戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話 (講談社現代新書)

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レビュー : 13
  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065154304

作品紹介・あらすじ

なぜ人々は戦争の歴史でいがみ合うのか。なぜ各国は戦争の歴史で争うのか――日本近代史の碩学が学生との対話を通じて「歴史」と「記憶」の意味を深く探っていく。ニューズウィーク日本版で大反響を呼んだコロンビア大学特別授業、待望の書籍化。

主な内容
「戦争の記憶」の語られ方/「歴史」と「記憶」の違いとは/変化する「共通の記憶」/それぞれの国で語られる「第二次世界大戦」/日系アメリカ人の物語が認知されるまで/「記憶の領域」には四つの種類が存在する/クロノポリティクス――現在が過去を変える/慰安婦問題が共通の記憶になるまで/誰が記憶に変化を起こしたか/記憶を動かす「政治的文脈」/戦争の記憶は、自国の都合のいい形につくられていく/アメリカが原爆を正当化する理由/自国の「悪い過去」にどう対処すべきか/過去と未来に対する個人の「責任」ほか

感想・レビュー・書評

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  • 自分が知っている歴史上の事件の情報がどこからきているものか振り返り、記憶と歴史を区別して考え、物事が起きた複雑な背景を整理・理解する作業の大切さが、今いかに求められているか、ちょうど隣国の中傷を煽る社会風潮の中で、立ち止まって皆に読んでほしい1冊になりました。

  •  学生との対話録なので読みやすい。学生たちの自己紹介や言葉から出身国などのバックグラウンドがある程度推察でき、それに見合った発言もある一方で、どの学生も極端に片寄った意見ではない。コロンビアという名門大学で、しかもそもそもアジアに関心のある学生だからか。
     教授はまず、歴史家が歴史書に書き学者と一部の読者にしか読まれない「歴史」と、多くの人に伝達される「記憶」を分ける(実際には両者は相互に関係しており、また歴史も特定の史観に基づいて書かれていることは教授も認めているが)。WWIIの開戦日の認識が国により異なるのはいい例だ。そして「共通の記憶」は作られ伝達され、また時や国内・国際政治の中で変化していくという。
     取り上げられている事例は1章を使った慰安婦のほかにも、真珠湾攻撃や9.11など多い。教授自身の歴史観も、また学生に対する説明や司会の仕方も含め、実にバランスが取れた本になっている。様々な視点を持つ、他者の視点を理解、自国の歴史も他国の歴史も尊重、過去と未来に対する個人の責任、これらの言葉で講義は締め括られている。

  • -記録の歴史から記憶の歴史-
    慰安婦に関しての自分の認識は、歴史というよりも外交力学の道具という程度だった。コロンビア大学での学生と歴史学教授の対話で得た新しい視点は、歴史を作る新しいプレイヤー、カルチャー(というよりコモンセンス?)。意外だったのは80年代以前まで、韓国内で慰安婦を語る事は韓国政府から弾圧されてきた。それ以前には戦争とは公的記録であり個人の記憶(オーラル・ヒストリー)は記録と見なされなかった。性質上、戦争時の性への人道暴力は記録に残らない。証言が公になってきたのは2ndフェミニズムの勃興によるところが大きい。(日本だけではなく、WW2での同様の事例が公になるのは同時期)
    ・各国それぞれに戦争の記憶があり、それはシロクロハッキリしたバイナリー(被害者、勝者)
    ・「二度と繰り返さない」は抽象的で意味を持たない。何故そこに至ったのか、どういう時代背景でそこに至ったのかを知る(というより自分で考える事)
    ・それは市民としての責任である。自国の歴史ではなく、他国の歴史(歴史観)を知る。
    ・「過去への責任」は清濁をあわせ自国、他国を知る事

    非常にタイムリーな内容だった。

  • 慰安婦は性的暴行を受けて性奴隷のように扱われたこと。これは人道に対する罪であるということ。
    安倍政権が強制性云々というよくわからない論理で煙に巻いて日本は国際社会から非難される。
    日本は本当の意味で反省していないのではないかと思われている。これが東アジアの国際関係が悪化している要因の一つだろう。
    過ちを二度と繰り返さないために真実の歴史と向き合う。それが日本人に求められていることのように感じた。

  • いろいろな立場から語られる記憶を受け入れ相対化するというアプローチに間違いはないし、本書の中で展開される議論でも効果を上げているように思うが、教授自身が相対化できていないリベラルでフェミニストである米国人という立場は本書でも顕著に見られる。

  • 2017年11月から翌年2月までコロンビア大学にて日本近現代史を専門とする著者を囲んで行われた全4回の学生との対話を本にしたものである。学生は日本を含む多国籍な出自を持っているが、発言に相応に生まれ育った国の影響が見て取れるのが面白い。一方で、その発言はグローバルな共通理解の範囲の中にあるとも言えるし、逆に国際政治を学び、興味を持って議論に参加する彼らの発言がグローバルスタンダードであると考えるべきなのかもしれない。

    全体テーマは「戦争の記憶」で、各回は次の通り。
    第一回 Memory and History
    第二回 Operations of Memory
    第三回 The Comfort Women in Public Memory
    第四回 The Past in the Present

    第二次世界大戦からすでに70年以上が経過し、実体験として知っている人がいなくなるにつれて、「記憶」がどのように形成されるのかはますます重要となり、それは政治の問題となって「記憶の政治」が経ち現れてくる。それは忘却されてなかったものとなるどころか、日本においても中国や韓国との間でますます課題となり続けているし、欧州でもアメリカでも同じように「記憶」のし方が課題となっているのである。

    「記憶」は作られる。それは個人の記憶でも、集団の記憶でもその観点においては同じことのように思われる。どのように記憶されるかは、また個人でも集団でもその記憶のし方がその記憶を強化する形となったときにそのように定着される。その記憶をゆさぶることができるのは、他者の記憶であり、記録を含めた他者への敬意であろう。

    ヘイトスピーチに代表されるように、過去の他者の記憶の蓄積がないものほど、単純な記憶によって自らの行動に影響させやすい。今、もし戦争の記憶が問題となるのであれば、それはネットワークの拡大による記憶の生成と取得があるからにほかならない。また、戦争の記憶は必然的にナショナリズムに結合する。

    「記憶の物語とは「国民の物語」なのです」

    と語る。

    「「歴史は正確であろうと」します。ですが、歴史は必ずある立場に立って書かれているので、正確であろうとする試みがいつも成功するとは限りません」

    「正確な歴史」というものがあるのかどうかもわからない。アメリカ人にとってのパールハーバーの記憶は、日本にとってのそれとは異なる。一方で、「アメリカと日本は、共同して両方の国にとって心地よい太平洋戦争の物語を作り上げました」というのは戦後の経緯としてきっと正しい。「アメリカの物語は原爆までを語り、日本の物語は原爆から始まります」- 日本の戦争の記憶には、空襲と原爆投下と玉音放送によって戦争が終わるという物語があるが、そこには中国との戦争が欠けている。南京事件が国内でかきたてる騒動は、それが物語に組み込まれてこなかったことにも由来する。

    また、グローバルにおける戦争の記憶の位置づけも変わってきた。著者が指摘するように歴史に対する謝罪が政治の舞台で論点となるようになったのは、戦後しばらくの時間を置いてからのことだ。それに対して意識的でなくてはならないし、おそらくは個人の責任もそこにはある。政治家もメディアも国民の方を向いている。LGBTに対する見方が劇的に変わったことからわかるように、あることに対する見方が変わるのに思ったよりも時間は必要ない場合もある。

    著者は慰安婦をテーマに取り上げて、「慰安婦が共通の記憶に取り込まれるプロセス」について議論する。学生たちの反応は、慰安婦について東アジア史で学んだという人が多く、知識を有していた。これは、20年前はありえなかった話だという。
    「ホロコーストの記憶はジェノサイドに対する世界の見方に変化をもたらし、一方、慰安婦の記憶は戦時における女性への暴力に対する見方を変化させたのであった」

    「ホロコースト」と「慰安婦」の問題を並列に並べることに違和感を覚える人もきっと多いだろう。戦時の性暴力に関してはおさらくは多くの人が知っているように、慰安婦の問題は特異なものではなかったという人も多いだろう。それを知った上で、「記憶の政治」に関わらなくてはならないということを言わんとしているのではないかと思う。いずれにせよ、国際政治の中で、日本が記憶の政治において失敗をしていることは、その結果から明らかであり、多くのものごとと同様それを他責にすることは何の解決にもならないのだから。

  • 2019/12/28(土)読了。honto電子書籍にて。

    講義の口語体でそのまま記された内容は、一見、平易そうに見えるのだが、テーマがセンシティブであったり深かったり、正解というより考え方や意見の分かれるような話題であるので、この本を通して戦争というテーマに触れることも大切だけど、その先にある「歴史」に対するスタンスに関する教示は、非常に重要であると思った。

    話題がセンシティブであるだけに、既に私自身の中に固定観念、先入観、偏見のようなものも存在する可能性があり、そういったものを揺さぶられる時によく感じる不快感というか不安感のようなものも、読みながら感じていて、それはきっと良書だからだろうと確信できた。

    書名の文字面にとどまらない深み、奥行きがあり、読むべき書籍と思うし、一度では理解しきれない部分もありそうで、再度読んだり、周辺となる同氏の他の著書を読んだり、テーマごとに別の視点の本も読んでみたい。

    ブクログ109番乗り。

  • 戦争は無くなれ、と、こうした本を読むと常に思うが、無くならないのは何故か?
    戦争をしたいかと聞かれたら、みんなしたくない、あって欲しくないと答えると信じているが、戦争に踏み切る人々がいるのでしょう。
    この本にあるように若い世代の様々な国の出身者を交えて世界中でこうした対話をして、歴史を学ぶと少しずつでも良い方へ向かうように思いますね。
    学生の一人が感情的になり過ぎずに冷静な議論ができたと言っていて、良い人材だと思いましたね。
    日本ももっとこういう教養のあるやり取りをしていく仕組みや機会を多く産まれることを祈念します。
    自分も頑張ろー!!

  • 日経新聞掲載201983
    朝日新聞掲載2019817
    東京新聞掲載2019818

  • 210.75||Gl

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著者プロフィール

キャロル・グラック CAROL GLUCK
コロンビア大学歴史学教授。1941年、アメリカ・ニュージャージー生まれ。ウェルズリー大学卒業。1977年、コロンビア大学で博士号取得。専門は日本近現代史・現代国際関係・歴史学と記憶。1996年アジア学会会長。2006年、旭日中綬章受章。著書に『歴史で考える』(岩波書店)。共著に『日本はどこへ行くのか』(講談社学術文庫)、『思想史としての現代日本』(岩波書店)などがある。


「2019年 『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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