最大多数の最大幸福 道徳および立法の諸原理序説より (まんが学術文庫)
- 講談社 (2018年10月11日発売)


- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065122921
感想・レビュー・書評
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●功利主義の原理に反対するのは、この権利が自分の既得権益を損なうことを知っているものだ。
しかし、この原理を都合の良いように解釈し、自分たちに有利な理論にすり替える人もいる。社会の多数のために、少数の弱い者が犠牲になっても良いわけではない。
●その昔、「さらし刑」という罰があった。手足に枷をはめられ広場などにさらされる。そして民衆からの殴打や投石で大半が重傷になるか死んでしまう!
●罪には必ず被害者がいるはずだ。同性愛のどこに被害者がいるのだ?
●法学者は、法律が「どうあるか」ばかりを論じて、「どうあるべきか」を論じない。
●火事の時に肉親と社会的に価値のある人間どちらを助けますか? 5人を助けるために、あなたの横にいる1人を突き落として殺せますか?など極端な問題を出して功利主義を惑わす。ゴドウィン
●問題が極端になればなるほど、功利主義だって歪んでしまう。そんな生涯に1度あるかないかの状況ばかり考えていると、本来明朗で実践的である功利主義なのに身動きが取れなくなる。
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ベンサムの名著解説。ただ、あまりにもダイジェストなので、原書を読まねば。とにかく、とっかかりとしては楽しめた。
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最大多数の最大幸福。全体の快を増やし、不快を減らす。
功利論では「全体の利益のために一部のものが犠牲になる」ことがあるが、この一部が弱者として誤解されがち。弱い立場の者から取り上げるのは不快が大きいので、むしろ富裕層などのすでに多くを持っている者たちから取り上げて再分配することで、全体の快を増やそうとする。
個人は他者に迷惑をかけない範囲で自分の快を求めて行動して良い。ただし、道徳的制約などは受けるので、犯罪行為などを好きにして良いわけではない。
5人のために1人の命を犠牲にするといった思考実験は極端な例で意味がない。重要なのは社会全体の幸福のためにどのような行動をとるかという俯瞰的な視点
ベンサムの作品





