十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界 (講談社選書メチエ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065143209

作品紹介・あらすじ

蕪村や応挙、若冲、さらに蘆雪に蕭白。ほぼ同時期、同じ地に豊かな才能が輩出した。彼らは旧来の手法から抜けだし、己の個性を恃んで、奔放に新しい表現を打ちだす。多士済々、百花繚乱。十八世紀の京都は、まさにルネサンスの地であった。「奇想」の美術史家・辻惟雄は、彼らの作品に向き合い、多数の論考を遺している。それらを抜粋し、作品の解釈から時代背景や人物像にも迫ってゆく。あの時代の京都を、彩りをもって甦らせる試みである。

感想・レビュー・書評

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  • 『十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界』
    2023年11月27日読了

    『奇想の系譜』の続編的立ち位置の本である。辻氏が自身の研究を続ける中で、前作とは異なる評価をする場面もあり、まさに最新の研究の粋を集めたといえるだろう。

    本書は総論的な2章と、各作家の紹介に絞った6章で構成される。ここでは総論にしぼって、感想を記しておく。

    総論では、十八世紀の美術が花開く要因となった当時の社会情勢を紹介するとともに、各章で個別に説明を加える画家を簡単に説明する。
    ここでは「個人の意識の成長」と「(限定された中での)新しい技術の到来と吸収」がキーワードになるだろう。
    個々人の自我意識が成長したからこそ、19世紀のような庶民の暮らしとともに美がある社会となったとする。つまりは、個人の発見(=個性の発露)が日本においても発生していたということだろうか。

    また、あえて完全な形で海外の技術が入らなかったがために、新しい技術に対する誤解が新しい美術を生む結果となったようだ。

    内的(精神的)な側面と外的(技術的)な側面の近代的な変化は、すでに江戸時代に始まっていたのか。美術の側面から近代日本の社会情勢を知ることができた。


    また、「文人画」に絞った章では、「文人画」という語彙の定義づけをした上で、日本における成立の歴史を紐解く。

    私自身「文人画」や「南画」「南宋画」といった言葉の違いや、それぞれがどのような作品を示すものかよく分からなかった。それもそのはず、時と場合、もしくは人によって、それぞれの言葉が示す範囲が異なっていたのだ。今後は、本書で辻氏が提示していた定義に従っていこうと思う。

    中国の文人画との違いに、身分制の有無が挙げられる。「文人画」とはその名の通り、文人という身分において発生した派であり、階級意識と密接に結びついていた。しかし、日本においては「精神的解放区」とされるように、身分に関係なくのびのびと画家たちの素質が発揮したようだ。

    同じ言葉にも関わらず、全く違う身分の人が描いていたというのも皮肉なものである。「文人画」という言葉のもつ混沌さが解消されたような気がする。

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著者プロフィール

東京大学名誉教授/多摩美術大学名誉教授

「2021年 『日本美術の歴史 補訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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