- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065153376
作品紹介・あらすじ
皇太子の結婚をめぐって宮内庁が強く要請し、国内メディアが沈黙することを承諾した報道自粛の申し合わせ。それが成ることによって、目的とはまったくちがった、誰も予測していなかったことが起きた。雅子妃決定に至るまでの「事情」とはいったいどのようなものだったのか……。当時朝日新聞の皇室記者として取材の最前線にいた著者が、次の時代を前に歴史の証言として残す「ほんとうの物語」。
2019年4月をもって31年を数えた「平成」は終わり、つぎの時代が始まります。また、新天皇は昨年に結婚25周年の銀婚式を迎えました。皇太子徳仁親王と小和田雅子さんの結婚決定をめぐるストーリーには、いまだ伏せられたままの「事情」があります。それを知ることによって初めて、皇太子と雅子さんの結婚が決まるまでに何があったのかの全容が明らかになります。その「事情」とは、皇太子のお妃選びをめぐって報道機関が取り決めた「報道自粛」に関係しています。当時、宮内庁が強く要請し、国内メディアが議論の末に承諾した報道自粛の申し合わせ。それが成ることによって、目的とはまったくちがった、誰も予測していなかったことが起きました。報道自粛は、はからずも皇太子の結婚そのものに対して「足かせ」となると同時に、幅広いメディアの沈黙につながりました。結果として皇太子の結婚をめぐる世論の形成は阻害され、皇室についてさまざまな議論がなされる環境を損なってしまったのです。まさに「最初のボタンのかけちがい」がその後の東宮家の運命と報道のありかたを決めてしまったといえましょう。
皇太子妃決定に至るまでに宮内庁はどう動いたのか、「お妃選び」の実際はどんなものだったのか、皇太子自身はどう考え、行動したのか……。本書は、皇太子夫妻が、国の象徴であり国民統合の象徴である天皇と皇后になるのを前に、当時朝日新聞の皇室記者として取材の最前線にいた著者が、「ほんとうの物語」を歴史の証言として書き残そうとするものです。
感想・レビュー・書評
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皇太子妃選定への報道自粛、そしてそれに期限を設けるべきだという宮澤首相の発言。
そういった事実を知らなかったので興味深かった。
雅子妃御実家のスモン問題への関わりにかなりページが割かれていて、こちらが主眼になっているともいえる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
皇族は日本国民ではないので、憲法で守られる基本的人権の埒外にある。先ずは職業選択の自由がない。信教の自由はない。選挙権も被選挙権ももらえない。日本国民から皇室に入ることができるのは、女子が天皇・親王・王のいずれかと結婚する場合のみに限られる。
雅子妃は、自由な日本国民の身分を捨て皇室入りを果たしたわけだが、そこには相当の逡巡があったものと思われる。皇太子殿下の「僕が一生全力でお守りしますから」というお言葉も迷いを断ち切り原動力になったのかとも思われるが、それでもまだ皇室に対する不安は払拭できなかったのではなかろうか。
本書は、朝日新聞の皇室担当記者が描く皇太子徳仁親王のご成婚事情とその後の皇太子妃の軌跡である。雅子妃が宮中に入るまでの過程と、その後健康を崩されながら皇太子殿下に支えられながらの30年を丹念に記述している。皇室に関わることでもあるので妃殿下が体調を崩される直接的な原因については明確には述べられてはいないが皇太子ご夫妻が皇室の中でなんとなく孤立されている様子がうかがわれる。それが「僕が一生全力でお守りしますから」の結果であれば少々悲しいことではあるが、5月に迫ったご即位の後新しい皇室の形を造っていかれる事でありましょう。
本書では、結婚生活の質は結婚に至るプロセスに左右されるとする。そして、皇太子殿下の結婚のそこに至るプロセスを豊かで実りのあるものにできなかったのは報道自粛にあり、(宮内庁の)「報道の自粛を求めるなど、メディアを操作しようとする試みが思いもよらない事態を招」いたと述べる。何となく違和感を感じるのは宮内庁が報道自粛を求めざるを得なかった原因はマスコミの過剰としか見えない報道合戦にあるのではないかと思う中で、報道の自由を振りかざして宮内庁にすべての責任があるという本書の論調である。
国民として、皇室のことを知る権利はもちろんあるわけだが、皇族の方々も先ずは人間であり結婚というのは国事行為ではなく先ずは私的な領域に属することであれば、宮内庁が求めなくても自発的に節度のある取材、報道が報道機関求められるのではなかろうか。朝日新聞的な上から目線的なものを感じるのだ。
とは言いつつも、自らの取材体験に基づく論述は説得力のあるもので良くまとめらた本ではあるので一読をお勧めしたい。