掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065119297

作品紹介・あらすじ

「アメリカ文学界最後の秘密」と呼ばれたルシア・ベルリンの小説集を日本でついに刊行!

2013年にノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローや、短篇の名手レイモンド・カーヴァー、日本で近年人気が高まっているリディア・デイヴィスなどの名だたる作家たちに影響を与えながら、寡作ゆえに一部のディープな文学ファンにのみその名を知られてきた作家、ルシア・ベルリン。

2004年の逝去から10年を経て、2015年、短篇集A Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、The New York Times Book Reviewはじめ、その年の多くのメディアのベスト本リストに選ばれました。

本書は、同書から岸本佐知子がよりすぐった24篇を収録。
この一冊を読めば、世界が「再発見」した、この注目の作家の世界がわかります!

このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、
とにかく読んで、揺さぶられてください
               ――岸本佐知子「訳者あとがき」より

彼女の小説を読んでいると、自分がそれまで何をしていたかも、
どこにいるかも、自分が誰かさえ忘れてしまう。
               ――リディア・デイヴィスによる原書序文「物語こそがすべて」(本書収録)より

毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)。
夜明けにふるえる足で酒を買いに行くアルコール依存症のシングルマザー(「どうにもならない」)。
刑務所で囚人たちに創作を教える女性教師(「さあ土曜日だ」)。……
自身の人生に根ざして紡ぎ出された奇跡の文学。

感想・レビュー・書評

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  • 洋画というものを初めて見たのは10歳頃だったか。
    ストーリーとは全く無関係の人間が唐突に現れることにかなり衝撃を覚えた。
    主役のふたりが話している間を通り抜けたり、話しかけてきたりする。
    エキストラのはずが、一体これは何なのだ?
    背景も小道具も衣装も全てが計算し尽された邦画とは、なんという違いだろう。
    異文化という言葉も知らない頃だったが、猥雑な画面に気持ちがざわざわして、一体次は何が出てくるのかと心待ちにする自分を発見したのだった。

    本書を読むと、あの時の気持ちをありありと思い出す。
    何かが、唐突に訪れる。
    あ、今そこに何かが!・・と思う間に幕は途切れる。
    何度となく置き去りにされては、また次の幕を開けてみたくなる。
    24の短編は切れ切れの断片のようでいて、やがて全てが繋がり自伝となって完成する。
    痛々しく、誇らしく知的で、微かな自嘲と笑いを含む。主人公はこの表紙の美しい女性だ。

    表題作は4作目に登場する。
    掃除婦は作者自身が4人の子どもを育てる生活のために選んだ職業で、この短編のみならず、ほとんどが実体験を元にしたものらしい。
    「掃除婦が物を盗むのは本当だ。ただし雇い主が神経を尖らせているものは盗らない。」
    ドキッとするフレーズもしばしば登場する。読み手への忖度などない。
    認知症気味の雇い主の家から瓶入りのゴマをひと瓶盗み、他にも盗んだものは睡眠薬。何軒もの家をかけもちして、それぞれの家から盗むのも睡眠薬。
    彼女がいつも思うのは薬物中毒で死んだ夫、ターのこと。
    睡眠薬は胸にしのばせたナイフだったが・・鮮やかなラスト一行に息をのむ。

    養護施設に入所中の父を見舞う話はかなり堪えた。
    パーキンソン病と認知症を患い、娘のことも見分けがつかず悪態をつく。
    だが彼女は幻滅していない。
    父の口から「愛してる」と言ってくれるのを待っている。ある日車いすで丘にのぼると・・
    一瞬の心の通い合いの後唐突な幕引き。しかし後からじわじわと涙がにじんでくる。

    登場するのは掃除婦だけではない。矯正器具を背中につけた女生徒、共産主義にかぶれた地味な女教師、断酒会に通うアルコール中毒患者、依存症のシングルマザー、創作を習う囚人、誰にでもどこにでも醜さと悪を見出す母親。
    歯科医の祖父はスプラッターばりに自分の歯を抜いて入れ歯を装着する。
    どこかタガが外れてぶっ壊れている彼ら。
    いつも必死で、不器用で、感情的で、なのに何故か胸の奥に住み着いて離れなくなる。
    作者の人生もまた、結婚と離婚、アルコール依存症、性的虐待、孤独だった少女時代や刑務所での出会いなど、痛切なエピソードだらけだ。
    現在進行形で出来事だけを綴る文章は、最初デュラスのようだと思ったが違った。語り口はその都度変えてあるのだ。作家本人の筆力か、岸本さんの訳の良さか、何しろ見事だ。

    これらの短編に共通するのは、鈍色の低い雲が垂れ込める空から一瞬さす光。しかし直後にはかき消される。生きていくということは、まさにそのようだと語るのだ。
    綺麗なだけではなく、辛いだけでもない。
    猥雑な事柄のすべてを受けとめて、ただ進むのみ。
    コインランドリーで他人の洗濯物をうっかり洗ってしまった主人公が、相手の男にしつこく罵倒される話がある。係員の女性の言葉が印象的だ。
    「あのさ、そんなに大騒ぎするほどのことかね?
    あと百年もすりゃ、そんなの気にもならなくなるさ」
    百年!困惑し、笑い、それもそうだと呟く。私もこれを言ってみたい。

    本書はブク友さんたちのレビューから知り、いつか読みたいと願っていたもの。
    ところがメアリアン・ウルフの著書に一部が引用されており、急激に読みたい熱が高まってしまった。引用部分は表題作のラスト一行だ。ここで、痺れた。

    生前は一部にのみ知られる作家だったというが、死後に発表された本書は、今も世界中に読者を増やしているという。出来ることなら他の作品も読みたかった。
    ルシア・ベルリンの苛烈な人生に、乾杯したくなる。

    • nejidonさん
      猫丸さん。
      岸本さんて、エッセイもかなりの面白さだし翻訳も素晴らしいですよね。
      猫丸さんの推薦なら自信をもって読めそうです。
      ところで...
      猫丸さん。
      岸本さんて、エッセイもかなりの面白さだし翻訳も素晴らしいですよね。
      猫丸さんの推薦なら自信をもって読めそうです。
      ところでひとつお願いが。。
      ふたつ前のレビュー「文豪と食」なんですが、一年前の本なのにほとんど読まれてないのですよ。
      猫丸さんのところでもとりあげて下さると嬉しいなぁ、なんて(^^♪
      2020/10/11
    • ハイジさん
      nejidonさん!
      もう読まれたのですね!
      コメントもありがとうございます(^ ^)
      さすがのレビューで、とても興味深く読ませていただきま...
      nejidonさん!
      もう読まれたのですね!
      コメントもありがとうございます(^ ^)
      さすがのレビューで、とても興味深く読ませていただきました。
      あれからも時々この本のことを考えます。
      今思えば心に響く以上に、内臓を掴まれるような感覚が居心地悪くなったのかもしれません…。だけどずっと残る不思議な感覚を今でも感じています。
      もう少し何かを超えたら、器の大きいnejidonさんのように愛おしく思えるのかもしれないですね(笑)
      何年後かに再読したみたいです。
      その時もう一度nejidonさんのレビューも再読したいです!
      2020/10/11
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      nejidonさん
      近いうちに、、、安請け合いの猫でした。。。
      nejidonさん
      近いうちに、、、安請け合いの猫でした。。。
      2020/10/11
  • 自叙伝的掌編集。懐かしさを感じつつ読み始める。だんだんと私にはワイルド過ぎて笑えないし無理だと思うけど、やるせなさや切なさが打ち寄せてきてやめられない。「苦しみの殿堂」「ママ」「沈黙」「さあ土曜日だ」「あとちょっとだけ」が印象的。

  • 訳者曰くルシアの言葉
    は読む者の五感をぐい
    とつかみ、

    否応なくその小説世界
    に引き込む握力の強さ
    があると。

    たしかに緩急があって
    ユーモアに富んでいて
    先の展開が読めず、

    ふと気づけばすっかり
    引き込まれていました。

    行ったことのない国の
    空気やにおいを在々と
    感じられました。

    訳者の岸本佐知子さん
    もいい仕事しています


  • この本の存在は知っていた
    昔のハリウッド女優を思わせる粋なモノクロ写真の表紙
    内容はさっぱりわからない
    でも意味深なタイトルと表紙の写真に惹かれずっとずっと気になっていた
    読む日を心待ちにしていたのだったが…

    表紙はなんと著者の写真であった
    とても魅力的な女性だ
    良く見るとそんな美人じゃないのだが、雰囲気がいい
    一体どんな著者なのかというと…
    以下はAmazonの抜粋↓↓↓
    ルシア・ベルリン
    1936年アラスカ生まれ
    鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える…


    彼女の人生の背景が不可欠な本だと早々に思い知る
    フィクションとノンフィクションの狭間
    途中からもうどっちでも、どうでもよくなる
    彼女の波乱に満ちた人生の壮絶さが、ギュッと凝縮され、まるで天日干しされたかのような…濃厚なのに、干し上がったモノを見ているから遠くで起きたことを違う世界から眺める
    そんな感覚に陥る
    短編集であるが、貧しさ、家族との確執、異質であることの苛め、何度もの引っ越しや環境の変化、多岐にわたる多くの仕事、アルコール依存など…
    まさに彼女の人生の一部を切り貼りしているかのような内容の作品である
    淡々とすごいことを、あっさり塗り重ねるような描写
    この人にとって、お金や宝石も、お酒や薬も、殺人も猥せつも、涙や血も、生も死も…
    すべてただの何かの一片でしかないのだろう
    何かを超越した感じだ  
    そうしないと生きていけなかったのかも…
    が、こっちはたまらない!
    というわけで、この本は「ごめんなさい、無理です…」と何だも降参しそうになった
    静かに進行していくものの圧が凄くて、受付不可!みたいなセンサーが作動しっぱなし
    途中でもうやめようと…思うのだが、それもなぜか無理
    ううっ辛い
    鈍い頭痛がまとわりついて、口の中がざらっとし、胃が粘着質を帯びるような感覚
    気持ちが滅入って憂鬱になってきた
    だめだぁ…、そろそろもう本当にもうやめよう!
    と本を閉じようとした頃(半分以上過ぎた辺りから)、不快感は完全に消え、自然と入り込めるように
    慣れの問題?なのか…
    理由がさっぱりわからない

    家族の話しがたくさん出てくる
    癌で余命わずかの妹、理不尽に怒りまくっている母親、不在の父、暴力をふるうアルコール依存症の祖父、妹を可愛がり、自分を疎外する全く頼りにならない祖母、唯一の味方叔父…
    皆さんしっかりイカれていらっしゃる
    でも家族なんだなぁ
    そう、ひとりじゃない
    家族って不思議…
    グチャグチャでどれだけ悲惨、嫌悪感を感じても、何故か淡いフワフワした優しい空気感が見え、居心地が悪くない

    妹を勘当して、自殺未遂を繰り返す尋常ではない母との思い出の綺麗なところを、余命わずかなの妹と切り取って、素敵な思い出にしようとする

    妹が酔っ払って暴れる祖父の被害者になり、それを助けなかった「わたし」に叔父が「おれがいなけりゃ、この家でまともなのはお前だけなんだぞ。お前がサリーを守らないでどうする」
    そんな心優しい叔父のジョンも何度も恐らく刑務所へ行き、どん底のアル中に…

    他にも刑務所の受刑者たちが、読書に目覚め、感想を言い合ったり、文章を作り、心が少しずつ解けていく様は素敵だ
    この話は彼女の自身がサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教える経験から基づいた作品であろう

    最後に、
    この本の中で、珍しいほどの苦しみや辛い人生が表現されている
    心の奥底の本音だろう

    〜わたしがここまで長生きできたのは、過去をぜんぶ捨ててきたからだ。悲しみも後悔も罪悪感も締め出して、ぴったりドアを閉ざす。もしも、ちょっとでも甘い気持ちで細く開けたが最後、バン!たちまちドアは押し破られ、苦悩の嵐が胸の中に吹き込み恥で目がつぶれ……〜

    未だかつて味わったことのない不思議な感覚
    良くも悪くも衝撃的な本に出会った
    この感覚は言葉で説明出来ないが、簡単に体験できる感覚ではない
    好きか…と言われれば、好きじゃない
    だけど、この世界観に圧倒的な何かに、無理やりじゃなく引っ張られる

    不思議な体感をした本だ

    • nejidonさん
      ハイジさん、お返事ありがとうございます。
      岸本さんはエッセイがとてつもなく面白い方です。
      たぶんハイジさんはお好きだと思いますよ。
      と...
      ハイジさん、お返事ありがとうございます。
      岸本さんはエッセイがとてつもなく面白い方です。
      たぶんハイジさんはお好きだと思いますよ。
      ところで「圧」は全然気にしてません・笑
      本にまつわる本を集めるのが今のところ最大の関心事なので、それの終息が見えたら読みます。
      つまり、いつになるやらです(*'▽')
      でも、たぶん、きっと、読みます!
      2020/09/27
    • ハイジさん
      nejidonさん
      ふたたびありがとうございます!
      岸本さん読んでみたいです(^ ^)
      また読書の扉を開いてくださってありがとうございます♪
      nejidonさん
      ふたたびありがとうございます!
      岸本さん読んでみたいです(^ ^)
      また読書の扉を開いてくださってありがとうございます♪
      2020/09/27
    • nejidonさん
      ハイジさん、こんにちは(^^♪
      おかげで昨日読み終えました。
      予告(笑)したより早くてこっぱずかしいです。
      メアリアン・ウルフの二冊目...
      ハイジさん、こんにちは(^^♪
      おかげで昨日読み終えました。
      予告(笑)したより早くてこっぱずかしいです。
      メアリアン・ウルフの二冊目の本に、本書が引用されていたのですよ。
      ハイジさんはあまりお好きじゃないのですか。
      私はかなり好きな部類です。登場人物がみんな愛おしいです。
      お腹いっぱいになったので当分小説は読みませんが、良い読書体験になりました。
      ありがとうございます!
      2020/10/11
  • 作家は小説を書くために波乱万丈の人生を送ってきたわけではないし、過酷な人生を送った誰もがいい作家になって小説を書くわけでもない。ただ、ルシア・ベルリンに関していうなら、彼女がこんな人生を経験していなかったら、そして、魂というか、人間の内部にある根幹の抜き差しならない部分で、それを自分のこととしてしっかり受け止め、一度他人事のように突き放して観ることができなければ、こんな小説は書けなかった。自分と周りにいる人間を愛することをやめなかったことが、これらの小説を産んだのだとはいえると思う。

    「文は人なり」なんてことをいうと、また古いことをと笑われてしまうだろうが、文章を書くことが人間にしかできない技藝である以上、そこにはまちがいなく書き手の人柄というものがにじみ出る。ましてや、ルシア・ベルリンのように、小説の題材をほぼ実人生から選び取ってくるタイプの書き手ならなおさらだ。それにしても、何という人生だろう。転地先を地図上で探るだけで、指は南北アメリカ大陸間を上下左右に動き回る羽目になる。

    アラスカ生まれで、父は鉱山技師。父の勤務地が変わると引っ越しが待っていた。幼少期はアメリカ西部のいくつかの鉱山町。父が出征中はエルパソの母の実家に、そこからチリで裕福な上流階級に変身、成人してからはメキシコ、アリゾナ、ニューメキシコ、ニューヨーク、晩年はコロラド州ボールダー、そして最後はL.A。子どものころの心身両面にわたる悲惨な境遇、四人の子を育てる寡婦の日常、掃除婦、ER勤務、アルコール依存症、刑務所内での文章教室等々、普通人の何倍もの人生を生きている。

    アメリカで刊行された同名の短篇集の中から訳者が選び抜いた二十四篇からなる短篇集。巻頭に置かれたのは「エンジェル・コインランドリー店」。「わたし」はそこで、いつも会う年寄りのインディアン、トニーに手を見つめられ、自分の手の実情を発見する。魅力的な女だが、小さい子を抱えて暮らしは楽ではない。それでも、ジョークを愛し、カーテンをコイン・ランドリーで染色するヴァイタリティーに溢れている。突き抜けたユーモアとニューメキシコ州アルバカーキの場末に漂う、誰でも受け入れ可能な風通しのいい世界観が、作家の個性を鮮やかに物語る。

    突拍子もないジョークのセンスがインディアンのそれに似ていた母のこと、アル中のトニーに「トレーラーハウスでいっしょに横になって休まないか」と誘われるエロスの顕在、今の時制の中にひょっくり過去の話が混じり込んでくる、はじめて吸った煙草は、王子様が火をつけてくれた、という嘘のような本当の話。これから始まる短篇集の主要なテーマや語り口が、さりげなく配置された愛すべき佳品。この話が気に入る読者なら、最後まで読むに決まってる。さあ、どうだ、という訳者の意気込みが見える。

    「ドクター、H.A.モイニハン」は「わたし」の祖父。邪険で偏屈で人を人とも思わない。誰からも嫌われているが義歯作りの技術には定評がある。エルパソ時代、先生を殴って退学になった「わたし」は、祖父の歯科医院で働くことに。自作の総入れ歯をはめるため、酒を飲んだ勢いで、今ある自分の歯を抜きかけた祖父は、痛みに耐えかね、後を「わたし」にゆだねる。ペンチで全部抜いてしまうと「わたし」は椅子のレバーをまちがえて「祖父はぐるぐる回転しながら血をあたりの床にふりまいた」。血止めにありったけのティーバッグを口に詰め込む「わたし」。

    「毒々しい血まみれの首の上の白い骨。おそろしい化け物、黄色と黒のリプトンのタグをパレードの飾りみたいにぶらさげた生きたティーポット」というこのあたりの奇妙にねじくれたユーモア感覚は母譲りのものだろうか。「沈黙」で、酔っ払った祖父は揺り椅子に「わたしを押さえつけ、かんかんに焼けたストーブすれすれに椅子が激しく上下し、祖父のものがわたしのお尻を何度もついた」と書かれている。帰ってきたジョン叔父に助けられたが、酔っぱらった祖父による虐待を祖母は見て見ぬ振りをして止めなかった。妹のサリーが同じ目に遭ったとき、自分も止めなかったことを叔父に叱責されている。祖母が妹ばかりかわいがるのを嫉んでるんだろう、と。

    このエルパソ時代のことは、よほど心に残っていたのだろう、この時代を書いたものは多い。妹のサリーと母の思い出も多く描かれている。矯正器具で体を締め付けられ、運動も遊びも友達のようにできなかった少女時代、「わたし」は、いつも人の遊びを傍でじっと見ている暗い少女だった。ただ一人の友だちがお隣のシリア人のホープだった。「もしもあの経験がなかったら、たぶん私は今ごろ神経症とアル中と情緒不安定だけでは済まなかっただろう。完全に壊れた人間になっていただろう」と書くほどに。そのホープともあることがきっかけで疎遠になってしまうのだが。

    「掃除婦のための手引き書」は、いろんな家を受け持つ掃除婦が、うまくやっていくためのマニュアル書の形式で書かれている。はなっから、盗みを疑ってかかる主人に対抗するための手段や、その目をかすめて働く盗みの手口などを、シニカルかつユーモラスに紹介している。その一方で「みんな、わたしが自己憐憫と後悔に酔っていると言う。誰とも会おうとしない。笑うとき無意識に口を隠している」。恋人のターが死んだ事実があっけらかんとした掃除婦暮らしの裏に隠されている。

    短い文章の中に、必要にして十二分なものだけが、これ以上はないほどに正確に、生き生きと、飛びっきりのリズムで書かれている。これだけの作家が今まで日本に紹介されていないのが不思議だったが、本国でも扱いは同じで、リディア・デイヴィスの文章が訳者の目に留まったころ、三冊の短篇集は絶版で古書扱いだったという。素晴らしい鉱脈を発見したら、鉱山は既に廃坑になっていたみたいな話だが、これをきっかけに他の作品も読めるようになるだろう。是非読んでみたいと思わされる。本作の出版は今年一番の収穫ではないか。

  • 表紙を見たときに「ああ、綺麗な人だ」と思いました。
    この女性が著者であるルシア・ベルリン。
    収められた24編、その圧倒的なきらめきに完全に魅了されました。

    訳者あとがきにて岸本佐知子さんが彼女の文章についてこう述べています。
    「冷徹な洞察力や深い教養と、がらっぱちな、ケツをまくったような太さが隣り合わせている」
    この一文を読んだときに、大きくうなずいている自分がいました。

    鉱山町を転々とした幼少期、アルコール依存症の母や酒浸りの祖父、孤独な少女時代。
    3回の結婚と離婚を経て、さまざまな仕事を経験しながら4人の息子を育てるシングル・マザーに。
    自身もアルコール依存症に苦しみ、克服した後は刑務所で創作活動を教えていた著者。
    彼女の実人生がベースになった作品群は、壮絶さや悲惨さを突き抜けた可笑しみや逞しさを感じました。
    比喩や情景描写の表現が尖っていて、それでいて美しいのです。
    見たまま、聴いたまま、感じたまま、そのままを、するりと言葉で表せる感性に痺れました。

  •  表紙の美人は、映画女優でもモデルでもなく作者本人。かなり波瀾万丈の人生をおくった女性らしい。この本に収められた短編は、いづれも実人生を材にとっているとのこと。うまく表現できないが、「モザイクの結晶」とでもいうべき短編集になっている。ただ、文字通りの「短編」が多いので、もう少し長め短編(?)も書いて欲しかった。フルタイムの作家ではなかったし、もう故人だし無理ですけど。

  • 作者の体験が色濃く反映されている短編の数々。この本について好きなのは以下のような点なのだけれど、この組み合わせでこちらを魅了してくる女性作家はあまりいない気がする。
    - 辛いことを描いても自己憐憫がない
    - 辛いことを描いても隙あらば笑わそうとしてくる
    - 辛いけれども語り手は簡単に人生に殺されない気がする

    1人の人間が体験するにはあまりにも濃い出来事を潜り抜けて、それでも頭脳と心を擦り切れさせず、すべて見てやろうとする輝く瞳と、見て取った出来事をはっとするような構図で切り抜く力があった人。ルシア・ベルリンの生き方にも、作品にも、鼓舞される。

  • ルシア・ベルリンの小説は、ほぼ全てが彼女の実人生を題材にしている。そしてその人生が紆余曲折の多いカラフルなものだったために、切り取る場所によって全く違う形の断面になる多面体のように、見える景色は、作品ごとに大きく変わる。
    これは、訳者の岸本佐知子による著者の言葉であり、非常に的確に本著を説明している。

    これ以上の表現は難しい。この短編集は、詩集のようであり、ショートフィルムのようでもあり、しかし、実際には言葉の才能を備えた芸術家による日記や雑感以上のものではなく、その肩の力が抜けたナチュラルさが、更に魅力を引き立てる。

    文体や文章から広がる雰囲気を少し残しておきたいから、下記に引用をしておく。

    ー シルバーとトルコ石の素晴らしいネックレスに混じって、認識票が下がっていた。一カ所、大きな凹みがあった。弾が当たったの?いいや、怖じ気づいたり女が欲しくなったりするたび、こいつを噛み締めたのさ。

    ー いちど彼から、俺のトレーラーハウスで一緒に横になって休まないかと誘われたことがある。エスキモーなら一緒に笑うって言うとこね。私はそう言って、蛍光グリーンの洗濯機のそばを離れるべからずの文字を指さした。

    ー 掃除婦たちへのアドバイス。奥様がくれるものは何でももらってありがとうございますと言うこと。バスに置いてくるか、道端に捨てるかすればいい。原則友達の家では働かないこと。遅かれ早かれ、知りすぎたせいで憎まれる。でなければいろいろ知りすぎて、こっちが向こうを嫌になる。

    ー 母は変なことを考える人だった。人間の膝が逆向きに曲がったら、椅子ってどんな形になるかしら。もしイエス・キリストが電気椅子にかけられてたら。そしたらみんな、十字架の代わりに椅子を鎖で、首から下げて歩き回るんでしょうね。

  • 握るように挟んだタバコ。女優のように美しいショートヘアのお姐さんが婀娜な表情で遠くに視線を送っている。表紙は作者ルシア・ベルリンのポートレイトである。しびれる。

    人生の断面を映像が浮かぶように切り取った掌編で、底辺や不道徳な暮らしぶりを描く背景にも洗練されたジャズが聞こえます。ヒロインの人生は波乱万丈ですが相当タフ。描く視線も不貞腐れなく、クール&ドライ。でも、愛する人を無くした表題作は絶唱でしたね。歯切れ良く、ソフィスティケートされた表現が魅力です。

    彼女のデスパレートな日々を支えたのは込み上げて止まない表現欲でしょう。表現芸術として第一級であり、圧倒的。文学の愉悦を味わえます。それぞれの作品には刺さるフレーズがあり、中毒になります。「カキダシスト」「キリスト」でいうと快感を覚えるほどの「キリスト」です。編集がいいので、連作短編集のようでした。読み進むほどにルシアのサーガが浮かび上がってきます。本国では全部で43編のアンソロジーなので、後編が待たれます。原語なら何倍も楽しめそうな文体なのに、歯が立たないのは悔しい。

    作者はすでに物故されていますが、ルシアという名に由来するように彼女の魂に光が降り注がれていることをお祈りします。

    • nejidonさん
      myjstyleさん。
      読まれたのですね!
      素晴らしいレビューです。
      こんな書き手がいたということに、今更ながら驚きです。
      私も後編...
      myjstyleさん。
      読まれたのですね!
      素晴らしいレビューです。
      こんな書き手がいたということに、今更ながら驚きです。
      私も後編を待つもののひとりなのです。
      ぜひお仲間に加えさせてください(*^^*)
      2021/02/19
    • myjstyleさん
      nejidonさん コメントありがとうございます。

      本当に傑作で、まだ、興奮がおさまりません。
      nejidonさんじゃないですが、こ...
      nejidonさん コメントありがとうございます。

      本当に傑作で、まだ、興奮がおさまりません。
      nejidonさんじゃないですが、この1年に読む現代文学で、本作を超える作品に出会えそうな気がしません。ヒットしているようなので、間をおかずに後編が出るかもですね。(^。^)
      2021/02/19
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著者プロフィール

1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える。90年代に入ってサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教えるようになり、のちにコロラド大学准教授になる。2004年逝去。レイモンド・カーヴァー、リディア・デイヴィスをはじめ多くの作家に影響を与えながらも、生前は一部にその名を知られるのみであったが、2015年、本書の底本となるA Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、多くの読者に驚きとともに「再発見」された。邦訳書に『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳)がある。


「2022年 『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ルシア・ベルリンの作品

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