赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE (講談社文庫)
- 講談社 (2016年7月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062934435
作品紹介・あらすじ
霧の早朝、私と鮭川は声を持たない聡明な赤目姫と三人でボートに乗っていた。目指す屋敷で、チベットで、ナイアガラで。私たちの意識は混線し、視点は時空を行き来し、やがて自分が誰なのかもわからなくなっていく--。これは幻想小説かSFか? 百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!
感想・レビュー・書評
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四季の創った壮大な仕組みなんだろうな、と思いながら読みました。人間は人形型の端末に置き換えられ、それを外から観察してる存在がいる?この理解で合ってる?とにかく難しい。。。
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ミチルとロイディにまた会えるぞ!と意気揚々と読みだしたら、鮭川とか知らない名前がたくさん出てきて、なんだか時代もそこまで未来ではないようだし…あれ?間違えたのかな?としばし途方に暮れながら読み進めました。
そして、まあ、これはこれで面白いかも…とストーリーに入り込んだあたりで、だんだんと「自分」が混在する内容になり、今度は違う意味で途方に暮れました。
この「私」は一体、今は誰のことを言っているんだろう。そもそも、これだけの人数は存在しているんだろうか?脳内での会話とかじゃなくて??
小説って、連鎖的というか、ビビっときたシーンを取り出すことはできても、そこだけではその衝撃は伝えられなくて、そこまでに至るすべての言葉に意味があるような。そういう意味では、まるで音楽のようだと思います。
理由は説明できないけれど、とにかく背筋がぞくっとする、なぜかは自分でもわからないけれど、ふいに涙が出てくる。本を閉じたくなる。目を閉じて、今自分が感じている、名前をつけられない、手にすることもできない、目で見ることもかなわないなにかを、大事にしたい。一瞬で消えてしまうとわかっていても、その残り香を覚えていられるようにしたい。そういう気持ちになることが、もしかしたら「感動」というのかもしれません。
ネタバレになるようなことすら書けないくらい初読では難解な内容で、それっぽく理解したり解釈したりすることがもったいなく思えるほど。何度か読んで、ゆっくりと咀嚼して、じっくりと向き合いたくなる本です。
読んでいる間、何度も、そういえば数年前まで引退するって言ってたっけ。引退することをやめてくれて、私はなんて幸運なのだろう、と思っていました。たとえ理解できなくても、森博嗣という才能と同時期に生きていられて、とても幸福だと感じます。 -
この世界の真理のようなものを哲学的かつ理論的な考察を用いて描いているSF作品です。
読み終わり一言で言うと、「意味がわからない、混乱する」という感想になりました。
でも、とても世界観の描写と表現が綺麗で情景が鮮明に思い描くことができます。色の描写がとても綺麗です。世界がコロコロと変わっていくはずなのに情景はすんなりと想像できました。
私にはまず意味がわからない、理解するのがとても難しい作品でしたが、もう一度初めから短時間で読みたいとおもいます。(千年シリーズ最終作と書いてあるくせにこれから読んでしまったから混乱しているのかな…?と思ったり(笑))
なぜ星4つかというと、
単純に「意味がわからない」ではなく「複雑なパラドックスで出来上がっていて理解に苦しむ。けれど、理解したい、もう一度読んでみよう」という意欲を掻き立てる作品だとおもったからです。
哲学や真理について考えることが好きな人にはオススメしたいですが、サラッと読める本が好きな方にはオススメできません、かなり理屈っぽいお話なので。。。 -
百年シリーズ完結篇にして、もっとも難解な一冊。
前2冊の登場人物はでてこない。……本当か?
カオスがいつのまにか収斂していく。観測するから世界は
成り立つ。なら、その観測者および外界は誰が作ったのか?
神なのか?迷子になりながら観測者の立場で読了。 -
百年シリーズの三冊目だが、百年シリーズとWシリーズの先にある物語じゃないかと思う。「私たちは生きているのか?」にあったハギリのモノローグ、「人間は、いつか人間に決別することになるだろう。」正に人間に決別した後が本書の世界。
「私たちは生きているのか?」の仮想空間はあまり魅力を感じなかったが、いつか我々の意識や感覚が電脳空間に移転したら本書のような自分と他者の区別が判らなくなるんじゃないだろうか。
しばらく間に読んだ哲学入門や森先生の著作から、僕が求めていたビジョンが本書の世界かなと思う。でも、この世界観を思考では納得するんだが、心からこの世界観を希求するかというと、どうだろう。
途中、自己と他者の区別や夢と現実の間合いが判らなくなる箇所は筒井康隆を連想した。でも、もっとリアルティがあって、もっと判らないことだらけだった。
人形とか端末とは何だろう。操っている者がいるのか。操れるのか。
Wシリーズでもトランスファーがウォーカロンを綾っていたし、百年シリーズでも分離した頭脳が肉体を制御していた。一貫した感覚があると思うけど、森先生の作品に慣れていないと、この本は辛いかも知れない。 -
百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!
霧の早朝、私と鮭川は声を持たない聡明な赤目姫と三人でボートに乗っていた。目指す屋敷で、チベットで、ナイアガラで。これは幻想小説かSFか? 百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作! -
物語が難解すぎて、もはや小説ではなくて哲学書かなにかではないかと思うほど。
とにかく、理解しながら読もうと思うと頭が混乱するので、逆にさらりと読むのが正解かも。
読んでいてこんなに混乱したのは、「ドグラ・マグラ」以来。
読み始めはなかなか良かったんだけど、だんだん意味が分からなくなってくる。
A,B,Cとう人物が三人で会話をしていて、最初はAの主観で物語が語られているのに、それがいつの間にかAを眺めるBの視点に切り替わったり。
それなのにCはBをAと呼んだり、そうこうしているうちにいつの間にかBだと思っていた人物が容姿も思考も全てAに代わっていたり。
大筋はね、大体は分かるんだけどね。
人間は肉体世界と精神世界が別もので、自我は精神世界のものだから、入れ物としての肉体は可変である。みたいな。
対照物は精神世界の主観が認識することによって成り立つので、認識しなければそれは事実ではないし、それが真実だと思えばたとえ犬でも驢馬になれる。みたいな。
とにかく読みにくかった笑
でも、久々に哲学的世界に入り浸れたって意味では読んだ価値があると思う。
なんか自分が三割くらい頭良くなった感じがするのは、いつもの森ミステリーか。
難解な本が読みたければ、おすすめします! -
百年シリーズの順番を考えずに最初に読んだせいか、森さんの作品にある程度親しんできた自分でも内容があまりに概念的過ぎて全くついていけなかった。
久しぶりに最後まで読むのが厳しかったです。 -
再読だけど、全く覚えてなかった。
こういう世界観大好き...
シュミレーション仮説って言われているものかなぁと想像した。ウェイキングライフっていう映画も思い出した。まぁ完全に理解するのは無理でしょう。でもなんか好き、すごく好き。ぐるぐるふわふわして美しい最高の読書体験でした。 -
220706*読了
不思議すぎる小説。
こんな読書体験はしたことがないかもしれない。
理解が及ばない。理解しようと思っても、全てを理解できない。
でも、それすら心地よくて世界にどっぷりと浸ってしまう。
これが森博嗣マジック…。
こうやって思考の海に溺れさせてくれるところも、私が森博嗣さんの小説を溺愛する理由です。
百年シリーズなのにミチルもロイディも出てこず、違う登場人物達によって展開される。
ただ、通ずる部分もある。
そしてWシリーズと関連しているところも。
Wシリーズの前に読みたかった!とも思うけれど、Wシリーズを全て読んだ今だからこそ、繋がっていると感じる部分もあったし、これはこれでよかった。
よく分からない、本当に不思議な小説で、こんな手法すらありなのか!と驚くばかりなのだけれど、読み終わった後、とても好きだと感じる。
他にない小説。唯一無二です。 -
医者の篠柴と小説家の鮭川が謎めいた美女・赤目姫ととも屋敷を目指す物語から、次第に視点が時空を行き来していき、幻想的な物語へと変化していきます。
百年シリーズ第3作にして最終作。前作とがらりと変わって幻想的な物語。この物語の真意は、次のシリーズを読むことで理解できるのかもしれません。 -
何度目かの再読。百年シリーズの第三弾にして最終作。この小説は何度読んでもわからないとしか言いようがない。それでも読み返したくなる不思議さが存在する。これは過去か?未来か?それとも今か?夢か?現実なのか?もしくは幻?観測するたびに形を変えていく、それが森ミステリィの特異点。Wシリーズとも通じる話も展開されるがそれも小事。きっとまた読み返したくなる時がいつかくるだろう。その時にもこの酩酊感を味わえたらいいと願う。
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前衛小説。構造上、キャラの魅力やユーモアのある掛け合い、派手なトリックのようなエンターテイメントはほとんど含まれない。
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難しい!
再読して少しでも理解したいですが、脳の容量・体力的に見て無理そうなので次のキウイに進みます。 -
潮解。意識が溶けて混ざりあっていく話。
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ここで語られる自由な思考という概念と、荘子が胡蝶の夢で表現する精神(存在)のあり方とは繋がってくるのだろう。
個としての存在を保ちながら、いかに全と繋がれるか?いや、本来であれば躰という縛りから解き放たれれば、それは可能なはずだとするメッセージが感じられる。
人の幸福を個というレベルで考えるのか種というレベルで考えるのかにも繋がってくるか。 -
百年シリーズ最終作。
私と鮭川、赤目姫がボートに乗って屋敷をめざします。
屋敷でのできごと、チベット、ナイアガラのできごと。
場面が変わり、登場人物が変わり、意識は混線し、視点は行き来していきます。
自分は誰なのか?
ミステリかSFか、幻想小説か。
巻末で解説者が「何がなんだかわからないが、すげえ」と、読後感を書いているのが分かります。 -
再読。空を仰ぐと隅々まで明るい空間のそのむこうから、巨大な目がこちらを覗きこむのではないかと、そんなことを考える瞬間がある。その目はきっと赤くて、何の感情も浮かべず、ただわたしたちを眺めている。子どものころの人形遊び。わたしにとって、その玩具たちが見あげていた持ち主に等しい存在が、天の彼方にいるのかもしれない。わたしたちの「所有者」。その存在は、幼い日のわたしのように、俯瞰する駒としてわたしたちを動かしている。そこにいるのは神なのか、それとも神になりたかった誰かなのか。名前は記号、肉体は容器、記憶は虚構。
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嫌いじゃない。でもさっぱり分からない!
そもそも、気づけば読むのに1年弱かかってた…から、前半の内容をあんまり覚えてないまま読了…。
いつかもう一度ちゃんと読む。そのときは100年シリーズ最初から読み返したいな。
あと、Gシリーズ、Xシリーズどちらも途中で止まったままなので、やっぱり読みたい!そんでウォーカロンがいる世界らしいWシリーズ読みたい!!解説の人ありがとう!!