- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065124987
作品紹介・あらすじ
海外の研究者が「世界初の先物取引市場」と評価する江戸時代、大坂堂島の米市場。米を証券化した「米切手」が、現在の証券市場と同じように、「米切手」の先物取引という、まったくヴァーチャルな売り買いとして、まさに生き馬の目を抜くかのごとき大坂商人たちの手で行われていた。このしばしば暴走を繰り返すマーケットに江戸幕府はいかに対処したのか? 大坂堂島を舞台にした江戸時代の「資本主義」の実体を始めて本格的に活写
感想・レビュー・書評
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江戸時代の大坂、そこには今の資本主義のルールとはちょっと違う市場経済が存在していた…というのが本著です。
市場の成立経緯からして違うというのはありますが、現代の証券取引所の目的は「流動性の向上と安定した価格形成を図る」という前提がありつつ、その参加者が利益を追求していく場になっていると思います。江戸時代の大坂堂島米市場は、幕府が「米相場が望ましい状態になるため」のツールとなっていたというのが大きな違いです。
だからこそ、旗振り通信で大坂市場の情報を一足早く入手して別の市場で取引する、今で言うHFTのようなやり方は公平・公正な取引を阻害するものとして禁令が出されていた、というのが面白いところ。
他にも、5-8月は休日も休まず取引が行われ、6,7月に至っては夜通し取引が行われた…というのは、公私の線を引かずに熱中してしまう?のか、他の時間に休んでいたのか?と当時の気質が窺えるようです。
また、「立用(るいよう)」という、火縄に火がついてから消えるまでの間に、1回も取引が成立しないと、その日の取引全てが無効になる!という凄い取り決めがあったそうで、その心は、そんな相場は上げか下げで、「相手がなければ商いが止まって、相場が潰れる」からということ。また、1者が相場操縦を企てても他者が参加しないから成立しなくなる。なるほど、個性的ではあるもののサーキットブレーカーなのか…と関心しました。
これだけ諸制度が整った市場が、江戸時代の日本に存在したんだなぁと思うと、少し誇らしいような気持ちになります。
ニューヨークのウォール街、ロンドンのシティと並び称された(はずの)大坂堂島が、明治維新で消えてしまったというのが残念です。「米」を基軸とした経済というのは西欧の精神を取り入れるという中ではあり得なかったのかもしれませんが…。
ちなみに、本著の立て付けとしては入門書なのかなぁと思うのですが、新書としては少し分厚めのボリューム。中盤の事例紹介のくだりは個人的には少し読んでいてしんどかったかなぁという感じでした。
とは言え、全般的にはキャッチーにまとまっていて、面白く読了できた1冊でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【製品情報】
『大坂堂島米市場――江戸幕府 vs 市場経済』
著者:高槻泰郎[たかつき・やすろう]
発売日 2018年07月19日
価格 本体900円(税別)
ISBN 978-4-06-512498-7
通巻番号 2487
判型 新書
ページ数 320ページ
シリーズ 講談社現代新書
海外の研究者が「世界初の先物取引市場」と評価する江戸時代、大坂堂島の米市場。米を証券化した「米切手」が、現在の証券市場と同じように、「米切手」の先物取引という、まったくヴァーチャルな売り買いとして、まさに生き馬の目を抜くかのごとき大坂商人たちの手で行われていた。このしばしば暴走を繰り返すマーケットに江戸幕府はいかに対処したのか? 大坂堂島を舞台にした江戸時代の「資本主義」の実体を始めて本格的に活写
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【目次】
はじめに [003-011]
躍動する江戸時代の市場経済
「米穀売買出世車図式」
暴走する江戸時代の市場経済
市場経済との向き合い方
【表記方法について】
目次 [012-013]
第1章 中央市場・大坂の誕生 015
江戸時代初期の大坂
細川家と大坂市場
幣制の統一
開発の一七世紀
第2章 大坂米市の誕生 027
米市の発生
『大阪市史 第三』
手形取引の功罪
米切手の誕生
先物取引の誕生
清算機関の誕生
「米商旧記〔こめしょうきゅうき〕」
立物米〔たてものまい〕取引は商品先物取引にあらず
実物をやりとりしない取引は賭博?
第3章 堂島米市場の成立 047
米取引をめぐる紛争
『日本永代蔵』
「不実」な商いの容認
『御触書寛保集成』
享保期の米価低落
享保期の米余り
堂島米市場の「容認」
『御触書寛保集成』
天下御免の米相場へ
帳合米商いを支えた秩序
「八木のはなし」
堂島米会所か、堂島米市場か
第4章 米切手の発行 071
江戸時代のウォール街
大坂への米廻送
大坂蔵屋敷の属性について
久留米藩蔵屋敷における米の荷さばき
入札資格「蔵名前」
米切手の発行
大坂米市場における取引の流れ
米切手の券面
米切手券面のトリック
「浜方記録」
米切手の期限
第5章 堂島米市場における取引 105
堂島米市場のルールブックは存在するのか
堂島米市場の組織
堂島米市場の取引空間
正米商い(スポット市場)の取引ルール
帳合米商い(先物市場)の取引ルール
立用〔るいよう〕
「難波の春」
「考定 稲の穂」
取引の終わり
立物米の選定基準
三五歳デリバティブ限界説?
立物米を取引するとは?
「夢之代」
帳合米商いを「手仕舞う」
「御仕置類例集 甲類(第一輯)十下」
「米穀売買出世車図式」
米方両替の機能
例外としての現物決済
「考定 稲の穂」
帳合米商いはマネーゲームか?
『草茅危言 五巻』より「米相場の事」
第6章 大名の米穀検査 157
米の品質を巡る競争
「見付」と「地味相応」
熊本藩の米穀検査制度
市場経済と地域社会
地租改正と産米品質
第7章 宝暦11(1761)年の空切手停止令 169
一八世紀中期の危機
空米切手問題の顕在化
広島藩蔵屋敷の取り付け騒ぎ
萩藩蔵屋敷を巡る騒動
大津での騒動
待たれる政策対応
江戸幕府による実態調査
空米切手停止令の発令
「米商旧記」
久留米藩米切手滞り騒動の発端
「筑後米蔵出し滞出訴一件扣」
奉行の言葉
「筑後米蔵出し滞出訴一件扣」
買い戻し価格を巡る交渉
「内済証文」の裏側
大坂町奉行所の役割
空米切手停止令の意義
第8章 空米切手問題に挑んだ江戸幕府 201
モラル・ハザードと逆選択
不埒な米切手の回収
鴻善【※鴻池屋善右衛門の略記】・加久【※加島屋久右衛門の略記】の回答
江戸表からの再提案
鴻善・加久の再反論
不渡り米切手のお買い上げ政策
蔵屋敷への監査
その後の空米切手騒動
江戸幕府・大名・商人の対話
第9章 米価低落問題に挑んだ江戸幕府 225
米価水準と江戸時代経済
享保一六年の買米〔かいまい/かわせまい〕令
「享保十六年買米一件控」『大阪編年史 第八巻』
享保一六年買米令の顛末
米価の下限規制
買米ふたたび
下限規制の撤廃
『大阪市史 第三』372-373
宝暦の大坂御用金
「内無番状刺」
享保の大坂買米との違い
政策がもたらした正負の効果
宝暦の御用金政策をいかに評価するか
文化三年大坂買米の発令
『大阪市史 第四 上』458-459
目標高の指定
升屋平右衛門の素晴らしい提案
政策の「出口」と買米高の意味
政策の効果
「草間伊助筆記」
「草間伊助筆記」
江戸幕府による学習過程
第11章 江戸時代の通信革命 273
「状屋」というビジネス
「考定 稲の穂」
米飛脚の役割
米飛脚の速度
米飛脚の起源
旗振り通信の登場
旗振り通信が禁止された理由
旗振り通信の「証拠」
旗振り通信の技術
相場情報の活用事例
「速度」が求められた時代
おわりに 297
あとがき [303-306]
参考文献一覧 [307-318]
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江戸時代の堂島の米市場及び江戸幕府の政策方針を概観する。諸国大名の米が大阪の蔵屋敷(大阪町人名義)に集まるが、その資産を裏付けに米切手が発行される。それがやりとりされるのが米市場でさらにはその先物をやりとりする帳合米市場も同時期に生まれた、こちらは差金決済で現物のやりとりがなく、政府の関与は名目上は全くなかった。米切手の市場自体も米価格が安定する限りにおいて制度を安定させるように幕府は見ていたように考えられる。
各国は廻船された米以上に米切手を発行していたため何度となくデフォルトの騒ぎが起こるが実際に奉行所が仲裁に入った件数はそれほどなく、中期には裏付けのない米切手は違法と明文化される。また幕府は米価格が諸国、武士階級の収入そのものであるため、その価格維持に腐心し、買い上げ対策を何度となく大阪豪商(三井、鴻池ら)に働きかけるが、最初はうまくいかず、だんだんインセンティブをあたえたりとコミュニケーションをとって改善策を打ち出す。 -
【商都で一勝負】世界史的に見ても,当時の水準で異常なほどの発達を見せていた大坂堂島の米市場。今でいう「自由主義」が時に行き過ぎ,暴走の感を見せるその市場に,江戸幕府はどのような哲学をもって関係を築いていったのか......。著者は,ミクロ経済と経済史を専門とする高槻泰郎。
いわゆる経済学なる考え方が発展していない中で,市場と規制の鍔迫り合いがダイナミックに展開されていたという事実にまず驚き。その上で,信用や名目,時には「腹芸」が重視されたりする当時の市場慣習が透けて見え,経済史としての面白さも詰まった作品だったように思います。
〜市場経済の原理なるものは,目的に適合する限りにおいて容認・保護されるべきものであり,それ自体として尊重されるべきものではない,というのが江戸幕府の立場であった。〜
最近のメッケもん的一冊です☆5つ -
日本の金融市場の黎明期がどのように成り立ってきたのか、そのことを具体的に知る良書である。江戸時代の大坂でこのような洗練された金融市場が形作られた。そして、江戸幕府はこれをなんとかうまく利用しようと、お互いの駆け引きが続き、それはまた江戸幕府の統治の要のひとつであったという見方である。
本当にこの堂島米市場で行われていた帳合米取引というのは、現代の指数先物取引とほとんど同じものである。米を原資産とする証券デリバティブ取引であった。
大坂と江戸。この絶妙の距離感が江戸時代の金融市場にイノベーションをもたらしたのだろう。この市場が仮に江戸にあったならば、このような洗練された金融市場として成長できたかどうか。お金は政府とほどよい距離感にあったほうがいい。適度な緊張感と自由な発想。これが大坂の金融市場の基盤にあったと思う。
現代もまた然りである。お金と政府がべったりくっついた東京金融市場は閉塞感の中にあり、没落するばかりである。もはやアジアを代表する金融市場ではない、単なるローカル存在となってしまった。
自由闊達な金融市場を現場の力で作ってきた大坂は、大阪と名前を変えて以降、戦時・戦後の統制経済に押し込められ、日本から金融力を失わせてしまったのではないだろうか。 -
読んだきっかけは「江戸時代に先物取引があった」という内容に興味をもったためでした。江戸時代の米と言えば農民が年貢を納めているイメージですが、では納められた米俵はそのあとどうなった?本書にはそこが描かれています。米は各地から大坂の藩屋敷に集められ、市場で売買されます。しかも一部は米切手という証券に化体し、現代のような激しいデリバティブ取引の渦中に巻き込まれていきます。実際の米がまだないのに空切手を売ってしまう藩。市場を管理し米価を安定させようとする幕府。管理されまいとする三井家、鴻池家などの豪商…。
江戸時代の人は現代人よりも原始的だったか。とんでもない。西洋文化が流入するはるか以前から日本には高度な市場経済があったのでした。
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江戸時代の大阪米市場には、現代の先物取引にほぼ匹敵するようなデリバティブ市場が形成されていた。江戸幕府もそれを不実の取引としながらも、米価対策の観点で利用していた。
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江戸時代の市場経済の実証的研究
名著。P138の立用米は立物米、P164の損毛は損耗の間違ひ。
徳川時代の経済史としておもしろかった。先物取引については井上ひさしの『黄金の騎士団』での知識しかなかったのだが、この本でどういふものかよくわかった。少くとも17世紀までには米市場があったとは知らなかったし、幕府が試行錯誤しながら市場を望ましい状態にしようと躍起になってゐた事もわかった。
市場経済について不案内な人も不信的な人も、徳川時代からあったと知ればいい入門になるのではと思ふ。 -
大阪堂島にあった米市場について書かれた本。当時の資料を詳細に分析し、まとめ上げられており、学術的で論理的内容である。行われていた米取引は現物のみならず、先物も行われており、世界初の先物市場と言われていることを知った。当時の商人のみならず、監督者である幕府や、訴訟対応に当たった大阪奉行所など、その金融リテラシーの高さは、驚くべき事実だと思う。大きなお金の動く市場を安定的に運営する方法の研究は、素晴らしい着眼だと思うし、とても勉強になった。
「日本の大阪米市場は、世界初の組織的先物取引市場であるとする海外の方も少なくない。なかでも著名な人物としては、CMEグループの名誉会長であり「先物取引の父」とも呼ばれるレオ・メラメド氏が知られている」p5
「堂島米市場は日本よりも、むしろ海外において認知度が高いとすら言える状況である」p5
「大阪の米市は、ごく初期の段階から、米そのものを売買する市場ではなくなり、手形で売買する市場になっていた。それのみならず、米手形は実際に在庫されている米の量以上に発行されていた。大阪の米市は早くから単なる米の販売市場にとどまらず、将来の収入を引き当てにして諸大名が資金調達をする金融市場としても機能していたのである」p31
「商品・現金のやりとりを避け、手形での決済を好むのは、大阪をはじめとする上方商人の特質と言われている。例えば、明治政府が行った商業慣例調査においても、現金の授受による決済が支配的であった江戸とは対照的に、京・大阪では手形での決済が一般的であったことが報告されている」p31
「江戸時代の日本で大規模な凶作が発生した年には、東アジアの夏季平均気温が低位に推移していたことが確認されている。だが、享保期はその逆であったことから、米作にとって中立的か、あるいは望ましい気象条件が持続したと考えれれる」p57
「(堂島米市場)米切手を売買する正米商い(スポット取引)、先物取引である帳合う米商い、そして虎市(売買単位の小さい帳合米商い)の3つに分かれていた」p107
「取引開始時点を寄付、取引終了時点を引片と呼んだ。夕方の終わりを「大引」としている」p111
「(商家秘録)「数千の人、毎日数十万俵うりかい、一俵も違わず日々滞りなく帳面納まる事、またほかにたぐいなき商いなり」」p142
「幕末の堂島米市場では慢性的な鞘開き(現物と先物の価格差)に悩まされ、明治2年には、まさにこの鞘開きを1つの理由として、廃止の憂き目に遭っている。明治4年に再出発することになるが、そこでは、満期日における米現物の受け渡しによる決済が、例外規定としてではなく、ルールとして明記されている。つまり、堂島米市場は、明治4年以降に正真正銘の商品先物市場となったのである」p155
「(藩による品質管理の厳しさ)1870年代から80年代にかけて、廃藩置県と地租改正によって領主制は解体し、物納年貢から金納地租への切り替えが進む中、熊本県を含む全国各地で産米品質が悪化したことが知られている。砂を混ぜたり水をかけたりして目方をごまかす、良米と称しつつ粗悪米を混入する、などの行為が横行したのである」p168
「江戸幕府は市場経済に疎いなどという評価は、少なくとも18世紀以降については、全くあてはならないことがわかる」p271
「(旗振り通信)大阪からの通信時間は、和歌山が3分、京都が4分、神戸が7分、桑名が10分、岡山が15分、広島が40分弱であったとされる。通信の平均速度は720km」p291
「現代に暮らすわれわれがそうであるように、通信速度の希求は不可逆的なものである。飛脚が遅いとして米飛脚が生まれ、並便では遅いとして早便が生まれ、早便でも遅いと旗振り通信が生まれる。江戸幕府が押しとどめようとしても、この流れは決して止まらなかった」p295
著者プロフィール
高槻泰郎の作品





