この道

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 115
感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065143360

作品紹介・あらすじ

祖先、肉親、自らの死の翳を見つめながら、綴られる日々の思索と想念。死を生の内に、いにしえを現在に呼び戻す、幻視と想像力の結晶。80歳を過ぎてますます勁健な筆を奮い、文学の可能性を極限まで拡げつづける古井文学の極点。

感想・レビュー・書評

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  • 私にとってほんとにほんとに大切な作家が2月18日午後8時台に、一応医学的には肝細胞ガンという見立てで東京の自宅で亡くなった。亡くなっていたという方が正しい。昨日知った。

    二十歳前後にたまたまとある書店で『沓子・妻隠』の文庫本を手にとって立ち読みして驚愕して購入して通読後さらに驚愕して以来(思わずアパートの前の道を走りだしたくらいだ)、彼が生きて小説を書き続けていることが自分の支えになり続けてきた。

    若くして死と生のあわいを生々しく描く、その、生きながら死んでいる達観した文体を読むにつけ、なんとなくそれを永遠と勘違いして、いつまでも「そこ」で生き続けていてくれるような気がした。でもそれは幻想に過ぎず、古井由吉は確かに死んだ。

    仕事前に最寄りの市立図書館に駆け込んだ(自分の中では、彼の死を知って生前作を読みたがっている人たちが殺到しているような妄想が渦巻いていた。けれども読むのを怠けていた最新作は、あっさりと借りられた)。

    それで読み始めたところなのだが、著者はもう、ほとんど死というものを知っていたということだ。生というものは時に、桜が咲き、または咲かないことだということも知悉ずみだった。そして、もはや死には「主語」も必要がないのは当然で、話はふと時を跳躍して、とある聖人の話になる。ところが、彼の小説では、時系列は完全に無化されて、単なる地層の話になる。過去はいつだってそこにある。それを掘り起こし解凍するのはこちらの権利というかほとんど気まぐれな義務であるといったふうな。。。

    実は、読みながら、泣きたかった、おおいに泣きたかったのだけれど、それは叶わなかった。作者はすっかり準備をしおおせていた。それが感想だ。さりげなく落語「粗忽長屋」に触れられていることも然り。
    生きている人間が死んだ自分について考えることの滑稽さ。その可笑しさ、ユーモアを原動力として、彼の小説はなっていたのだと思う。

    今後私は、彼の何がしか(滑稽さも含めて)を引き継いで生きることになるはずだ。それを永遠に展開させられればいいのだが、この自分の肉体にもまた限度があるのかと思うと、ようやく、悲しくて吐きそうだ。

  • うーん 雨と老人と戦争と災害 妄想小説

  • 「この道」(古井由吉)を読んだ。
    過去と現在、生と死の間を行きつ戻りつする研ぎ澄まされた感性によってもたらされるその文章はまさに日本文学の至宝のひとつだと思う。
    読み終わった今、きっとだれにでもそのようなことがあるはずの、その捨て置かれた、ただ、黒くて滑らかな、まるい石を思う。

  • この作品はよせてはかえす波の音を聞いているかのように進んでゆくお話でした。そのお話はまるで筆者の声が章ごとに、海のように雄々しさを増す場面、静けさのなか見つめる海の場面の中に、常に波の音が聞こえるようなのです。主題は「生と死」についてですが、社会動向時間を軸にしながらも主役は常に自然です。この作品を読むことで俳句の楽しみ方、草木盆栽の眺め方、昔話、妖怪、郷土料理、参拝などそして何といってもすぐ側にある英語の辞書の奥にある国語辞書を引かなければわからないような日本語の知識を身に着けることができます。その中に、筆者の美意識の基準がしっかりと時に穏やかに、時に厳しく刻まれている作品でした。



    この作品は多和田葉子さんの「穴あきエフの初恋祭り」の読後、YOUTUBEで彼女の名前を検索した時に「群像」のトークイベントに筆者がスペシャルゲストとしていらしていたことがきっかけで知ることができました。その時の筆者の大らかさと朗らかさ、しかしながらご発言の厳しさに魅せられてこの本を読むことになりました。

    この作品の中で私が一番好きなのは【花の咲くころには】の「従順」という言葉です。この従順という言葉は私にとっては本当に難解な言葉でした。その言葉の意味を「なぜ従順が美しいのか」を一から納得させてくれるのです。新元号にも「令和」と「令」が使われていますが、少し通ずるところがあるのかなと重ね合わせて読み進めていました。

    この「従順」を語る上で筆者として「美の範囲」について厳しく忠告されているのが【この道】だと感じています。この章での筆者の魂の年齢は20代30代、まさに壮年の魂の叫びだと感じました。今の女性の立場向上の時代、何もかもを女性の責任であるかのように仕立てる男性を律するかのように、往年の誰もが逆らえないであろうレジェンドである松尾芭蕉の俳句を引き合いにしかしながらも「晩年の句ではないけれど」と断りをいれ礼を尽くしながらも、意を唱えるのです。そしてラストに、俺ならこう書く、と言わんばかりに具体的に雪と樹木で美を表現されるのです。もうこの場面が本当に格好良いのです。まさに理想の男性像なのです。

    すべての章において主役は自然(女性)表現なのです。自然が女性を表現しているというのがよくわかる描写が【行方知らず】の雷の場面でしょうか。本来の女性・男性を、各々役割があるんだよぉ、というのをなんともよせてはかえす波のようにやさしく諭されているのが本当に心地よい作品でした。

  • 古井由吉氏の「この道」、たしか新聞の書評にあったようで、図書館の開架で見つけ借りました。たぶん初読み作家さんです。「この道」、2019.1発行。古井由吉氏、この方はどんな方なんでしょう。私には全然わからない方でした。1937年生まれ、東大大学院修士修了で芥川賞受賞されてる方なんですね。軽く二度読みしましたが、「接点」が見いだせなかったです。そもそもこの作品が、エッセイなのか、日記なのか、哲学書なのか、わかりませんでした。

  • うっとりする。

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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