掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

制作 : 岸本 佐知子 
  • 講談社
4.50
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本棚登録 : 382
レビュー : 26
  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065119297

作品紹介・あらすじ

「アメリカ文学界最後の秘密」と呼ばれたルシア・ベルリンの小説集を日本でついに刊行!

2013年にノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローや、短篇の名手レイモンド・カーヴァー、日本で近年人気が高まっているリディア・デイヴィスなどの名だたる作家たちに影響を与えながら、寡作ゆえに一部のディープな文学ファンにのみその名を知られてきた作家、ルシア・ベルリン。

2004年の逝去から10年を経て、2015年、短篇集A Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、The New York Times Book Reviewはじめ、その年の多くのメディアのベスト本リストに選ばれました。

本書は、同書から岸本佐知子がよりすぐった24篇を収録。
この一冊を読めば、世界が「再発見」した、この注目の作家の世界がわかります!

このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、
とにかく読んで、揺さぶられてください
               ――岸本佐知子「訳者あとがき」より

彼女の小説を読んでいると、自分がそれまで何をしていたかも、
どこにいるかも、自分が誰かさえ忘れてしまう。
               ――リディア・デイヴィスによる原書序文「物語こそがすべて」(本書収録)より

毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)。
夜明けにふるえる足で酒を買いに行くアルコール依存症のシングルマザー(「どうにもならない」)。
刑務所で囚人たちに創作を教える女性教師(「さあ土曜日だ」)。……
自身の人生に根ざして紡ぎ出された奇跡の文学。

感想・レビュー・書評

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  • 作家は小説を書くために波乱万丈の人生を送ってきたわけではないし、過酷な人生を送った誰もがいい作家になって小説を書くわけでもない。ただ、ルシア・ベルリンに関していうなら、彼女がこんな人生を経験していなかったら、そして、魂というか、人間の内部にある根幹の抜き差しならない部分で、それを自分のこととしてしっかり受け止め、一度他人事のように突き放して観ることができなければ、こんな小説は書けなかった。自分と周りにいる人間を愛することをやめなかったことが、これらの小説を産んだのだとはいえると思う。

    「文は人なり」なんてことをいうと、また古いことをと笑われてしまうだろうが、文章を書くことが人間にしかできない技藝である以上、そこにはまちがいなく書き手の人柄というものがにじみ出る。ましてや、ルシア・ベルリンのように、小説の題材をほぼ実人生から選び取ってくるタイプの書き手ならなおさらだ。それにしても、何という人生だろう。転地先を地図上で探るだけで、指は南北アメリカ大陸間を上下左右に動き回る羽目になる。

    アラスカ生まれで、父は鉱山技師。父の勤務地が変わると引っ越しが待っていた。幼少期はアメリカ西部のいくつかの鉱山町。父が出征中はエルパソの母の実家に、そこからチリで裕福な上流階級に変身、成人してからはメキシコ、アリゾナ、ニューメキシコ、ニューヨーク、晩年はコロラド州ボールダー、そして最後はL.A。子どものころの心身両面にわたる悲惨な境遇、四人の子を育てる寡婦の日常、掃除婦、ER勤務、アルコール依存症、刑務所内での文章教室等々、普通人の何倍もの人生を生きている。

    アメリカで刊行された同名の短篇集の中から訳者が選び抜いた二十四篇からなる短篇集。巻頭に置かれたのは「エンジェル・コインランドリー店」。「わたし」はそこで、いつも会う年寄りのインディアン、トニーに手を見つめられ、自分の手の実情を発見する。魅力的な女だが、小さい子を抱えて暮らしは楽ではない。それでも、ジョークを愛し、カーテンをコイン・ランドリーで染色するヴァイタリティーに溢れている。突き抜けたユーモアとニューメキシコ州アルバカーキの場末に漂う、誰でも受け入れ可能な風通しのいい世界観が、作家の個性を鮮やかに物語る。

    突拍子もないジョークのセンスがインディアンのそれに似ていた母のこと、アル中のトニーに「トレーラーハウスでいっしょに横になって休まないか」と誘われるエロスの顕在、今の時制の中にひょっくり過去の話が混じり込んでくる、はじめて吸った煙草は、王子様が火をつけてくれた、という嘘のような本当の話。これから始まる短篇集の主要なテーマや語り口が、さりげなく配置された愛すべき佳品。この話が気に入る読者なら、最後まで読むに決まってる。さあ、どうだ、という訳者の意気込みが見える。

    「ドクター、H.A.モイニハン」は「わたし」の祖父。邪険で偏屈で人を人とも思わない。誰からも嫌われているが義歯作りの技術には定評がある。エルパソ時代、先生を殴って退学になった「わたし」は、祖父の歯科医院で働くことに。自作の総入れ歯をはめるため、酒を飲んだ勢いで、今ある自分の歯を抜きかけた祖父は、痛みに耐えかね、後を「わたし」にゆだねる。ペンチで全部抜いてしまうと「わたし」は椅子のレバーをまちがえて「祖父はぐるぐる回転しながら血をあたりの床にふりまいた」。血止めにありったけのティーバッグを口に詰め込む「わたし」。

    「毒々しい血まみれの首の上の白い骨。おそろしい化け物、黄色と黒のリプトンのタグをパレードの飾りみたいにぶらさげた生きたティーポット」というこのあたりの奇妙にねじくれたユーモア感覚は母譲りのものだろうか。「沈黙」で、酔っ払った祖父は揺り椅子に「わたしを押さえつけ、かんかんに焼けたストーブすれすれに椅子が激しく上下し、祖父のものがわたしのお尻を何度もついた」と書かれている。帰ってきたジョン叔父に助けられたが、酔っぱらった祖父による虐待を祖母は見て見ぬ振りをして止めなかった。妹のサリーが同じ目に遭ったとき、自分も止めなかったことを叔父に叱責されている。祖母が妹ばかりかわいがるのを嫉んでるんだろう、と。

    このエルパソ時代のことは、よほど心に残っていたのだろう、この時代を書いたものは多い。妹のサリーと母の思い出も多く描かれている。矯正器具で体を締め付けられ、運動も遊びも友達のようにできなかった少女時代、「わたし」は、いつも人の遊びを傍でじっと見ている暗い少女だった。ただ一人の友だちがお隣のシリア人のホープだった。「もしもあの経験がなかったら、たぶん私は今ごろ神経症とアル中と情緒不安定だけでは済まなかっただろう。完全に壊れた人間になっていただろう」と書くほどに。そのホープともあることがきっかけで疎遠になってしまうのだが。

    「掃除婦のための手引き書」は、いろんな家を受け持つ掃除婦が、うまくやっていくためのマニュアル書の形式で書かれている。はなっから、盗みを疑ってかかる主人に対抗するための手段や、その目をかすめて働く盗みの手口などを、シニカルかつユーモラスに紹介している。その一方で「みんな、わたしが自己憐憫と後悔に酔っていると言う。誰とも会おうとしない。笑うとき無意識に口を隠している」。恋人のターが死んだ事実があっけらかんとした掃除婦暮らしの裏に隠されている。

    短い文章の中に、必要にして十二分なものだけが、これ以上はないほどに正確に、生き生きと、飛びっきりのリズムで書かれている。これだけの作家が今まで日本に紹介されていないのが不思議だったが、本国でも扱いは同じで、リディア・デイヴィスの文章が訳者の目に留まったころ、三冊の短篇集は絶版で古書扱いだったという。素晴らしい鉱脈を発見したら、鉱山は既に廃坑になっていたみたいな話だが、これをきっかけに他の作品も読めるようになるだろう。是非読んでみたいと思わされる。本作の出版は今年一番の収穫ではないか。

  • 以前、『早稲田文学』女性号に短篇の訳が掲載されたことは知っていた。まとまったものを読んでみたいと思い、あてもなく待っていたところ、このたび短編集が出る運びとなったということで、早速読んでみた。

    何も考えず、字面通りに読んでいくと、アルコール依存症、重病の妹との暮らし、職場での快くないひとコマ、学校時代のトラブルと、なかなか殺伐とした題材である。ほとんどが著者の生涯の経験に基づいているらしく、これらが自分の身に起こる出来事だとしたら、かなりしんどい。文章にする機会と才能があったとしても、キャシー・アッカー『血みどろ臓物ハイスクール』でも感じるように、人生への復讐感というか、恨み節が噴出したものになるのではないかと思う。

    ところが意外なことに、個々の題材からくる暗さはあるものの、なんだか妙にからりとタフな雰囲気がある。最初は中島京子『妻が椎茸だったころ』のような、若干のサスペンスと不条理を集めた短編集のイメージが強かったが、読み進めていくと、阿久悠の無国籍昭和歌謡や、片岡義男の小説にある、小さな町のロードサイドで長距離バスを待つような、からりとした空気が流れる。父親の仕事の関係で転居の多い前半生だったようで、「ここから出て行っても何とかなるし、出て行けばよい」というマインドがにじみ出ているのかもしれない。

    先に書いたように、著者の生涯の経験に基づいた題材が多く使われているが、ただ人生を垂れ流しているわけではなく、小説として洒落た、だがインパクトの大きな作風だと思う。このあたりについては、彼女の作品を強く推したリディア・デイヴィスと、訳者・岸本佐知子さんの解説が的確。これらを読めばリディア・デイヴィス作品へのルシア・ベルリンの影響は「ないはずがない」と思われるほど大きいし、他のアメリカの女性作家は、多かれ少なかれ影響を受けているのではないかと思われる。個人的には、エリザベス・ストラウトの小説に似ていると思いながら読んでいた。

    まあ正直、今の感覚からいえば、親しくしている人に対しても、白人以外への蔑視(少なくともエスニシティの違いを明確に意識する空気)をガンガン放射しているので、そこを「これが時代!」ということで認識して読まないといけないかな、と思った。おじいちゃんの歯の話は、マッドな感じを強調したいのはいいが、グロなのかユーモアなのか、ちょっとえぐい。

  • 近年見出されたという作家ルシア・ベルリンの実人生に基づく短篇集。少しずつ読み進め、彼女の人生やその登場人物の点と点がつながるにつれ、じわじわ愛着がわいてきた。
    以下、備忘録としてとくに印象的だった作品を。
    *今を楽しめ(カルペ・ディエム):コインランドリーで人の洗濯機に間違えて洗剤を入れてしまう
    *エルパソの電気自動車:警官がそら見たことかって目に遭うのが痛快だし、おばさんたちが聖書の引用当てっこするのが楽しい。
    *ティーンエイジ・パンク:アメリカ文学でツルの飛来を観測するのは、ドーア『Demilitarized Zone』パワーズ『エコーメイカー』に次いで個人的に3度目。ツルはすごいのだ。息子の友だちジェシーがいい味出してる。
    *ソー・ロング:ヘロイン中毒だった元夫の回想。本書にはいくつものいかした比喩が出て来るが、恋愛にまつわる比喩、「それまでの人生は毎日毎日退屈なレコードの繰り返しのようだったが、あっという間にレコードがひっくりかえされて音楽が始まった(P198)」は、とくに良かったなあ。
    *バラ色の人生:ドイツ人の少女ゲルダとの思い出。ガーリーな一瞬が切り取られ、こういうのもまた素敵。
    *どうにもならない:アル中の自分と息子たち

    『巣に返る』も最後の最後でがつんとやられた。あと表題作については、わたしは今までの人生で二度(幼少期と産後)、自宅に掃除婦がいたことがあり、今思うと、その時期はどっちもわたしの人生で最もしんどくてだけど最も幸せな時期だったのだ。あのときのわたしは、あの掃除婦の人たち(片方の足が不自由だったはまちゃん、それから、中国系シンガポーリアンのシーさん)の目にどんなふうに映っていたのかな、彼女たちが小説を書いたとしたらどんなお話になったのかな、と思ったら、なんか泣けてきてしかたなかった。

    それと、全体を通して思ったのは、最近読んだ『ノーラ・ウェブスター』でも感じたことだけど、がんじがらめに見える人生でも、ひとりの人間の心の中には無限の自由が広がっていること。だけど、それはワクワクするような自由ではなくて、どこか荒涼とした、この短篇集の舞台のひとつであるアメリカの鉱山地帯とかなんかそんな感じの広がりで、自分の人生とそういう行ったことのない(たぶん死ぬまで行けない)風景を重ねていろいろ考えられることが、海外の小説を読む良さなんじゃないかなあ、と思いました。読んでいるときに、訳者の岸本佐知子さんと翻訳家の斎藤真理子さんのトークショーに足を運び、生でいろいろなお話をうかがえたことも、豊かな読書体験となりました。

  • 作者の体験が色濃く反映されている短編の数々。この本について好きなのは以下のような点なのだけれど、この組み合わせでこちらを魅了してくる女性作家はあまりいない気がする。
    - 辛いことを描いても自己憐憫がない
    - 辛いことを描いても隙あらば笑わそうとしてくる
    - 辛いけれども語り手は簡単に人生に殺されない気がする

    1人の人間が体験するにはあまりにも濃い出来事を潜り抜けて、それでも頭脳と心を擦り切れさせず、すべて見てやろうとする輝く瞳と、見て取った出来事をはっとするような構図で切り抜く力があった人。ルシア・ベルリンの生き方にも、作品にも、鼓舞される。

  • 打ちのめされましたよ。
    控えめに言って、素晴らしい(拍手喝采)
    めまいがするようなディテールに余韻たっぷり。
    悲惨ななかにも冷静でユーモラス、生命力あふれる力強ささえ感じた。

    生きている間は本人にも欲がなかったのかマイナーな作家だったようだ。
    亡くなったあとでも発掘されるべき作家がまさにルシア・ベルリンなんだと思う。
    翻訳者の岸本さんに感謝!
    いつの日かまだ翻訳されていないルシアの短編が
    出版されることを待ち望んでいます。

  • 本屋さんで、完全に一目ぼれした本。
    まずタイトルにビビビーッと来た。その語感から感じるのはワーキングクラス的視点のシニシズム。しかもそこはかとなくエロい感じ。表紙の写真の女性がまたそのイメージにピッタリで。
    読みたい、今すぐ読みたい、とにかく読みたい、と、なんだかもうビキニの美女を前にした思春期の少年のようにガツガツしてしまった。

    中身も、第一印象どおりだった。すっかり惚れ込んでしまった。

    まず、出だしがいつもすごく良いのです。どの話も最初の数行で私はいつも心をまるごと持っていかれてしまう。
    一番好きだった出だしがこれ。
    「市内から郡刑務所までは、湾を見おろす丘の上の一本道を走る。道の両側には木が並び、こないだの朝は霧が出ていたので、まるで昔の中国の絵みたいだった。タイヤとワイパーの音。おれたちの足の鎖が東洋の楽器みたいな音で鳴り、オレンジのつなぎの囚人服がチベット僧みたいにそろって左右に揺れた。笑うかい。まあ、おれも笑った。このバスで白人はおれ一人だったし、ほかの連中はダライ・ラマにはほど遠いってのにな。でもなんだか美しいと思ったんだ。」(『さあ土曜日だ』の冒頭)

    出だしに限らず、どの話も、たくみに入れられた比喩が独特で、なにげない風景描写も写真家が撮った芸術作品のよう。じっくり堪能しながら読んだ。なんとも言えない人生の悲哀みたいなものが、私の心には言葉じゃなく映像で入ってくる。

    収録されている話の中では、やはり表題作『掃除婦のための手引き書』が一番好きだった。もうぶっちぎりで。
    リディア・デイヴィスも、訳者の岸本さんも、偶然にもお2人とも同じ個所を引用していたこの部分。
    「ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。」ってところ。
    読んでいて、ええええ?愛してる男がゴミ捨て場!? そんなバカな! と仰天した。でも、そのあとに続く「バークレーのゴミ捨て場」の描写を読んで、うおおお、と納得。涙目になってしまった。分かる。すごく分かる、こういう男の人、いるなぁ、と。
    私の好きになる男のタイプとはちょっと違うけど、私まで、いとしさと寂しさで胸がいっぱいになる。

    他の人の感想を読んでいると、著者の実人生および小説の主人公の人生の過酷さについて触れておられる人が多くて、正直驚いた。え?そんなに過酷な話ばっかりだったっけ?って。
    私は読んでいる間、とにかくこの人の言葉の紡ぎ方に夢中になっていて、そのことにまったく意識がいってなかった。著者の切り取る世界が、映画のように詩のように美しくて、完全に目がくらんでいた。
    そして、言葉じゃなくて映像みたいなもので悲しみややさしさや後悔の気持ちなどを伝えてくるので、そうした心の動きを読み解くことに全ての感覚を持っていかれてしまっていた。
    私も酔っ払ってたのかも。『どうにもならない』のアル中の母親のように。

    「ルシア・ベルリンの文章ならば、私はどの作品のどの箇所からでも無限に引用しつづけ」られる、とリディア・デイヴィスが書いていたが、「そう!まさにそれ!」と私は思う。てことで、私もいつになく、やたら引用してしまった次第です。

  • レビューはこちらに書きました。
    https://www.yoiyoru.org/entry/2019/07/27/000000

  • 場末のコインランドリー、狂人じみた祖父、子供を愛せなかった母、ぶざまな少女時代、アルコール依存の体験など、ほぼ全ての物語が作者の人生を反映しているという。辛く個人的な体験を題材にしても、作者はどこか突き放したような姿勢をとり、家族とて容赦なく辛らつに描く。その鋭い言葉は一見無慈悲なようなのだが、読んでいると不思議に優しさや慰めが見い出される。また悲惨や孤独を描きながらエレガントで、こちらの不意を襲う獰猛なユーモアも素晴らしい。

    どれもかなり良いけれど、“待って。これには訳があるんです”で始まり冒頭シーンに呆気にとられた「星と聖人」、孤独な少女時代を描いた「沈黙」、幸せではなかった母の人生を想う「苦しみの殿堂」「ママ」、癌に侵された妹との最後の日々「あとちょっとだけ」などが印象に残る。胸が詰まるのに、軽やかな笑い声も聞こえるような。

    “わたしはインディアンたちの服が回っている乾燥機を、目をちょっとより目にして眺めるのが好きだ。紫やオレンジや赤やピンクが一つに溶け合って、極彩色の渦巻きになる。”(p.14「エンジェル・コインランドリー店」)

    “わたしは家が好きだ。家はいろいろなことを語りかけてくる。掃除婦の仕事が苦にならない理由のひとつもそれだ。本を読むのに似ているのだ”(p.162「喪の仕事」
     
    “わたしはほかにもいろんなことを見のがしてきたんじゃなかろうか。……わたしに向かって発せられたのに聞きそこねた、どんな言葉があっただろう? 気づかずに過ぎてしまった、どんな愛があっただろう?”(p273-274「巣に帰る」)

    彼女の死後出版された作品集の中からリディア・デイヴィスの序文と共に24篇を収録。本を開くとすっと手になじむ装丁・製本も良い。

  • 昨年雑誌で表題作を読んだ時に、これは間違いない作家だわと確信。そして冒頭「エンジェル・コインランドリー店」で早くも鳥肌。著者の人生をベースにした話がほとんどで、いわゆるプロットのようなものはあまりないのだけど、キラーフレーズでビシッとしめるラストが割と多くて、いちいちシビれています。悲惨なのに淡々。アキ・カウリスマキの映画みたいだな。男主人公目線の「さあ土曜日だ」もいい。

  • アルコール中毒と、引っ越しの多い家庭、不仲な両親、早熟な思春期の女性、貧困、今やそんなものは小説の素材としてはありきたりのものだが、その世界の中で、ふわっとしたいかにも聞いたことのある話や、逆に鬱々とした気分にさせる「リアリティ」色の強いフィクションでもない物語、読んでいるとこちらの身体にすり寄ってきて、どこかゴツゴツと骨があたってくる、そんな現実感というか、落ち着かなさというか、そんなものを感じさせる、でもだからこそ次の話を読みたくなる、それが ルシア・ベルリン の小説だ。

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著者プロフィール

Lucia Berlin 
1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える。90年代に入ってサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教えるようになり、のちにコロラド大学准教授になる。2004年逝去。レイモンド・カーヴァー、リディア・デイヴィスをはじめ多くの作家に影響を与えながらも、生前は一部にその名を知られるのみであったが、2015年、本書の底本となるA Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、多くの読者に驚きとともに「再発見」された。

「2019年 『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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