小学校で数年を過ごした。この多感な時期に鹿児島の温暖な気候や地元の風習、文化、食べ物、家族や先生、同級生との間に様々な体験をし、忘れ得ない思い出として、代表作エッセイ『父の詫び状』に詳しく綴っている。なお、この作品のモチーフは、鹿児島時代の家族団欒であると言われている[誰によって?]。飛行機事故の直前には、雑誌の企画で鹿児島を訪問し、「故郷の山や河を持たない東京生れの私にとって、鹿児島はなつかしい「故郷もどき」なのであろう」と締めくくっている。
    戦後の混乱期には、一家は父の度重なる転勤により仙台に居を構えていた。最初の社宅は、現在の住居表示で仙台市青葉区国分町二丁目(現在は仙台市都心部の歓楽街だが、当時はオフィス街の裏道)、後に同市同区大手町(旧・琵琶首丁。広瀬川沿いの住宅地)に引っ越した。邦子は実践女子への通学のため、東京・麻布市兵衛町の母方の祖父母宅に下宿し、夏冬の休みだけ仙台に帰省していた。「当時は東京が極度の食糧不足にあえいでいたが、仙台は別天地のように豊かであった」と語っている。1950年に父親が東京本社勤務となり、杉並区久我山の社宅に住み、邦子もまた両親と一緒に暮らし、定年退職の後は杉並区天沼に転居する[3]。
    雄鶏社という出版社に就職したばかりのころは、黒いニットのトップスに黒いロングスカートという服装が多かったため、同僚からは「黒ちゃん」と呼ばれていた。後に妹の向田和子が自著の文中で「その黒いロングスカート姿で仙台へ帰省してきた姉が、当時は黒い服を礼服以外の目的で着ていた人が少なかったこともあり、町へ出るととても目立った」と当時を回想している。
    洋裁が得意であり、一時はコートまで仕立てていた。戦中から戦後の物資の乏しい時期には弟妹たちの手袋、マフラーも手編みで用意し、2人の妹にはセーラー服まで作った。生地の入手自体が困難だったため、古着を仕立て直すなど工夫していた。
    愛猫家としても知られ、実家暮らしのころから亡くなるまで、常に複数の猫を飼っていた。その中でもコラット種のオス「マミオ」はタイ旅行した際に一目惚れした種であり、エッセイにも度々登場させている。邦子の没後は、母・せいと妹・和子が引き取り、16歳で癌によって死ぬまで愛育していた。
    赤旗新聞の愛読者であることを自ら明かした[6]。
    精力的に海外旅行をしていたが、実は飛行機嫌いであった。1981年5月に「ヒコーキ」(『霊長類ヒト科動物図鑑』)というエッセイで、「私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない」と書き、あまり片付けて出発すると「やっぱりムシが知らせたんだね」などと言われそうで、縁起を担いで汚いままで旅行に出ると述懐していた。しかしながら、験担ぎも虚しくこの僅か3か月後には飛行機事故で命を落とすこととなった。
    当時珍しかった留守番電話を早い時期に導入していた。機械に慣れない人々が面白いメッセージを多く残したが、中でも秀逸は黒柳徹子で、一分/一通話のシステムでは足りなかったらしく、特有の早口で九通話連続で吹き込まれていたというものであった。しかし用件には全く触れられておらず「後で直に会って話すわね。」という滑稽な伝言であったため、消去せずに保存して来客に聞かせて、もてなしの一つとしていた。
    幼少時より虫が大嫌いだった。虫偏の漢字も嫌いだったが、唯一「虹」だけは好きだった(『クイズダービー』でこのエピソードが出題された)。
    美術愛好家だった。本人がエッセイに記しているとおり、骨董の売り立てによく通い、書画や器を集めていた。かごしま近代文学館には向田が収集した中川一政や長谷川利行、北大路魯山人などの作品が収蔵されている。プライベートでも中川や陶磁器研究家の小山富士夫と交流があり、小山にタイ王国で購入した宋胡禄を鑑定してもらったこともある。向田の没後に出版された小説『あ・うん』の装幀は中川が手がけた。
    グルメとしても有名であった。料理も得意で自炊したが、著述活動の傍ら「女性が一人でも気軽に寄れるお店を作ろう」と、妹の和子と東京都港区赤坂で小料理屋「ままや」を開店した。「ままや」は邦子の没後も妹の和子によって営業が続けられたが、1998年(平成10年)に閉店した。その経緯は和子著の「かけがえのない贈り物」に詳しい。気取った食べ物が嫌いで、海外から帰宅して最初に作る料理は海苔弁当にしていたという。また、エッセイ『夜中の薔薇』に書いてある、レシピを自分好みに改変した常夜鍋(彼女の作り方では昆布を入れず、にんにくとしょうがを加える)が好物であったという。
    手料理のレパートリーの1つであった「若布の油いため」をいしだあゆみに御馳走したところ、いたく気に入られたので、作り方を伝授したことがある[7]。
    遅筆、乱筆で有名であり、切羽詰まると「四」の字を横棒4本で済ましたという逸話がある[8]。
    あまりの遅筆に痺れを切らした樹木希林が「話の筋だけ考えてくれたら、後は現場で何とかする」と電話を掛けて喧嘩になったことがある[9][10]。
    現在(令和6年)では中学校の国語の教科書に、「眠る盃」から出典された「字のない葉書」が載っている[11]。
    向田の命日となった8月22日は木槿忌と呼ばれるが、これは向田と親交があった山口瞳が、向田の死を受けて記した小説『木槿の花』で提唱された忌日である。
    2021年時点で向田を二度演じた美村里江(ミムラ)は、向田のエッセイの方面で敬愛する人に挙げている[12]。また、爆笑問題の太田光も向田作品の愛読者である。
    野呂邦暢の「落城記」を自身初のプロデュース作品として、テレビ朝日にて「わが愛の城-落城記より-」の名でドラマ化したが、放送まで残り二か月を残し飛行機事故で没。遺作となった。[13]。





    「はじめて自分で選んで本を買ったのは、小学校四年のときである。お年玉かなんかでお小遣いがたまり、祖母がつきそって本屋へ出かけたのである。散々迷った末に選んだのは「良寛さま」。たしか相馬御風という方の書かれたものだったと思う。  随分しおらしいものを選んだものだが、四十年前には今ほど子供向きの本はなかった。それでもはじめて自分で本を選ぶ晴れがましさに、本屋中の人がみな自分を見ているような気がした。本屋はその時分住んでいた鹿児島の金港堂である。  ほかに娯楽がなかったせいか、子供の時分から本が好きだった。  学校から帰ると、祖母や母が、「来てるよ」と言う。「小学三年生」「小学五年生」などの本が本屋から届いているよ、という意味である。  ランドセルをおっぽり出すようにして読みふけった。お八つも、本をめくりながら食べた。  私はその時分から、親の目を盗んでは納戸に入り込み、判らないながらも「夏目漱石全集」や「明治大正文学全集」「世界文学全集」を読みふけるマセた子供ではあったが、やはり年相応の、しかも堂々とひろげられるこのての本はやはり楽しみであった。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著


    「「野中の薔薇」とうたったのは、たしかゲーテだが、わたしは夜中の薔薇のほうがいい。そのへんでやっと、一緒に歌った人の名前を思い出した。一年ほど前にインタビューに見え、簡潔な文章で私が脚本を書いたテレビ番組を紹介してくださった地方新聞の記者であった。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「それからも、本は好きで乱読したが、将来筆で立とうなど微塵も思わなかった。学科のなかでは体操が好きで、体育専門学校へゆきたいと本気で考えたこともあった。こと志と違って、国文学を専攻したが、これも勉強よりアルバイトとバレーボールに血道をあげている時間のほうが長かった。  二つのなかからひとつを選べるときは、楽なほう面白そうなほうを選び、スキーにゆく小遣い欲しさにさしたる考えもなく放送台本を書く仕事をはじめた。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「自分に似合う、自分を引き立てるセーターや口紅を選ぶように、ことばも選んでみたらどうだろう。ことばのお洒落は、ファッションのように遠目で人を引きつけはしない。無料で手に入る最高のアクセサリーである。流行もなく、一生使えるお得な「品」である。ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、身につけるには努力がいる。本を読む。流行語は使わない。人真似をしない──何でもいいから手近なところから始めたらどうだろうか。長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションでなくて、ことばではないのかな。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「そこへゆくとフランス映画はもう少し人間的で、ジャン・ギャバンなども、このテのかっこいい払い方をするが、本当は懐はさびしいんだが連れてる女の手前、ね……といった自嘲と苦みがチラリと出ていたし、イタリア映画は、そこはリアリズムのお国振りで、ソフィア・ローレンのような大美女大女優といえども、私達と同じ感覚でお金を払いお釣りを受取っていたような気がする。  あの頃は、将来、まさか自分がテレビ・ドラマを書くようになろうとは夢にも思わずに見ていた。いまドラマを書きながら、あの頃不思議だなと思った小さな違和感を、忘れてはいけないなと、自分に言いきかせている。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「よく出来たハナシというのがある。  例えば「カルメン」や「忠臣蔵」がそれである。人間の配置、性格づけ、背景、展開。どれをとっても間然するところがない。わかりやすく、奥行きが深い。さらにいえば、その国の風土や時代、国民性までピタリとあらわしているのに感心してしまう。  こういうハナシは、土台もしっかりしているが、枝葉の方もすぐれていて、何気ない描写やエピソードにも、なるほどと感心する部分が多いものだ。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「ベルギーぼんやり旅行  小さいけれど懐の深い国大馬小エビ篇  アダモ。  シムノン。  ブリューゲル。  いきなり三題噺みたいで恐縮だが、「雪が降る」のシャンソン歌手と、メグレ警部生みの親と農民画の大家の共通点は、三人ともベルギー生れということである。これもベルギー行きの飛行機のなかで知ったことで、私にとってベルギーは「白耳義」であった。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「中世がそのまま残っているのはブルージュである。  ブリュッセルから汽車か車で小一時間。  町のなかを曲がりくねった運河が流れ、小さな五十の橋がかかっている。  私はこの町に一泊したが、嬉しいのは、まだ観光ずれしていないことである。  北のベニスといわれ、有名なベギンホフ修道院、白鳥名物のレース屋とお膳立ても揃って、チョコレートの箱の絵みたいに、気恥ずかしくなるほど美しいのだが、この町の人は、己の町の美しさに気がついているのかいないのか、実におっとりしている。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「 ブリュッセルは爆撃にも合わず、五百年六百年昔の建物を今に残している。 EC(ヨーロッパ共同体)本部は、中世の赤レンガの建物のなかでひときわ目を引く鉄とガラスの鋭角的なビルだが、見ていると、ベルギーは京都と似ているなと思った。  右にも左にもおもねず抗わず、身をまかせると見せてやわらかく身をこなし、祇園ではないが ECという貸席で、ちゃんと世界の中心に納っている。  京都の家は、みかけは小さいが奥が深い。  ベルギーという国も、多分、知れば知るほど懐が深いのだろう。  ベルギー食いしんぼう旅行のハイライトはシャトー(城)での晩餐会である。  赤坂離宮の倍も三倍もありそうなシャトーである。ここも貸席になっていて、みごとな部屋でみごとな料理がいただける仕組みになっている。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「フランス人でも、シャンパンやリキュールを創ったのは坊さんである。  食事のとき水を飲む、というので、アメリカ人を「蛙」と馬鹿にするというはなしを聞くにつけても、ヨーロッパの人にとって、暮しと酒は切り離すことの出来ないシャム双生児らしい。入院患者の食事にも、ワインのつくお国柄なのだ。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「一日に何回も鐘が鳴る。  みんなかつての戦争の遺失物という気がした。  猫祭りを見て思いついたわけではないが、私はこの国の黒猫印のインスタントコーヒーが大好きだ。  東京にいる時分、友人からお裾分けしてもらい、モカの香りのすばらしさにすっかりファンになった。  この黒猫印のコーヒーを買いに、ブリュッセルのスーパーをのぞいてみた。  その大きいこと。体育館を五つも六つもつなげたような巨大なもので、端から端までゆくのにローラースケートが欲しいほどであった。  いま、ここが大繁昌だという。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「ベルギーは複雑な国である。  フランスみたいに、粋です、洗練されてますとひと口では言えないところがある。  正直いって、私にはまとまったものは何も見えなかったが、ただひとつ言えることは、色あいのはっきりした大国を見物するより、判らないなりに生き生きして、とても面白かったということだ。  どこにもハッキリ書いてないから、私はいつも首をひねっていた。何でも早わかりで判るより(いまは行かない先に判っていることもある)飲んでも食べても、見ても判らなくて、これが本当のヨーロッパの姿かな、などと自分なりに宿題を残すほうが、本当の外国旅行かなという気がしている。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「私が一番好きなのは、この人のユーモア感覚と誠実である。  お行儀のよい好みのなかに一滴まじるおかしみ、抜けたところが、たまらなくいい。  一点一画もゆるがせにしないこの人の端正な字からは想像も出来ないのだが、お酒もかなりイケる口で、酔うとチャーミングな武勇伝もあるらしい。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著


    「お断りしておくが、これは実在の人物ではない。私が脚本を書いている「寺内貫太郎一家」というテレビドラマの主人公である。毎週一回、一時間だけ茶の間へ登場するこの「寺内きん」なる老女は、演ずる悠木千帆の絶妙な演技と相まって、不思議な人気をよんでいるらしい。彼女が、沢田研二のポスターの前で「ジュリー!」と身をよじって絶叫する場面を模した人形まで売り出されるという騒ぎに、生みの母は、ただ啞然とするばかりである。  大体、何のなにがしの母として登場するからには、障子の切りばりをして節約を教えるとか、志半ばにしてうちへ帰ってきた息子を、戸を閉めて家へ入れずに追い返すとか、世の鑑になるようなことをしでかすのが常であるけれども、この寺内貫太郎の母は正反対。世間様に賞めていただくようなことはなにひとつしていない。それどころか、良識ある家庭なら眉をひそめるような行状が彼女の毎日なのである。  なにせ趣味はいやがらせといたずらなのだ。食事の時に、「そんなに嚙んでると、口の中でごはんがウンコになっちまうよ」などと言う。家族一同の辟易する顔を見るのが、きんさん何よりの食欲増進剤であるらしい。わざと小汚い食べかたをして、隣席の孫から「ばあちゃん、きったねえなあ、もう!」と小突かれると、「なんだよ、寺内!」と小突き返す。「ホラホラ、こないだまでおしっこチビってたのが一丁前の口利いて、まあ」と負けていない。デブで短気で、情は厚いのだが、不器用な息子をからかい、嫁をイビリ、孫と対等にケンカし、お手伝いをいじめる。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「私が寺内一家を気にいっているもう一つの理由は、家族全員が、おばあちゃんを「みそっかす」扱いしないということである。  特に伜の貫太郎は、人一倍情の濃い親孝行なくせに、極めてジャケンに親を突っぱなしていることである。「年寄りなんてものは楽をさせるとポックリいっちまうんだ」と、あまり大切にしない。ときにはぶっとばすこともする。ただし、要所要所を「しめて」いるから、親のほうもひがまない。  盛大にやったりやられたりしながら、目を白黒させて一瞬の油断もなく、毎日を送っているのである。七十になっても、現役なのである。生活全般にわたって、手加減されない大変さと、生き甲斐を、この寺内きんは味わっている──そこが、私の好きなところである。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著


    「しかし、これが男というもの、男の職業というものなのだろう。とりわけ伝承芸能とは、まず技術、修業が先決。そこから頽廃を汲みとるのは、鑑賞するこっち側のすることなのだ。繊細な江戸の情緒はしたたかな太い腕で引継がれてゆく。職業だけで、男の中身を計ってはいけない。気の弱い政治家もいれば、肩書の好きな宗教家もいる。そして、たくましい新内語りもいるのである。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「末端神経肥大症といわれるかも知れないが、私は男性の「部分品」に少なからぬ興味がある。例えば指。手。  器用そうだが卑しい指がある。  不細工だが温かそうな手がある。  氏素性から志の高さ、好きな言葉ではないが知性、感受性の鋭さ鈍感さから、オッチョコチョイかずる賢いか、豊かか貧相か、ウブか助平か──たばこを喫ったりコーヒーカップを持つその表情の中に、チラリと覗くような気がするのだ。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「 落語家は棟割長屋に住んでいる。  落語家は狆を飼っている。  落語家は車をもたず電車で通う。  落語家はひげをはやしていない。  私は落語家に対して、こんなイメージを持っていた。  落語家がマンションに住んだり、セント・バーナードを飼ったりしては困るのだ。運転手つきの外車にのって楽屋入りされたんでは、いい心持で笑えないような気がする。まして、当節流行のヒゲなど生やして高座にのぼられたんでは、ご存知八っつぁんクマさん横丁の隠居も滅茶苦茶になりそうな気がするのだ。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「おまけに、子供のくせに、自分のそういう高のぞみを、ひそかに自慢するところがあって──ひとくちにいえば鼻持ちならない嫌な子供だったと思います。爪をかむ癖と高のぞみは、はたちを過ぎても直らず、ますます深みに入ってゆく感じがありました。考えてみますと、私の爪をかむ癖も、フロイト学説によりますと、欲求不満が原因とかで、のぞむものが手に入らない苛々からきていることに間違いはなさそうです。十七、八歳の頃、気持を静めようと本を読んでいて、気がついたら、本の上にポタポタと血が落ちたことがありました。  たしかに、私は苛立っていました。  社員十人ほどの小さな会社でしたが、カメラマン、画家、音楽家もいて、学校では学べなかったさまざまなものを私に与えてくれました。社長夫妻も私を可愛がってくれ、生れた娘に私と同じ名前をつけるということもあったりして──つまり、はた目からみると若い娘の結婚前の職場としては、不平不満をいうのはぜいたくとうつったことでしょう。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「私は若く健康でした。親兄弟にも恵まれ、暮しにも事欠いたことはありません。つきあっていた男の友達もあり、二つ三つの縁談もありました。今考えればみな男としても人間としても立派な人たちばかりで、あの中の誰と結婚していても私は、いわゆる世間なみの幸せは手に出来たに違いありません。  にもかかわらず、私は毎日が本当にたのしくありませんでした。  私は何をしたいのか。  私は何に向いているのか。  なにをどうしたらいいのか、どうしたらさしあたって不満は消えるのか、それさえもはっきりしないままに、ただ漠然と、今のままではいやだ、何かしっくりしない、と身に過ぎる見果てぬ夢と、爪先き立ちしてもなお手のとどかない現実に腹を立てていたのです。たしかに手袋は手袋だけのことではありませんでした。  我ながら、何というイヤな性格だろうと思いました。  このままでは、私の一生は不平不満の連続だろうな、と思いました。今年の冬どころか来年の冬も、ずっと手袋をしないで過ごすことになるのではないか、と思いました。自分に何ほどの才能も魅力もないのに、もっともっと上を見て、「感謝」とか「平安」を知らないこの性格は、まず結婚してもうまくゆかないだろうな、と思いました。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「 私は「清貧」ということばが嫌いです。  それと「謙遜」ということばも好きになれません。  私のまわりに、この言葉を美しいと感じさせる人間がいなかったこともあります。少しきつい言い方になりますが、私の感じを率直に申しますと、  清貧は、やせがまん、  謙遜は、おごりと偽善に見えてならないのです。  清貧よりは欲ばりのほうが性にあっていますし、へりくだりながら、どこかで認めてもらいたいという感じをチラチラさせ、私は人間が出来ているでしょう、というヘンに行き届いたものを匂わせられると、もうそれだけで嫌気がさして、いっそ見栄も外聞もなく、お金が欲しい、地位も欲しい、私は英語が出来るのよ、と正直に言う友人のほうが好きでした。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「 お茶を二時間習い、時計が三時になったから、すぐショパンが弾けるものでしょうか。私は非能率的といわれても、お茶を習った日はお茶だけにして、夜までその気分を大切にしたいと思う「たち」なのです。  いや、それよりも、「私は時間を合理的に使っているでしょ?」という、したり顔が──私は、ダメな人間ですから、きっと口惜しいんでしょうね──気に入らないのです。  時というものは、一秒一秒、時計のセコンドのようにせわしなく過ぎてゆくものでもありますが、一生の単位で見れば大きな河の流れにも似て、ゆったりと流れてゆくものでもあるはずです。  三年五年を、無駄にすごしたとしても、六十年七十年の人生にとって、引っかき傷ほどにもなりません。  私は、どちらかといえば負け犬が好きです。  人も犬も、一度ぐらい相手に食いつかれ、負けたことのある方が、思いやりがあって好きです。  時にしても同じです。  一時間単位、二時間単位で時間を使ったといっても、それはせいぜい、時計を有効に使ったということにすぎません。  人間は、時計を発明した瞬間から、能率的にはなりましたが、同時に「時計の奴隷」になり下がったようにも思います。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

    「強いだけの男。  やさしいだけの男。  こういう男は、佃煮にするほどいますが、味わいが乏しいように思います。当り前のことですが、強い中にやさしさがあり、やさしい中に強さがあると、魅力は二乗三乗になるのです。  ターザンやキングコングが世界中の人気者になったのはあのやさしさです。織田信長がなぜ志半ばにして本能寺でたおれ、豊臣秀吉が天下を制したか。それはやさしさではないかと思います。秀吉が陣中から淀君やおねねに出した手紙が今も残っていますが、男のやさしさのお手本のような文面です。この人もサルとよばれた風采の上がらぬ醜男だったそうですが、天下人となってからも、気持のどこかになにか悲しみのようなものがあったのかも知れませんね。」

    —『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著


  • 様々な媒体に発表された短文をまとめたものだから細切れで読みやすいこともあり、「眠る盃」のときと同様に、通勤や昼休みのお供に携行していた。粗忽で迂闊なおっちょこちょいエピソードは、向田さんが身近に感じられて、何だか元気が出る。
    食、旅、男性観賞法…そういう角度から物事を見るのか、気取りがないのに鋭くて、いつまでも読んでいられる文章なのだ。
    そして、あまりにも有名な「手袋をさがす」。ビリビリと痺れました。向田さんらしすぎて!この、3章の3つのエッセイは、心にしっかり刻まれる名文だ。
    熱い思いが溢れまくりの太田光さんによる解説もまた素晴らしい。

  • p79だけでいいから読んで欲しい。

    ーーことばのお洒落は、(中略)無料で手に入る最高のアクセサリーである。ーー

    読書好き、読書を始めたい、そんな方に絶対に刺さるエッセイが、たったの1ページに凝縮されています。

    その他、背筋がしゃんと伸びることばの数々が詰まったエッセイです。

    読書好きの友人にもプレゼントした、私の相棒の一冊。

  • 手袋をさがす。ないものねだりかもしれない、けれど好奇心を持って周りを探し続ける。満足できなくて常に不満を持っているかもしれないけど、探し続ける自分に誇りを持っていいんだと思えた。
    時計なんか怖くない。時間を合理的に使うことは、時計の奴隷になっているだけではないのか。人生の大きな時計で計れば、若い時の時間を無駄にしてしまったという絶望も、ほんの短いステキな時間ではないか。一生懸命生きていればどんな時間も無駄ではない。そう思えるように生きていきたいな。

  • 短編のエッセイ集、私にとって初めての向田邦子作品です。言葉ひとつひとつが正直で分かりやすく、尚且つとてもおしゃれで、他の作品も読みたくなりました。
    爆笑問題・太田光さんの解説もとても良かったです。定期的に読みたい本に出会えました。

  • 何度読んでも好きな本のひとつ.
    この本が好きな人とは、気が合うと確信している。実際
    好きな友達はこれが好き。

    丁寧な生活
    私欲への感謝など、親しみやすい.徳な昭和な人たちにとっては!ら

  • 「手袋をさがす」にとても共感をしました。
    納得いかないことが色々あります。妥協できない欲深い自分を反省するのはやめて、それが自分だと潔く認めて生きていこうという清々しさをかんじました。

  • 「手袋をさがす」と「時計なんか恐くない」が特に良くて、すぐに読み返した

  • 私はこの人の感性が好きだ。1929年生まれ。和暦だと昭和4年生まれ。今生きていれば95歳。私の亡くなった祖母と同世代。当時キャリアウーマン(すでに死語か?)として女一人で生計を立てるというのはかなり珍しくて新しい生き方だったと思う。少なくとも私の周りにはいなかった。

    この本の中で性差による「らしさ」についてたびたび語られている。今どきの人は嫌悪感を示すのだろうかと思いながら読んだ。ジェンダーレスが叫ばれ「男らしさ」とか「女らしさ」とかいう言葉さえ使うことが憚られる世の中になってしまった。

    私自身は、性別によって権利とか機会を奪ったり差別したりすることは間違っていると思うが、男らしさとか女らしさとかは、そもそも男女は生物学的に構造や役割が違うのだから、あって当然だと思う。そして良いとされる「らしさ」は歴史や文化によって考え方が違うと思う。(LGBTはまた別の話)。

    そういう意味でもこの人の文章は受け入れやすい。日本で戦前に教育を受けた人の考え方であるが、スッと入ってくる。男だからそんなこと言えるんだと思われてしまうかもしれないが、女性の向田さんが言っているのだから心強い。

  • 向田さんのエッセイ。「あ、うん」でこんなに登場人物が動いて見え面白い小説はないと感じ、興味を持ち、読んでみた。

    アマゾンという節では「あ、うん」で感じた文章の楽しさが感じられ、手袋を探すの節ではこれも先の著作で感じた鋭い人間観察力を自分に向けて見せたり、他様々。

    一冊読み終えてみて向田邦子さんがどんな人だったか想像してみた。

    故人は凄く勘が良くて、内に秘めたる感情が、優しさも厳しさもないまぜに起伏の激しい人だったのだろうなと推察する。声をかけ話を伺わずにはいられないほど魅力的で楽しそうな人ではある。その反面、いつか人間観察が自分に向き、つまらない人間だと判断されてしまいそうな蛇に睨まれているような怖さもある。

    ひょっとしてこの感じは昔同じ職場にいたあの人似てるんじゃないか、ついつい横道に逸れる。いやああだったらちょっとだけ嫌だなとか、むしろ外面は怖くてもいいから中身はあの人の感じであってほしいなとか、あれこれ想像してみるのは楽しい。色んな想像ができて人物像が一向に定まらないのは、本書がそれだけ向田邦子さんの人となりを多面的に捉えられる良い書籍である証左な気がしてきた。

    総合的な故人への人物像が良い印象なのか悪い印象なのかはさておいて、「あ、うん」を作った人の人となりに触れることができて、ひとまず良かった。他の著作も読み、向田さんをもっと知りたいと思った。

  • 向田邦子の最後のエッセイ集。後半に載っている、ちょっと長めのエッセイが特に良い。

  • 戦時中のエピソードから思わずいい匂いのしてきそうなご飯のお話まで、盛りだくさんのエッセイ。
    芯のある美しい文章で、また読み返したいなと思います。

  • 女性には、「思春期」とか「更年期」みたいな感じで、「向田邦子期」とでも言っていいような時期がある気がします。特に最後の2篇などは、そういうなんとも言えない季節を通ろうとしている女性たちにはじんわり来ると思います。

    全体としては、食べものについて書いた小品がとても多くて、これは連載の形で読んだほうがよかったなと思いました(もちろん叶わないのですが)。

  • どうしてこんなに面白く感じるのか
    文章の適度なかたさ、場面が簡単に想像出来る美しさ、ハッとさせられる文。
    長編もエッセイも全部好き。

    爪を噛みまくる癖を治せなかったのも同じで勝手に親近感

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著者プロフィール

向田邦子(むこうだ・くにこ)
1929年、東京生まれ。脚本家、エッセイスト、小説家。実践女子専門学校国語科卒業後、記者を経て脚本の世界へ。代表作に「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」。1980年、「花の名前」などで第83回直木賞受賞。おもな著書に『父の詫び状』『思い出トランプ』『あ・うん』。1981年、飛行機事故で急逝。

「2021年 『向田邦子シナリオ集 昭和の人間ドラマ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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