九年前の祈り (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 61
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062938273

作品紹介・あらすじ

三十五になるさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。希敏の父、カナダ人のフレデリックは希敏が一歳になる頃、美しい顔立ちだけを息子に残し、母子の前から姿を消してしまったのだ。何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった──。
九年の時を経て重なり合う二人の女性の思い。痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語。 表題作「九年前の祈り」他、四作を収録。芥川賞受賞作文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 第152回芥川賞受賞作。

    芥川賞というと、合う合わないがスパーンと訣れることが多いのだけど、この作品の重みは好き。
    いわゆるムラ社会色の強い熊本の小さな集落に、カナダ人とのハーフである息子、希敏(ケビン)を連れて出戻ってきたさなえ。
    彼女は同じ故郷に住む「みっちゃん姉」と呼ぶ、かつて共にカナダを旅した初老の女性に逢いに行こうと思い立つ。

    ともすれば、ムラ社会のしがらみを強く意識させる母と、反する生き方を選んでしまうさなえのドロドロになりそうなのに、この「みっちゃん姉」の存在が作品世界の色そのものを変える。
    まださなえが若い時分、集落の女性達が、ジャックという先達を伴ってカナダ旅行に行く。
    旅の中でさなえは、年の離れたみっちゃん姉の中にある、明るさに潜んだ哀しみを見つける。

    その時は声のかけようもない「感じ」を、巡り巡って自分の影の中に見出したとしたら。
    一概に共感とは言えない複雑な重なりの中で、だからこそ、さなえは彼女を追い求めているように見えた。

    他の話とも繋がりのある短編集。
    どの話でも、一番逢いたい人には逢えないままに筋が進んでゆく。
    逢おうと思い立ったその感情は、逢えるその瞬間までに、思い出を伴って濃いものに変化してゆく。

    そうか。逢うことだけが大切なのではないのか。
    そこに至る過程の中で、その人との距離や時間を相対化しながら、改めて自分を見つめる時間が生まれる。
    その過程を、とても快く感じた。

  • 芥川賞受賞作の表題作を含む4編が入る。連作というのか登場人物が重なる短編集。危惧したとおりでやっぱり芥川賞受賞作って何が言いたいのか、何を描いているのか読み解くのが難しかった。
     小野さんは大分県の現・佐伯市の出身で、4編ともそのあたりが舞台になっている。自分にとっての小野さんのイメージって「日曜美術館」の司会をしてたり、そのときのファッションとか見ても都会的でややクセのある人という感じだったので、大分の田舎町が舞台というのは意外な感じだった。
    巻末に芥川賞受賞時のスピーチが載っていて、そこでは小説のなかの登場人物のモデルであろう亡兄への感謝が語られていて、それがよかった。都会的なイメージ・印象の小野さんだけど大分にしっかり根っこがあるんだな、そのことを大切にしているんだろうなと感じた。

  • 小野正嗣さんは、『水に埋もれる墓』『にぎやかな湾に背負われた船』と読んで、興味のある作家となった。どの作品も郷里である大分県のリアス式海岸にある小さな集落に根ざした物語だ。一方で小野さん自身はフランスに長く住んでいてインテリのイメージがある。そのギャップに興味がわく。いまの時代はグローバル化とローカルの再発見が同時進行していると思うのだが、小野さんの小説はローカルに徹底し、血の繋がりならぬ地の繋がりを見据えた先に、人間の悲しさや愛しさが描かれている。特にこの小説は、他界したお兄さんに捧げられている。付録に収録された芥川賞のスピーチが心を打った。

  •  2014年度下半期芥川賞受賞の表題作を起点とした連作短篇集。
     小野正嗣はデビュー作から、故郷である大分県の、リアス式海岸にある過疎化が進む集落を小説の舞台にしてきた。デビュー作や三島賞受賞作では集落を〈浦〉と名付けていたので、ときおりそれらの作品群は〈浦〉サーガとも呼ばれる。本書もそのサーガの一つとして加わるのだろうが、連作短篇集全体としての完成度が相当に高く、そして何より芥川賞を射止めた『九年前の祈り』だけでも絶品と言えるだけに、サーガ等々はあまり気にしなくてもよいかもしれない。
     優れた小説はしばしば読み手の心を強く揺らすもので、恐らくその状態は感動という一語をあてるのが適当なのだろうが、これもまたしばしば起こることで、何にどう感動したのか、言い表し難い。伝えたいことは何となく分かるし、現に伝わってきたから感動しているのだが、言語化しにくい情感を持たされた小説だった。
     
     表題作で短篇というより中篇と言ってよい文量である『九年前の祈り』の主人公さなえは、上に記した大分県の海辺の集落から上京し、カナダ人と結婚し一男を儲けるものの、破局し、いわば都落ちする形で故郷の実家に身を寄せている。そして母からみっちゃん姉というさなえが慕っていた年上の女性の息子が大病に罹り、病院に入院した、との報せを聞く場面から始まる。
     この時より現在と、九年前に集落の住人達でツアー旅行したカナダのモントリオールでの回想とが、複雑な交わり方をしながら小説は進んでいく。
     さなえは両親も含めた集落の住民達に馴染めないどころか心を許していない。狭い地域で固定化され、人の出入りが少ない田舎では、プライベートはないに等しく、何もかもいつの間にか筒抜けだ。特に一度、この集落を捨てて出て行った人間であるさなえには、不寛容な言動が容赦なく浴びせられる。田舎特有の息苦しさ、無神経な住人達がリアルに描かれている。
     加えて息子である希敏(読みはケビン)は、恐らくは自閉症か何か、先天的な障害を負っており、よく発作を起こす。外界の全てを拒絶するような異様な喚き方で、それをさなえは、ひきちぎられたミミズ、という嫌悪感を喚起させる比喩で言い表すように、希敏を重荷に感じている。
     この二つの要因によってさなえが追い詰められていく心理描写は読んでいて苦しくなるほどだ。
     一方で九年前の回想にあたる部分では、案外ユーモラスな様子で進行していく。無神経な住人達も、いざ集落を離れてみれば図々しいだけの、滑稽な田舎者に過ぎない。その中で唯一、思いやりと寛容さを持っているみっちゃん姉にさなえが惹かれていくのは当然のことだが、ふと住人の一人から、みっちゃん姉の息子がどうも発達障害のような子供で苦労しているのだ、と明かされる。無神経で、何でも噂にして集落中の人々に流してしまう特性という伏線がここで活きてくる。この軽口がなければこの小説は成立しない。つまり、みっちゃん姉は現在のさなえと似た状況にあった。急速にさなえと九年前のみっちゃん姉が重なり合い出す。
     現在と九年前が、行空けなどをなされずに進んで次第に混淆していき、精神が参っているさなえに幻覚を与える。それは、息子の入院先にいるはずの、子煩悩であるはずのみっちゃん姉が、なぜか目の前におり、希敏を連れ去っていってくれるというもの。ここに来て、さなえはみっちゃん姉にほぼ同化していると言ってよい。そして、この情景はあまりにも切ない。子を捨ててしまいたいという、決して肯定できるものではないが切実である苦々しい願望が、幻想的で美しく表現されればされるほど、どうしようもない哀しみが満ちてくる。
     九年前のモントリオールの回想で、団体で地下鉄を利用する際、住人の幾人かがはぐれてしまうのだが、住人を探すうちにとある教会に辿り着き、みっちゃん姉は膝を折り、〈祈り〉の姿勢をとる。何を祈るのか、と戸惑う住人達は、はぐれた住人が見つかるよう祈ればよいとみっちゃん姉に倣って〈祈り〉を捧げる。しかしみっちゃん姉の〈祈り〉の姿だけ明らかに質が違っていた。その光景をさなえはついに鮮明に思い出す。
     このみっちゃん姉の九年前の〈祈り〉をどう捉えるか、どう受け取れるかで本作の評価がだいぶ変わってくるのではないか。
     もちろん宗教性は関係ないし、はぐれた住人など、この際どうでもよい。
     〈祈り〉を、何かを請い願うものだと見たとして、果たしてみっちゃん姉の願いは叶うのだろうか。そう、初めから分かっていることだが、たとえ懸命に〈祈り〉を捧げたからといって、必ず救いが訪れるとは限らない。願いの成就など保証しようがないし、見返りだって期待できない。何も起こらない可能性が極めて高い。それらを分かっていてもなお、みっちゃん姉は〈祈り〉を捧げているのだ。これは子を想う母の愛とするのが妥当だろうが、それだけでもない気がして、どうもピッタリと対応する言葉が見当たらない。それでも、いや、だからこそ、目を閉じ、手を組み、何事かを、誰かを、ただ一心に想うということ――〈祈り〉という行為とその姿が持つ崇高さそのものを、心がボロボロになっているさなえが九年越しに見出して、きっと希敏への接し方がよい方へ変わっていくのであろうと思えた結末に、いたく心を揺さぶられてしまった。
     
     他に短篇三つ、『ウミガメの夜』、『お見舞い』、『悪の花』を収録。幾人かの登場人物の事情や過去や背景、意外な繋がりがそれぞれ違った視点から多角的に何度も描かれることで、『九年前の祈り』で提示された世界観に奥行きが出てくる。三人称でありながら(何もかも知っている語り手のくせに)、意図的な省略やはぐらかしを多用する点は少々あざとい気がしないではないが、『悪の花』の最後も〈祈り〉が出てくるので、円環構造のような感じで、まとまりがよく、こういった辺りは技巧面が優れており、締め方としてはキレイで納得のいく物だった。

  • 初小野。芥川賞受賞作。表題作。ま、偏見だが女性が描きそうな内容に感じました。希敏は障がい者なのだろうか?そんな子を何処か憎みながら接している母・さなえ。みっちゃん姉他、おばさんたちはよう描けていましたw 他全四篇は同じ場所を舞台にした作品集のようだ。付録の文章を読み「嗚呼、だからか…」と、この何とも云えない重い気持ちの原因は。人生が生き写しのように描かれていました。

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  • 文学とは、与えるものである。

  • 芥川賞受賞作文庫化!優しさに包まれる母と子の物語 さなえは、故郷の海辺の町へと戻った。幼い息子、希敏とともに。母子の前から姿を消した父親。〈引きちぎられたミミズ〉のように大騒ぎする子を持て余しながら、さなえの胸には、九年前のあの言葉がよみがえる。

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著者プロフィール

1970年、大分県生まれ。小説家、仏語文学研究者。現在、立教大学文学部文学科文芸・思想専修教授、放送大学客員准教授。2001年、「水に埋もれる墓」で朝日新人文学賞、2002年、『にぎやかな湾に背負われた船』(朝日新聞出版)で三島由紀夫賞、2015年、『九年前の祈り』(講談社)で芥川龍之介賞受賞。エッセイ集に『浦からマグノリアの庭へ』(白水社)、訳書にV・S・ナイポール『ミゲル・ストリート』(小沢自然との共訳、岩波書店)、ポール・ニザン『アデン・アラビア』(河出書房新社)、アキール・シャルマ『ファミリー・ライフ』(新潮社)ほか多数。

「2018年 『ヨロコビ・ムカエル?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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