- 本 ・本
- / ISBN・EAN: 9784063883572
感想・レビュー・書評
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あっという間に読み終えてしまった。
まず、言いたいのは、こんなにもあっさりした終わりを迎えてしまってよかったのだろうか?ということ。
『もののあはれ』を詠ったということは誰が見ても明らかで、失われゆくものの儚さをとらえているのだから、それを出し切ってしまえば紡ぐものはなくなるのだと、それは、理解している。
ただ、町田さんはやはり海外に行ってしまって、オペラを通じて再度合唱部は集うのだけれどもその中に町田さんはいない。
二年後、再度みなが集うことになったのだけれど、その折、町田さんが言った。『うた』からはそう簡単に離れることはできなくて、気づけば隣にいるから『離れていた』と形容するには少し違った、と。
自分が気づいていなくても、ずっとみんなといっしょにいた。物理的な距離はとてもとても大きくて、でも、こころの中ではみんな、考えていることはおんなじだった。
逃げ、を選択した町田さん。
でも、実際には、逃げることができていなかった。
だから、二年も経過したあと地元に戻り、世界的なシンガーとなったゆたかと、ウラジーミルが、テノール・デュオ・コンサートをひらいて――ちなみにコンサート名は『COSMOS』である――それを聴きに来たのだ。
水戸さんは相変わらず女性性に嫌悪をいだいているらしく、ばっさりと女の子らしいショートではなく男の子のようなつるんとした髪型にし、服装もまるで男の子のよう。
みな、変わっていく、でも、それを感じ取りながら、前を歩いていくのだと、町田さんは心内つぶやく。
番外編もあり。ウラジーミルが、ソリストとして活動し始めるまでの物語。
まあありがちな、嫉妬のおはなし。
気づけば、些細な音のずれが、幽霊のようにまとわりついて、気になってしまうウラジーミル。
合唱そのものはすきなのに、違うということが許せなくなってくる。自分が完璧だからこそ。なぜそこでまた半音ずれるの、高音になりすぎるの、エトセトラエトセトラ。
そうしていつしか、ひとりで唄うとそのずれが気にならなくなって、だんだん、もっと、目立ってくる。
あるとき、同じ寮の、同じ部屋で過ごす男の子に声変わりが始まっていることに気づいて、なぜだか笑いがこみあげてきて、そんな自分に愕然とするウラジーミル。
ソプラノのこの声が消えるまで自分は歌い続けようと心に決めて、夜のとばりがあけるまで、歌い続ける。
終幕。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ポポちゃんの「クソいらねぇ!」がいいよね。
歌を聴きたくなりました。 -
あともう少し連載が長かったら…!と思うラストでしたが、この作品は本当に好きなので。
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完結巻。綺麗で穢れない……ように描かれ続けるユタカにも、消化しなければならない難題が降り掛かってくる。今巻の表紙で描かれている林檎は、彼の心理世界が育てた、彼の木が実らせたもので、作中でも度々描写され、町屋さんがそれを手にする場面も描かれる。だけれど林檎が象徴するものは「神の知恵」であり「人の罪」でもある。そう深読みしてみると、なかなかに、興味深い。時が実らせたものは、それを受け止めた者へ様々な影響をもたらすのだと。
それぞれの登場人物をねじ曲げることなく、それぞれの流れに添って(それは多少は読者に心地よい形で)、一つの物語を奏でていく。とても漫画らしい、けれど他の漫画にはなかなか無い画面構成で、リアルさを内包した平面構成力が素晴らしい。ともすれば冷たくさえ感じるウラジーミルくんの発言や、オトナの世界も、心情描写的な背景によって柔らかくクッションが置かれ、素直に読者の元に届いていく。自分ひとりではどうにもならない、才能への憧れや、自分と向き合うこと、そういった"青さ"の描かれ方と、それぞれに自分を受け止めていく登場人物たちは、とても愛しい。
印刷、もしくはディスプレイに表された絵ながらも、音や香りなど五感に訴えかけてくる画力はさすがとしかいいようがない。
今少し、この作品の奏でる音楽に浸っていたいと思う。 -
最初から最後まで、きらっきらの青春だったなー。
なんだかみんな大人びているので、ときどき高校生かと思いそうになったけど、中学生なんだよね。
なにがしかの才能があったり思考力がしっかりしているような子ばかりだったので、共感するというよりは「うむうむ、もっと悩め若人よ!青春だね~」みたいな立ち位置で読んでいた。
そのこと自体、自分がもうおばさんだという証拠か・・・ -
最終巻。
消失の日々かぁ……そうだねぇ……。 -
素敵な終わり方、きれいな終わり方。
中学生たちが、合唱を通して変わっていく姿を見届けた気持ちになる。
音はないのに毎回音が聞こえてきそうな絵にもみとれた。
著者プロフィール
鎌谷悠希の作品





