赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062934435

作品紹介・あらすじ

霧の早朝、私と鮭川は声を持たない聡明な赤目姫と三人でボートに乗っていた。目指す屋敷で、チベットで、ナイアガラで。私たちの意識は混線し、視点は時空を行き来し、やがて自分が誰なのかもわからなくなっていく--。これは幻想小説かSFか? 百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!

感想・レビュー・書評

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  • 四季の創った壮大な仕組みなんだろうな、と思いながら読みました。人間は人形型の端末に置き換えられ、それを外から観察してる存在がいる?この理解で合ってる?とにかく難しい。。。

  • ミチルとロイディにまた会えるぞ!と意気揚々と読みだしたら、鮭川とか知らない名前がたくさん出てきて、なんだか時代もそこまで未来ではないようだし…あれ?間違えたのかな?としばし途方に暮れながら読み進めました。

    そして、まあ、これはこれで面白いかも…とストーリーに入り込んだあたりで、だんだんと「自分」が混在する内容になり、今度は違う意味で途方に暮れました。
    この「私」は一体、今は誰のことを言っているんだろう。そもそも、これだけの人数は存在しているんだろうか?脳内での会話とかじゃなくて??

    小説って、連鎖的というか、ビビっときたシーンを取り出すことはできても、そこだけではその衝撃は伝えられなくて、そこまでに至るすべての言葉に意味があるような。そういう意味では、まるで音楽のようだと思います。
    理由は説明できないけれど、とにかく背筋がぞくっとする、なぜかは自分でもわからないけれど、ふいに涙が出てくる。本を閉じたくなる。目を閉じて、今自分が感じている、名前をつけられない、手にすることもできない、目で見ることもかなわないなにかを、大事にしたい。一瞬で消えてしまうとわかっていても、その残り香を覚えていられるようにしたい。そういう気持ちになることが、もしかしたら「感動」というのかもしれません。

    ネタバレになるようなことすら書けないくらい初読では難解な内容で、それっぽく理解したり解釈したりすることがもったいなく思えるほど。何度か読んで、ゆっくりと咀嚼して、じっくりと向き合いたくなる本です。

    読んでいる間、何度も、そういえば数年前まで引退するって言ってたっけ。引退することをやめてくれて、私はなんて幸運なのだろう、と思っていました。たとえ理解できなくても、森博嗣という才能と同時期に生きていられて、とても幸福だと感じます。

  • 百年シリーズ最終作。…うーん、よく分からなかったぞw 人間と人形(ウォーカロン?)の違いは何なのか?ロイディやミチルは出てこないし、実は彼らは存在しない・・??そのままWシリーズに行くしかないな^^; それまで評価は保留!

  • 1,2作目は、主人公と喋るロボットがふしぎな国を訪れて、住人を観察したり事件に巻き込まれる話(キノの旅みたい)。おもしろくて一気読み。3作目もわくわくして読み始めたら、読者を突き放すストーリーでぽかんとしてしまった。とはいえ、前作にも見え隠れしてた“精神と肉体”、“生きているって?”というテーマが前面に出ていて、作者が本当に書きたかったのはこれなのだなと納得した。前作あるいは今までのすべての本がこの3作目のための装置みたいだと思った。
    2人の旅をもっとみたかった気持ちもあるし、作者の哲学により深く触れられた実験的な3作目もよくよく考えれば素晴らしいし、悩んで星4つに。

  • 見上げた夜空を、宇宙をおそろしいと思う理由が、少しだけつかめたような気がして涙が出た。

    夢の中で《私》やそこにいた人、あるいは場面が次々切り替わるように、展開していく物語。
    この体へ収まった、今日いまこの瞬間に認識している《私》だけが、《私》である必要はない。
    どれだけ自由に振る舞っているつもりでも、それは誰かに操られているだけなのかもしれない。
    《私》が存在していなけれぱ、他のすべてにも意味はない。けれど《私》と私以外は違うもの。

    「わかった?/わかったから、もういい?」という問いかけが、第11章に何度か出てくる。
    一度納得したつもりになっても、またすぐわからなくなる。生きている限り、「もういい」とはどうしても思えないのかもしれない。

    哲学的で、意味があるようでないようで、心地のいい小説でした。

    とりあえず登場人物は書き出して頭の中整理したくなるけど、曖昧なままでいい感じもする。

  • この世界の真理のようなものを哲学的かつ理論的な考察を用いて描いているSF作品です。
    読み終わり一言で言うと、「意味がわからない、混乱する」という感想になりました。

    でも、とても世界観の描写と表現が綺麗で情景が鮮明に思い描くことができます。色の描写がとても綺麗です。世界がコロコロと変わっていくはずなのに情景はすんなりと想像できました。

    私にはまず意味がわからない、理解するのがとても難しい作品でしたが、もう一度初めから短時間で読みたいとおもいます。(千年シリーズ最終作と書いてあるくせにこれから読んでしまったから混乱しているのかな…?と思ったり(笑))

    なぜ星4つかというと、
    単純に「意味がわからない」ではなく「複雑なパラドックスで出来上がっていて理解に苦しむ。けれど、理解したい、もう一度読んでみよう」という意欲を掻き立てる作品だとおもったからです。

    哲学や真理について考えることが好きな人にはオススメしたいですが、サラッと読める本が好きな方にはオススメできません、かなり理屈っぽいお話なので。。。

  • 百年シリーズ完結篇にして、もっとも難解な一冊。
    前2冊の登場人物はでてこない。……本当か?
    カオスがいつのまにか収斂していく。観測するから世界は
    成り立つ。なら、その観測者および外界は誰が作ったのか?
    神なのか?迷子になりながら観測者の立場で読了。

  • 百年シリーズの三冊目だが、百年シリーズとWシリーズの先にある物語じゃないかと思う。「私たちは生きているのか?」にあったハギリのモノローグ、「人間は、いつか人間に決別することになるだろう。」正に人間に決別した後が本書の世界。
    「私たちは生きているのか?」の仮想空間はあまり魅力を感じなかったが、いつか我々の意識や感覚が電脳空間に移転したら本書のような自分と他者の区別が判らなくなるんじゃないだろうか。
    しばらく間に読んだ哲学入門や森先生の著作から、僕が求めていたビジョンが本書の世界かなと思う。でも、この世界観を思考では納得するんだが、心からこの世界観を希求するかというと、どうだろう。

    途中、自己と他者の区別や夢と現実の間合いが判らなくなる箇所は筒井康隆を連想した。でも、もっとリアルティがあって、もっと判らないことだらけだった。
    人形とか端末とは何だろう。操っている者がいるのか。操れるのか。
    Wシリーズでもトランスファーがウォーカロンを綾っていたし、百年シリーズでも分離した頭脳が肉体を制御していた。一貫した感覚があると思うけど、森先生の作品に慣れていないと、この本は辛いかも知れない。

  • 解説者冬木糸一氏の『何がなんだかわからないが、すげえ』に激しく同意。

    この人のサイト、気になる。。


    前作、前々作のミチルが登場しないのだが、
    人の意識がその個体にある=私たちのような状態 ではなく
    別の意識によって体が動いたり、 他の人の体に自分の意識が入っていたり、、、 というあたり、前作の女王の実験によるものだろうか。。。
    そこでかろうじて同じ世界観、という事は分かるのだが。。

    本作、コミカライズされるそうである。
    という事は咀嚼しきれたのか、作画担当者。。凄い。。

    ミチルの短い単語の羅列も難解だったが、理論詰で説明されても難しい。作者、凄いなぁ。。

    冬木氏曰く、『折にふれて読み返しているうちに、意味が分るとはとても言えないが、その内容が実に馴染むようになってきた。端的に言えば、とても心地よい作品だ。』との事。『凡人の身としては、振り落とされないように必死にしがみついていく』そうで、
    再読する機会があれば、積極的にいこうと思う。。

    Wシリーズも読んでみようか。。。

  • 2016/11/23
    自分という平面、むしろ全人類の視点を含んだ平面上の皺としてとらえる。死んだ瞬間人は別の時空の誰かになって、それが何度も繰り返されてこの世の今までのすべての人になった。だから覚えている。
    人間、とは言っているけど大分電脳化が進んでいる世界だと思う。言うならWシリーズの子供が生まれない問題が問題として出る前(ここらへん忘れてる)。他人の視点にアクセスする権限が与えられた瞳の色の人たちが操り手なのかと。
    自分自身が自分自身で在り続ける意味、肉体を持つ意味もないのかもしれない。そんな経験がないから肉体に執着するのだろうか?

  • 百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!

    霧の早朝、私と鮭川は声を持たない聡明な赤目姫と三人でボートに乗っていた。目指す屋敷で、チベットで、ナイアガラで。これは幻想小説かSFか? 百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!

  • 視点がコロコロかわって面白い。

    「自分の予測に沿うものを、科学者は無意識に好む」自分は科学者じゃないけど、同感。

    物事や考え方の揺らぎは分かるけど、自分の視点を通しての揺らぎの発想はなかったから面白かった。

    人形と人間の話。
    今の科学で生きてる事を証明できないけど、この話のつなげ方面白いと思う。

  • 物語が難解すぎて、もはや小説ではなくて哲学書かなにかではないかと思うほど。
    とにかく、理解しながら読もうと思うと頭が混乱するので、逆にさらりと読むのが正解かも。

    読んでいてこんなに混乱したのは、「ドグラ・マグラ」以来。
    読み始めはなかなか良かったんだけど、だんだん意味が分からなくなってくる。

    A,B,Cとう人物が三人で会話をしていて、最初はAの主観で物語が語られているのに、それがいつの間にかAを眺めるBの視点に切り替わったり。

    それなのにCはBをAと呼んだり、そうこうしているうちにいつの間にかBだと思っていた人物が容姿も思考も全てAに代わっていたり。

    大筋はね、大体は分かるんだけどね。

    人間は肉体世界と精神世界が別もので、自我は精神世界のものだから、入れ物としての肉体は可変である。みたいな。

    対照物は精神世界の主観が認識することによって成り立つので、認識しなければそれは事実ではないし、それが真実だと思えばたとえ犬でも驢馬になれる。みたいな。

    とにかく読みにくかった笑

    でも、久々に哲学的世界に入り浸れたって意味では読んだ価値があると思う。

    なんか自分が三割くらい頭良くなった感じがするのは、いつもの森ミステリーか。
    難解な本が読みたければ、おすすめします!

  • 百年シリーズの順番を考えずに最初に読んだせいか、森さんの作品にある程度親しんできた自分でも内容があまりに概念的過ぎて全くついていけなかった。
    久しぶりに最後まで読むのが厳しかったです。

  • 再読だけど、全く覚えてなかった。
    こういう世界観大好き...
    シュミレーション仮説って言われているものかなぁと想像した。ウェイキングライフっていう映画も思い出した。まぁ完全に理解するのは無理でしょう。でもなんか好き、すごく好き。ぐるぐるふわふわして美しい最高の読書体験でした。

  • 220706*読了
    不思議すぎる小説。
    こんな読書体験はしたことがないかもしれない。
    理解が及ばない。理解しようと思っても、全てを理解できない。
    でも、それすら心地よくて世界にどっぷりと浸ってしまう。
    これが森博嗣マジック…。
    こうやって思考の海に溺れさせてくれるところも、私が森博嗣さんの小説を溺愛する理由です。

    百年シリーズなのにミチルもロイディも出てこず、違う登場人物達によって展開される。
    ただ、通ずる部分もある。
    そしてWシリーズと関連しているところも。
    Wシリーズの前に読みたかった!とも思うけれど、Wシリーズを全て読んだ今だからこそ、繋がっていると感じる部分もあったし、これはこれでよかった。

    よく分からない、本当に不思議な小説で、こんな手法すらありなのか!と驚くばかりなのだけれど、読み終わった後、とても好きだと感じる。
    他にない小説。唯一無二です。

  • 医者の篠柴と小説家の鮭川が謎めいた美女・赤目姫ととも屋敷を目指す物語から、次第に視点が時空を行き来していき、幻想的な物語へと変化していきます。

    百年シリーズ第3作にして最終作。前作とがらりと変わって幻想的な物語。この物語の真意は、次のシリーズを読むことで理解できるのかもしれません。

  • 何度目かの再読。百年シリーズの第三弾にして最終作。この小説は何度読んでもわからないとしか言いようがない。それでも読み返したくなる不思議さが存在する。これは過去か?未来か?それとも今か?夢か?現実なのか?もしくは幻?観測するたびに形を変えていく、それが森ミステリィの特異点。Wシリーズとも通じる話も展開されるがそれも小事。きっとまた読み返したくなる時がいつかくるだろう。その時にもこの酩酊感を味わえたらいいと願う。

  • 前衛小説。構造上、キャラの魅力やユーモアのある掛け合い、派手なトリックのようなエンターテイメントはほとんど含まれない。


  • 「弾性って、英語だと?」
    「エラスティック」
    「そうか、なんとも偉そうな響きじゃないか」
    第3章 より

    無となることなど絶対にない。むしろ無を恐れるが故に、無用なデータまで貪欲に取り込み、概念をむやみに構築し続け、それらの破壊をまた極度に恐れるといった悪循環に陥る。この作用によって新たな理解を拒絶するメカニズムが完成する。
    第4章 より

    人間の心を持っていたら、人を襲ったりしないかもしれないし、いえ、持っているからこそ、人間に戻りたいという一心で人を襲うのかもしれないし

    そうなの。どこまでの話かっていうのが、いつも一番難しくて大切なの。どこまでが認めなくてはいけない現実で、どこからは想像、それとも仮定の話なのか。
    第6章 より

    だから、すべてを仮想空間にしてしまったとたんに、もう自然なのか人工なのか、偶然なのか意図なのか、その境界どころか、違和感さえ消えてしまうんだ
    第9章 より


    シリーズ最終作は遥かナナメ上。最初は人称の形式を破壊しようとしているのかと思えるくらい歪なシークエンスと不確かな「私」。登場人物表はもちろんなし。何かで見ましたが(もしかしたら変わっているかもしれませんが)著者が一番気に入っている作品だそうです。
    刊行は2013年。ZOKUでも思いましたが、以前はあえて使っていなかった固有名詞の引用も多かったように思えます。
    想起したのは、HBOの『Westworld』の自我を持ち始めたAI。それから『攻殻機動隊』シリーズの電脳化、義体化が当たり前になったあの世界観。そういえば映画の1作目は人形使いが出てきましたし、脳や記憶をジャックする描写もありました。
    いつかは機械が(人形が?)人間になる。はるか未来を予見するかのような設定は非常に新鮮でした。葛藤の向こう側を当然のように描かれている点に痺れます。

    解説でも述べられていましたが、以前と同じキャラクターが登場するようなシリーズの続編ではなく、舞台設定や世界観を踏襲した過去編という位置付けだと思いました。
    またぶつ切りに移り変わっていく思考は時間に縛られていないような印象を持ちました。人の持つ肉体、身体から解き放たれることは時間を超越することも示唆しているのかもしれません。

  • 難しい!
    再読して少しでも理解したいですが、脳の容量・体力的に見て無理そうなので次のキウイに進みます。

  • 非常に難解。視点が飛躍し、場面も目まぐるしく移り変わるのでストーリーの説明、要約が不可能。

    百年シリーズだが、どうやらミチルは登場せず、ロイディは犬となっている。意味がわからない。青目黒髪の登場人物は真賀田四季だろうが、他は?
    マガタが作ったバーチャル世界なのだろうか?ウォーカロンの普及具合から見ても少なくともWシリーズよりも前の時間軸だと思われる。

  • 一気に話が飛んだ気がして、ミチルとロイデイは…?一応犬の名前でロイデイが出てきたけれど…
    謎が多かった。
    百年シリーズはこれで終わりなんだよな…

  • 潮解。意識が溶けて混ざりあっていく話。

  • ここで語られる自由な思考という概念と、荘子が胡蝶の夢で表現する精神(存在)のあり方とは繋がってくるのだろう。
    個としての存在を保ちながら、いかに全と繋がれるか?いや、本来であれば躰という縛りから解き放たれれば、それは可能なはずだとするメッセージが感じられる。
    人の幸福を個というレベルで考えるのか種というレベルで考えるのかにも繋がってくるか。


  • 百年シリーズ3弾。が、時代も含め直接的なつながりが不明瞭なふわっとした感じの小説。時代医者篠芝、小説家鮭川、喋れない謎めいた美女赤目姫、マタイ、緑目王子、その父、シンディなど次々と意識が同調し追体験していく。人間とは的な話。人間は端末であり思考は信号、そんな解釈も。「貴方は誰ですか?」「そうね、私は、貴女以外の者です。でも、それも正確ではない。私は、貴女でもあるかもしれない。私は、この世界かもしれない」。。「人形劇は、まだ続いている」

  • 百年シリーズ最終作。
    私と鮭川、赤目姫がボートに乗って屋敷をめざします。
    屋敷でのできごと、チベット、ナイアガラのできごと。
    場面が変わり、登場人物が変わり、意識は混線し、視点は行き来していきます。
    自分は誰なのか?
    ミステリかSFか、幻想小説か。
    巻末で解説者が「何がなんだかわからないが、すげえ」と、読後感を書いているのが分かります。

  • 再読。空を仰ぐと隅々まで明るい空間のそのむこうから、巨大な目がこちらを覗きこむのではないかと、そんなことを考える瞬間がある。その目はきっと赤くて、何の感情も浮かべず、ただわたしたちを眺めている。子どものころの人形遊び。わたしにとって、その玩具たちが見あげていた持ち主に等しい存在が、天の彼方にいるのかもしれない。わたしたちの「所有者」。その存在は、幼い日のわたしのように、俯瞰する駒としてわたしたちを動かしている。そこにいるのは神なのか、それとも神になりたかった誰かなのか。名前は記号、肉体は容器、記憶は虚構。

  • 嫌いじゃない。でもさっぱり分からない!
    そもそも、気づけば読むのに1年弱かかってた…から、前半の内容をあんまり覚えてないまま読了…。
    いつかもう一度ちゃんと読む。そのときは100年シリーズ最初から読み返したいな。

    あと、Gシリーズ、Xシリーズどちらも途中で止まったままなので、やっぱり読みたい!そんでウォーカロンがいる世界らしいWシリーズ読みたい!!解説の人ありがとう!!

  • 物語の筋らしい筋やドラマチックさからは究極的に遠い話だった。哲学と幻想とSF、私と人形、意識と生きていること死んでいること。
     率直に言うと、つまらなかった。今は多分、精神的な余裕もさほどないので、こういう話を楽しめる状況ではないせいかもしれないし、もしくはストレートに好みじゃないだけか。表現は好きで、やっぱりこの人の文章が好きだ、とは思えたが。

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著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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