掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

  • 講談社
4.20
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レビュー : 101
  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065119297

作品紹介・あらすじ

「アメリカ文学界最後の秘密」と呼ばれたルシア・ベルリンの小説集を日本でついに刊行!

2013年にノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローや、短篇の名手レイモンド・カーヴァー、日本で近年人気が高まっているリディア・デイヴィスなどの名だたる作家たちに影響を与えながら、寡作ゆえに一部のディープな文学ファンにのみその名を知られてきた作家、ルシア・ベルリン。

2004年の逝去から10年を経て、2015年、短篇集A Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、The New York Times Book Reviewはじめ、その年の多くのメディアのベスト本リストに選ばれました。

本書は、同書から岸本佐知子がよりすぐった24篇を収録。
この一冊を読めば、世界が「再発見」した、この注目の作家の世界がわかります!

このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、
とにかく読んで、揺さぶられてください
               ――岸本佐知子「訳者あとがき」より

彼女の小説を読んでいると、自分がそれまで何をしていたかも、
どこにいるかも、自分が誰かさえ忘れてしまう。
               ――リディア・デイヴィスによる原書序文「物語こそがすべて」(本書収録)より

毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)。
夜明けにふるえる足で酒を買いに行くアルコール依存症のシングルマザー(「どうにもならない」)。
刑務所で囚人たちに創作を教える女性教師(「さあ土曜日だ」)。……
自身の人生に根ざして紡ぎ出された奇跡の文学。

感想・レビュー・書評

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  • 作家は小説を書くために波乱万丈の人生を送ってきたわけではないし、過酷な人生を送った誰もがいい作家になって小説を書くわけでもない。ただ、ルシア・ベルリンに関していうなら、彼女がこんな人生を経験していなかったら、そして、魂というか、人間の内部にある根幹の抜き差しならない部分で、それを自分のこととしてしっかり受け止め、一度他人事のように突き放して観ることができなければ、こんな小説は書けなかった。自分と周りにいる人間を愛することをやめなかったことが、これらの小説を産んだのだとはいえると思う。

    「文は人なり」なんてことをいうと、また古いことをと笑われてしまうだろうが、文章を書くことが人間にしかできない技藝である以上、そこにはまちがいなく書き手の人柄というものがにじみ出る。ましてや、ルシア・ベルリンのように、小説の題材をほぼ実人生から選び取ってくるタイプの書き手ならなおさらだ。それにしても、何という人生だろう。転地先を地図上で探るだけで、指は南北アメリカ大陸間を上下左右に動き回る羽目になる。

    アラスカ生まれで、父は鉱山技師。父の勤務地が変わると引っ越しが待っていた。幼少期はアメリカ西部のいくつかの鉱山町。父が出征中はエルパソの母の実家に、そこからチリで裕福な上流階級に変身、成人してからはメキシコ、アリゾナ、ニューメキシコ、ニューヨーク、晩年はコロラド州ボールダー、そして最後はL.A。子どものころの心身両面にわたる悲惨な境遇、四人の子を育てる寡婦の日常、掃除婦、ER勤務、アルコール依存症、刑務所内での文章教室等々、普通人の何倍もの人生を生きている。

    アメリカで刊行された同名の短篇集の中から訳者が選び抜いた二十四篇からなる短篇集。巻頭に置かれたのは「エンジェル・コインランドリー店」。「わたし」はそこで、いつも会う年寄りのインディアン、トニーに手を見つめられ、自分の手の実情を発見する。魅力的な女だが、小さい子を抱えて暮らしは楽ではない。それでも、ジョークを愛し、カーテンをコイン・ランドリーで染色するヴァイタリティーに溢れている。突き抜けたユーモアとニューメキシコ州アルバカーキの場末に漂う、誰でも受け入れ可能な風通しのいい世界観が、作家の個性を鮮やかに物語る。

    突拍子もないジョークのセンスがインディアンのそれに似ていた母のこと、アル中のトニーに「トレーラーハウスでいっしょに横になって休まないか」と誘われるエロスの顕在、今の時制の中にひょっくり過去の話が混じり込んでくる、はじめて吸った煙草は、王子様が火をつけてくれた、という嘘のような本当の話。これから始まる短篇集の主要なテーマや語り口が、さりげなく配置された愛すべき佳品。この話が気に入る読者なら、最後まで読むに決まってる。さあ、どうだ、という訳者の意気込みが見える。

    「ドクター、H.A.モイニハン」は「わたし」の祖父。邪険で偏屈で人を人とも思わない。誰からも嫌われているが義歯作りの技術には定評がある。エルパソ時代、先生を殴って退学になった「わたし」は、祖父の歯科医院で働くことに。自作の総入れ歯をはめるため、酒を飲んだ勢いで、今ある自分の歯を抜きかけた祖父は、痛みに耐えかね、後を「わたし」にゆだねる。ペンチで全部抜いてしまうと「わたし」は椅子のレバーをまちがえて「祖父はぐるぐる回転しながら血をあたりの床にふりまいた」。血止めにありったけのティーバッグを口に詰め込む「わたし」。

    「毒々しい血まみれの首の上の白い骨。おそろしい化け物、黄色と黒のリプトンのタグをパレードの飾りみたいにぶらさげた生きたティーポット」というこのあたりの奇妙にねじくれたユーモア感覚は母譲りのものだろうか。「沈黙」で、酔っ払った祖父は揺り椅子に「わたしを押さえつけ、かんかんに焼けたストーブすれすれに椅子が激しく上下し、祖父のものがわたしのお尻を何度もついた」と書かれている。帰ってきたジョン叔父に助けられたが、酔っぱらった祖父による虐待を祖母は見て見ぬ振りをして止めなかった。妹のサリーが同じ目に遭ったとき、自分も止めなかったことを叔父に叱責されている。祖母が妹ばかりかわいがるのを嫉んでるんだろう、と。

    このエルパソ時代のことは、よほど心に残っていたのだろう、この時代を書いたものは多い。妹のサリーと母の思い出も多く描かれている。矯正器具で体を締め付けられ、運動も遊びも友達のようにできなかった少女時代、「わたし」は、いつも人の遊びを傍でじっと見ている暗い少女だった。ただ一人の友だちがお隣のシリア人のホープだった。「もしもあの経験がなかったら、たぶん私は今ごろ神経症とアル中と情緒不安定だけでは済まなかっただろう。完全に壊れた人間になっていただろう」と書くほどに。そのホープともあることがきっかけで疎遠になってしまうのだが。

    「掃除婦のための手引き書」は、いろんな家を受け持つ掃除婦が、うまくやっていくためのマニュアル書の形式で書かれている。はなっから、盗みを疑ってかかる主人に対抗するための手段や、その目をかすめて働く盗みの手口などを、シニカルかつユーモラスに紹介している。その一方で「みんな、わたしが自己憐憫と後悔に酔っていると言う。誰とも会おうとしない。笑うとき無意識に口を隠している」。恋人のターが死んだ事実があっけらかんとした掃除婦暮らしの裏に隠されている。

    短い文章の中に、必要にして十二分なものだけが、これ以上はないほどに正確に、生き生きと、飛びっきりのリズムで書かれている。これだけの作家が今まで日本に紹介されていないのが不思議だったが、本国でも扱いは同じで、リディア・デイヴィスの文章が訳者の目に留まったころ、三冊の短篇集は絶版で古書扱いだったという。素晴らしい鉱脈を発見したら、鉱山は既に廃坑になっていたみたいな話だが、これをきっかけに他の作品も読めるようになるだろう。是非読んでみたいと思わされる。本作の出版は今年一番の収穫ではないか。

  •  表紙の美人は、映画女優でもモデルでもなく作者本人。かなり波瀾万丈の人生をおくった女性らしい。この本に収められた短編は、いづれも実人生を材にとっているとのこと。うまく表現できないが、「モザイクの結晶」とでもいうべき短編集になっている。ただ、文字通りの「短編」が多いので、もう少し長め短編(?)も書いて欲しかった。フルタイムの作家ではなかったし、もう故人だし無理ですけど。

  • 『わたしも「エンジェル」に来る。なぜだか自分でもわからない、インディアンのせいばかりでもない。家は町の反対側にある。ほんの一ブロックのところにはキャンパス・ランドリー店がある。エアコン完備、BGMは有線のソフトロック。雑誌は『ニューヨーカー』に『Ms』に『コスモポリタン』』―『エンジェル・コインランドリー店』

    リディア・デイヴィスが、そして岸本佐知子が上手く言葉が見つからないと評する作家。ルシア・ベルリンの短篇集を漸く手に取る。リディア・デイヴィスの序文(翻訳では巻頭ではなく末尾にあるが)は少々個人的な思いが錯綜しているようでこの稀有な作家の全体像を冷静に伝え切れているようには思えないが、翻訳家のあとがきは短い言葉でルシア・ベルリンの文章の特徴を言い当てる。比喩の斬新さ、作家の起伏に富んた人生に裏打ちされた確かな「目と耳」。読者の「五感をぐいと」つかみ取る「声」。確かにその通り、と思う。

    とはいえ、言い当てたところで何故読むものが彼女の文章に惹かれるのかまで解明される訳ではない。当たり前だがそれはそうそう単純ことではないだろう。

    『でもわたしが気になるのは、カラスに気づいたのがほんの偶然からだった、という部分だ。わたしはほかにもいろんなことをみのがしてきたんじゃなかろうか。(中略)無意味な問いだ。わたしがここまで長生きできたのは、過去をぜんぶ捨ててきからだ。悲しみも後悔も罪悪感も締め出して、ぴったりドアを閉ざす』―『巣に帰る』

    一つの答えは彼女の動体視力の良さ、ということにあるような気がする。この短篇集を読みながらずっと頭の中ではヴィヴィアン・マイヤーの撮った白黒の映像が浮かんでいたのだが、写真はその中に封じ込められた今にも動き出しそうな物語を全て見るものに委ねている。ルシア・ベルリンの描く物語もそれと近い印象を残すように思う。そしてもう一つ。ヴィヴィアン・マイヤーも時に自分自身の映り込んた写真を撮った。その風景の中に取り込まれた孤独な家政婦はにこりともせず、かといって自身の置かれた立場を卑下するようでもなく、凛と、と言うと言い過ぎだが、しゃんと立って写っている。ルシア・ベルリンが自分自身の人生に紐づく物語を書いている短篇はそのポートレイトに似ていると思う。

    憐憫を誘う訳でもなく、自身の境遇に対する理解を求めるでもなく。妙に冷静で、他人に起きた出来事のよう綴られたエピソード。短篇集の最初の何篇かを読んでいる時には、なんて極端な状況を上手い表現で語る物語だろう、さすが岸本佐知子が翻訳を手掛ける作家だ、とわくわくした。しかし説明されるまでもなく徐々にこれらが彼女の人生の一部を切り取ってみせた小説なのだと理解する。しかし理解しても、わくわくは静まりこそすれ小説を読む愉しみが少しも変わることは無い。その媚びない態度、自然体を保ちつつ自分自身の身の上話を文章に出来るのは、観察する眼の確かさ故だろうと思うのだ。

    極端過ぎると思う程、自分自身を他人事のように取り扱い、他人の感情にぴしゃりと戸を閉ざす。年老いてからのエピソードには多少角の取れた雰囲気も醸し出されてはいるが、それも最後にはびしっと突き放した表現で反故にする。もちろんそれが作家の全てを表現しているとは思わないが、先に挙げた写真家の作品から漂う雰囲気をルシア・ベルリンは確かに持っている。ヴィヴィアン・マイヤーが誰に見せるでもなく何万枚もの写真を撮り溜めたように、この作家もまた他者による評価を本当には必要としていなかったのではないだろうか。そんな気がしてならない。

  • 作者の体験が色濃く反映されている短編の数々。この本について好きなのは以下のような点なのだけれど、この組み合わせでこちらを魅了してくる女性作家はあまりいない気がする。
    - 辛いことを描いても自己憐憫がない
    - 辛いことを描いても隙あらば笑わそうとしてくる
    - 辛いけれども語り手は簡単に人生に殺されない気がする

    1人の人間が体験するにはあまりにも濃い出来事を潜り抜けて、それでも頭脳と心を擦り切れさせず、すべて見てやろうとする輝く瞳と、見て取った出来事をはっとするような構図で切り抜く力があった人。ルシア・ベルリンの生き方にも、作品にも、鼓舞される。

  • 装丁と表題のおもしろさ、高い評価に魅かれて手に取った
    もともと翻訳本は苦手だったが、これほどまでに、手強いとは
    今回は全然頭に入ってこなかった

    ルシア・ベルリンの波乱万丈の人生、浮いたり、沈んだりの人生の中でも常に冷静な目でウイットを忘れずに生きる姿は、伝わってきたが、きっと私には彼女の作品の半分も読みこなせていないだろう

    長短織り混ぜての24の短編集

    「ドクターH.A.モイ二ハン」の腕はいいが、狂気じみた祖父が辺り一面血の海にし、気絶しながら、自分の歯を全部抜いて、入れ歯を入れるシーンや表題作「掃除婦のための手引き書」の掃除婦になろうとしている人のためのアドバイスは、クスッと笑えたが、その他はお手上げだった

  • 「掃除婦のための手引き書」
    ルシア・ベルリン(著) 岸本佐知子(訳)

    2019 7/8 第一刷発行 (株)講談社
    2019 11/1 第六刷

    2019 12/17 読了

    人はみんなそれぞれ
    キラキラ輝いている宝物のような瞬間を生きていて

    それはとても尊い。

    ぼくの大切な人のその瞬間を
    同じように大切にしたい。

    心からそう思う。

    たとえそれが
    魂を鷲掴みにされて水の底に押し付けられるような事だとしても

    その瞬間を同じ思いで大切にしたい。

    もっともっと著者ルシア・ベルリンの本を読みたいが残念ながらすでに故人となっている。

    ルシア・ベルリンは描くために生きた女性なんだろうなぁ…

    岸本佐知子さんの訳も素晴らしい事は言うまでもない。

  • 絶賛する書評をよく見かけて。
    ルシア・ベルリンという著者、全然知らなかったけれど、この短編集はほぼすべて彼女の実人生に材をとっていると知って驚いた。
    暗黒の少女時代や、奔放で明るいティーン時代、掃除婦として働いたシングルマザー生活に、アルコール中毒。そして病に死にゆく妹と過ごすそれからのメキシコの日々。
    同一人物とは思えないほど色濃いエピソードに富んだ人生だ。
    私が好きだなと思ったのは「星と聖人」や「沈黙」(いわゆる暗黒の少女時代)。

    >ああこれだ、とわたしは思った。わたしは自分が悪くないときに母に自分を信じてほしいだけではなかった。たとえ悪いことをしたときでも、自分に味方してほしかったのだ。

    この一節がずんと胸に重く響く。

  • ルシア・ベルリンを安吾より太宰、と言った友人がいるのだが、半分だけ当たっていると思う。安吾と太宰、ふたりの目ざしていたものを、ルシアも目ざしていた、という意味で。

    安吾の太宰論では、太宰の死に近き頃(「晩年」でデビューしていると晩年という言葉が使えない!!)の作品はフツカヨイ的だと言う。それは言い換えれば、露悪的に開き直った態度で自己肯定を行っている、という事なのだと思う。しかし、コメディアン的に自己との距離を保ち、批評性を持って書いている時は、最高のものを書いている、という。

    これは丁度、ルシア論に置き換えられるのだが、彼女の作品の素晴らしさは、酩酊したフツカヨイ的な自己の姿を意図して描きながら、それを記述するそのペンを持つ手は、それこそ背筋をキリッと伸ばしてその切り立った崖っぷちを爪先で歩いているのだ。
    そんな意識の冴え渡った姿、その醒めた視線と、そこから生まれるユーモアが、ルシアの魅力なのだと言える。
    そして、それは常識や善悪を超えなければ見る事の出来ない世界を見せてくれる。それは安吾の言う「ふるさと」であって、それを見せる達人が、安吾・太宰・ルシアの三人が師と仰ぐ、チェーホフなのである。
    スタイルそのものはあからさまなチェーホフ風ではないルシアの中にあるチェーホフ性、というものはそういうものなのだ。

    作品中にもチェーホフの傑作『ねむい』を朗読するエピソードが出て来たが、私にはその主人公のワーリカが大人になって、小説を書いている、それがルシア・ベルリンなのではないか、とさえ思えた。

  • 初読

    以前、早稲田文学女性号で表題作を読み、
    その時は「コレだ!」という事もなく、でも印象は強くて
    なーんか気になるな…という感じだったのだけど。

    今回も、私は、ガツンとキタ、というよりは
    なんだかグッと、くるような寸止めされるような。
    頁をめくる手が止まらないという訳でもなく、
    でも少しずつ読むのが楽しみで、読んでない間もずっとその存在を意識していて。

    少しずつ読み進めるに従って。
    ん、あれ、そうか、ニューメキシコの、サンチャゴの、オークランドの、エルパソの
    ル・チーアは、カルロッタは、マギー・メイは、アデルは、クレアは
    「わたし」なのか。

    「さあ土曜日だ」があんまり良くて、
    もう残り少ない頁数が惜しくなってきて、また冒頭から読んだり。

    自伝、という訳ではないらしいのだけど、
    ルシア・ベルリンの存在を人生を感じずにいられる訳もなく。
    乾いたユーモアや哀しみ。女っていいな。

    「今を楽しめ」で更年期にザ・チェンジてルビ振ってあったのがカッコよくて真似したいと思いますw
    「あとちょっとだけ」に息子たちの人生にもうわたしはいないのだとわかる。の下りがなんかとてもグッときてしまった。
    気が早い。というか子供もいないのだけど。
    でもわかるよね。

    他人の家の遺品を片付ける「喪の仕事」もすき。

    リディア・デイヴィスと岸本佐知子氏の巡り合わせにも感謝。

  • 本書(原書を含む)を読んだときの衝撃は、大きく分けると以下の3点でした。

    1.独特の乾いた文体であること

    淡々としたと言うと、特に近年の日本人作家によく見られる文体ですが、ベルリンのはそれとはどこか---しかしはっきりと---違います。淡々としているというより、どこか乾いた感じがするところが魅力です。

    2.仕事小説であること

    「お仕事小説」というより「仕事小説」。掃除婦であろうと事務員であろうと、どのような仕事をしているかがある程度伝わる描き方がされています。たとえば日本の「お仕事小説」は、往々にして仕事内容より人間関係などを中心にして展開しますが、ベルリンの「仕事小説」の場合、職場を舞台にした定番の恋愛小説ということは、まずありません。

    3.中毒者であること

    アルコールにせよドラッグにせよ、中毒と文学といえば、かつては男性作家(レイモンド・カーヴァ―、チャールズ・ブコウスキー、ウィリアム・バロウズ、デニス・ジョンソン・・・)の特権であるかのような印象があるかもしれません。しかし本作には、女性の中毒者(特にアルコール中毒者)が登場します。ベルリンは、彼女らの実態を赤裸々に描いているというより、彼女らの日々の生活を描くことで、物語として読むことの愉悦を与えてくれます。

    以上に加えて、名訳者による名訳で読めることを言祝ぎたいです。

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著者プロフィール

Lucia Berlin 
1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える。90年代に入ってサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教えるようになり、のちにコロラド大学准教授になる。2004年逝去。レイモンド・カーヴァー、リディア・デイヴィスをはじめ多くの作家に影響を与えながらも、生前は一部にその名を知られるのみであったが、2015年、本書の底本となるA Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、多くの読者に驚きとともに「再発見」された。

「2019年 『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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