科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで (ブルーバックス)
- 講談社 (2018年6月20日発売)


- 本 ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065120507
作品紹介・あらすじ
宇宙や物質の究極のなりたちを追究している物理学者が、なぜ万物の創造主としての「神」を信じられるのか? それは矛盾ではないのか? 物理学史に偉大な業績を残したコペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらが神をどう考えていたのかを手がかりに、科学者にとって神とはなにかを考える異色の一冊。しかし、この試みは「科学とは何か」という根源的な問いを考えることでもある。
「先生は科学者なのに、科学の話のなかで神を持ち出すのは卑怯ではないですか」
ある高校生から投げかけられたこの質問が、本書が生まれるきっかけだった。
素粒子物理学者として「小林・益川理論」のノーベル賞受賞に貢献し、
カトリック教会の聖職者でもある著者が探し求め、見いだした答えとは?
聖書が教える「天地創造」の物語はもはや完全に覆され、「神は死んだ」といわれて久しい。
しかし実は、宇宙創成に関わる重要な発見をした科学者の多くは、神を信じていた。
天動説を葬り去ったコペルニクスとガリレオ、物体の運行を神によらず説明したニュートン、
宗教に強く反発して「光」だけを絶対としたアインシュタインらも神への思いを熱く語り、
さらには量子力学を創ったボーアやハイゼンベルク、ディラック、シュレーディンガー、
特異点なき宇宙を考えたホーキングら、「無神論者」といわれた現代物理学者たちさえも
実は神の存在を強く意識していたのだ。
彼らの神への考え方を追うことで見えてくる、宇宙論を発展させた本当の原動力とは?
日本人には理解しにくい世界標準の「宗教観」を知るためにも最適の一冊!
第1章 神とはなにか、聖書とはなにか
第2章 天動説と地動説 ――コペルニクスの神
第3章 宇宙は第二の聖書である ――ガリレオの神
第4章 すべては方程式に ――ニュートンの神
第5章 光だけが絶対である ――アインシュタインの神
第6章 世界は一つに決まらない ――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて ――ホーキングの神
終章 最後に言っておきたいこと ――私にとっての神
感想・レビュー・書評
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この本は2018年に第一刷が出版されて僅か5年で13刷が出版されているという、この類の本としてはすごいヒット作である。読んでみると、その内容はとても深いのだが、わかりやすい。やはり名著には理由があるのである。科学者がなぜ宗教を信じるのかは、私も不思議に思っていたことであるが、どんなに科学で解明しても、宇宙の始まりは誰が創ったのか?たとえ宇宙には始まりがないという理論が証明されたとしても、その法則は誰が創ったのかということまで考えると、神は不要であるとまでは言えないことになる。とにかくこの世界は驚きの理論に包まれているのだ。
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めっちゃ面白かった。
科学的内容まで含めた科学史をベースに、科学者が神をどのように捉えていたかが述べられている。
後者がメインテーマではあるんだけど、前者の説明がとてもわかりやすく、高校物理〜大学物理の理解が深まった。
一見相反するように見える科学と神が、実は切って切り離せないというのは面白い。そして、科学、特に宇宙の成り立ちを追えば追うほど、やはり神はいるのではないかと思えてくる。
科学は確かにこの世の現象を説明してくれるけど、ではその法則はどうして、どうやって作られたのか。科学や数学はロマンで溢れているなと思う。 -
「科学者であるのに、科学の話で神を持ち出すのは卑怯」。
高校生から投げかけられた言葉から、著者は科学者であることと神への信仰が矛盾しないことの説明をテーマとする。
歴代の科学者の功績を紹介しながら、「神」という視点をもって科学を眺める。 -
「科学者はなぜ神を信じるのか」という題名に私の疑問の答えがあると思い、題名を見た瞬間に手に取りました。
というのも、私には一神教の教えがどうにも入ってこないからです。
以前遠藤周作の「沈黙」を読んだときにも思いましたが、いっそのこと「神様はいない」と思う方が物事を考えるときに楽で近道なんじゃないか、というのが私の感じるところです。
日本でいうところの八百万の神と西洋でいう神というのは全くの別物で、起こりも考え方も全く違う、哲学の本を読んでも、宗教の本を読んでも、それこそ科学の本を読んでも、いつもいつも心に引っかかるトピックでした。
自然科学の長い歴史に触れ、時代時代の科学者たちの研究や葛藤に触れても、終盤まで私の疑問は解決しなかったのですが、著者が述べていた「神、宗教、教会は違う」という言葉が答えなのかなと思いました。
私が人間を悩ませると思うものは宗教や教会であり、神ではない、ということがクリアになり、なるほどなぁと思いました。
科学法則の創造者を神、と呼ぶのであれば、私にもすんなり入ってきます。
科学者たちは宇宙への探求をこれからも続けていき、今は謎となっている事象も次第に明かされていくのでしょう。それでも次の謎が生まれ、いつまでもその先には神の存在があり続けるのだなと思いました。
読了後の気持ちとして、私はやっぱり誤解や戦争を生む「宗教」の存在に対しては疑問が残り続けると思いますが、「神」を否定するのはやめようと思いました。 -
たまたま「物質は何からできているのか」に続いて読んだこちらの「科学者はなぜ神を信じるのか」。科学と「神」の関係性について、素粒子物理学者であり、カトリックの助祭である著者が書いている。コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア等量子力学・物理学者たち、ホーキングらをピックアップしている。コペルニクスからガリレオやニュートンまでは神の存在を疑っていなかった=科学は神の御技を理解することとしていたのは認識していたので、アインシュタイン以降はどうだったのか興味があったのだけど、「科学法則自体は誰が作ったといえば神である」というスタンスでの著作なので、アインシュタインもホーキングも神の存在を感じていたはずだという論調になっています。そこはちょっと強引にも思えましたが、それぞれの科学者たちのスタンスの違いが垣間見えたのはよかった。
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アニメ「チ。」を見たことがきっかけで、科学と宗教の関わりに興味を持ち、この本を読みました。コペルニクスの時代から現代までの科学史を、宗教的な視点を交えながら辿る流れが面白かったです。
著者は聖職者でもあるので、全体に神を肯定するバイアスがかかっていると感じましたが、それを差し引いてもできる限り公平に肯定と否定を扱おうとしている点は良かったです。
私自身は宇宙創造の説明に、神は不要だと考えています。
しかし人の倫理を規定するものとして、これからも神は人にとって大きな存在であり続けるだろうと思います。 -
宇宙や物質の究極のなりたちを追究している物理学者が、なぜ万物の創造主としての「神」を信じられるのか? それは矛盾ではないのか? 物理学史に偉大な業績を残したコペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらが神をどう考えていたのかを手がかりに、科学者にとって神とはなにかを考える異色の一冊。しかし、この試みは「科学とは何か」という根源的な問いを考えることでもある。
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物理学史と科学者たちが神についてどのように考えてきたか(推測も含む)が綴られている。
4〜5年ぶりに本を読んだ文系おばさんだが、とても読みやすい文章で理解しやすかった。
最後の思考停止についてが一番の発見だった。最近流行り?の安易に答えや解決法だけを求めることや、浅い理解で他人を言い負かす人(を尊敬すること)は思考停止に近いと思っているので、なぜを大切にし自分で解決するよう努力できるようになりたいと改めて思ったし、そうやって努力する人が宗教や神を信じていてもちゃんとした科学者になれると理解した。 -
科学史としての側面が強いなと感じました。
本著においては、科学者たちの信じる神は時代を通して、世界の創造主としてみれば世界の不可知性として残り続ける神の役割は一貫しており、その意味では終章にあるような見解もなんとなく頷けます。
自然に対して人間が無力だった時代から、科学の発展によって人間が自然をコントロールできると思い始めた転換点において、神という概念から宗教的なニュアンスが剥ぎ取られ、そこから世界に対する不可知性を象徴するものとしてニュアンスに変わっているように感じるのですが、科学者でありキリスト教徒でもある著者が、この辺りにあまり突っ込まずに話を進めているのには違和感が残りました。
個人的には、神というからには科学革命やダーウィンの仕事以降生じたであろう神の持つ宗教的なニュアンスの変化に即して、こと「唯物論者である科学者たち」の信じる神の宗教的根拠がどう変わっていったのかをもっと突き詰めて欲しかったと思いました。 -
350年経て調査委員会を設置し、その報告からガリレオに謝罪し、科学と宗教の融合を宣言して、科学者達の教会離れを防いだ教皇、ヨハネ・パウロ2世がスゴい。
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