本当は★5をつけたいと思っていたのだが、流石に戦後の駆け足に、★を一つ減らさざるを得ないと感じた。読みながら『今まで読んできた中で一番面白い漫画だ』って確信していただけあって、その点が非常に残念であった。
しかし、無視できない欠点だからと言うことで★は一つ減らすが、私が今まで読んだ中で一番好きだった漫画は?と聞かれれば、私はこの作品を挙げる。★5をつけた作品より、ずっと高く評価している事は理解いただきたい。
ネットでの叩かれ方に関しては過剰だと感じるが、その点は私が単行本で読んだからこそ多少行き過ぎたくらいにドライに見ているのであって、九年以上も連載を追い続けて世界に魅了されていたファンからしたら、あの幕引きが納得いかなかったというのも仕方ないとは感じる。
個人的に、あの急速な失速はやはり休載の影響なのかな?と言うのは感じた。
『大風呂敷を広げすぎて畳めずに投げ出した』と言われているのは何度か目にしたが、個人的には畳めなかったというより、失速したせいでたたまなかったように見えた。恣意的な解釈かもしれないが。
元々かわぐち氏の中には『戦時中/戦後』の二部構成と言うものが存在した事は聞いていたし、それを前提で読んだからこそ42巻を読み終え『あと一巻かよ』って時には何ともいえない肩透かしを食らった感じがあった。
マリアナ編があまりにも長すぎた。マリアナ編に突入した時、巻数からして『マリアナが終わり、一転くらいあって講和成立、最後数巻は戦後編かな』と言う自分なりのペース予測があったのだけれど、マリアナから動かないまま巻数がどんどん減っていき、嫌な予感はしていた。
それに、自分の中でも草加による原爆作戦に成功して欲しいのか、角松によるそれの阻止作戦に成功して欲しいのか、もう分からなくなってしまい『とりあえず読もう。』と言う風に読み進んでいた。原爆問題の結論の落としどころは悪くなかったと思うが、戦後編は、ちょっと...
特にジパングに関しては、単純な戦記ものとしてだけでなく歴史、政治のロジックや駆け引きに期待していて、戦後処理というものをどうやっていくのかは大きな期待をかけていた部分でもあったので残念だった。
せめてその最後の一巻を通して『草加が最後に遺した言葉とは?』と言う部分だけでもしっかりと描いてくれていたら、まだあの最終巻も『哀愁があって』で擁護が出来たのだけれど、残念ながらあの描き方では片手落ちとしか言いようがない。
ifの歴史を描いた群像劇としては、完結させたというより終わらせたという印象しか抱かせてはくれなかった。必死に戦って、沢山の人間が犠牲になって、それでも覚悟を括って手にした戦後ってなんだったんだろう...となってしまう。
だが、それを考慮してもこれほど面白い漫画と言うのは本当に久々に読んだと思った。
悪い点は、先に書いておいた。ここからは良い点を書きたい。
まず、結末について。タイムトラベルもののSFであると言う点(正直途中まで忘れていたのだが)から見ると、あの終わり方はなかなかに好きだった。
過去へと飛ばされたみらいが必死に戦い、戦後を迎え、新しい世界でまた生まれて当初の目的地に無事に帰着することで、時間軸が大きな輪を描いて終結したのを感じた。時間軸の図がパッと頭に浮かんだ感じ。作品の構造として、何とも気持ちが良いものだなぁと。(勿論戦争ものの群像劇ではなく、SFとして)
そして『生き残った角松』『死んだ他の乗員』と言う構造が、最終的に逆転する。戦後世界を生きなければならないという責務を負い、それが故に一人だけ『死ななかった』角松は、最終的にただ一人だけ『死ななかった』者として、結果的にみらいの乗員ではなくなってしまう。
この点は死生観というものについて、実に絶妙に描き出しているように感じた。死にゆくもの、生き残るもの、この両者(正確には生者のみだが)の間に起こる精神的軋轢は、人類が生まれてから一度も逃れる事の出来ていない大きなテーマだと思う。それに立ち向かう為、宗教と言うものはあらゆる民族の中で生まれ来るものである。途中の巻のおまけでかわぐち氏が語っていたように、宗教は常に生者のためにある。
しかし、死者は消滅するわけではない。『あいつは、俺達の胸の中に生きている』なんて台詞は大げさでもなんでもなく、死者は生きている。それは幽霊じゃない。魂とかそう言うものでもない。我々は時として、死者からの影響で行動し、死者への義理を通そうとまでする。
現実に、物理的に存在しているか?と言うと、NOだ。そこにあるのは亡骸か、遺骨に過ぎない。でも、我々は『死者』と言う存在を無視できない。無視できない存在を『存在しない』等と果たして言い切れるか?いやまず死者という『存在』なのだ。その存在を我々は、無意識に肯定していると思う。でなければ、死者と言う『不在』とでも言わなければ、筋が通らないのだ。
この人間と、死者との関係。この関係を逆転させ、死者を生者として置換する事で、ふと新鮮な形で我々に死生観への新しい視座を提供してくれるような哀愁があのラストシーンにはあったと私は思っている。長い物語を共にしたキャラクター達だからこそ、その感慨もひとしおなのではないか。
まぁ、その点も『戦後編』で冷めさせなければ、もっと感動できたのではと思ってしまうのであるが。
それにしても、あの戦後編と言うのも、角松という人間の悲しい末路の描き方としては、嫌いではない。
一人生き残った角松は、戦後の処理に生きる中で、個人としては死んだ。最後まで自分と言う人間の責務を全うする為に奔走した事は感じられ、自分の一存による草加救助から始まった一連の出来事で、自分の意思により部下をほぼ全員戦死させた事に関しても多大な重圧を受けている。その事は、みらい乗員全員の生い立ちを追っていることからも感じられる。
角松自身は、巨万の富を築きフィクサーとして暗躍した事が描かれている。ここだけ見て『一人だけ成功者になってんじゃねぇかwww』って感じた人もいるかもしれないが、私はあの『角松が聖人と言われた』と言う部分と『草加宇宙人説』と言う概念に、どうも狙ったものを感じる。『草加が宇宙人だ』と言う馬鹿げた話と同じくらい『角松が聖人だ』なんてありえない事ですよと言う皮肉にしか感じられないのである。何も知らない世間はそれだけ、的外れな評価を下すものなのだと。
誰にも理解される事もなく、世界に受け入れられる事もなく、孤独な異物として戦後世界を生きた角松は、自分以外の乗員が揃って、自分が守りぬけなかった艦に乗艦し、元の世界とは違う温かい声を受けて出向するのを独り見送る事になる。そして角松を欠いたみらいのハワイ到着をもって、物語が終結する。歴史に対して大きな責務を負った者は、孤独で悲しい運命に抗えない。そう言う物悲しさも感じさせられた。
そう言う物語の構造としては、私は大好きだった。
ただコレは単純な憶測なのだが、かわぐち氏はその結末をあらかじめきちんと用意していたが故、それを何としても描ききる為に戦後編をあれだけ異様な速さで駆け抜けたのだという気もする。群像劇としては、終戦以降の部分を『これからが、本当の戦いになる』で、角松、菊池、滝らの終戦工作が始まろうとしている形でスパッと切った方が、まだ『風呂敷畳めなかったな』で済まされた気もする。
私はこの終わり方の方がずっと好きだが。
それから、ジパングは綿密な兵器の描写、戦闘の駆け引きなども凄いと思ったが、何より一番凄いと思ったのは登場人物の心理描写であった。
相当綿密で精緻な描写のお陰で、登場人物それぞれがかなり活き活きと伝わってくるし、何より緊迫した作品の雰囲気に引き込まれていく。
そしてその内容も、特に前半までに描かれた『自衛隊とは?』と言う感覚に関して、非常にリアリティがあって考えさせられた。
日本という国は、戦争、戦後史に大きな問題を抱えた国だと思っている。そしてその結実の代表が自衛隊の存在でもあり、その存在が、問題の根源に投げ込まれる。そうして、机の上の話ではなく、一人一人の血の通った人間の感覚を通して、リアルな問題として改めてそれらと向き合おうという姿勢が非常に強く感じられた。
こうすべき、ああすべき、これが正しい、あれは間違い...そう言う他人事の論理の応酬だけじゃなく、切実な問題として戦争を考える。これは戦争を経験していない世代に決定的に欠けていて、何より必要なものであると思う。私自身、それを訓戒にしなければならないと思った。
あと個人的に、途中まで時々巻末についていた、番外編の短編が非常に好きだった。尾栗の過去だとか、角松と梅津の出会いだとか、角松、菊池、尾栗の三人の話だとか。草加とお守りの話だとか。しみじみと感じさせられるものがあって良かった。
長々書いたが、読む価値のある作品だとは思った。そして、確かに不満も多かったが、必ずもう一度読み直したい作品だとも思った。コレだけ考えさせられる漫画はあまりない。