ヘーゲルを越えるヘーゲル (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.93
  • (5)
  • (3)
  • (6)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 117
感想 : 10
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065130759

作品紹介・あらすじ

序 ヘーゲルの何が重要なのか?
多文化主義の旗手、またラカン派精神分析を資本主義批判に応用する思想家など、ヘーゲル研究を出発点とし、ヘーゲル研究に拘る哲学者は少なくない。
現代思想でヘーゲルはなぜ重要であり続けるのかを、アクチュアルな議論の状況に即して考える。
第一章 「歴史の終わり」と「人間」
ヘーゲルの歴史哲学は、マルクスをはじめその後の社会思想を決定づけたその要因を探る。
第二章 「主」と「僕」の弁証法
高著『精神現象学』の有名な「主」と「僕」の弁証法の論理を再確認する。
第三章 承認論と共同体
初期ヘーゲルの「承認論」の意味を考える。ハーバマスとの比較も読ませる内容である。
第四章 「歴史」を見る視点
再度マルクスに立ち返りヘーゲルの「歴史」を総合的に検討する。ベンヤミンとの論争やアーレントとの関連性なども視野に入れる。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 0986. 2019.12.17
    現代の哲学者たちはヘーゲルの絶対精神に重きをおかない。というのもそうした普遍的理性・普遍的道徳に到達する保証はどこにもないからである。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/729367

  • "哲学の関心は、実現されつつある理念の発展過程、つまり自由の意識として存在するしかない自由の理念を認識することだからです。"
    ヘーゲルにとって、世界史は「自由」が現実化していく過程であり、それを見届けることが「哲学」の使命である。
    本書は、現代思想におけるヘーゲル解釈についての解説である。「歴史の終わり」と人間・歴史の視点、「主と僕の弁証法」による承認と共同体の形成など、近代を代表するヘーゲルの概念が現代思想でどう解釈され、受容されたかを多角的に知ることができる。
    普遍的道徳、自然法・人格を前提とするカントと異なり、社会の中の関係で形成(教養)される主体を想定したヘーゲルは、利用する「主」と利用される「僕」の力関係において、僕が「生死を賭けた闘争」で自由を獲得する様子を「世界の(絶対)精神」と捉え、その闘争の「歴史の終わり」を、ナポレオンのイエーナ入場で確信した。
    ヘーゲルの観念的歴史観、到達点としての「絶対知」、その経過の世界の人格「絶対精神」を、労働の外化を人間性の疎外と捉え、実践的主僕の闘争として乗り越えようとしたマルクス。
    フランシスフクヤマは冷戦後を歴史の終わりと捉え、コジェーヴは、成熟した資本主義的消費社会における日本を、ヘーゲルの「歴史の終わり」の後の世界として捉えた。自由を手に入れた北米の動物と違って、スノビズム的に伝統・文化を消費する日本。東浩紀の『動物化するポストモダン』のオタクの世界に通ずる。
    主の力に対して、死を恐れる僕は、利用される過程で、労働により物・対象を作る力を備える。シェリングのいう芸術・神話の創作だけでなく、ヘーゲルは労働により自然を克服し自己形成していく僕を描いた。そして、僕は理性・意識を獲得し、自由を求める。ヘーゲルの主僕は抽象的だが、主を権力者ではなく、教師や上司のような者と捉えれば、主体として個人の精神的成長過程と考えることもできる。主は主で、僕なしに成り立たないのであるから、他の主からの承認を得なければ、自己を確立できない。
    sub-ject、下に投げられる、従属化する主体。フーコーは意識的な「人間」を近代の概念とし、精神分析と文化人類学による無意識の欲望の発見により、「人間」は終焉したという。科学的人類の支配としての知は、全てのヒトを「僕」に変える。assujettissement臣民従属=主体化。規範を設定し、欲望を抑圧した「正常性」の呪縛による自発的規律訓練を、監獄を中心に形成していく。
    正常性を再獲得する絶対知としての精神分析医。ラカンのいう言語的・権力的・父的な象徴界へと再"主体=隷属"化する。欲望の対象a(想像界)の中に他者の言語(象徴界)を挿し込むことにより主体を獲得する。ジジェクの解釈では現実界は単なる剥き出しの「物」だけである。対象aは「欠如」と化す。
    自由を得るためには、平等な他者からの承認が必要である。他者を「目的それ自体」として扱うカントとは異なり、ヘーゲルはルソー的な「平等な尊厳」としての他者を前提とした。主と主の関係である。フィヒテは主体が相互承認することを法の根拠としたが、ヘーゲルは逆に、相互承認によって主体が形成されることを過程として描き出した。『人倫の体系』における家族、市民社会、国家への推移は相互承認を通して発展していく。ホッブズのような自然闘争状態が、主僕の承認により共同体として形成される。その媒体が法である。関係の中で自己を認識することは、プラグマティズムのミードにも通ずる。また、ブランダムは、他者の行為を記録し、内容とその帰結について理由を推論するスコア記録係(scorekeeper)によって規範が形成されるとした。ハーバマスは理性的民主主義的なコミュニケーションの積み重ねによって普遍的正義に到達する、ソフトなヘーゲル主義と捉えることもできる。ヘーゲルが「私たちにとって」という時、キルケゴール的な実存主義の個人、つまり単なる「私」の経験的認識論的主観ではなく、哲学を通じて絶対知に到達する歴史(絶対精神)を理解する共同体、仮の視点を想定している。ハイデガー的に言えば、絶対的なものを受けいれる決意している哲学に携わる者たち。理論を実践に架橋するために、歴史概念を設定した。アーレントは生命維持の労働、物づくりの仕事、言論・政治の活動に分け、古代ギリシアの観想的生活(テオリア、哲学的客観視)が奴隷の労働に支えられていることを図式化した。これはヘーゲルの主僕の弁証法に対応している。近代の科学技術発展が、「人間が世界を作っている」との認識を生み出し、歴史を政治的な目的としたのがマルクスの誤解である。プラトンのイデアから通ずる目的論であり、ホッブズの目的論的人間観、ヘーゲルの歴史哲学をマルクスは統合し変換した。カントの「注視者」、ベンヤミンの「天使」のように、目的論的な「勝者の歴史」から距離を取り、お互いの関心やパースペクティブを多元化し、人間性を豊かにすることが肝要だ。ヘーゲルは普遍的理性を発見したのではなく、「普遍的理性・理由・目的を求めざるを得ない私たち」を発見した、と読むこともできる。

  • ヘーゲル以降、ヘーゲルはどのように読まれてきたのか、また、ヘーゲルのキーワードはどのように受け入れられてきたのかを、一般的な解釈を交えながら記してあ理、これまでに読んだヘーゲルの解説書の中でも一番よかった。

    法哲学が中心に解説してあると勝手に誤解していたので買うのが遅れたが、もっと早く読んでおけばよかったと後悔。歴史、承認、自由といった取っ掛かりやすいキーワードを中心に書かれているため、そういった意味では「読みやすい」と感じた。

  • ヘーゲル哲学は、現代思想のさまざまなシーンにおいて、肯定・否定の両面において議論の対象となっています。本書は、そうした多様な解釈と評価において姿を現わす、ヘーゲル哲学の多面性を紹介している本です。

    フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』と、そのバックボーンになっているアレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル解釈からはじまって、ハーバーマスやアドルノ、チャールズ・テイラーやロバート・ブランダム、スラヴォイ・ジジェクやジュリス・バトラーといった思想家たちが、ヘーゲルについてどのような解釈を提出しているのか、簡潔に論じられています。

    ヘーゲル哲学の現代的な解釈の諸相を概観することができるという意味では、よくまとまっている本だと思います。ただ、もう一歩踏み込んで「読みどころ」を指し示してほしかったようにも感じました。

  • 18/11/27。

  • 東2法経図・6F開架 B1/2/2497/K

全10件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

哲学者、金沢大学法学類教授。
1963年、広島県呉市に生まれる。東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻研究博士課程修了(学術博士)。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。難解な哲学害を分かりやすく読み解くことに定評がある。
著書に、『危機の詩学─へルダリン、存在と言語』(作品社)、『歴史と正義』(御 茶の水書房)、『今こそア ーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『集中講義! 日本の現代思想』(N‌H‌K出版)、『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)など多数。
訳書に、ハンナ・アーレント『完訳 カント政治哲学講義録』(明月堂書店)など多数。

「2021年 『哲学JAM[白版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

仲正昌樹の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×