答えより問いを探して 17歳の特別教室

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065169292

作品紹介・あらすじ

大人前夜のきみたちへ。学校では教えてくれない本物の知恵を伝える白熱授業。【「17歳の特別教室」シリーズ第一弾】
「読む」と「書く」の体験をとおして自分が変わる、人生が変わる。子どもも大人も目からウロコの超・文章教室! あたりまえを疑ってみると、知らない世界が見えてくる。
「ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよ、といってくれることだと思います。」(本書より)

感想・レビュー・書評

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  • いまのビジネスパーソンには問題解決力より問題提起力・発見力が求められる、などとかまびすしい。書店のビジネス本コーナーには、この類の書籍がいくつも並ぶ。
    この軽いブームよりずっと前に、子どもたちにこうした力を身につけてもらおうと設立された学校が本書の舞台。学年を取っ払った寮生活などユニークな点はいろいろあるけれど、いちばんのポイントは先生の位置づけ。この学校では先生はほぼ何も教えない。考えるヒントを与えるのが主な役割。唯一教えるのは「正解がない」ということも世の中にはある、ということ。だから、“いつも答えを持っていて、それを提示する”という従来の先生の定義からすると、これは大きなパラダイムシフトになる。これはいまの先生にとっては辛い。教えてはいけないとなった時点で、思考停止に陥ってしまう先生が続出するのでは。
    今はビジネス界の専有物になっているコーチングなども、今後は先生の必須スキルになってくる。そんな時代は思ったより近いのかもしれない。

  •  この本は高橋源一郎さんが「きのくに国際高等専修学校」で行った授業の一部を書籍化したものです。
    では、早速その一部を

    〜〜正解が見つからない問いに遭遇したときに、私たちはつい「何処かに答えがあるかもしれない」と、答え探しをしてしまう。でも、鶴見俊輔さんはどんな難しい質問にも即答する。何故そんなことができるのか、それは「私ならこうする」という自分の経験からスタートして考えていくしかないと考えるからです。〜〜
     何処かにある「正解」を探して「遠く」や、評価を気にして「周囲」を見てしまう。私たちはの姿勢はいつからこうなってしまったのかと考えさせられた。
     その疑問に高橋源一郎さんはこう答えている『日々、自分自身に誠実に向かい合い、考えることをし続けるしかないないんだ』

     たしかに、子どもの頃に私の周囲にいた大人たちは、やはり自分の言葉で叱ってくれたし、答えてくれた。(きっと間違いや思い過ごしもたくさんあっただろうけど、真剣に自分に向き合っていた。)


    そして、高橋源一郎そんはこうも言っている。
    「自分の中には、もうひとりの自分がいるような気がします。その、もうひとりの自分は、怠けそうな、世間や社会の常識に流されそうな自分を戒め、励ましている。
     そんな、自分の中いるもうひとりの自分がダメになったら、わたしたちは何もできない。一歩も成長できない。自分が基準である、ということは、実は、とても厳しいことなのであるとも。
     
     その他にも幾つか、お勧めしたメッセージがあるのでけれど、ネタバレになるので、それ以上は本を手に取って読んでください。
    高橋源一郎さんは最近メディア露出が多くなってし、活動も盛んだ。(私の中では“サンドイッチマン”・“東京03”と同レベルの急上昇ぶりだ)

    この本を読んで、気づかされたことがある。(実際にテーマにもなっているのだが)
    私はなぜこのブクログに文章(レビュー)を書くのかという自分の欲求についてだ。
     「おそらくそれは、「人に読んでもらう」、「人の評価をもらう」ことが感じられるからなのだろう。もちろん反応(評価)がなくても書く。でも、それでも「読んでくれている人がいるかもしれない」と思うから書き続けるし、真剣に自分に向き合う。
    私は毎朝ノートを1ページ書くが、それとこのブクログとは筆圧が違うし、文体が違う。それは「読まれてるかもしれない」と思うからだ。きっと。(私の毎朝ノートを見たらみんなぶっ飛ぶだろう、いろんな意味で)
     
     「読まれているかもしれない」という緊張感は、109のショップのお姉さん達や芸能人が綺麗な原因が「観られている」ことにあるのと同じでように、微妙な緊張感をもって言葉を吐き出し、綴っていくことが伝える文章に繋がっているのだ。
     上手い文章ではないが、読む人に『届いた』といったいった反応があったときは嬉しいし、きっと文章が力を持ったのだろう。(手前味噌)


     

  • 文学部の授業を垣間見た感じ?

    自分は数学の教員として答えを教えたり、答えに辿り着くまでの道のりを教えたり、その道のりの見つけ方のヒントを教えたり、といったことをしてるけど、やっぱある程度答えがあるものを教えてる。答えがないものを考えたり、それこそ問いを見つけたり、そういう力が今の高校生にも求められてると思うんやけど、それって急にはなかなか出来なくて、自分も苦手だと感じている。数学の授業を通して時にはそういうことも教えられたらいいなぁと思う。あと教科の授業内だけでなくても。

    以下、最も印象的だった文章

     鶴見さんは、別の本の中で、「教育とはそもそも自己教育なのだ」と書いています。どんなに優れた先生についても、結局、先生ができるのはアドバイスだけです。逆にいうなら、どんなに素晴らしい先生についても、どんなに素晴らしい知識やアドバイスをもらっても、それを使いこなさなければ何にもなりません。自分に教えてくれる最後の責任者、最後の先生は、自分自身だけです。
     いつも、自分の中には、もうひとりの自分がいるような気がします。その、もうひとりの自分は、怠けそうな、世間や社会の常識に流されそうな自分に向かって「そうじゃないよ」「ちゃんと考えなよ」「ほら、この先生の言うことに耳をかたむけて」、そんなふうに、いつも励ましている。そんな、自分の中にいるもうひとりの自分がダメになったら、わたしたちは何もできない。一歩も成長できないでしょう。
     自分が基準である、ということは、実は、とても厳しいことなのです。

  • もう直ぐ大人扱いされて、自己責任を強要されちゃうから、そうなる前に悪い大人に丸め込まれないで済むスキルを身に付けて貰わなきゃ、、、

    京極夏彦、瀬戸内寂聴…人気作家らが人生の知恵を伝授 大人も楽しめる教養書「17歳の特別教室」シリーズ|好書好日
    https://book.asahi.com/article/12657991

    『答えより問いを探して 17歳の特別教室』(高橋 源一郎)|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000324387

  • こちらは、きのくに国際高等専修学校で行われた特別授業から。

    当てられまくったマヤちゃん、大変だっただろうけど、後半に進むにつれて、自分なりに考えようとしているのが分かる。

    言葉や虚構を通して、考える。
    タイトルの『答えより問いを探して』がいいな、と思うのだけど、上手く問えたら、それは答えが見えているようなもの、と言ったのは誰だっけ?

    ソクラテスが自著として本を残さなかったのは「自分で書くと、ずっと後になって『ソクラテスはこう思っていたんだ』と思われてしまうのがイヤだったんじゃないか。」「『自分の考え』が、ある限られたものにされてしまう。そういうことがイヤだった。」からだと話していて、あ、そう考えることが出来るのかと思った。

    「推量」することの力。
    日本では、古語の助動詞に推量の意を持つものが非常に多い。
    生活することにも、人を知ることにも、鋭敏になっておきたい感覚のように思う。

  • 和歌山にある
    「きのくに国際高等専修学校」
    での 
    ゲンちゃんこと
    髙橋源一郎さんと高校生たちとの
    授業の記録

    本来の「学校」が
    ここに あります
    (と 私は思いました)

    今、日本の「学校」に
    携わっている人、
    関係している人、
    感心のある人、
    絶望している人、
    全ての人に
    目を通して欲しい
    一冊です

  • 「きのくに子どもの村学園」(きの校)グループの「きのくに国際高等専修学校」で、タカハシさんが二日間行った授業をもとに本にしたものだ。

    授業を行ったこの学校は僕らの視点では、とても変わっている。まず学年がなく複数の年齢の子供が一緒に学んでいる。時間割も普通の教科の名前がなく体験学習が大半、宿題もチャイムも試験も通知簿もない、また、「先生」と呼ばれる人はおらず大人はみな「さん」付けで呼ばれる。廊下もなく、入学式も卒業式もない。ともかくその理念からとても「自由」な学校なのだ。タカハシさんはこの学校の方針にほれ込んで、自分の子供をこの学校に通わせている。

    いつか「ここでの「大人」と「子ども」の関係は、「作家」と「読者」の関係に似ている」と気が付く。まず「子ども/生徒」があっての「大人/先生」であり、そこには相互の「信頼関係」が生まれていなければならない。読者がいなければ、読書という行為自体が生まれないのだ。読書は強制ではないし、作品が生みだされた後は、「作家」の手から離れて「読者」の手にゆだねられる。

    そして、タカハシさんはここで授業を行うことにする。
    まずタカハシさんは次のように語りかける。この本のタイトルにもなった考えだ。

    「ほかの学問たちは答えを探すのが仕事。そして、答えより問いを探すのが、文学と哲学の仕事です。たいていの学校では教科書で正解を勉強して、後でテストに正解を書くと100点がもらえるでしょう。文学と哲学はそういうことはしません。そもそも正解があるのか、を考えるのです。それが、「問いを探して」ということです。ぼくはそれがいちばん大切だと思っています」

    これこそがタカハシさんがこれまでの学校に持っていた違和感でもあった。そして、きの校で見つけたものでもあったのかもしれない。

    正解がないということはおよそ人生においてそうなのだが、特に小説については当てはまる。「小説に誤読はない」として、タカハシさんは次のように語る。
    「そこに書かれている文字はどんなふうに読んでも自由なんです。作者さえ気づかなかったことに読者が気がついて、作者のぼくが影響を受ける。それくらい、小説の世界は広い。そこに何が落ちているのか、作者だってわからないんですからね」

    それではそのときに導いてくれる先生は誰かということになり、タカハシさんは「本の中に先生がいる」と伝える。そして、皆さん自身の先生を探しにでかけようと、語り掛ける。そういうことでいえば、自分にとってはタカハシさんが先生なのかもしれない。

    また、タカハシさんは、文章がうまくなるためには、それが読まれるものであると意識をして書くことで十分だという。もしかしたらみんなが先生なのかもしれない。だからこそ、タカハシさんは文章を添削しないという。添削をしたら上手い文章が書けるようになるということではない。そして、それは望ましい「先生」と「生徒」の関係も作ることがない。

    授業の中では、晩年の小島信夫や木村セイの文章が紹介される。これまでのタカハシさんの著作の中でも何度か紹介をされてきたお気に入りの言葉たちだが、改めて子どもたちに向けて紹介するとなると一種の緊張感というものがにじむ。
    紹介される彼らの言葉は間違いだらけである。ただ、その文章は添削されるべきではない、というのもわかる。正しい文章というものは存在しない。怪我をして体を壊した木村センが遺書を書くためだけに自ら字を習い、そして書き綴った言葉についてはそれがすべてであり、誤りを正しくするという行為はまったく必要のない行為である。

    「問いを探して」というのは、その前にすべてを肯定する、ということも含まれているのかもしれない。

    鶴見俊輔の自殺に関する息子とのやりとり、ル=グィンの「左ききの卒業祝辞」など、タカハシさんのお気に入りの「先生」に改めて会うことができたのも収穫でもあった。


    いまだどっぷりと「正解を探す」世界にはまり込んでいる身を顧みて、ふとこれでよいのだろうかと思うこともある。子どもたちもまた「正解を探す」世界にいる。そこを突破した先には「問いを探す」世界が待っていて、そこでうまくやっていけるものと期待をするのだが、はまり込んだ「正解を探す」世界が与える影響の強さは自分が身に染みている。でも、子どもたちはすでに新しい先生を見つける旅に出ているのかもしれない。もはや親としては、よい出会いをと願うだけなのかもしれない。

  • 高橋源一郎さんの名前とタイトルからちょっと借りてみたくなった本。
    分量的には割と短時間で読めるが
    そんなに慌てて読んではいけない本かもしれない。

    高橋さんが実際に授業をしたこの学校は
    先日見た「夢みる小学校」という映画に出て来た学校…の高等部。
    この学校で学んできた彼らだからこそ、これだけの発言が出て来たのかもしれない。

    たった2日なのに、中身は濃い。
    究極の質問が投げかけられる。
    これができるのはやっぱり高橋さんみたいな人だからかな⁇ともちょっと思った。

  • 自分から学びに行かないと「先生」達は教えてくれない。
    その先生は大抵本の中にいる。

    さまざまな学びがありました。

  • いつも自分のなかにもう1人の自分がいて、アドバイスをくれる。でも、その自分がダメになったら一歩も成長できない。
    ダメになったとき、それはどういうときか、考えるとぞっとした。
    先生は、自分で選ぶ。
    子どものと接し方を改めて考えさせられた。

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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