家族物語 おもかげ抄 (講談社文庫)

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  • 講談社
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本棚登録 : 15
レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065163269

作品紹介・あらすじ

ひとつの家族には、ひとつの物語がある。
何をするにも妻のことを最優先にする「甘次郎」と呼ばれる浪人の孫次郎。梶派剣術の使い手でもある彼は、ある日、多勢に無勢で追い込まれた武士を助太刀する。その縁から剣術指南として召し抱えられることになるが……。孫次郎の告白と、妻への思いを哀切を込めて綴った表題作「おもかげ抄」、流行の変化と職人気質の間に苦悩する男をあたたかく受け入れる家族を描く「ちゃん」、吝嗇家として町内でも噂される母親とその子ども達が必死になって働き続ける理由は……。本当の優しさとは何か、その問いに向き合い描かれた「かあちゃん」など、さまざまな家族の姿をとおし、それぞれの愛のかたちを浮かび上がらせる感動の七篇。

感想・レビュー・書評

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  • ▼カネが無い。とにかくカネが無い。借金がある。今カネが無いだけではなくて、この先ずっと、カネが無さそうだ。その先数年、数十年、カネにずっと不自由し続けるだろう。そう未来を予測せざるえない惨めさ。みっともなさ。プライドが打ち砕かれる喪失感。恐怖、無力感、不条理、悔しさ。嫉妬、羨望、焦り、不安、罪悪感。心が閉じていく、心が闇に落ちていく実感。殺意…。

    ▼うーん、そういうことに、これまでもこれからも、前後左右も東西南北も、縁もなければ興味も一切合切ゼロという向きには、関わることのない作家なのかもしれませんし、それはそれで大いに幸せな気もします。それ以前になんだかダサそうですし、時代遅れ臭が強いかも知れません。でも、この小説家を忘れ去ることの無い世の中であって欲しいなあ、と思います。(*ダサい、という言葉が既にダサいのか?)

    ▼「家族物語 おもかげ抄」山本周五郎。講談社文庫。2019年11月読了。短編集なので、初出は恐らくかなり散らかっています。山本周五郎は1903-1967。戦前から戦後、死の直前まで書き続けて、1940年代、50年代、60年代と人気作家でした。戦後の雑誌文化華やかなりしころにエンタメ時代小説を支えた巨人です。

    ▼著作権がもう切れているはずなんで、それでも(あるいはそれが理由で)この本のように新たな編集で書店に並ぶのは嬉しいことです。(ただ、「家族物語」ってタイトルのつけかたはちょっとドウなんだ、と思いますが・・・もうちょっとこう・・・ダサくない、時代遅れ感の無いパッケージの仕方をしてもいいんぢゃないかなあ・・・)

    ▼一応、「家族(夫婦含む)ネタ」という枠組みで編まれた短編集。好みによって凸凹はあると思いますが、どれも周五郎クオリティとでも言うべき出来。特に「ちゃん」は好きでした。

    ▼職人の男性とその一家。貧しい長屋住まい。妻に子だくさん。腕はかなり良いけれど、要領が悪く、時代の変化についていけない。同期、仲間たちがどんどん稼いで一本立ちしていくのに、義理に囚われ、愚直な仕事で、暮らしは苦しくなるばかり。妻にも子にも貧乏させて、何とかしようともがけばもがくほど空回り、どんどん、どん底に近づいていく。

    ▼とうとう、惨めさと自暴自棄、家族への罪悪感に押しつぶされて、家出失踪を決意して夜中にこっそり去ろうとしたときに、妻と子供たちに見抜かれ説得され、そのありがたさに気持ちを持ち直します。そして何とか、裕福にもなれないけれど、多少暮らしも向上しつつ・・・で、おしまい。短編です。「あっ…」と言う間に読めます。

    ▼出来すぎ、予定調和、と感じる向きもあるでしょうが、50も近くなって読み直してみると(だいたい10代の頃に一度は読んでいるので)、どうにも泣けます(ただそれが年齢とどう関係しているのか、きちんと考えていないんで上手く言えません)。

     けなすのは簡単だけど、素晴らしさの方が圧倒的。あらすじでは分からない、語り口ですね。「いつか王子様が」という曲が好きかどうかと問われても、白雪姫版なのかダイアナ・ロス版なのか浜崎あゆみ版なのかマイルス・デイビス版なのかペトルチアーニ版なのかによって全然違うわけですから。

    ▼周五郎節、とでも言うべき魅力。きれいごとに見えて、実はきれいごとではありません。地獄の底を覗くような辛さは、まさに奈落を感じさせます。この短編のような、そこからのハッピーエンドは、ご都合だナンだ、という次元のことではなくて、祈り、みたいなもので、地獄を知っている肌触りと同義です。(ハッピーエンドではない周五郎さんの小説も山ほどあります。)

    ▼カネが無い…希望も無い…。そんな完全に凍てついた道端の濁った水たまりの午前四時みたいな、胃袋とココロに鋭い鈍痛を伴う冷たさを、ゾッとするほど、ぬめぬめと、これみよがしな気負いなく語ります。人が、そういう寒さに晒されて、落ちていく人間らしさ。そしてヒトにあらざる獣(または獣以下)にもなり得るという人間くささ。ほんの些細な運不運が別れ道を分ける切なさ。

    ▼ちなみに「気負いなく語る」という感じというのは、何というか、「無名兵士として従軍した人が描く軍隊や戦争」と、「セレブやプレスとして従軍したり取材体験した人が描く軍隊や戦争」の違いのようなものです。そんな気がします。
     「金がなくて、寒い四畳半でたったひとりで食べるカップラーメン、それも明日も明後日も十年後も同じ部屋でたったひとりでこれを食べてるんだろうなと思いながら食べるカップラーメン」と、「たまたま食べるものなくて、家族と仕方なく温かい部屋でわいわいと食べるカップラーメン」の違いです。同じカップラーメンでも、味は違います。

    ▼閑話休題。ただ、それでもにんげん一匹、獣では無く、にんげんだ。そんなプロテストというか、祈りにも似た体温を、人間関係の最小単位である男女や家族に託す。そんな世界観です。(まあ、山本周五郎の小説世界自体は、そうぢゃないものもあって幅広いですが)。そんな世界観を、こんな平易で豊穣な話法で描ける小説技術って、ドストエフスキーと同ランクです。少なくとも日本語が母語であれば、ドストエフスキーを云々する以前に、周五郎さんなんではなかろうか。と、改めて。

  • 7話からなる。
    最初の「ちゃん」で始まり、最後「かあちゃん」で、、、

    どの話も、家族の想いを、、、そして、優しさとが、一杯詰まっている作品ばかりである。

    「女は同じ物語り」は、小さい時におてんばであったじゃじゃ馬の許嫁の女性の思いの策略を知った広一郎とその父の話が、なんともユニークであった。

    「夫婦の朝」にしても、夫の妻への愛情の深さ、それも、自然体で、妻を思いやる姿が、心憎い。

    最後の「かあちゃん」には、マザーテレサの如く、自分の利益を無しにして、人に尽くす行為、そして、その家族も、賛同している姿に、感動した。

    昔から、山本周五郎氏の本を読んでいたつもりであったのだが、、、義理人情だけでなく、家族の姿を、ほっこりとさせる内容の本を読んでいなかった事に、気付かされた。

    児童虐待のような悲惨なニュースばかりなどで、憂鬱な心を跳ね飛ばすような作品が、多い。

    作者は、小学校を出てから、質屋に奉公ヘ出て、苦労されたのだろうが、それでも、その生活で、垣間見る人の優しさや明るさを見出していたのだろう。

    その質屋が、関東大震災で、無くなって解散しても、作者には、この店の良い思い出があったのだろう。
    質屋の名が、「山本周五郎商店」と、、、書かれてあったのを見ても、その想いの深さが、わかる。
    今まで、本名であると思い込んでいたのだが、、、

    作者の本をまだまだ読んでいないので、手に取ってみたいと思っている昨今である。

  • すべての家族には、それぞれの物語がある。様々な人間の姿を通して愛を描く感動の七篇。

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著者プロフィール

1903年、山梨県に生まれる。本名は清水三十六(さとむ)。小学校卒業後、銀座の質屋で奉公、後に筆名としてその名を借りることになる店主・山本周五郎の庇護のもと、同人誌などに小説を書き始める。1926年、「文藝春秋」に『須磨寺附近』を発表、文壇デビュー。その後、不遇の時代が続くが、時代小説作家として認められはじめる。戦中から戦後まで連載が続けられた『日本婦道記』(1942-1946)で直木賞に推されるが辞退。主な代表作に『樅ノ木は残った』(1958)、『赤ひげ診療譚』(1958)、『青べか物語』(1960)、『おさん』(1961)などがある。1967年、逝去。

「2020年 『雨あがる 映画化作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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