生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想 (星海社新書)
- 星海社 (2019年12月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065151624
感想・レビュー・書評
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生まれてきたことが苦しいあなたに
ルーマニア思想史研究家の大谷崇 氏の著書です。
シオランの思想を専門に研究する方の解説書になります。
【本書で学べること・考えること】
- シオランの生涯
- シオランの思想
- 怠惰と疲労
- 自殺
- 憎悪と衰弱
- 文明と衰退
- 人生のむなしさ
- 病気と敗北
- 生まれないことと解脱
読んでみての感想です。
ペシミストは、悲観主義者、厭世主義者と訳されます。
ペシミストの王と言われるシオランという人の思想は、とにかく暗いです。
著者は、暗い思想が逆に救いになると述べています。。。
本書にも書かれていますが、シオランという人はかなり中途半端なところがあったと思います。
世間を嫌いつつも世間に認められたい欲望を持ったまま生きたように感じました。
世間に執着が強いため、自分を守る手段としてペシミストになっているようです。
若い世代だと同じような感覚を持っている方もいるのかもしれませんが、歳を重ね欲が減ってきている今は、共感できないです。
世の中の本書の評価は高いのですが、個人的には期待外れでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
シオランの思想はペシミズムである。ペシミズムというのは、人生や世界を悲観的に見る思想である。それが「生きる知恵」だというのはどういうことだろうか。直観的には信じがたい。
少々迂回するが、永井均『これがニーチェだ』に以下のような一節がある。
> 何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではない。それがニーチェの主張である。だから、子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることなのである。生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は虚しい。この優先順位を逆転させることはできない。――永井均『これがニーチェだ』
シオランはニーチェを「自分とはまるで正反対の人間を理想と仰ぐような思想家」と評しているが、シオランの思想というのはまさにニーチェが重視する価値観である「自分の生を基本的に肯定」できなかった人間のためのものである。要するに、生を肯定できず、あらゆる倫理に虚しさしか感じない人間がそれでも倫理的に生きるための思想がシオランの思想である。
シオランの思想の根幹にあるのは「開き直り」だ。生の否定として真っ先に思い浮かぶのは殺人であり、自殺である。ペシミストにとって「何もしない」ことは美徳である。あらゆることは虚しく、苦痛なのだから、「始まらない」こと=怠惰は美徳となる。ゆえにシオラン哲学において、殺人は悪徳となる。凶器を準備し、殺す場所を選定し、捕まりたくなければ死体を隠すという一連の行為は勤勉さを要する。倫理を持ち出さなくても、結果的に「殺人をしない」という倫理的な行動規範が導き出せる。
自殺についてもシオランはユニークな考えを持つ。望めば自殺ができる、という考えはポジティブに働く、とシオランは説く。我々はまず、望んで出生したわけではない。自殺のみが、自分の人生に決定的な影響を与えられる機会であるというわけだ。ゆえに、「いつでも自殺できるのだから余生を好きに過ごそう」という開き直りが発生する。別にシオランはその開き直りを強制してはいない。だが、他ならぬシオラン自身が自殺せず、老齢まで生き、病死しているのだ。
では、開き直った余生はどう生きればいいのだろうか。人生は有限である。宇宙的なスケールで見れば、あらゆることは徒労に過ぎない。大帝国を打ち立てようが、核戦争で人類を滅ぼそうが、太陽系のスケールで見れば無意味になる。多くの人間は宇宙のスケールを考えたるとあまりの虚無に打ちのめされる。しかしペシミストはそれを福音と捉える。どうせ無意味なのだから、自殺しようが、血筋を絶やそうが大したことではない。王侯貴族でもなければ、国のスケールですらそんなことは些事に過ぎない。だからこそ、好きに生きることが可能になる。
> 勇気と恐れ──これは同じひとつの病の両極端で、その特徴は、人生にむやみやたらと意味と重みを賦与しようとするところにある。――シオラン『崩壊概論』
人生に意味や重みが賦与されてしまえば、我々の人生がその軽重によって評価され続ける地獄に陥ってしまう。だからこそ、人生に意味など見いださないほうがいい、というのがシオランの主張となる。
そんなシオランの魅力は何だろうか。おそらくは、仏教よりも人間的な部分にあるだろう。仏教――というより釈尊の思想――はペシミスティックであるが、仏教は解脱を目指すことで非人間的になろうとする。しかしシオランは開き直りを重視し、世界に対する呪詛でもって世界に踏みとどまろうとする。人生や世界を悲観しながらも、呪いによってしぶとく生きる。この矛盾と中途半端さがシオランの魅力なのだろう。
そして何より、世界を呪っているのは自分だけではないと知れる。シオランは敗者の哲学である。
> 成功以外に、人間を完全に駄目にしてしまうものはない。〈名声〉は、人間に降りかかる最悪の呪詛である。――シオラン『カイエ』
負け惜しみに聞こえるだろうが、病気にならなければ健康を意識できないように、失敗と敗北を経験してこそ「成功」のありがたみが分かる。
「生を肯定できない」者、通常の尺度からすれば敗者でしかない人間にとっては、たとえそれが開き直りと詭弁であったとしても結果的に生きる活力となりえる。ゆえに、逆説的であってもペシミズムは「生きる知恵」となる。
誰もがシオランを理解する必要はない。しかし、理解されるべき者にとっては福音となる。冒頭で引用した『これがニーチェだ』の一節を理屈でなく経験として理解できるのならば、一読して損はないだろう。 -
シオランの一生の説明とともに、シオランの思想の説明がされている。
わかりやすく、初心者向けの本のように感じた。 -
ペシミストという思想が大分理解できた。
『青春のさなかに自殺する勇気がなかった者は、生涯そのことで自分を責めるだろう。』というシオランの言葉は胸に刺さった。今の僕がまさにそうである。 -
そういうものは元々持った性格によるものかもしれないが、楽観的に物事を考えて楽観的になったためしなどほとんどない。何事も心配性で考えても仕方がないことをあれこれと考えて考えつくす。かと言ってそういう性格は損な面ばかりでもなく、時には用意周到や計画的なんて褒められたりもするから面白いものだ。なので彼岸の楽観的な輩を眺めてみてもそれほど羨ましいと思うこともなく粛々と今のポジションに安住の地を定めている。
そんな折このシオランさんである。よくもまあここまで徹底的に悲観的に生きていたことに感心するが、読み進めると思いの外、共感する点の多いことに気がつく。特に衰弱している時には野蛮な野性的なものに何もかもひっくり返して欲しい願望、卓袱台返し願望に囚われてしまうなんて正にそうである。破滅へ向けて一直線。でもこの本で扱われるのは悲観的な視線で生きる方法、そんな視点であっても生きて良いという逆転の視線である。ある意味そのように生きることも人間の強さのように感じる好著です。75 -
第一部がおもしろかった。自分はペシミストではないけれど、怠心を責められないのはいいなあ。第二部は読みながら中庸という言葉が何度も浮かんだ。久しぶりに伝道の書を読んだ。
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シオランの思想はペシミズム(悲観主義)と呼ばれるものであるが、シオラン自身それほど悲惨な人生を送っておらず、むしろペシミズム的な考えを否定していたりする。
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閲覧新書 -
最後まで読んで思ったことは、「生まれてきたことが苦しい」人にとって、仏教はやっぱりいいのかなということ。