献灯使 (講談社文庫)

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  • 講談社
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レビュー : 62
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062937283

作品紹介・あらすじ

大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本。老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない。義郎は身体が弱い曾孫の無名が心配でならない。無名は「献灯使」として日本から旅立つ運命に。
大きな反響を呼んだ表題作のほか、震災後文学の頂点とも言える全5編を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 「このところ、ずっと地球の裏側の日本国の未来の夢を見る。試しに、毎日30分微睡むと決めてその間に見たものや会話を起きて2時間かけてメモしていったら、こんな小説になってしまった。」

    という、作者のエッセイを「想像」してしまった。ドイツ在住の作者が書いた、日本の不思議な近未来小説。例えば、こんな一節を読んだからだ。

    「オレンジは沖縄でとれるんでしょ」と一口飲んでから無名が訊く。
    「そうだよ。」
    「沖縄より南でもとれる?」
    義郎は唾を呑んだ。
    「さあ、どうだろうね。知らない。」
    「どうして知らないの?」
    「鎖国しているからだ。」
    「どうして?」
    「どの国も大変な問題を抱えているんで、一つの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそれぞれの問題を自分の内部で解決することに決まったんだ。前に昭和平成資料館に連れて行ってやったことがあっただろう。部屋が一つづつ鉄の扉で仕切られていて、たとえある部屋が燃えても、隣の部屋は燃えないようになっていただろう。」
    「その方がいいの?」
    「いいかどうかはわからない。でも鎖国していれば、少なくとも、日本の企業が他の国の貧しさを利用して儲ける危険は減るだろう。それから外国の企業が日本の危機を利用して儲ける危険も減ると思う。」
    無名は分かったような、分からなかったような顔をしていた。義郎は自分が鎖国政策に賛成していないことを曾孫にははっきり言わないようにしていた。(53p)

    私は何時か義郎になっていて、いるはずのない曾孫に、何時かこのように微妙に嘘をつくようになっていた「夢」を見たことがあったのでは無いか?という気がして来る。

    ここに出て来る、様々な時々鮮明に浮かび上がる「日本」は、よく考えれば矛盾もたくさんある。こんな鎖国政策、現実に可能とは思えない。でも‥

    こんなお正月番組を見た。2018年の現代の若者が1970年代の小学生の名札に保護者の住所や電話番号まで書いていたの見てを「ウソ!あり得ない!」と驚くのである。個人情報丸わかりで大いに危険だというのだ。えっ?貴方もそう感じるのか?迷子になったら近所の人が送ってくれたり連絡してくれることを期待して、名札には出来るだけ詳しいことを書くのが当たり前じゃないか。そうではないかね。いやはや。あれから30年以上も経ったんだねえ。と私などは思ってしまう。同じようなことが、これからの30年後に起こらないとは、誰も言えない。

    義郎という、我々の世代を代表するような名前のヲトコは、今や百八歳になった時に、無名がいない時に、やっと独り政府に悪態をついたらしい。そんなことも、私は知っている。もしかしたら、予知夢だったのかもしれない。

    2019年1月読了

    追記。この短編集は、全米翻訳文学部門で図書賞を貰ったらしい。読んだ人は同感してくれると確信するけど、この日本語の言葉遊びのような文学が、どのように英語に翻訳出来るのか?これだけは、夢でも想像(創造)できそうにない。

  • 多和田さんの描く震災後文学は一味違う。
    大災厄に見舞われた後「鎖国」状態になった日本。
    世界から孤立してしまった島国・日本は外来語もネットも自動車もなくなり、まるで時代が後退してしまったかのよう。
    老人は「死」を奪われ意思に反して生き続けねばならず、一方の若者は病気と死の恐怖に怯え老人に介護してもらう始末。
    長寿社会と少子化が進む現代の日本の未来を予感させる内容に怖くなった。

    「野原でピクニックしたいって、曾孫はいつも言っていたんだよ。そんなささやかな夢さえ叶えてやれないのは、誰のせいだ、何のせいだ、汚染されているんだよ、野の草は」
    自分は死にたくても死ねず、のびのびと元気に長生きさせたい曾孫の死に怯える老人の悲痛な叫びが聴こえてくる。

    多和田さん特有の言葉遊びが沢山出て来てとにかく面白いし、物語の内容も我々の未来を予想するかのようなものでのめり込む。
    今回は漢字を巧みに遣った言葉遊びが多く、これを英訳するのは相当難しいだろう。
    どんな英訳なのか、またアメリカ人がどのような感想を持ったのか、言葉遊びの意味がどこまで伝わったのか、とても興味深い。

  • 単語レベルで無駄な表現が1つだってない。なんというかさすがの言葉の密度。パワーがすごい。そして日本語特有の湿度が作品全体に充満している。
    いわゆるディストピア文学ってやつで、そう遠くない未来のこうなるかもしれない日本と日本人が描かれているんだけど、私のチンケな想像力では到底思いつかないような設定と奇妙な当て字で書かれた名詞たちで展開されていくので一筋縄ではいかず、全く先が読めない。でも読み進めるうちにそれらが案外トンデモ論でもないように思えてくる。
    終始退廃的なムードが作品を支配しているはずなのに、作家の批判性みたいなものを私はそこまで強く感じなかった。逆に淡々とした表現で読み手一人一人の価値観や思想を「それって本当にそうなのでしょうか。」と問われているような気がした。例えば「祖父」や「子供」、「女性」という言葉で括られる人たちの性質であったり役割であったりを根本から問われるような。
    読み終えると自分の中の凝り固まった固定観念が壊されて、今の日本の社会が抱えるセンシティブで複雑な問題たちにフラットな目を向けられるような気がする。

  • 「原発事故」後の日本を描いたディストピア小説として、自分が読んだ中では今の所、一番おぞましい……。

    曾祖父は100歳を超えても死ねず、小学生の曾孫、無名の「介護」に勤しむ。
    「介護」としたのは、トーストを食べるだけで口内を血に染めたり、オレンジジュース飲むだけで必死だったり、乳歯がボロボロと欠けていく無名を何とか生かしたいと思うおじいちゃん心を、孫の世話、と軽い言葉で置くのもなんだかな、と思って。

    都心部には最早住む者もなくなり、果ては日本自体が鎖国をし、外来語も変容した日本。
    その中に在って、学校でも、子供たちが怪我のないようゆっくりとじゃれ合う様子や、男女共同トイレなんかを目の当たりにすると、鳥肌が立つ。
    彼らは本当に「人間」なんだろうか。
    こういう問いはタブーだろうけど、自分と重ね合わせることがどうにも出来なくて、気味が悪かった。

    どんな形でも生きてくれさえすれば、というのは、問いになる台詞だと思う。
    原発事故だけでなく、様々な事件や事故に触れて、この台詞は問われ、考えられてきた。

    ただただ、苦しい。

  • 東日本大震災が起きる直前の、2010年の夏は、とても暑かった。2009年の夏も暑かったけど、2010年の夏の暑さは異常だった。本当に毎日、夜遅くまで、休みなく暑かった。コンビニで棚卸をしていると、真っ黒に日焼けをしてぐっしょりになった作業服のおじさんが、「ガリガリくん、無い?」と言って空になったアイスケースを見ていた。そんな2010年の夏を、「人生でいちばん涼しい夏だった」と村上春樹が言ったのを知って、それは震災前に言ったんだけど、まるで震災直後に言ったかのように、嫌悪した。その嫌悪は、大災害前夜に生まれたので、私の中で固まって、溶けることがない。

    多和田葉子さんの文章は、今回も楽しく、無名は魅力的に描かれている。無名が献灯使となって、世界を旅することができたら、それはそれは楽しい冒険譚になりそうだ。でも、たぶんそれはかなわない。無名は、献灯使になることは出来ずに死ぬだろう。私は、忘れかけている。震災後の、壊れた信号や、ストーブのご飯や、スタンドの渋滞や、節電の街や、崩れた塀や、テレビの木支里予やシーベルトや、妹と連絡が取れずに静かになって便秘になった母や、パンとコーヒーしか口にしない親戚と東北に行ったことや、琵琶湖で左に曲がった友人を。

    夜中に、思い出そう。

  • 3・11以降の日本を極端に描いたディストピア小説。短編集であるが、表題の『献灯使』が半分以上を占めている。
    『献灯使』で描かれる世界は、老人は死なず、子供はしっかりと成長できない謎の状況に汚染された日本。鎖国された日本。世界から取り残された日本。しかし、そのような状況でもそれを受け入れて日々を生きる人たち。地獄のような状況ではあっても、それを淡々と生きる人々。
    非常に抽象的な言葉が綴られるが、言葉一つ一つの意味が深く、重く、そして美しい。

  • 面白かったです。
    多和田葉子さんは初めて読みましたが、不思議な世界でした。
    お話が進むにつれ、大震災、鎖国、政府の民営化、元気なお年寄りと弱い子どもなどと大きく変容した日本のことがわかってくるのですが、描写にリアリティーがありました。
    滅びつつある世界、それから人類が滅んでしまった世界…寓話のように感じてしまいます。
    改めて、ディストピア文学好きだ、と思いました。
    するする読めるのですが噛み砕くのにはまだまだ時間がかかりそうです。何度も読みたい。
    平成最後の読書でした。

  •  3.11の後にもう一回大厄災が起き、放射能の影響でまともに人も住めず人々の体にも多大な影響が出て、鎖国状態となった日本の話。
     帯には「ディストピア小説の傑作」とあり、なるほどディストピア感はある。ディストピアに触れていつも思うのは、まぁこれはこれでひとつの主義に立った世界観なんだし、別にそこまで悪いとは感じないな……というもの。斜に構えているつもりはない。きっと、自分が現実を楽しめていないだけなのだろう。
     厄災の影響で、死ぬことができなくなった100歳越の曽祖父「義郎」に育てられる曾孫の「無名」は、体が非常に弱くてジュースを飲むだけで15分もかかる。多分寿命も短い。老人ばかり丈夫で、生まれてくる子どもは厄災の影響でみんなこなのだそうだ。
     最初読んでいるうちは、無名のことが可哀想だと思うこともなく、生まれた時からこうなのだから、別にいいじゃないかと思っていた。しかし、本当に辛い思いをしながら曾孫を育てる義郎の辛さ悲しさは想像してあまりあるもの。
     日本全体に、後の世代に対する申し訳なさがあるらしく、こどもの日は子供に謝る日になっている。「子ども」が「子供」に変わってる芸が細かい。子どもの権利とか主体性とか、そういうものを尊び「供」をひらがな表記にするのはわかるけど、きっとその行き過ぎた個人主義的発想は、後の世代を育てるという当たり前の責任から目を背ける行為と表裏一体だったのではないか……というのは、考えすぎだろうか。

     無名は、悲しんだり絶望したりする発想がない。胸を痛める悲しみがあっても、世界の事情を無意識に察知し、その痛みを解放してしまう。それは当の本人からすればそれが当たり前なのだから悪いこととは言えないかもしれない。不足を感じること、進歩を求めること自体が近代的な発想なのだから、別にそれに与する道理はない。どうせ、地上は汚染され信用も発生せず、資本主義が崩壊した世界なのだから。
     でも、義郎は自分の曾孫の陥った状況を、自分のこと(原発事故が自分たちの世代の責任だと捉えている人がどのくらいいるだろうか)のように責め、同時にそうした世界に怒りを覚えている。曾孫のためになにかしていないと、涙が止まらなくなってしまう。曾孫が不幸でないのならば、彼はどうして涙を流すのか。曾孫はやっぱり不幸なのだろうか。
     ひとは自分たちの幸せのために一所懸命になれるけれど、それに伴う責任……自己の人生に対する責任だけでなく、次の世代に対する責任から、あまりにも目を逸らしてきたのかもしれないなと思った。

  • 多和田葉子さんが翻訳部門で全米図書賞を受賞
    とネットで見た。多和田女史は
    私と同い年で国立市の小中学校、都立立川高校から
    早稲田大学文学部卒。
    「多摩育ち・都立72群・私立文系」
    というところが私とかなり似た経歴で
    さらに憧れのドイツの大学、大学院を卒業している。
    これは読まないわけにはいかない!というわけで
    未体験の多和田葉子ワールドに足を踏み入れた。

    標題作品「献灯使」は、
    極めて暗く重たい
    だが「さもありなん」な未来の日本。
    震災後、原発事故後の日本はすでに
    大層なデストピアになっているのだが
    住人であるあなたたちが一番気づいていないのよと
    ドイツ在住の多和田女史が教えてくれているようだ。

    正直、最初は「なんだコリャ」と思った。
    だが、郷に入っては郷に従え。
    読書の心得その1である。

    読み進むうち

    第一段階 う〜む・・・
    第二段階 おおお。そう来るか〜。
    第三段階 ほほ~なるほど〜。

    という変遷を辿り、私はすっかり
    多和田式未来日本の住人になった。
    なかなか死ねない義郎さんと
    はかない蜻蛉のような無名君が
    なんとも愛おしくなった。

    異国で文学を極める人らしく
    言葉をいじくり遊び倒し
    壊しまくり再構築する様は
    同じく言葉に関わる身としてかなり面白い。

    初期の川上弘美ワールドが好きな方には
    おすすめしたい。

  • 言葉によるVR(Virtual Reality)を感じた。真摯に選ばれ連ねられた言葉で喩え、投影される物語には、切迫しながらも乾いた現実味があって読まされる。しんどい気持ちになるも目を反らせず読み切った。

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著者プロフィール

多和田葉子(たわだ ようこ)
1960年、東京都生まれの小説家、詩人。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業後、西ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社。ハンブルク大学大学院修士課程修了。長年ドイツに暮らし日本語・ドイツ語で執筆する。著作は各国で翻訳されており、世界的に評価が高い。
’91年「かかとを失くして」で第’34回群像新人文学賞。’93年「犬婿入り」で芥川賞受賞。’96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞を授与される。’11年、『雪の練習生』で野間文芸賞、’13年、『雲をつかむ話』で読売文学賞と、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
世界的な賞も数々獲得している。2016年ドイツの文学賞「クライスト賞」を日本人として初めて受賞。そして2018年『献灯使』がアメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」翻訳文学部門を受賞している。

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