教誨師 (講談社文庫)

  • 講談社 (2018年4月13日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784062938679

作品紹介・あらすじ

半世紀にわたり、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた教誨師・渡邉普相。「わしが死んでから世に出して下さいの」という約束のもと、初めて語られた死刑の現場とは? 死刑制度が持つ矛盾と苦しみを一身に背負って生きた僧侶の人生を通して、死刑の内実を描いた問題作! 第1回城山三郎賞受賞。

みんなの感想まとめ

人間が人間を赦す難しさと、その重さを真正面から描いた作品です。教誨師という厳しい役割を担う渡邉普相は、死刑囚との面談を通じて彼らの心の支えとなり、時には自身の苦悩とも向き合います。死刑制度の矛盾や倫理...

感想・レビュー・書評

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  •  昨年末に柚月裕子さんの『教誨』を読んで教誨師の仕事に関心をもち、本書を手にしました。
     読後、「よくぞ本書を世に送り出してくださった!」と、著者の堀川惠子さんには敬意を表する以外にありません。
     全く知らない異世界事実の重さに、圧倒されました。50年間にわたり、死刑囚と対話し刑の執行に立ち会った教誨師・渡邉普相。本書に記されているのは、ひとりの僧侶の目に映った「生と死」、そして「教誨師としての苦悩」の告白です。

     法治国家日本の「死刑制度」への疑問は、本書を読むほどに増します(個人的に死刑反対論者を公言するものではありません)。被害者遺族の心情も大切ですが、死刑廃止により凶悪犯罪の抑止力が落ち、増加の懸念が‥などあるでしょうか?
     この問題には、死刑判決を下す司法、刑を執行する行政いずれにも高いハードルがありそうです。
     そもそも、人は人を裁けるのか、人が人に死刑を執行できるのか、更には人は人を救えるのか‥。これらは、当事者でない圧倒的多数の私たちにとっては、全くの他人事です。だからこそ、本書の価値が高く、多くの方々が読むべき必読書だと思います。

     ちなみにネット情報によると、世界的には死刑の廃止が進んでおり、(2021年現在)死刑廃止は108カ国(196カ国中)。10年以上執行がない事実上の廃止を加えると144カ国とのこと。ただ、死刑存続国は、先進38カ国加盟のOECDの中では日本のみ(※米国は50州中23州が廃止)だそうです。

     死刑制度の是非についての議論が進むことを願って止みません。

  • 教誨師(きょうかいし)とは、刑務所等の矯正施設において受刑者の育成や精神的救済を目的として行われる活動を行う者のこと。
    この本は、半世紀にわたり、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた教誨師・渡邉普相氏へのインタビューを基に構成されたルポタージュである。

    渡邉普相氏は、広島出身の浄土真宗の僧侶で、原爆の被爆者だ。晩年はアルコール依存症にも悩まされながらも教誨活動を行った。
    教誨は、通常、受刑者の社会復帰つまり「生きること」支援するが、死刑の教誨となると「死んでいく」ことを手伝うということになる。渡邉氏は時には自らの活動を死刑という「人殺し」の手伝いと蔑むようなことを言いながらも、死刑囚に寄り添いながら、その心を救済し続けた。それこそ、刑場での死刑執行のその瞬間まで。

    帯に「死刑の裏側が書かれています。」とあるが、まさしくそんな本。
    死刑制度に賛成か反対か、僕の中でもなかなか答えは出ないが、「明日は刑が執行されるかもしれない」という恐怖の中で生きていくことはそれだけで充分過酷な刑罰である気はする。死刑判決後の死刑囚の精神状態は尋常なものではないだろう。
    そして、そんな死刑囚のケアを(なんせ、心身ともに健康に死刑を受けさせなくてはならない)しなくてはならない拘置所の職員や教誨師の精神的苦痛は相当なもののはずだ。「制度がある限り誰かがやらないといけない」という強い使命感を持ってその職務を遂行している。
    そんなことも考えさせられた。

    あと、自分の生をしっかり生きようと。
    平生業成(へいぜいごうじょう)=今こそ大切

  • 50年もの間、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた教誨師・渡邉普相。「自分が死んでから世に出す事」という約束のもと、語られた死刑の現場とその内実とは。


    刑務所で服役中の囚人に対して、過ちを悔い改め徳性を養うための道を説く「教誨師」を長く務めた僧侶、渡邉普相さんの人生と告白を書いた本。
    教誨師の目を通して書かれるのは、生死に対する無力感や人殺し(=死刑)の手伝いをしながら人を救う事に対しての苦悩。どんなに徳の高い宗教者やベテランの刑務官であったとしても、彼らもまた一人の人間であり、人の死に対して達観しきっているわけではないことを実感します。

    恥ずかしながら、今まで死刑制度について、そこまで深く考えた事がありませんでした。それは、馬鹿みたいだけど、自分と周囲の善性について根拠のない自信があったからですが、そんな事を考えていたのが恥ずかしくなりました。死刑が執行されても、被害者も加害者も誰も幸せにしないと渡邉普相さんは語っていたそうです。そんなことになる前に、犯罪自体を減らす、犯罪者予備軍を減らす社会づくりを、今後は考えていかないといけないのかもしれません。

    ただ”死刑囚”、”僧侶”、”被害者”、”被害者遺族”、”加害者家族”という名称だけでなく、そこに”個”を認識してしまうと、何の疑問も持っていなかった社会システムについての重みがぐんと増して、ましてや死刑囚個人と個々に向き合う事になる教誨師ともなればなおさらその苦しみはどれほどのものなのか。
    言いたいことは色々あるのに言語化が難しくもどかしいですが、ただ、読んでよかったです。

  • 作品内に出てくる死刑が執行されても被害者も加害者も誰も幸せにならないという言葉の重さ、人間が人間を赦すということはどういうことかを考えさせられ、読んでいて何度も気持ちが押しつぶされそうになる。
    どんな人間であっても最後まで生を全うしようする。教誨師として死を待つ死刑囚を救うとはどういうことか。生と死の矛盾を感じた教誨師の苦悩。印象に残った一冊だった。

  • 約50年、
    死刑囚と対話を重ねて、
    死刑執行にも立ち会い続けた教誨師の渡邉普相。

    「わしが死んでから世に出してくださいの」
    と言う約束のもと、
    初めて語られた死刑の現場とは。

    ずっと取材を拒み続けていた渡邉さんが、
    著者にだけ話し、託したこと。

    教誨師ってキリスト教のイメージがありましたが、
    様々な宗教家が担っていらっしゃるんですね。

    渡邉さんの生い立ちや教誨師になるまでも描かれ、
    死刑囚たちと対話を繰り返す日々が描かれています。
    また、その死刑囚たちの執行にも立ち会う。
    人が死ぬ瞬間に立ち会うことは、
    とても生々しくて、重くて、圧倒されました。
    だけど、それを人に語ったり吐露することは許されない。

    自業自得もあるかもしれないけれど、
    たくさんの「たられば」に、
    ひとつも出会えなかったと言うか、
    私が日常で見過ごしていたことは、
    とても恵まれている、
    運が良かったのかもしれないと思わされました。

    私自身は仕事が忙しくて、過緊張が続いていて、
    物語の世界に入りきれないけど、
    本を読まないとストレスになるという状態で。笑

    ガザの本を読んでから、
    ノンフィクション読みたいな〜、
    でも合うかわからないからなあ…、
    それなら中古で安く買えないかな。

    とネットで探してたんですが、
    ノンフィクションて意外に送料入れると
    新品と変わらない値段が多くて。

    本書はそのなかでも手に取りやすい値段でしたが、
    新品で買ってもよかったと思うぐらいの内容でした。

  • その「たったひとり」との出会いにすら恵まれない人生を不運と片付けるのは 何ともやりきれない。
    何度も出てきたこの「たったひとり」との出会い という言葉。誰か信じられるひとや大切に思い思われるひとと どこかで出会っていたら。出会ったことに気づいていたら。

    まさに最期の時まで 教誨師として走り続けた
    篠田龍雄

    自らの身を削り 迷いながらも進み続けた
    渡邉普相

    どちらかの僧侶もまさにこれぞ宗教家。
    相手の心にそっと寄り添うあたたかさ。
    その生き様の激しさに圧倒された。

    買ってから 何度も手に取りながら なかなか読み始めることができなかった本。
    重くて心が暗くなりそうで 日常の中で少しずつ読めるかなぁと思うと なかなか思いきれず。
    新年早々読むにはなぁと思いつつ じっくり時間のあるときと
    いったら 今しかないなぁと決心。
    たしかに重い。たしかにつらい。
    でも 読み始めたら 途中でやめる事はできなかった。
    今まで たくさんの死刑に関わる本を読んできたけど 教誨師がここまで心のうちをさらけ出したのは初めて読んだ。
    正直言うと 教誨師に対して ここまで熱いものがあるとは思ってなかった。あんまりいいイメージなかったし。誤解してたかも。ごめんなさいという気持ち。

    だれも恨まずに その時を迎えられるように。
    被害者の無念さに思い至ることができるように。
    うーん そこまでの境地に至るのは難しいことだろうなぁ。
    もちろん そうなってほしいけど その道の険しさに ため息が出る。

  • 絶対読むべきです!

    『死刑反対か賛成か』
    そんな薄っぺらい言葉で語られるような、
    本ではありません。

    人間が人間を赦すということが
    どういうことか?
    読んでいて時に、
    その重さに押し潰されそうになります。

    死刑囚の重荷を一緒に背追い込んで、
    それを墓場まで持っていかなければならない
    (そんな苦痛を伴うにも関わらず、ボランティア)
    教誨師の苛烈な苦悩。

    その活動には、
    尊敬の念しかありません。

    この本によって、
    教誨師としての活動が
    もっと多くの人に認知され、
    死刑制度について沢山の人が議論する
    きっかけが生まれることを願います。

  • 長時間電車に乗る前に本屋さんでさっと選んだ本。

    加害者を罪に駆り立てた、被害者による強烈な言葉の暴力は全く罪に問われない。
    その結果、多くの死刑囚は、自分は被害者である、という気持ちを捨てきれない、、、

    私も一歩踏み外せばあちら側に行きかねないな、と実感。


    文体がちょっと臭くて私の好みではありませんでした。



  • 死刑囚に「救い」を与えることは出来ない。

    そのような結論に至ってもなお、どうにか救ってあげたい一心で死刑囚と向き合う教誨師。

    このような厳しくも尊い役割について、私たちはもっと知ろうとしなければならない。
    世界的には少数派となった死刑制度をとる日本においては特に。




  • 大変読み応えがあった。読み終えるのが惜しくて、時間をかけて読んだ。
    私はこのように、罪深い人のために尽くせるだろうかとしんから考えさせられた。
    正直、死刑囚の方々とはあまり接したくない。
    忌まわしい印象がある。
    生きていればどんな喜びもあったかもしれない被害者の人生を断ち切るという点で、殺人はあってはならないと思うからというのもある。遺族感情を思うと、死刑制度を廃止とまでは思えない。

    しかし、この本に出てくる死刑囚たちは悪人ではあるが一人の人間であり、哀れな生い立ちさえなかったら真人間であったのではと何度も思わされた。
    また、教誨師渡邊の人生にも心を抉られるような痛みを感じた。原爆で偶然が重なった末に生き残り、火傷や原爆症を患いながらも命からがら生き延びたが、途中で助けを求める被爆者を何人も見捨ててしまった。だからこそ、今度こそ見捨てないという信念で死刑囚たちと向かい合う。

    しかし渡邊自身も、人間であった。何が原因かはわからないがアルコール依存症になり、入院までする。聖人のような人間の弱い一面。
    そしてこの弱さが、死刑囚との距離を縮める。
    私は、渡邊教誨師はつくづく素晴らしいと思う。
    自分の弱さを客観的に見つめ、それを死刑囚たちに晒すのだ。もちろん、筆者にも。
    私は、カッコ悪い自分は隠したい。ましてや、自分より道徳的に劣ると感じる死刑囚には出せやしない。
    そこが、渡邊の素晴らしさ、凄みだ。

    次のくだりも好きだ。
    自殺などを防ぐため、執行の朝死刑を告げられるのが決まりだが、前日に教えてくださいと渡邊を信じて頼み込む死刑囚がいた。彼は家族に遺書を残したかったのだ。渡邊も彼の気持ちを汲み、承諾していた。しかし執行を前日に知らされたが、どうしても死刑囚を信じられず、また保身も考えて彼に告げなかった。彼の絶望やいかに。しかしこのような、きれいごとではないエピソードを余すところなく筆者にさらけ出した渡邊の人間性に、私は頭が下がった。

    私は渡邊のようにはなれないが、それでも、罪を犯した人はもとより、自分の価値観で「下」と感じる人を、自分と同じ一人の人間として見直してみよう、と思わせてくれる一冊だった。


  • 非常に興味深い本だった。
    犯罪者や犯罪心理的なものにもともと興味があったという事もあり非常に読みやすい。

    死刑については、賛成か反対かは非常に難しく結論が出せない。

    とりあげられてた各死刑囚の話は1970年代以前ということで、最近の死刑囚とは罪を犯す理由や心理的な変化はあるのだろうか?

    被害者遺族も死刑が執行されて必ずしも浮かばれるわけではないよう。
    逆に恨む相手がいなくなり、気持ちのぶつけ所がなくなるという話も聞いた事がある。
    でも、死というものに直面し反省や後悔するのも一理あるっちゃあるかとは思う。

    死刑執行の様子は知っていたがそれぞれの死刑囚がどういう状況なのかは知らなかったので、すごく印象に残った。

  • 読んでよかった。教誨師という立場の人たちがボランティアで活動していることすら知らなかった。

  • 教誨師渡邊普相は、世に出すのは1970年ごろまでの話に限ってほしいと著者に頼んだという。近しい類縁の者が存命のうちはという理由はもちろん、むしろそのころまでは拘置所にもまだいくぶん長閑さがあり死刑囚の人間味を垣間見る環境が残っていたからであろう。

    現在は、死刑囚は周囲との接点を遮断し生きる意欲をなくさせるための拘留生活を送らせるのだという。本書で触れられなかった近年の事例では渡邊氏がどんな思いを抱いていたのだろうか。

    筆者の、あともうちょっと表現してしまったらノンフィクションといえなくなるんじゃないかと思われるギリギリの豊かな文章が圧巻。何度も涙。

    P48 でもわっしね、どこかいい加減なところがある。[中略]まじめな人間に教誨師はできません。ええ務まりゃしません。突き詰めて考えておったりしたら。自分自身がおかしゅうなります。

    P64(脱獄囚の山本が)拘置所の庭に噴水を作らせてほしいと言い出した。元配管工の腕を生かして教誨面接にも屋外での運動にも参加せず独房に引きこもっている死刑囚の心をせめて慰める方法はないものかと考えた末に思いついた計画だという。

    P98 (10年間面接を重ねた二人の死刑囚の無実を確信し、その再審請求を求める運動に奔走したものもいた。一方で、先祖の悪行の因縁で無実の罪で苦しむことになっている、その因縁を甘んじて受け入れることが仏の意に沿うことになっていると再審を思いとどまらせようとする僧侶がいる。

    P150 幼いころから家や社会で虐げられ謂れのない差別や人一倍の不運にさらされて生きてきた者が。成長するにつれ自己防衛のための価値観しか持てなくなっていく。

    P158 渡邊は、ロシアの文豪が書いた小説の一説をふと思い出した。‐幸福な家庭はどこも同じだが、不幸な家庭にはそれぞれの不幸がある。

    P192 彼らの腹の中や頭の中には、雑然としていろいろの妄念妄想が蟠踞していることは確かだから。死刑囚の口からその怪物を吐き出させ、思うている腹の中を空にする機会をめぐんでやってこそ、初めて母のような教誨といえるのではなかろうか。幼い子がよそで泣かされて帰ってくると、お母さんはその訳を尋ねる、すると子供は始終を告げる。そして告げ終わると泣き止んで寝込んでしまう。これは子供の腹が空になったからなのである。[中略]教誨の基本は、彼ら死刑囚たちに、空間の喜びを与えるということを根本とせなくては、到底、教誨の目的を達するものでないということを私は高調したい(篠田)

    P297 私が行かなくても死刑はあると。現場(法律)がそうならない限り、誰かがやらなきゃならない。拘置所っていうのは人殺しがついているんですから。その人殺しをね、宗教者も誰も外部の人間抜きでやったら、それこそ本当に人殺しの現場になってしまいますよ。

    P324 「実はわっし、今アル中で病院に入っとるんじゃ。酒がやめられんでね、たびたび面接も休んでしもうて、申し訳ないことですな。」平素は”先生”である教誨師の思わぬ告白に、さらに思わぬ反響が返ってきた。[中略]病との闘いは、教誨師としての生き方に行き詰っていた渡邊に思わぬ副産物をもたらすことになったのである。

  • 教誨師

    ずっと気になっていた作品。

    死刑囚との対話とはどんなものか、教誨師とはどんな仕事なのか気になり読んでみた。
    渡邊普相の言葉が文字越しに語りかけてくるような錯覚に陥った。
    悪人正機説、渡邊普相が師として仰いでいた篠田龍雄氏が「死刑囚の話」として宗教誌に寄稿した文章
    どれも死刑囚の話ではない。
    死刑囚のために作られた話でもない
    生涯自分には殺人衝動など無いという人もいるかもしれない
    それでも、この本を読んで思ったのは
    人はいつどうなるかわからないということと
    愛された記憶が無いと人を壊すために進んでいってしまうこと
    愛された記憶がストッパーになってくれていると感じた。母にとても感謝した。

    悪人正機説の
    ー善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をやー
    「世の中、善人が救われるのであるから、悪人であればなおさらだ」

    という一文は、長年疑問に思っていたことが解消された気がした。
    私は犯罪歴があるわけでは無いが、自分のことを善人とは思えない。
    人を悪く思ってしまうし、仕事も好きではなく、ボランティアなどの活動をしたことがないからだ。
    このような考えで浄土や天国といったところへ行けるのか度々不安に襲われていたが、
    「自分の内なる悪を自覚して苦しんでいる人間はなおのこと救われる」
    という一文でとても救われた。

    また、堀川惠子さんの書く文章がとても読みやすく、一気に読んでしまった。

    死刑制度に関して私は賛成だったのだが、
    その死刑を執行する人たちのことまで考えが及んでいなかったと反省した。
    誰だってやりたくない仕事だと思う。
    遺族の方にと思ったがそれもそれで何か違う気がする。

    死刑執行の際に今は何個かボタンが並び、どの刑務官が執行につながるボタンがわからないようになっているのは知っていたが、
    以前は死刑台のそばにレバーが設置してあり、合図が出たら一人でそのレバーを引かなくてはいけないと本書で知った。
    また死刑執行の知らせが70年代は前日に行うことを知り、現在は朝に知らせることしか知らなかった私には衝撃だった。
    前日に知らせていた時は、遺書を書く時間があり家族と面会する時間もあったそうだ。

    本書を読んで、死刑囚といえども同じ人間で育ち方や環境で誰でもそうなり得るのではないかと怖くなった。
    そうならない人もいる。そうならない人がいることもわかっているし、殺人は許されない

    死刑制度自体は、被害者遺族と抑止力のためにもあったほうが良いと変わらず思う。
    しかし、執行に関しては今のままで良いのか疑問を抱いた。

    色々また考えるきっかけをもらえた。

  • 堀川惠子『教誨師』講談社文庫。

    死刑囚と半世紀に亘り対峙した教誨師・渡邉普相の告白の記録。渡邉普相は人間として、僧侶として死刑制度の矛盾と己の苦しみを包み隠さず全てを素直に告白している。

    死刑制度とは被害者の代理制裁なのか、更正不可能者の社会的抹殺なのか…いずれ社会に戻れる無期懲役などと比較しても、余りにも不可解な制度だと思う。

    第1回城山三郎賞受賞作。

  • 以前この方の本を読んだので

    引き続き読んでみたいと思ってこの本を選びました。

    死刑囚という人達を見たこともない私にとっては、
    メディアの情報のみから受ける印象しかありませんでした。

    数々の接点やタイミング 条件が違っていれば
    彼らは死刑囚というほどの犯罪を犯さずにすんだかもしれない。

    私達は人を裁く事は できない。
    でも、罪を犯した人をほおって置く事もできない。
    まして 死刑を!と 声高々に言えないし、廃止!とも 言えません。

    この教誨師の死刑囚に対する態度などは 
    他の場面でも共通の事なのかもしれないと思った。

    多くの人の命を 目の前で失い
    僧侶といっても つらかった事だと思います。

    しんどい本ですが 若い人たちにも読んでもらいたい
    一冊です。

  • 渡邉普相は、絞首刑の現場を
    「落ちた時に筋が切れて打ち首したのと同じ」
    「本人の意識はなく楽」
    「執行までが辛く、執行そのものは辛くないはず」
    と話していた。

    そのほか、
    ・執行までの教誨師の役割や死刑囚の日常
    ・執行する刑務官の苦労
    などが描かれている。

    「生きる」ことを含め「当たり前」として捉えるのではなく、一つひとつの「当たり前」に感謝して生きていかなければならないと考えさせられた本であった。

  • 刑務所や拘置所の受刑者が、自らの罪を悔い、罪を償って、新たな気持ちで社会復帰することを支援することで、「生きていく」ことを説くのが<教誨師>の務めだが、独房という狭い空間で、明日をも知れぬ命を抱えた死刑囚との面談では「死んでいく」手伝いをするという「生と死」の相矛盾した救いの道を模索し、死刑執行を迎える日まで、否、終生自問自答を繰返し、もがき苦しむ<教誨師>の心情を、浄土真宗僧侶・渡邉普相さん(1931-2012)の人生を通してルポタ-ジュし、命と倫理に深くかかわる死刑の内実を描いた衝撃のドキュメント。

  • 二度と娑婆に出ることのできず、狭い房に収監されている死刑囚に、精神的な広がりを与えようと取り組む僧侶である教誨師の話。
    死刑囚との面談だけではなく、彼らの刑の執行にも立ち会う、非常に精神的に辛い役割も担っている。
    教誨師である渡邉普相は、そういったストレスからアルコール中毒になっていくが、その弱さ・人間らしさにより、死刑囚からの信頼を得ていくのには「なるほど」と感じた。
    普通に生きている限り世話になることのない職業であるが、死刑囚のセーフティネットとしては必要なものだろう。

  • 死刑囚というからには、やっぱりそれだけ酷い犯罪を犯してきた人達ではある。その罪と被害者、被害者遺族にばかり目を向けて、執行する側の人達のことを考えたことはなかった。人を殺す仕事、なんて重いんだろう。死刑囚も一人の人間、少しでも安らかにという気持ちも確かにわく。でも、被害者達は苦しみと恐怖の中亡くなったという事実があり、その罪は決して消えない。死刑執行が行われても、誰も幸せにはならない、この言葉が重い。死刑になりたいからと、罪を犯す人もいる。少しでも犯罪が無くなって欲しい、悲しみ苦しむ人が減って欲しい。

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著者プロフィール

1969年広島県生まれ。『チンチン電車と女学生』(小笠原信之氏と共著、日本評論社)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)で第32回講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』(講談社)で第10回新潮ドキュメント賞、『永山則夫―封印された鑑定記録』(岩波書店)で第4回いける本大賞、『教誨師』(講談社)で第1回城山三郎賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)で第47回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社)で第23回AICT演劇評論賞、『狼の義―新 犬養木堂伝』 (林新氏と共著、KADOKAWA)で第23回司馬遼太郎賞受賞。

「2021年 『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

堀川惠子の作品

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