されど私の可愛い檸檬

著者 :
  • 講談社
3.57
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本棚登録 : 405
感想 : 49
  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065135136

作品紹介・あらすじ

こだまさん(『夫のちんぽが入らない』)推薦!
「食い入るように読みました。誰かの「理想」になんかならなくていい。トロフィーを床に叩き付けて、信じた人と生きていくだけ」
2ヵ月連続作品集刊行、2冊目家族篇。舞城王太郎が描く「家族」の愛、不思議、不条理。
姉の棚子は完全無欠。その正しさは伝染するようで、周りもみんないい人ばかり。でもそれって怖くない? 幸福の陰に潜む狂気を描く。「トロフィーワイフ」妻からの突然の告白に僕は右往左往。幼い娘、無神経な義母、存在感の薄い義父。小さな家族の形が揺らぎだす。「ドナドナ不要論」「やりたい」仕事ははっきりしてる。だけど何故かうまく「できない」。だって選ぶのって苦しいじゃないか?「されど私の可愛い檸檬」
問答無用で「大切」な家族との、厄介で愛おしいつながりを、引き受け生きる僕らの小説集。

感想・レビュー・書評

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  • 初の舞城王太郎。

    ……へ?
    って展開が、ツボる。以下、ネタバレ含む。注意。



    「トロフィーワイフ」
    ほとんど他人のような友達の家に突然上がり込み、真っ当でケチのつけようのないお世話をし、「居てもらわないと困る」と言わせてしまう、独裁者。

    難しいし、怖いな、この話。
    棚子の幸せテロ、と名付けよう。
    結局、幸せとはその人がどう感じるかであって、私幸せよ、だからアナタも幸せよね?になると、ゾクっとする。

    「ドナドナ不要論」
    んー、お母さんが突如としてバーサーカーになるのが、イマイチ解せない。なんか読み飛ばした?
    それまで「母親」として振る舞っていたのが、大病を患って、奇跡的に回復して、その結果として、感情のタガが外れてしまったということ?(いや、娘が見舞いに来なかったからってそんなんなる?)
    突如、豹変した母から娘へのDV。そりゃ怖いよな。
    最初は、いつ病気が再発してもおかしくないから、敢えて辛く当たったのかと思ったけど、んー。

    「されど私の可愛い檸檬」
    優柔不断って、そんな悪いことなんですかねー。
    夢や希望が硬くて、そこに向けて猛進していきます!みたいな生き方でなくても、グズグズ考えながら、コロッと入り込んだ幸運を掴むのだって、面白い。
    ただまあ、一丁前の口だけ出して、何にも為してやしない若者に、「それ相応の扱い」をするのも、当然の話。
    あー。こんな頃あったんだろうなーって、恥ずかしい。

  • 檸檬が出てこないなぁと思っていたら、短編集だったようだ。会話のテンポが良く、回転早いなーと感心しながら、読み進めました。
    人が生きていくというのは、何かと大変ですよね。3話目が本のタイトルの作品だったが、結果檸檬は出てこなかった気がする。。。

  • しあわせって実感しにくいというかできないんじゃないかとおもってる。
    うれしい!とかやった!みたいな瞬間的ないいことのように完全自分目線で目の前に置いてぎゅーっと握りしめるというか噛みしめるというか。そんなふうには。
    あとになってみたり、落ち着いて考えてみたりして“しあわせ”と、わかる。わかるかんじ。向こうから襲ってくるきもちではなくてこっちが探しに行くというか。探しに行くときは少し日々から離れてるちょっと上の方から今をみているみたい。
    下の方にいる自分は目の前のちいさいことでちょっと笑ったり怒ったりねむいなとか明日のごはんどうしようとか考えている。上の方にいる自分は、そんな日々の些末なことにはあまり関心がなさそうにしてる。
    しあわせ担当のわたしと、日常担当のわたしがそれぞれカメラを持っていて日々の目線はだいたい日常担当にあって、たまにしあわせ担当カメラの目線をみてみる、といったかんじに。

    舞城王太郎の小説って、そのふたりのカメラの目線がびょんびょん変わってどっちがどっちなんだかもうわからないという混乱の中でなにかすっごくいいものをみて帰って来る、という経験をさせてくれる。
    ちょっと離れてみていたらとてもじゃないけどこれをしあわせとは素晴らしいものとは感じないって日常も日常カメラでみたらその中にもいいことふっと心が動くことがあるし、やってらんないめんどくさいって日常もいきなりぐいっと上の方からちょっと離れて眺めたらなんて愛おしい日々なんだと感じるだけのものがある。

    『ドナドナ不要論』が、とくにすきだった。
    舞城王太郎のこれまで読んだものの中でもかなり。相当。
    日常目線だけでずっとみていたら、これひとつでもうこの日々ごとだめになるよっていろんなことを、日常をがっつりみながら意識を高みに飛ばして些末なことに振り回されずに遠くをみてってやり方でなく、目の前のことにぶんぶん振り回されながらも先にすすんでく、乗り越えていやもう乗り越えて過去のものとして置いてくんじゃなくて、あれもこれも抱えてそれでもその先に。
    よかった。

  • 面白いところもあったけれど、
    自分とは合わないスタイルだったかなぁ・・・

    登場人物の理論が述べられたセリフとか、
    ちょっと意味わからなかったし、
    文体?も、好きではなかった。

  • 舞城さんの本は好き嫌い分かれる作品が多いけど、私は好き。
    言語化が難しいけど、「あるある!いるいる!」ってなる人物像や感情をちゃんと書いていてすごい。ってなった。個人的にはカバーもおしゃれで好きだなぁ

  • 家族をテーマにした3作品。

    「トロフィーワイフ」
    美人で頭も良くて性格も良い完璧な姉、棚子が突然離婚をすると言い出し、友人宅に入り浸るようになる。最初はとにかくいい人でいたい棚子を軍曹が利用して、家の面倒ごとを棚子に押し付けているのかと思いきや、棚子の方がその家の人たちを洗脳し自分の居心地の良い場所を作っていた。この展開が怖い怖い怖い!棚子が怖すぎる!もはや善意とは呼べないのかもしれないけど、親切が他人の心を蝕んでいくことってあるよね。それを分かった上での棚子の行動が恐ろしい。しかし、自分は完璧になりたくてそう演じているし、そう演じていることも自覚していてそれも含めて、今の自分が自然体な自分であると言い切れる棚子を少し羨ましくも思う。だからこそ、夫にみせられた動画の「人はどんな状況でも幸福を感じることができるし、価値観を変えることもできる」という内容が受け入れられなかったのだろうけど。幸せって何だろう。そんなものは人によって変わるし、答えは一つではない。つまり自分がどう思って、どう感じるかが大切なんだと思うけど、それを家族と共有できないことは存外に苦しいことなのかもしれない。少なくとも完璧な棚子が完璧でいられなくなるくらいには。

    「ドナドナ不要論」
    3作品の中では1番好みだった。まず、ドナドナの歌を知らなかったのでYOUTUBEで調べて聞いてみる。確かに、すごく悲しい曲でこんなのが童謡として世界中で流れているの?あえてこんな悲しい場面を歌にする必要なくない?と智と同じようにドナドナ不要意見に傾く。しかし、入院中の母親の見舞いに、あえて悲しい想いをさせたくないからという理由で娘を病院に来させないのにはやはり智同様に反対。悲しい想いも時には必要な時だってある。。。となるとあれ?ドナドナ不要論と矛盾してる?ドナドナの悲しさと母親の病気の悲しさを一緒にすることはできないとも思うけど、じゃあこの2つの悲しさの違いって何だ??
    娘の苦しむ姿を見たくない義理母も、娘にあたってしまう妻も、母親を怖いと泣く娘もみんななんだか悲しい。悲しいし苦しいのに、どうしようもない。
    最後のドナドナは要らないけど、悪いものではないという締め方がとても良いと思った。世の中ってそんなもの。

    「されど私の可愛い檸檬」
    「私はあなたの瞳の林檎」の時も思ったけど、タイトルがなんだかとても素敵で好きだ。レモンの方はいまいちタイトルの意味はよくわからなかったけど。笑
    自分のやりたいこととできることって違う。違うからこそ自分の生き方や選択で迷うことって多くある。その上、生きていくのって選択の連続だから本当に疲れるよね。磯村君がめんどくさいし、なんか色々こじらせちゃってるなって思うんだけど、でも「自分がどうしたいのか」の答えを探そうとしている部分は応援したくなる。だって、「自分がどうしたいのか」なんてわからないまま流されるように、生きてる人なんて世の中たくさんいるでしょ?結局のところ、磯村君も家族を持ったことで流されるように生きるようになるのだけど、ほとんどの人間が第2、第3の磯村君に当てはまるのではないかと思う。

  • かわいい装丁とスラスラ読める文章とは裏腹に、ずしんとくる。自分らしく生きるってどういう事なのか。

  • 表紙やタイトルからは想像できない過酷で壮大な色々な家庭環境や人生の物語だった。
    全部で3話から成り立った短編集だったが、その
    うちの2話は家庭環境の現状についての物語で、
    残りの1話は主人公の人生についての物語だった。
    本人がなりたい・目指している職業よりも、全く関係のない職業や仕事内容の方が本人にぴったりということもあると知り、自分にぴったりの仕事は何だろうかと考えた。

  • 表題作の『されど私の可愛い檸檬』が刺さった。

    主人公の磯村はおよそ感情を表さず
    熱くならず、深く愛さず、
    一目惚れと言ってもいい
    四方田とも相手の言うままあっさり別れてしまう。
    仕事や夢にも熱さはない。

    自分から能動的に何かを欲したり、抱く願いが
    叶わず苦しんだりすることもなく
    自分に対する周りの反応を冷静に分析し、
    ただ逆らわずに流される人物像は

    およそ主人公として可愛げがなく
    ドラマティックさもないのだけれど 
    人の一面として、もちろん自分にも
    確かにこういうところもあるなと思った。

    こういう一面があるからこそ、
    人として人間らしく生きるために、
    感謝や愛情や信頼を積み上げて
    ちゃんとした人間として生きよう、
    生きたい、と願うのかな、と思ったりもして。

  • 傑作、一生ついていける。

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著者プロフィール

1973年福井県生まれ。2001年『煙か土か食い物』でメフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『阿修羅ガール』で第16回三島由紀夫賞を受賞。『熊の場所』『九十九十九』『好き好き大好き超愛してる。』『ディスコ探偵水曜日』『短篇五芒星』『キミトピア』『淵の王』など著書多数。2012年『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦著)の25周年に際して『JORGE JOESTAR』を刊行。近年は小説に留まらず、『バイオーグ・トリニティ』(漫画・大暮維人)の原作、トム・ジョーンズ『コールド・スナップ』の翻訳、短編映画『BREAK』や短編アニメ『龍の歯医者』『ハンマーヘッド』の原案、脚本、監督などを手掛けている。

「2015年 『深夜百太郎 入口』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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