- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062933681
作品紹介・あらすじ
あのとき、ふたりが世界のすべてになった――。ピアノの音に誘われて始まった女どうしの交流を描く表題作「愛の夢とか」。別れた恋人との約束の植物園に向かう「日曜日はどこへ」他、なにげない日常の中でささやかな光を放つ瞬間を美しい言葉で綴る。谷崎潤一郎賞受賞作。収録作:アイスクリーム熱/愛の夢とか/いちご畑が永遠につづいてゆくのだから/日曜日はどこへ/三月の毛糸/お花畑自身/十三月怪談
感想・レビュー・書評
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普段の生活のほんの一部を切り取ったような、それでいてどこか孤独でささやかな愛を感じられるような7つの短編。
読んでいる時の高揚感が凄いです。
川上未映子さん独特の、句読点のない文章のせいかもしれません。
言葉たちがものすごい勢いで、休みなく読み手にたたみかけてくるのです。
そして、漢字とひらがなの使い分けがほんとうに絶妙だなと思います。
2011年頃に書かれたものが多く、震災のことにも微かに触れられていました。
突然失うことの恐ろしさや、人や物への愛情が感じられます。
「お花畑自身」と「十三月怪談」は他のものより少し長めで、読んでいるうちに切なさがどんどん増していきました。
川上さんの描く、ちょっとした気の迷いや、手を伸ばすと消えてしまうような、妄想のようなものの描写がとても好きです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
率直な感想としては、美しかった。
文章の一つ一つが詩のような表現で、読んでいて
とても心地良かったです。
川上未映子さんの短編を読んだのは、この作品が
初めてで、「乳と卵」「夏物語」のようなどちら
かと言えば社会派純文学のイメージが僕にはあったのですが、ここまで流麗な文章は読んだことがありませんでした。 -
不思議な世界観なのに身近な感じがするのはなぜ
独特な文体で別世界に引き込まれるけど
ふと「ああなんかわかる」と妙に現実的
死んでしまった後の気持ちのぐるぐるするあたり
ちょっとふっと泣きそうになった -
春めいてくると焦燥感、多幸感、不安感、万能感、喪失感、絶望感、なにもかもが相反するような感情に支配されてコントロールできなくなってしまう。全身には膜のようにうすいベールが生温かくかけられて、頭のなかはずっと霞がかっている。すべてのふるまいに春だからとか春なのでとか春のせいで、とかの枕詞がかかる。眠くて、一切をしたくなくなって、でも川上未映子さんの短編はそういうときこそうってつけで、彼女の言葉に包まれずっと眠りを貪って夢をみていられたらどれほど幸福だろうと思う。
さよならと声にして言ってみると、それは自分の声じゃないように聞こえて、でも、だからといって、自分の声がどんなだったかなんて、最初から知らないわたしには思いだせるはずもなかった。(アイスクリーム熱)
そう、誰にでもわかるように教えてあげます。いちごをここにあててつぶしなさい。(いちご畑が永遠につづいてゆくのだから)
わたしは何歳になっても、わからないことばっかりだ。それで、わからないことに安心しているのだ。そして、わからないと言いながら、ただこんなふうに淋しくなることだけがいつまでもできて、こんなことをただくりかえして、それで年をとっていつまでもこんなふうにひとりきりでおんなじ場所に立ち尽くしたまま、そうやって、わたしはいつまでだって、そうやってゆくのだ。(日曜日はどこへ)
「ねえ、わたしたち、とてもおそろしいことをしようとしているのじゃないかしら。何かとてもおそろしいことを、これまでわたしたちが思いもしなかった、何かおそろしいことをわたしたちはやろうとしているのじゃないのかしら。とりかえしのつかないことを。とてもおそろしいことをよ。そして、何かとんでもないことがわたしたちを待ち受けているんじゃないのかしら。もう後もどりすることもできない、なにか大変なことを、わたしはこれからやろうとしているんじゃないのかしら」(三月の毛糸)
生きてるひとをすくうのは、すくえるのは、どうやったって生きてるにんげんでしか、ないんだった。だいじな人がいるなら生きていなければならないんだな。おなじところに、おなじようにいなければだめなんだな、ひとはつよくて、いきていくことをつづけてゆくだけのかろうじてのつよさがあれば、そのうちいきているひとがだれか、だれかがきっと、またちからをくれて、ちからをきっとくれるだろう、いきていれば、いきているだれかが。(十三月怪談) -
面白かった。「十三月怪談」がいちばん好きだったな。正常な判断ができていないのではと思わせる主人公の描写でも思考として逆にリアルに感じてしまうし、危うく見えて練られた文章なのだって分かる。すごいなあ。これでご自分では「技術が圧倒的に足りない」と思われてるんだもんな……(当時のどこかのインタビュー読みました)。もっともっと読みたいな。
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さいごの十三月怪談、がとてつもなく良かった。
時子のはかなさと潤ちゃんの真っ直ぐさが、美しい。
健気に「いま」を「生きる」二人が、美しい。
死についてどれだけ思いを巡らせたって、
いま生きているのだから、ほんとうの死を知ることはできない。
一緒にいること、生きてそばにいることがたいせつということ。
死ぬとは、見えなくなること。
潤ちゃん目線の、時子との最後のときの描写が、
やりきれなくてやりきれなくて、電車で読んでいたのに涙がとまらなくて、
とまらなくて、上を向いて鼻をすすって読み進めたけど
やっぱり涙の粒がこぼれてしまった。
めんつゆのいつもの味の尊さ、
大きな瞳で潤ちゃんのすべてを目に映す時子、
初めて?時子の前で涙を流して、ふっくらとした時子を抱きしめた潤ちゃん。
最後はやっぱりあのマンションの一室で、
いつともわからない十三月。
永遠にふたりに幸せであってほしい、です。 -
十三月怪談 タイトルが絶妙。
時子が死んで幽霊になったときの描写がリアル。作者は何度か死んだことがあるのじゃあないか?と思うくらいリアル(笑)。
特に「死んだら生きている人になにひとつしてあげることができない。生きているひとをすくえるのは生きているひとでしかない」ってところ。
よくある物語だと死者の想いが生者に届いて奇跡なんかがおきて・となるけど、そんなことは一切おきないストーリーのがかえって腑に落ちる。
時子が見た時子が死んだあとの潤の人生と、実際の潤のその後の人生。時子が見たものは時子が作りあげた想念によるものだったか。死者になったら、現実も想念もすべてが等価、いくらでも複数の世界が展開する。
最後のシーンの「トレーにみたことのない果物をいっぱいのせて・」のところ。もうこの世じゃない、あの世感がすごくして上手いなあ、と。ふたりだけの桃源郷。
生きている、って幻なんだよ、と。頭がくらくらしました。
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うまく言葉にできないということは、誰にも共有されないということでもあるのだから。つまりそのよさは今のところ、わたしだけのものということだ。(アイスクリーム熱)