- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065131411
作品紹介・あらすじ
小説が、好きです。
どうして物語を書くのか、どうして物語を読むのか。その答えが、きっとここにある――。
あなたのせいで、もう書けない。親友から小説の価値を否定されてしまった成瀬。書店を経営する両親や、学校の友人とも衝突を繰り返す彼女は、物語が人の心を動かすのは錯覚だと思い知る。一方、続刊の意義を問う小余綾とすれ違う一也は、ある選択を迫られていた。小説はどうして、なんのために紡がれるのだろう。私たちはなぜ物語を求めるのか。あなたがいるから生まれた物語。
感想・レビュー・書評
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「物語を書く・読む」というやや抽象的なモノを核にした青春成長劇かつ物語の持つ可能性のお話で、細かな描写が多いものの、ラノベ感覚でスラスラ読める安心の相沢節。
人によって好みが分かれると思いますが、私は気に入ってます。人物の名前の読みが難しいのが難点。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2020/08/02*読了
改めて小説が好きになった小説です。
登場人物の一挙手一投足に一喜一憂しては、残りのページ数が少なくなるにつれ、もっともっと続きが読みたいって思いました。
早く続編を出してください! -
相沢先生の本ということで偶然手に取った小説。普段ミステリーではない小説ではまることはあまりないのですが、非常に揺さぶられました。
読書の仕方について考えさせられる一冊です。 -
「これは、わたしのために書かれた物語かもしれない!」(P.304)
という台詞(?)があるが、私がこの作品に対して思ったことでもある。
小説を読む私。そして小説を書く私。
どちらが欠けても物語を織りなすことはできないし、物語を紡ぐ一端を担っていることが幸せだと思う。そのことに気づかされて泣きそうになった。
また、現実に打ちのめされて物語を読んだり書いたりすることが嫌いになったとき。この本を思い出して読み返したい。勇気をもらって、きっとまた歩き出せるようになる、という気がする。 -
ようやく下巻を読めた。
書き手と、読み手と、それぞれが出す答えが気になっていたんだけど
確かに受け取ることができた。
自由になるお金は増えたけど
一冊の本にかける時間は減ってしまい
読み終わった本を何度も読み返すことはもうなくなってしまったから
その一度の読書でしっかり物語を噛み締めたくて
どうしても遅読になってしまう。
そうして読み終わった本でさえ、次々と捲っていく違う物語に押されて
すぐ、詳細の説明ができないほどになってしまう。
それでも、何かの拍子に再び触れれば
その時の読書体験も、印象に残った内容も蘇ってきて
ああ、ちゃんと染み込んでいたんだな、と安心する。
いつまでも覚えていられる人を羨ましく思ったり
きっかけがなければ忘れたままの自分を薄情に思ったり
でも別にそんなこと気にしなくてもいいんだな
自分を形造る深い海の底に沈んで養分になってるんだから、きっと。
若気の至りで乱暴な感想を書き落としたこともあった。
昨今のSNSを通じて、声が思いもよらずダイレクトに届くことを知ってしまってからは
その声が作者や他の読者を傷つけて、もしかしたら続刊の可能性を摘んだ一因になったかも知れないと恐怖し
同じく一向に続きが出ない作品を待つ資格が自分にはないだろうと思えた。
このブクログで、自分が昔付けた辛口の感想にイイネが押されて
たどってみたらその人は「クソ本」という棚にその本を入れていて
そんな想いで書いたわけじゃなかったと、吐き気がするのを感じた。でも強弱あれど同じことだ。
発した言葉には責任があった。受け取り手にとってはクソさを擁護する文だった。ただそれだけだ。
合わない作品だって確かにあるけれど
どんな作品からも、何かを読み解ける人間でありたい。きっとどの作品だって、鼻ほじりながら片手間で書かれたりなんかしてないだろう。
振り絞るように綴られたんだろう。
その行ないに報いる言葉が、辛辣である必要は全くないと思う。
どうせ吐くなら作者に負けじとめいいっぱい美しい言葉を。
それが、物語への恩返しだなと思った。 -
物語を書く人、読む人
ライトノベルでもコミックでも
作り手の苦悩がぐるぐるしていて苦しかった
でも
作者を育てるのは読者
今の時代の問題をいろいろ提起している
うーん
≪ 好きだから いつも傍には 小説が ≫ -
本を読まずにはいられなくなった人たちは誰しも「良い物語とは何か」とか「ジャンルに貴賎はあるのか」とかそもそも読む、書くという営みについて考えてしまうことがあると思っているのだけれど、どうでしょう。
で、たいていその手の思索をした後って少し小っ恥ずかしい感情を覚えるものですが、この小説はそういう思索の爆弾のようなもので。
これを読むと、こんなに繊細で真摯にやってくれるなら文句ないや、と感謝するしかない。 -
水越先輩は浅いなぁ
ラノベとかマンガを下に見るのは本当に浅はかだと思うよ
そもそも昔は夏目漱石の作品が今で言うラノベの扱いだったわけで
四書五経、論語、歴史を記した大説よりも軽いものが小説なんだよ
なので、小説同士で物語の軽重を語るのは愚かですよ
先述の通り、物語の相対的な重さは時代によって変わるわけだし
いずれ、今のラノベも文学と位置づけられる時代が来るかもね
一也の言うラノベ基準は納得
そう名乗っているレーベルから出ている作品
これ以外に明確なラインは引けない気がする
ラノベ好きは一般文芸でも好きな作品はラノベだと言いたくなるし
ラノベ嫌いも同じく気に入らない一般文芸をラノベに分類したがる
私も、どちらかと言うと一般文芸でもラノベ寄りな作品を読んでるし、いい意味でラノベとラベリングしている気がする
物語を読む意味
自分のための物語
私で言うと「君の膵臓をたべたい」かな
ま、完全に当てはまるわけではないけど、自分の前に咲良が現れていたら、今とは違った人生になっていただろうとは思う
私が学生の頃にはまだ出版されていない作品なので、どうしようもないんですけどね
人間関係の複雑さ
物語のテンプレートだと悪い人は悪い事をするんだけど
この作品も、リカがただ単に悪いやつだったらわかりやすいのにね
成瀬さんが仲間として受け入れられているという状況
第三者視点と、成瀬さん視点と、友だち視点と、リカ視点ではそれぞれ異なる
こんな物語が書けるから相沢沙呼さんはすげぇよなー
ただ書く事だけが楽しかった頃から、読者を意識し始める事で生じる欲求
誰のために書くのか?という問い
最初は自分が、次に読んでくれる周囲の顔の見える人
それが不特定多数の人に範囲が増すに連れて、本来の対象ではない読者も増え、そして批難も増える
でも、大事なのは自分の作品を読みたいと待っている読者なんだよなぁ
世の中の作家さんは色々な悪意を目にする事が多いのでしょうけど
善良な読者は確実にいるので、そんなものは気にせずに作品を書き続けて欲しいですね