- 講談社 (2019年8月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784065170168
作品紹介・あらすじ
ネオ・リベラリズムがもたらす現代の苦悩……本当に「この社会しかありえない」のだろうか?
「右/左」に替え、「ロック/ルソー」の対立軸で歴史を読み解けば、この社会の構造がよくわかる。
気鋭の「哲学者」が大胆に描く、歴史の隠された法則と「新しい社会」への道標。
* * *
[目次]
序 社会って、こういうもの?――ゼロから社会を見直すこと
第一章 この社会はどんな社会なのか――「右/左」の対立の本質
第二章 いまはどんな時代なのか――「ロック/ルソー」で辿る近現代史
第三章 いま社会で何が起きているのか――ネオ・リベラリズムの「必然性」
第四章 資本主義社会の「マトリックス」を超えて
あとがき
みんなの感想まとめ
現代の資本主義が抱える問題を深く掘り下げ、個人の自立と意識の重要性を強調する内容です。著者は、ロックとルソーという二人の思想家の対立を通じて、自由と平等の概念を再考させ、社会の構造を明確に理解させます...
感想・レビュー・書評
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経済としての資本主義、社会体制としての資本主義についての本ではない。その問題点の説明もあるし、解決を目指しているが、書かれているのは資本主義社会に囚われている個人の自立についての本。
マルクス主義者と“人間の意識の自立性“を重視した丸山眞男の対立の構造そのまま?
(対立の構造についての別文献からの引用):丸山眞男はマルクス主義が経済構造(下部構造)を変革すれば、人間の意識や精神(上部構造)も進化するというマルクス主義の「機械的な唯物論」を批判し、制度や経済体制だけを急進的に変えても、人々の内面にある「前近代的なエートス(権威への盲従や、共同体への埋没)」が変わらなければ、結局は新しい体制の中にも古い抑圧的な人間関係が持ち込まれるだけだと指摘した。人間の意識の自律性を軽視することは、真の民主化を妨げると主張した。
資本主義社会の未来は怪しい。経済からのアプローチ、政治からのアプローチ、個人からのアプローチそれぞれ説得力があるが、論理的に組み立てられる分なのか経済からのアプローチが一番しっくりくる。単純に読でいる順番?今話題になっている斎藤幸平氏の「人新世の黙示録」なんかは、多分「個人」と「社会」からのアプローチなのだろうと思う。読むリストに。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
荒谷大輔(1974年~)氏は、東大文学部卒、東大大学院倫理学科博士課程単位取得退学の哲学者。江戸川大学基礎・教養教育センター長兼社会学部人間心理学科教授。
本書は、前半で、18~21世紀の様々な社会思想の展開を、ジョン・ロック(1632~1704年)とジャン=ジャック・ルソー(1712~1778年)の思想の対立で描き、後半で、それらを踏まえてできている、我々が生きる「この社会」をゼロから見直してみようと提案するものである。
論旨は概ね以下である。
◆ロックの社会契約論は、(但し書き付ではあるが)「私的所有」を核とし、17世紀の名誉革命後の英国の進むべき方向を示すと同時に、アダム・スミスを祖とする古典派経済学、資本主義的社会システムに繋がっていった。
◆ルソーの社会契約論は、明示的にロックを敵としたもので、個人の意志=人民の「一般意志」と考え、18世紀のフランス革命の理論的支柱となった。
◆現在我々が当然のものと考えている「平等」と「自由」という理念は、そもそも相容れないものであるが、ロックとルソーにおいても全く異なるものである。「平等」について、ロックは「機会の平等」(人間には大差がないという考えに基づいており、結果の不平等は問題にしない)、ルソーは「結果の平等」(必要に応じて結果の不平等は調整すべき)を主張する。その結果、目指すべき政府については、ロックは「小さな政府」、ルソーは「大きな政府」となる。また、「自由」について、ロックは「消極的自由(~からの自由)」(束縛から解放されること)を、ルソーは「積極的自由(~への自由)」(自分で自分を律すること、即ち、個人の意志=一般意志に従うこと)を唱える。そして、これらの違いから、今日の政治的スタンスについて、前者を「右/保守」、後者を「左(フランス革命時にロベスピエール一派が議会の左に陣取ったことに由来する)/リベラル」と呼ぶ。
◆近現代史を、①1800~1850年、②1850~1950年、③1950~2000年、④2000年~の4つのフェーズに分けると、その間の主な社会思想は以下のように整理できる。①【ロック的】古典派経済学、【ルソー的】ロマン主義、教養主義、②【ルソー的】ニュー・リベラリズム、スピリチュアリズム、マルクス主義、ファシズム、ケインズ経済学、③【ルソー的】学生運動、新宗教ブーム、熟議民主主義、④【ロック的】ネオ・リベラリズム。
◆我々が生きる「この社会」はロック的な資本主義社会の道徳と経済を基盤としているが、その限界が見える今、我々はそれを乗り越える必要がある。新たな枠組みを予め特定することは控えるが、大事なことは「自由」と「平等」を確保した上で、ゼロ地点に立ち戻って新しい思考の枠組みを生み出すことである。
私は、資本主義の限界、ポスト資本主義のあるべき姿を考えるため、これまで、ジョセフ・スティグリッツ、トマ・ピケティ、水野和夫、広井良典、斎藤幸平ほかの、経済学、経済思想、政治思想、近現代史等に関する様々な書籍を読んできて、本書も題名に惹かれて手に取ったのだが、ロックとルソーの思想の対立で近現代思想史を描くというアプローチは、少なくとも私がこれまで読んだ本にはなく、面白く有用なものであった。
(但し、上記論旨に記載の通り、題名にある「資本主義の出口」に関しては、「それを考えることが大事だ」としか書かれておらず、それが哲学者たる著者の狙いだとは言うものの、読者(本を選ぶ側)を惑わせないために、題名は『ロックとルソーで読み解く近現代思想史』とでもすべきだったと思う)
(2021年10月了) -
切り口がおもしろそうだったので購入した。タイトルは少し違うような気がするなあ。「新たなる自由と平等をめざして」かな。陳腐かな。ロック(L)とルソー(R)の対比がよく分かった。何度も同じような話を読んでいるはずで、何度も、このあたりまでは理解したような気がしていたが、今回で本当に理解できた、かも。奴隷のこととか、植民地のこととか、歴史についても納得がいった。さてさて、何をもって自由と呼ぶのか、何をもって平等と考えるのか、そのあたりの価値の置き方でずいぶん違った社会ができるのだろうなあ。古代ギリシャで自由と平等が両立した背景には奴隷がいたということが挙げられるのだろうか。フィンランドの教育がすばらしいというのは人口が少ないことに起因しているのだろうか。どこかの時代、どこかの国でよかったことを、そのまま今の日本に持ち込んでうまくいくかどうかはわからない。ああ、もっと根本のところから考えるって結構大変そうだなあ。でも、やっぱりシンプルなしくみがいいような気がするなあ。どうあがいても、皆が幸せになる仕組みってつくれそうにない。だって、幸せって感じる感じ方がそれぞれ違うのだから。それなら、システムは簡単に。その中で、ものは考えようで、うまく生きていく。それがいいかなあ。一度講義を聴いてみたいなあ。江戸川大学ってどんな大学なんだろ。
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● 18世紀から21世紀に至るすべての社会思想の展開を、ロックとルソーと言う2人の思想家の対立で書き切ることにしました。2人は全く違う意味で「自由」と「平等」と言う概念を使っている。また右左と言う政治的対立の構造をすっきり整理できる。
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題名だけをみると、リーマンショック後に多く出版された資本主義批判本が連想され、ある点では実際にその通りではある。しかし、本書は他書のように富の偏在に直接焦点を当てるのではなく、現在の特に旧西側自由主義国家に見られる混乱の原因がその思想的根幹をなす「自由」と「平等」が全く異なる仕方で人々に諒解されていることにあると指摘し、その発生の起源に立ち戻り徹底的に問い直そうとする試みに特色がある。
本書はその自由主義内部の断絶が、そのルーツである2つの社会契約説の相反する立場にあることを指摘するものだが、出色なのはその異なる立場が現在も民主主義の「保守」と「リベラル」の中に保存されているという一貫した主張を貫いている点だと思う。17世期の社会契約説の誕生日に始まり、産業革命後のロマン主義やマルクス主義、そして二度の大戦の契機ともなった民族主義、そして戦後の安定した経済成長とその崩壊まで、全てを「ロック的なるもの」と「ルソー的なるもの」の相克に収斂させて捕捉できるとしている。この単純化が極めて分かりやすい。
これだけで十分新書としては成功していると思うのだが、終章で著者はさらに踏み込んで「資本主義の出口」のあり様を探る。現在の閉塞の原因は社会契約論が「自らの意志」という「神話」に過度に依存したことにあるとし、これを打破するには身体外部から押し付けられた「私」を放棄し、自ら「ゲーム」を選択することのできる地平(「ゼロ地点」)を確保すべきと説く。「身体レベルでの現実から再び『自由』と『平等』を問い直す」ということが具体的にどういうことなのか、それは現行の資本主義の枠内で実践できるのか、具体的には明らかにされていない。また、昨今のSDG’sを重視する風潮が一時的なものでなければ、著者が諸悪の根元にあるとみる「個々の主体が自由に振る舞うが社会全体の問題には目を瞑る」というアダムスミス的分業が修正されていく可能性もなくはないだろう。しかしいずれにせよ、とにかく新書らしく明快で手軽に政治思想史のエッセンスに触れられるのは素晴らしいと思う。 -
インパク知9・9
かかった時間120〜150分
めっっっっちゃおもしろい!!!
個人的にはサピエンス全史と同じ種類のおもしろさ。帯に書いてあるのだが「ロックとルソー」で近代以降の社会を説明しきっている。
ロックが、あくまで労働者としての個人の意思決定に委ねた自由な経済活動を肯定する立場なのに対して、ルソーは一般意志的な概念?の参与者としての個人の確立を教養主義によってめざし、結果として存在するはずの、文化や民族の連帯に基づけば福祉も必要だろうという立場である、と分析したうえで、産業革命はロック的で、それの揺り戻しとしてルソー的な理想が目指されたけど、それは革命やら全体主義やらオカルティズムに変容する傾向があり、実際に苦い歴史も作ってしまった。戦後は、高度経済成長の目くらましのおかげで、本来は両立するはずのないロック的な経済活動とルソー的な福祉や終身雇用システムが噛み合っていたように見えるけど、やっぱりボロが出てきて、ロック的資本主義はもう限界だし、ルソー的な福祉はやってる余裕がないし、みたいな話だった。
面白い…書き切れないのでまた書くかも…いまのところ今年イチだわこれ。周りに勧めまくりたい。筆者にファンレターのひとつも出したい。
この方の専門書も読んでみようかと思うくらいには、エキサイティングでおもしろかった!!! -
ムズイ
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ロックとルソーで分けるのがよく理解できた。こういう見方があるのかと目から鱗が落ちた。なんだかよくわからない日頃の、左翼右翼保守リベラル共産主義資本主義ネオリベラルマルクスだのが、この本の説明が一番明快でわかりやすかった。
ただ最終章は、まだ私の素養では上手く理解できていない。雰囲気はわかったのでまた数年後に読んでみたい。
西洋中心、明治維新後の日本の話なので、それ以前の日本の、ロックでもないルソーでもない社会を知りたいと新たな興味を得られた。 -
ロックとルソーを軸にして歴史を見ていく、中盤までとても面白い。
そこから後半、哲学者ならではの話が出てくるのもいいけど、最後結論はよくわからない。 -
資本主義の本ではなく、西洋哲学の本。
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321
280P
資本主義にも問題点があってそれをどうするかみたいな本て、資本主義って言うものがどういう世界観かっていうのを冷静に切り離して見られるのが良い。あまりにも資本主義の中に生きすぎてるから分からなくなってくるけど、自分のこういう価値観は多分資本主義だから思うことなんだろうなというのが分かって楽しい。
荒谷大輔
1974年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、江戸川大学基礎・教養教育センター教授・センター長。専門は、哲学・倫理学。著書に、『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)、『ラカンの哲学:哲学の実践としての精神分析』(講談社選書メチエ)、『「経済」の哲学:ナルシスの危機を越えて』(せりか書房)、『西田幾多郎:歴史の論理学』(講談社)、『ラカン『精神分析の四基本概念』解説』(共著、せりか書房)、『ドゥルーズ/ガタリの現在』(共著、平凡社)など。
資本主義に出口はあるか (講談社現代新書)
by 荒谷大輔
しかし、そうした一般的な理解から、もう少し掘り下げようとするとすぐに壁にぶつかります。まず社会はなぜ、「右」と「左」に分けられるのでしょう。単純に形式的に考えると、社会というのは様々な人の集まりなわけですから、必ずしも二つに分けられるものでもないように思います。政治的な立場の対立点を考えるにしても、なぜいつも「右/左」で考えられるのでしょうか。「伝統を重んじる」とか「平等を目指す」とか、特定の二つの方向に世論が集約される理由が分かりません。もちろん、「中道」という言葉でどちらにも属さないものが語られる場合もあります。が、その言い方はむしろ対立軸を前提にしています。両極端を分けた上ではじめて「真ん中」という言葉が意味をもつわけですから。そもそもなぜ「右/左」の対立軸が社会を考える上で重要なのか、その点をきちんと説明する議論は意外にも少ない気がします。
しかし、一九八〇年代あたりから、「右/左」の対立軸で社会を理解することが非常に困難になってきました。アメリカにおける「レーガノミクス」、イギリスにおける「サッチャリズム」あたりがそのはじまりです。そこでは「ネオ・リベラリズム」と呼ばれる、ある種の「リベラル」な勢力の提唱する政策が、保守層を基盤とした政党によって実現されるという構図が生まれました。
ロックが描いた近代社会の構図は、名誉革命後のイギリスが進むべき方向を示しました。 そもそもロックは、名誉革命の立役者となるホイッグ党を創設した初代シャフツベリ伯爵のブレーンとして活躍し
た人物でした。哲学者としてももちろん有名ですが、政治や経済の分野でも多くの業績を残しています。イギリスにおける利子論争では、利子率に関する自由放任論を展開して議論の一翼を担いました。
名誉革命が起きたときには、反逆罪に問われて亡命していたシャフツベリに付き従ってオランダにいましたが、革命が実現するとすぐにイギリスに戻り、精力的な活動を展開しています。その中で書かれたのが 件 の社会契約論でした。その私的所有を核とした近代社会の構想は、イギリスにおいて自由経済政策を推し進めたホイッグ党の理論的支柱となったのです。
しかし一七五〇年、三八歳のときにディジョンのアカデミーの懸賞論文に当選すると、ルソーは一躍スターへの道を駆け上ります。「学問と芸術の復興は習俗の純化に寄与したか」という懸賞論文の問いに対してルソーは、「否。学問と芸術は習俗を腐敗させた」と答えてみせました。理性的な分別は人為的な技巧であって、真理は感性の誠実さに宿る。その主張は、ルソーの生き方をそのまま表すものだったということができるでしょう。つまり、人類を啓蒙し理性の光で照らすことは欺瞞のはじまりでしかないという主張は、啓蒙主義者たちの中にあって感じていたルソーの孤独をそのまま示すものだったのです。「この地で私は、人々に理解されないゆえに異邦人なのだ」というのが、ルソーがこの懸賞論文のエピグラフに添えた一節でした。
実際ルソーはその主張において、そしてその生き方において、様々な矛盾を抱えていた人でした。ヴァラン夫人の庇護を受けるためにプロテスタントからカトリックに改宗し、その後再びジュネーヴ市民になるためにプロテスタントに再改宗するというのはまだ軽い方です。それは社会的な制約の問題であって、ルソーの思想の内実に関わるものではないといえるからです。
(1)社会契約をしてルソーが示す共同体の一員になろうとする者はまず、自らの財産のすべてを全面的に譲渡しなければならないといわれます。 これらの譲渡は共同体の全員に求められ、かつその人がもつすべての財産の放棄が必要とされます。つまり、ルソーの社会契約では最初に全面的な私的所有の放棄が求められます。この点においてロックが描く社会像とは完全に対立するものであるということを強く確認しておきましょう。読者の中にはこのことから直ちに、ルソーというのは共産主義だったのかと思われる方もあるでしょうが、それほど単純ではありません。確かに資本主義的ではないかもしれませんが、ルソーの社会契約論はそれでもなお、民主主義のひとつの原型となるものだからです。
(3)そして、この約束ができた人は(1)のステップで投げ出した自分の財産のすべてを元通り手元に戻してよいということになります。 これがルソーの社会契約の面白いところで、社会契約のすべてのステップを辿り終わると結局、プラスマイナスゼロで誰も損しなかったということになります。財産の没収は単に覚悟の問題で、これから一緒に共同体を作るにあたって最初にみなが同じ条件で丸裸になる覚悟だけを問題とするものだったというわけですね。
経済学の原理として有名な「見えざる手」という言葉は、この欺瞞論の文脈で出てきます。各人は「自由」であり、好き勝手に振る舞いますが、それで社会がバラバラになるわけではない。人々はまさに「自由」であることで、自らの快楽を求めて流行に騙されます。それは必ずしも各人にとっていい結果をもたらすものではないものの、社会全体で見ると「神の見えざる手」が働いているかのように、道徳的規範と経済的発展を実現するとスミスはいっていたのでした。これ以上ないくらい皮肉の効いた「経済社会」の描写を、経済学の創始者と呼ばれる人が示しているというのが面白いと思いませんか。
奴隷による労働は、労働者の労働に比べて高いコストを資本家に課すことになるとスミスは訴えます。奴隷の購入代金や維持費用を考えると、「自由」な労働者を雇い入れた方がずっと安くすむというわけです。また、奴隷は単に恐怖によってのみ動かされますが、労働者は自分の欲求に従って働きます。先に見たようにスミスによれば、まさにその欲求こそが結果的に本人を騙すものとされていたわけですが、それでも経済発展に「自由」は不可欠です。奴隷が「自由」になることは、生産性という観点から見て、大きな利点をもつとスミスは訴えたのでした。コスト的な側面を考えても生産性の向上という観点でも、自由労働者は奴隷に勝るというのが、スミスの主張だったのです。
それだけではありません。これはスミスの指摘から外れますが、労働者は奴隷に比べて消費者になるということも無視できない経済的メリットだと思われます。奴隷には賃金が発生しませんが、労働者は賃金をもらって物を買う主体となります。生活に必要なものを買う行為を介して労働者自身が「市場」の一部に組み込まれることになるわけです。こうして「市場」が広がることで、経済は全体としてより大きな発展を期せると考えられます。
「民主主義」という言葉もまた、この当時はまだ「衆愚政治」と同様の悪い意味に理解されていました。「デモクラシー」というのは、言葉の成り立ちとして「大衆による支配」を意味します。それは少なくとも一九世紀イギリスでは「多数者の暴政」を引き起こす可能性をもった政治形態と考えられていたのです。
「教養主義」というのは、かつてはよく知られたものでしたが、いまはもう説明抜きには通じないかもしれません。「教養」という言葉自体は、今日でもなおたびたび持ち出されます。しかし、その「教養」という言葉が、まさに「教養主義」の中で作られたものであることはあまり意識されていないように思われます。実際、「教養」には「リベラル・アーツ」というアメリカ経由のルーツも知られています。その源流は遡ろうと思えば古代ギリシア・ローマまで辿れるものですが、その時代のものが現代まで連なっているわけではありません。「リベラル・アーツ」と呼ばれるものもまた近代において再定立されているのですが、そこには教養主義の影響がありました。日本にとって輸入先が異なるので別系統に見えますが、今日「教養」と呼ばれるものの背景には、近代ドイツにおいて成立した「教養主義」の影響を見ることができるのです。
「教養」は英語でいうと「カルチャー」ですが、これは「文化」を意味する言葉でもあります。つまり、教養主義において「教養を身につける」ということは、文化を共有することを意味するのでした。文化の共有による感性的な共同体の構築という点でロマン主義を継承していますが、「文化」をそこに生まれ育つものとしてではなく、「教養」として身につけるべきものとする点で両者は異なっています。教養主義においてカルチャーは、それを身につけることでひとつ上の文化共同体の一員になるためのものと位置づけられたのです。
ドイツで成立した教養主義での「教養=文化」とは、例えば、ゲーテやドストエフスキー、ベートーヴェンなどです。それらは今日でもなお「教養」に数え入れられています。ゲーテはロマン主義から出発して教養小説の原点となった人ですし、ベートーヴェンはまさに教養主義の中で神格化された音楽家でした。いまの社会での教養主義の影響力はかなり減退しましたので、家庭でベートーヴェンを聞いて感性を養うなどということは、どこかの良家の子息令嬢に限られるイメージかもしれません。それはかつて日本で流行した教養主義の名残を確かに残したイメージだといえるでしょう。「大正教養主義」という言い方もされますが、教養主義が、大学生になったら身につけるべきものとして非常に大きな知的ムーヴメントになったのは、日本では大正時代のことだったのです。今日でも観光客相手に「大正ロマン」という言葉を使って「古き良き時代」をノスタルジックに語ることがありますが、それはまさに教養主義の根っこにあるロマン主義的感性に訴…
教養主義はしかし、この「大学」を今日のような先進的な研究と高度な教育の拠点として位置づけ直しました。近代の大学のシステムは一九世紀初頭に成立したドイツの大学をモデルに作られますが、そこで打ち出されたのが「研究を通じた教育」という理念でした。学問の最先端で研究する研究者がその最新の内容を学生と共有し、学生もまたその最先端の研究を通じて学んでいくというのがその理念の内実です。「ゼミ」として知られる教育方法、つまり「ゼミナール方式」は、教員と学生がともに研究することが同時に学生の教育にもなるという理念のもとに実施されました。これはいまでも大学で広く採用されている教育システムになっています。
しかし、時が下ってその「理性」が信じられなくなるに及んで、その同じ限界が反対に、その先にありうる「隠された真理」を暗示するものと見なされます。先に見たように、啓蒙主義の限界を超えたところにこそ真理があるというのがスピリチュアリズムの感性だったわけです。当時、科学者や哲学者など、合理的な思考を突き詰めたような人々が、その先にスピリチュアリズムに没入することが多くありました。それはまさに、スピリチュアリズムが理性の先を示すものだったからにほかなりません。
しかし、ロック的な社会を乗り越え、「新しい社会」を作ろうとする試みの中で歴史上最も大きな力をもったのは、やはりマルクス主義でしょう。実際二〇世紀にはマルクスの思想に基づく共産主義国家が、資本主義に対して世界を二分する状況になりました。どんな政治的ポジションをとるにせよ、われわれが生きる「この社会」において、マルクス主義が重要な参照項であることは間違いありません。
そうして実際二〇世紀、革命によって数々の共産主義国家が誕生しました。では、そうして誕生した「新しい社会」は、ロック的な社会よりも「よい」といえるものだったでしょうか。その点は考える必要があります。ルソー的な社会の実現の試みが生んだ悪夢については、すでにロベスピエールで見ました。マルクス主義による革命は、その例外となったのかどうか。もう少し立ち入って検討してみましょう。
実際マルクスは、同時期の他の社会運動家と比べて決定的に異なる特徴をもっていました。マルクスは、古典派経済学の理論を精緻に分析し、ロック的な社会に内在する論理を明らかにしてみせました。マルクスは経済学の研究を通じて、経済的な構造の限界を明らかにするという方法を採ったのです。学問的な意味でのマルクスの功績は、その政治的な影響力の陰に隠れて、なかなか公平に評価されづらいところもあります。しかし、理論的な可能性については、政治的なポジションのとり方とは別に、きちんと検討する必要があるでしょう。本書ではその点まで立ち入った話をすることはできませんが、別に良書もありますのでそちらをご参照ください。
ただ、そうしたマルクスの理論的な分析は、マルクス主義の展開の中で政治的なスローガンに変えられました。マルクスとともに、マルクスの援助者として初期マルクス主義を守り立てたエンゲルスにいわせれば、マルクスが示したのは「科学的な社会主義」とされました。オウエンのような理念先行型の運動は「空想社会主義」でしかないと 腐されます。マルクスが描く「新しい社会」はそれとは異なり、「科学」に基づくので…
一般的にいって、「科学」という言葉を使うだけで何らかの優位性を示せたと思えるような感性は、多分に政治的です。学問としての科学には、その方法に即した限界があります。「科学」はいつでもよい未来をもたらしてくれると信じるような科学万能主義は、研究費獲得のために科学者の側で意図的に便乗する事例も見受けられますが、本質的には政治的な機能しかもちません。それはいまでも広く観察される社会現象ですが、この当時のエンゲルスの議論もそうだったと思…
オウエンの失敗に見られるように、共同体内部で一般意志の共有を貫徹することはルソー的な意味での「平等」な社会を実現するためには不可欠のことといえます。もし一般意志が複数に分裂してしまえば、共同体の存続自体が危ぶまれることになるでしょう。それはオウエンが演じてみせたことであり、ルソーがあらかじめ理論として指摘していたことでもありました。それゆえ、マルクスが共産主義社会の実現のために「プロレタリアート独裁」の必要性を訴えたことには、一定の理路があったといえます。しかしながら、まさにそうした同じ「一般意志」の共有のためには、反対者の排除が必要になります。真の「平等」を実現するために、独裁体制において決められた事柄を共同体の隅々まで貫徹させることが求められたのです。ルソー的社会の悲劇は、マルクス主義を例外とするものではありませんでした。
しかし、物事を総合的に判断するのが真の学問だという意識は、一九世紀後半から急速に失われていきました。それは、単純に高度に専門分化した知のそれぞれについて一人の人間が詳しく知ることが難しくなったということだけでは説明がつきません。というのも、学問にとって知の総合が不可欠という意識が全体に保たれていたならば、そのための努力がなされてもいいはずだからです。自分が専門的に探究する分野が学問全体の中でどのような位置にあるものかということを個々の研究者が常に意識して研究していたならば、学問は今日のような状況にはなっていなかったでしょう。これは実際に様々な学問分野を横断してみればすぐに分かることですが、それぞれの専門分野で実質的に「同じこと」が別な言葉で議論されているということがよくあります。文脈を補わないと分からない数式を用い、専門家にしか通じない言葉を独自に定義しながら、さも重要そうに論じられる事柄が、他分野ではすでに何十年も前に議論されていたということが本当によくあるのです。学問の専門の壁というのは、他分野の研究者の介入を防ぐためにわざわざ高く設定されているのかと穿った見方をしたくもなります。少なくとも個々の研究者が学問全体についての意識をもっていたならば、同じ問題を一々最初からやり直すなどということは起きないと思われるのです。
しかしなぜ、大学はこのような状況になったのでしょう。答えはある意味で簡単だと思われます。というのも、いまの社会においては、自らの専門分野が学問全体の中でどのような位置をもつかを考えることが、まったく「お金」にならないからです。特定の専門分野で認められ「研究者」として生きていくためには、専門分野を究める必要があります。そして、研究者としての希少価値は、ほかにその研究をできる人間がいないということで生み出されます。だとすれば、専門は細かければ細かいほどよいということになるでしょう。まずは「哲学」という大きな学問の枠組みで物事を考える必然性が薄れ、天文学、物理学、心理学などといった個別の学問領域が分かれていきました。そして、それぞれの学問分野においても、専門はどんどん細分化されて、隣接領域でさえ隣が何を研究しているかをよく知らないという状況が生み出されます。そうして学問が細かく分かれていけばいくほど「専門家」の価値は上がっていくというわけです。その中で知を総合しようとしても、「専門家」から細かい部分の知識の欠如を指摘され、全体を否定されるのが関の山でしょう。またそうして、研究者がみな総合的な見地を手放せば、もはや誰もお前の研究はすでに他分野でやられていると指摘する人間もいなくなります。あるいは実際に指摘しても体よく無視されるだけというのが何度か試みた筆者の経験したことでした。全体的な視点をもたず、より細かく精緻な議論をすることこそが学問だという考えが、こうして学界を支配することになったのでした。全体のことを考える時間は端的にいって無駄で、目の前の専門を掘り下げることでこそ生産性が高められる。アダム・スミスが唱えた社会分業制は、こうして学問の領域にしっかりと根を張…
また愚痴になりました。ともあれ、こうしたロマン主義化のために、教養主義はこの後台頭してくるナチズムやファシズムと十分な距離をとることができませんでした。それらの運動はまさに、「文化」や「民族」を仮構して共同性を確保しようとするものにほかならなかったからです。実際、ロマン主義化した教養主義は、その基本的な構図において、ファシズム/ナチズムとの共通点を多くもっていました。日本で「教養主義」の中核を担った京都学派の戦争協力の問題、ドイツではハイデガーのナチズム協力の問題がしばしば俎上にのぼります。ですが、ここではそれらの問題に立ち入らず、もう少し簡単に教養主義とファシズム/ナチズムとの接点を見たいと思います。「第三帝国」の問題です。
「三」という数字で歴史の過程をはじめから終わりまで辿ってみせる思考様式は、非常に簡単で力強く、その後、様々なバリエーションで繰り返されました。例えばロシアにおいては、第一にローマ、第二にコンスタンティノープル、第三にモスクワというかたちで「終わり」に至る歴史が語られました。東西に分かれる前のローマ帝国を起点に、東側コンスタンティノープルのキリスト教、つまり東方正教会がやがて「ロシア正教」となってモスクワに至る歴史的な過程が、終末論のイメージと重ねられているわけです。これはある意味で非常に素朴な民間信仰ですが、この考え方が「教養主義」の本丸、ドストエフスキーに流れ込んでいます。ドストエフスキーが素朴な宗教的観念に囚われていたというのではなく、「第三帝国」にまつわる思考様式が、ひとつのモチーフとして流れ込んでいるというわけです。ナチス政権成立前のドイツで『第三帝国』というタイトルの本を著したメラー・ファン・デン・ブルックは、ドストエフスキー研究者でした。
ロック的な近代社会を乗り越えようとするルソー的な試みは、こうして様々なかたちで挫折します。ロマン主義、教養主義、スピリチュアリズム、マルクス主義、ファシズム等々、それらが近代の歴史において果たした役割と可能性、そして悲劇の度合いは様々でした。しかし、そこには常に、ロック的な社会に対するルソー的な反発がありました。近現代の歴史を二極で説明するというのは、いかにも乱暴な図式ではありますが、こうして縦のラインを切ることで見えてくることもあります。そのひとつが「右/左」という対立軸の捻れです。
ナチズムやファシズムは一般に「右派」あるいは「保守」と見なされます。「右」といわれるのは、それらが民族や伝統を重視し、自由主義に対立することに由来します。自由主義を「左」に見ての「右」です。しかし、マルクス主義に代表される「左派」もまた同様に、ロック的な近代社会を乗り越えようとするものでした。こちらは自由主義を「右」に「左」と位置づけられます。そうすると同じ自由主義が「右」でもあり「左」でもあるということになってしまいます。ここに「右/左」という政治的な対立軸の混乱がはじまっています。「右」「左」は事柄を示す言葉ではなく、相対的な位置を示すものに成り下がってしまうわけです。このように整理すると、問題の本質が見えなくなります。
ナチズムやファシズムは、民族や伝統を掲げることで、王党派と同様の懐古主義的な視線をもっていると見なされます。それゆえに「右」あるいは「保守」といわれるわけです。しかし、そこに誤りがあります。ナチズムやファシズムにおける「民族」や「伝統」は、かつての王党派が守ろうとしたものとはまったく違います。同じように「伝統」を掲げるとはいえ、既得権益の保全とかつて実際に存在していた秩序の回復を目指した王党派と、民族・文化を基礎に新しく社会を作り直そうとする民族主義では、求めているものが違うのです。後者の「文化」は実体的に存在するもの/したものであるよりもむしろ、理念的に想定されるものでした。実際、ナチズムやファシズムに見られる民族主義は、自由主義的な社会に替わる新しい社会を急進的な仕方で求めます。そこには既得権益を守ろうとする保守的な姿勢はまったくありません。彼らのような立場を「革命的保守」と呼ぶこともありますが、そのようないい方は「保守」という言葉から意味を奪うものといわざるをえないでしょう。「急進的な保守」などということは、言葉を記号化し、特定の歴史的知識を背景にしないと理解できない文脈依存的なものにしてしまうのです。
このモンロー・ドクトリンが単に「アメリカ合衆国」への不干渉を求めるものであったならば、話はそれほどややこしくはありません。「永世中立国」を宣言して自国を紛争から守る方法は今日のスイスでも有名ですし、それは慣習的に国際法として認識されてきたものでした。
少し考えてみれば明らかなはずなのですが、民主主義というのは必ずしも自由経済の採用を含意しません。例えば分かりやすいところでいえば、一九七九年のイラン革命後に誕生した「イラン・イスラーム共和国」は、普通選挙を行い、基本的人権と民主主義を憲法に謳う国ですが、同じ憲法に「すべての法律や規則はイスラーム教の原理に基づく」という条文をもっています。いわゆるイスラム原理主義と呼ばれる国は、民主主義国家なのです。しかし、この国は自由経済を採りません。経済運営も、国や「ボンヤード」と呼ばれるイスラム原理に基づいた半官半民の組織が大きな割合を占め、アメリカが期待する「自由経済」は採用しない方針を貫いています。アメリカは、この「民主主義国」を「テロ支援国家」と認定して国交断絶しているのでした。
ハーバーマスの議論は、その「公共空間」のイメージが企業や政治家によってコントロールされる側面が強調されていますが、あえて 敷衍 すれば、それは消費者が消費者として介入しうるものでもあるでしょう。企業や政治家もまたその「イメージ」に左右されるわけで、例えば「クレームを入れる」「分かりにくいと批判する」「失望したので応援しないと表明する」などといった行動によって「共感」の輪を広げ、消費者としての権力を振るうことができます。現代のわれわれは、市民的な言説によって政治に介入するよりもむしろ、「消費者」という匿名の集団の一員として「公共空間」に参加しているというわけです。「そんなことをしていると消費者にそっぽを向かれることになるぞ」というのが市場原理を介した実際的な権力となっているということですね。
それでもなお、それはひとつの「信仰」にすぎません。「信仰」というと聞こえが悪いように思うかもしれませんが、根拠のないものを無批判に信じるという点において、それはまさに「信仰」というべきものなのです。 かつて宗教が社会全体で機能していたときには、神が存在するということは、この上ない現実性をもつものでした。なぜならば、みながそのことを信じているのですから。神の存在は、それが仮にまったく無根拠なものであったとしても、みながそれを信じている限りにおいて、根拠云々とはまったく異なるリアリティをもっていたわけです。
お金についての「信仰」も、まったく同様です。こちらの場合には経済学者が無根拠であることをはっきり認めているという違いはありますけれども。あらためていうまでもないことではありますが、われわれの財布に入っている一万円札は、単に「日本銀行券」と書いてある紙切れであり、もし他人がそれを受け取ってくれないならば、ほかに何の役にも立ちようがありません。神の方はまだ自分は信じるということができますので、そちらの方がよっぽどリアルだといえます。お金の場合は、それ自身が何の価値ももたないことを誰もが知っていて、なおかつ信じ続けられるものなのでした。
もちろん、それでもみなが信じている限り、お金の社会的機能はどこまでも現実的です。しかし、ではなぜみなそれを信じられるのでしょうか。お金の価値はみなが信じている限りで成立しているということは、信じなくなればお金の価値が失われるということを意味します。そんな馬鹿なことがあるかと思うかもしれませんが、そうしたことは歴史上何度も実際に起きているのでした。「ヴァイマル憲法とナチズム」の項でもお話ししましたが、「ハイパーインフレ」という現象は、まさにみなが信じていたはずのお金の価値が信じられなくなったことで起きたものでした。昨日まで稼…
デカルトが「私」の存在を発見したのは、方法的懐疑と呼ばれる思考実験の中でのことでした。デカルトは一切の理論的な前提を排し、まずはすべてのことを疑ってみる中で、それでも疑いえない「真理」がないかを探しました。「すべてを疑うこと」を真理を見出すための方法にするというのが、「方法的懐疑」と呼ばれるものの内実になります。
マルクス主義も同じです。プロレタリア独裁によって獲得される「自由」は、資本主義社会において労働者が奪われていた本来的な人間性を回復するものと見なされました。先に見たように理論家としてのマルクスは、必ずしも政治的運動に限定されない意義ももっているのですが、政治として展開されたマルクス主義は、失われたものの回復というロマン主義的な色彩をもっていました。「疎外論」と呼ばれるものです。「本当の私」というテーマはそこでも、積極的服従と一般意志の専制へと繫がっていったのでした。
同じ構造は、カントのような理性主義にも見られます。理性主義においては「理性」こそが「本当の私」と考えられました。人々はみな同じひとつの理性を共有しているのだから、人がみな「理性的」になれば、ロック的な社会の問題は解決されると考えられます。しかし、意外に思われる方もいるかもしれませんが、そこにも一般意志の占有の問題が発生します。細かな議論はできませんが、例えば人類学の発展にともなって、西洋社会が信奉してきた「理性」は、必ずしも同じひとつのものに集約されないことが示されました。極めて論理的な思考の枠組みが、西洋社会が思い描く「理性」と鋭く対立する場合もありえます。西洋社会が思い描く「理性」こそが「本当の私」などとは決していえないことが様々な社会構造の研究によって明らかにされたのです。
これらの事柄は、単に幼年期を特権化したファンタジーではなく、「私」という枠組みを外しさえすれば、誰でもいつでも実際に立ち戻れるものだというのが重要な点です。先にも申し上げたように、われわれの方で勝手に思考の枠組みを適用して世界を認識しているだけで、現実の方はいつでもそこにあります。満員電車の中でそのフィルターをいきなり外すと吐き気を催すかもしれませんが、自分の身体がフィジカルに擦り減っている感覚を感じ取ることはできるでしょう。そして少し余裕が出れば、陽の光や空気感、なんでもない日常の風景が確かなリアリティをもって働きかけてくるのが分かるはずです。そこでは「私」なるものの社会的な位置づけは失われ、自分の身体もそれらの風景の一部になっている感覚が得られると思います。
話し言葉を書くというのは、ひとつの大きな矛盾です。筆者にとって一般向けの本を書くのははじめての試みでしたが、ここで書かれたことは筆者が大学で教えはじめてから授業で話してきたことがもとになっています。荒谷の話は授業で聞くと楽しめるが、本で読むと訳が分からないという、褒めているのか貶しているのかわからない感想をしばしばもらうことがあり、それならばと思って書いたのが本書になります。 -
古典派経済学のアダム・スミスの道徳感情論と国富論の関係について述べている点は評価できるが、その解釈が蜂の寓話的であり疑問。読者に誤った認識を与えるものとなっているのではないか。
きちんと解釈すれば、古典派経済学の自由はロック的よりはルソー的、またはその中間というか止揚的となると思う。 -
最後に肩透かし。
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右とか左とかよくわからないと思っていましたが、本書を読み現状がねじれの状態にあることを含め、基本的な整理ができるようになりました。
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右/左という対立軸をロック/ルソーという思想的対立に読み替えながら、現代に至るまでの資本主義を概観する快作。軸を読み替えただけで、ここまで鮮やかにわかりやすくなるのかと、感銘を受けた。
最終章に関しては、そういうオチにならざるを得ないのだろうと思いつつ、やはり現実的な話にはなりえないなとも思ってしまった。とはいえ、多くの本では逃れがちな「じゃあ、どうすればいいの?」という面に正面から向き合ったという点で評価されるべきであるし、筆者の論に同意できないとしても、それまでのロック/ルソーの議論の展開の仕方で文句なしの★5である。 -
《期待の総量としての財産が、財産であり続けるためには、掛け算された期待がなければなりません。たとえ確実な投資先がなくとも財産が投資に回され、その先に利益が生まれることが期待され続けなければならないのです。》(p.211)
《「言論の自由」を否定しようというわけではありませんが、しかし純粋に論理的に考えてミルの議論には無理があります。というのも、ミルの議論は明確に、誰も真理は知りえないという不可知論を前提にしていますが、これは無条件に正しいといえるものではないからです。また、仮にその前提を認めるにしても、人々に常に「より正しいこと」をいおうという意志が欠けていれば「何をいってもいい」という「自由」は単なる無秩序に陥る可能性もあるでしょう。「言論の自由」がもしまだ知らぬ真理の可能性を担保するためにあるのだとすれば、少なくとも正しいことをいおうとする意志は要求されなければならないようにも思います。しかし、ロックに由来する「自由」は、そうした要求も排します。明らかな誤謬や思慮に欠ける言説であっても、その「自由」は外側からの介入を受けるべきではないというのです。》(p.53)
《労働者は政治的な意思決定に参入すべきではないというのが自由主義者の考え方だったわけです。分業という制度が全体を考えず、目の前の仕事に注力せよと説くものであったことを考えると、この自由主義者の態度は一貫しているといえるかもしれません。》(p.83)
《そこでは「かつてあった(はずの)共同性」が「失われたもの」と想定されることではじめて成立しているのです。実際に存在したかは別の問題というのが、ロマン主義的感性の大きな特徴になっています。》(p.91)
《「教養」は英語でいうと「カルチャー」ですが、これは「文化」を意味する言葉でもあります。つまり、教養主義において「教養を身につける」ということは、文化を共有することを意味するのでした。文化の共有による感性的な共同体の構築という点でロマン主義を継承していますが、「文化」をそこにうまれそだかものとしてではなく、「教養」として身につけるべきものとする点で両者は異なっています。教養主義においてカルチャーは、それを身につけることでひとつ上の文化共同体の一員になるためのものと位置づけられたのです。》(p.94-95)
《一般的にいって、「科学」という言葉を使うだけで何らかの優位性を示せたと思えるような感性は、多分に政治的です。》(p.121)
《こうして奴隷解放と植民地主義がまったく無矛盾なものとして同居することになります。分業制を徹底し自由経済を拡大するために、植民地を獲得して、経済圏を拡大していくことが不可欠と見なされたのでした。》(p.161) -
右と左、保守とリベラルをルソーとロックになぞらえる。
フランス革命はロビスピエールの独裁に陥った。
テロとは、ロビスピエールの恐怖政治のときにはじめてつかわれた。
イギリスの穀物法の廃止=分業化の推進で生産性が向上した。
民主主義は、衆愚政治の元になると理解されていた。デモクラシーとは多数者の暴政を意味していた。
ロベスピエール、ナポレオン三世、ヒットラーも民主主義から生まれた。
教養主義=リベラルアーツ。
自由主義は、奴隷以上の過酷な状況を生み出した。一日労働時間は14時間を超える、子供も働く環境。
分業の推進のため、労働しか売るもののない労働者が安値で労働を売らざるを得なくなった結果。
労働者と雇用者の非対称性を生んだ。団体交渉は、自由競争を阻害するもの、市場の機能を損なうもの、とみなされた。
奴隷の禁止は、経済の発展には必要なことだった。
オウエンの理想郷。新社会観。
パリコミューンは、72日間の天下だった。ロビスピエールと同じ結末を迎えた。
ワイマール共和国は、生存権を世界で初めて認めた憲法を持つ。現代の日本国憲法に通じる。
消極的な自由だけでなく、積極的な自由を規定する。そのために公共の福祉による考えを盛り込まざるを得なくなった。
民主主義が善となったのは、第二次世界大戦以降のこと。それはアメリカの戦略でもあった。パナマ共和国の成立はその一端。
ネオリベラリズムとは、市場原理主義への立ち返り。
経済成長が止まる=投資先が失われる、ことと同義。
投資先の創造=デリバティブ。投資によって、実際の財産の総量を増やした。サブプライムローンの仕組みを作って、安全資産を増やす、そのために仕入れとして住宅ローンが必要になる、という循環。 -
ロックとルソーは、それぞれに王政に代わる近代的な社会システムを構想したが、この二人の社会契約論の著者の対立は、右/左が問題になる最初の場面での軸となった。ロベスピエールは、ルソーのように生きることを誓ってフランス革命をテロリズムに導いた。より穏健な改革を求めた人々は、ロックの名誉革命を範にブルジョワジーの権利を代表した。
ロックは名誉革命が実現する中で社会契約論を書き、私的所有を核とした近代社会の構想は、イギリスにおいて自由経済政策を推し進めたホイッグ党の理論的支柱となった。ロックの議論を基にアダム・スミスによって展開され、デイヴィッド・リカードが体系化した理論が、今日の経済学の原型となった。
ルソーは、人間が本来享受していた幸福は、土地を囲い込んで私的所有を訴える人間が出てきたために失われたと主張し、かつてあったはずの自然状態の幸福を取り戻すための社会契約を示した。
「ロマン」という言葉は、ラテン語が様々な地方に派生したロマンス語に由来する。ロマン主義とは、ラテン語やエリート的な啓蒙よりも、庶民の生活の中で紡ぎあげたロマンス語や庶民の感性にこそ真理があると考え、失われた自然を取り戻すことを目指した。ドイツ地方に伝わっていた民話を集めて童話を再構成したグリム兄弟は、普遍性を作ることを意図して、この作業を行った。
ロックによる平等は、スタートラインの平等を示しているので、結果の不平等は含まれていない。ルソーによる平等には、必要に応じて結果の不平等を調整すべきという考え方が含まれている。
現代社会は、ロック的な資本主義社会の道徳と経済を基盤としている。ロック的な近代社会を乗り越えようとするルソー的な試みは、ロマン主義、教養主義、スピリチュアリズム、マルクス主義、ファシズムなど、様々なかたちで挫折した。労働者を経済の中枢に取り込んだリベラリズムは、高度経済成長の終焉とともに力を失い、剥き出しの自由主義へ回帰した。
ロックの自由は、個々人を分断しながら市場の道徳への服従を強いるものだった。人々が自分の事だけを考えて社会秩序が維持されるのは、自分がやりたいことの決定を市場原理にあずけることを成立要件とするものだった。一方で、ルソーの自由は、共通の規範への積極的な服従を求めることで、一般意思の占有の問題を引き起こした。 -
これはいい。こういう試みこそもっと活性化させるべきなんだろう。ロックとルソーが描いた自由と平等をベースに、これからの社会のあり方を人文科学の観点から探ろうとする。もちろんここで提言されていることが正解というわけではない。だけど今とは違う社会システムを模索する議論がもっと沸き起こっていいはずなんだ。今こそ社会科学の出番なのだ。
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教養主義について⑴p94-100
教養主義について⑵p130-146
p11ふつう言われる「リベラリズム」とは「ニューリベラリズム」のことだ。その自己反省として生じたのが「ネオ・リベラリズム」。
p26ホッブスの『物体論』
p29ロックの所有権論
p37ロックはホイッグ党を創設した名誉革命の立役者、初代シャフツベリ伯のブレーンだった。ロックはイギリスにおける利子論争で、利子率に関する自由放任論を展開した。
p37古典派経済学は、ロックの議論をもとにアダム・スミスによって展開され、デイヴィッド・リカードによって体系化された。
p38ルソー はジュネーヴに生まれた時計職人の子で、生誕直後に母親を亡くし、丁稚(でっち)に出された彫金職人のもとから遁走して、市民権すら失った。15歳でヴァラン夫人の愛人となったが捨てられた。このときヴァラン夫人の庇護を受けるためにルソーはプロテスタントからカトリックに改宗した(その後再びジュネーヴ市民になるためにプロテスタントに改宗)。パリに出てディドロと知り合う。1750年、38歳のときに、ルソーは、ディジョンのアカデミーの懸賞論文「学問と芸術の復興は習俗の純化に寄与したか」に対して、「否。学問と芸術の復興は習俗を腐敗させた。」と論じて当選。
p40ルソーは身の回りの世話をしたテレーズとの間の5人の子供を認知せず、何の経済的援助も与えなかった。フランスを追われて困窮したルソーを助けようとしたヒュームを根拠なく疑い、一方的に絶縁状を送りつけた。
p40ルソーは、オペラ『村の占い師』で評判を得たが、盗作に手を染めたことを『告白』で告白した。
p43ルソーの社会契約をするものは、①財産の全面譲渡、②一般意志を自分の意志にすることをしなければならず、そのあとに、③税金を引かれたあとの財産が戻ってくる。
p47機会の平等がロック的で、結果の平等がルソー的。
p51ニューリベラリズムを批判したアイザイヤ・バーリン
p52積極的自由(〜への自由)はルソー的。消極的自由(〜からの自由)はロック的。
p53「言論の自由」はなにをいっても外野から文句を言われる筋合いはないという典型的な消極的な自由。
p54フランス革命の一要因としてのラキ火山の噴火
p56ロベスピエールのルソー主義
p57ジロンド派の女王ロラン夫人は「ああ自由よ、汝の名においていかに多くの罪が犯されたことか」と処刑で叫んだ。
p57ダントンは抗議の雄弁のせいで退廷を命じられ欠席裁判で死刑を宣告された。
p66アダム・スミスの経済学は道徳論と表裏一体。
p69アダム・スミスの「公平な観察者」は、一般的でありさえすればよくて、内容はない。したがって人々の共感の趨勢、流行に左右される。「何が正しいかどうか」は、「何が流行しているかどうか」によって決まる。
p73アダム・スミスの社会分業論
p77穀物法はホイッグ党を中心とする自由主義勢力によって廃止に追い込まれる。
p82アダム・スミスの経済的理由による奴隷解放
p83奴隷廃止法を制定して奴隷を労働者に格上げしたイギリスの自由主義者たちは、他方で、労働者を有権者にするという運動(チャーティスト運動)には強硬に反対し続けた。
p86ルソーの著作は分断されていたドイツでロマン主義の運動を起こした。
p88ロマン主義とグリム童話の関係。ロマン主義者のグリム兄弟は、物語の共有によるドイツ民族の統一を構想していたし、普遍性を志向していた。
p90ルソーが使っていた「ロマン的」という言葉を芸術運動の理念として最初に明確に打ち出したのは、ノヴァーリスであり、シュレーゲルだ。ただし、「様々な方言を集めたもの」ではなく、「ロマンス語」という言語が本当に存在していたとは言い難い。
p91「弘前弁の太宰治は詩人だった」という感覚はロマン主義的だ。
p95教養主義といえばゲーテ、ドストエフスキー、ベートーベンなど。
p96文化=教養としてのカルチャーと、文明(科学技術)の対比
p97中世の「大学」は中世の「アカデミー」とは異なり実務エリートを養成する機関だった
p99教養主義の時代においては、教員が研究すべきものは「文化」で学生が学ぶべきものは「教養」であったし、この両者は同一の単語「カルチャー」であったから、研究と教育は一致するという前提があったので、ゼミナール形式はうまく機能した。しかし、昨今この一致が成立せず学生の求めるのは教養ではなく実務的な知なので、ゼミナール形式がうまく機能するというのは自明ではない。
p101「職業選択の」自由と「機会の」平等としてのロック主義
p107ロバート・オウエン、フレーベル
p112ロバート・オウエンは心霊主義に傾倒していった。
p113心霊主義の発端となった1848年のハイズヴィル事件
p114-118スウェーデンボリとカントの『視霊者の夢』
p120マルクスの議会改革路線に対する批判
p122エンゲルスはダーウィニズムを援用して自説を補強した
p123「インターナショナル」という組織は当初、議会政治の内部で労働者の権利獲得を目指す穏健な人々が主流で、フランス第二帝政下、ナポレオン三世の資金援助でフランス国内の労働運動の指導者、たとえばプルードンたちがロンドン万博に参加したことがこの組織の設立のきっかけだった。なお、皮肉なことに、その後のパリ・コミューンは出資者だったナポレオン三世に失脚をもたらした。
p125マルクスの支援による穏健なプルードン派の失墜と急進的なブランキ派の台頭
p129一党独裁型の政治が粛正を含む権力の集中を生むことを1956年のフルシチョフ報告までわれわれは知らなかったことになっている。しかし、レーニンのあと、ソビエトを引き継いだスターリンは、後継を争ったトロツキー派を粛正し、党の代議員の過半数を銃殺刑にした。1930年代の虐殺の犠牲者は少なくとも130万人と言われている。
p135新カント派のヴィンデルバントは『教養階級と文化の統一』において意志の共通という魔法の言葉で教養主義を救おうとした。諸学の統一という理念を心持ちの問題に回収し、教養主義はこうしてロマン主義に後退した。
p138 フンボルトの理念の周知化は1910年のベルリン大学創立100周年を機会としたものだった
p139リベラリズムにつながるアメリカ的教養主義は、20世紀ドイツのロマン主義的教養主義を拒否した。
p140日本では河合英治郎による教養のマニュアル化があった。
p141「ロマン主義化した教養主義」の問題点は、ナチズムやファシズムと距離を取ることができなかったこと。
p142「第三帝国」という言葉の由来はそもそもフィオーレのヨアキムの黙示録解釈
p143ドストエフスキー研究者だったメラー・ファン・デル・ブルックの著書のタイトルは『第三帝国』。
p144イプセンの『皇帝とガリアラ人』という戯曲にも「第三帝国」という言葉があり、第三帝国の担い手とされたのはユリアヌス帝
p145ヒトラーを独裁者として育てたのがディートリッヒ・エッカートという人物だった。
p147ヴィルヘルム二世のビスマルク罷免
p149公共の福祉は個人の自由を制限する考えである。
p150著者荒谷大輔による「新しい憲法」の提案の予告
p150ドイツマルクのハイパーインフレによってドイツ国民の貯金の価値は一兆分の1になった。
p152ナチスが第一党になってからも大統領はヒトラーを首相にすることには躊躇していたらしい。大統領権をヒトラーに手渡すことになる全権委任法を許したのは、大統領緊急令の恣意性が当の大統領にとって重荷になっていたからだという説がある。
p154明治政府が目指した近代社会はロック的構想(天皇の国民)。
p155血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件、北一輝はルソー的(国民の天皇)
p156日本のファシズムの一側面として天皇制があるが、明治政府が目指した「天皇の国民」と一部の青年将校たちが目指した「国民の天皇」という対比的な分け方は久野収によるものである。
p157日本のファシズムの一側面としてのアジア主義。ノーベル賞を受賞したタゴールを招いたり、ボースを受け入れたりした。ボースは新宿中村屋の養子になった。
p159経済学者シスモンディとセイの対立構図。セイの法則は奴隷解放と植民地政策と実は相性がよい。奴隷解放と植民地主義は実は矛盾しない。
p161日本のファシズムの一側面としてのアジア主義は、ロック的な資本主義社会を乗り越えようとする植民地解放と密接に関係があった。
p163二・二六事件のメンバーがすぐに死刑にされたのと同時に、血盟団事件と五・一五事件のメンバーは、特赦を受けて、のちの一党独裁体制の素地を作った近衛文麿のブレーンとして迎えられた。
p166ナチズムやファシズムやマルクス主義はロマン主義的な要素を持つ。
p167ルソーは共産革命の源流でもあって、同時に保守革命の源流でもある。マルクス主義的なルソーが社会進化論の果ての未来を目指すものだとすれば、民族主義的なルソーはかつてあったはずの過去を目指した。前者が共産革命で、後者が保守革命である。
p172第五代大統領ジェームズ・モンローによるモンロー・ドクトリン。これは、ヨーロッパ諸国に対するアメリカ「大陸」の自衛権の主張であると同時に、アメリカ大陸に含まれるアメリカ合衆国以外の国々へアメリカの市場を拡大することを事実上可能にしていた。しかもモンロー宣言が出された1833年は、中南米の国々がちょうどヨーロッパ諸国から独立したばかりの時期で、モンローは市場拡大のために再植民地化されないように牽制したのである。軍事力を背景にした安全保障と自由という名目をモンローは立てていた。他国を植民地化することなく実質的支配下に置くのがアメリカ合衆国の基本的方法であり、そのとき、「当事者たちの自由に任せる」とはいいつつ、軍事力はその背景にある。
p173パナマ運河建設におけるアメリカの介入。コロンビア共和国議会がパナマ運河建設を否決したら、その報を受けたアメリカ合衆国はただちにパナマ地域だけをパナマ共和国として独立させた。しかもパナマ共和国はアメリカの傀儡国家だった。
p174「モンロー・ドクトリンのセオドア・ルーズベルト的拡張」が1904年になされた。これはルーズベルトが、「民主主義」に逆行するような国家に対してはアメリカは国際警察力を発揮するということを年次教書で明示したものである。
p175「モンロー・ドクトリンのウィルソン的拡張」もある。これは、アメリカ合衆国の直接的介入による国際秩序の維持にはコストがかかるわりにメリットが少ないので、経済的な協力関係を結ぶほうが利益が大きいという考え。民主主義と自由経済をセットに前提したうえで、モンロー主義を世界各国の外交の基本戦略とすべきという考えである。この「理想主義」が国際連盟の理念になった。
p177アメリカは民主主義と自由経済がセットになっていなければ軍事力を背景とした介入をしてくる。たとえば、1979年、新米独裁政権を倒したイラン革命によって誕生した「イラン・イスラーム共和国」は、基本的人権を憲法でみとめ、普通選挙を行うが、イスラム原理に基づいた半官半民の「ボンヤード」経済であって自由経済ではない。アメリカはこの国を「テロ支援国家」と認定し国交断絶した。
p178アメリカ的な戦後国際秩序とは「モンロー・ドクトリンのセオドア・ルーズベルト的拡張」と、「モンロー・ドクトリンのウィルソン的拡張」の同居によって成立している体制である。ある国が自由経済と民主主義を守るならば、アメリカの国際警察力は発揮されず、ウィルソン的な内政不干渉の原則に基づいて、経済的な協力関係が結ばれるが、自由経済と民主主義のどちらかを欠くならば、その背景にある軍事力は発揮される。そしてそこで言われる自由経済とはアメリカに経済的な利益をもたらすものでなければならない。
p183アメリカにおける「リベラル」の立場は、「ニュー・リベラリズム」といって、ロック的な自由主義に対立する新しい思想を背景に現れた。源流はイギリスの「理想主義」である。
p183ジョン・スチュアート・ミルは精神的危機に瀕して、ロマン主義に傾倒し、ハリエット・テイラーと恋愛をする。そして女性解放運動に携わる中で、ミルは立場を理想主義へと転換していった。
p184理想主義において自由は「束縛から解放されること」を意味するわけではなく、「教養」を身につけることによって人格を養い、獲得されるべきものだった。規範を取り払うことではなくて、むしろ「社会的な規範を身につけることによって初めてひとは「自由」になる」という考え方がニュー・リベラリズムである。
p184イギリス理想主義の思想家はドイツの教養主義を取り入れることで自由主義を改革しようとした。これがニューリベラリズム。
p184ホブソン→マーシャル→ケインズ
p1901970年代から賃上げが経済成長に直結しなくなってきた。労働者の賃金の一律上昇が社会全体の経済成長を促進させる効果を持ったある時期のみ、アメリカの二つのモンロー主義(ルーズベルトのモンロー主義とウィルソンのモンロー主義)は同居することができた。それが戦後民主主義体制である。この体制が可能だったのは、労働者の貧困を放置して革命運動の火種をつくるよりも、消費者として十分な購買力を与える方が経済は成長することが期待できたからだ。福祉政策も、それが結果として経済成長をもたらす限りにおいて、保守派は反対しなかった。しかし経済成長の鈍化の中で、ニューリベラリズムの福祉政策を批判するネオリベラリズムが出てくる。
p192リベラル陣営の中から出てきた自己批判としての1982年9月5日のネオリベラリズム宣言とポール・ソンガス。
p198ハーバーマス批判
p205文京区の高村光雲の家
p208お金が単なる「腐らない商品」ではなくなった
p212デリバティブ商品(金融派生商品)としてのアービトラージ(裁定取引)
p217コンチネンタル・イリノイ銀行は1984年「大きすぎて潰せなかった」
p218ヘッジファンド会社LTCMはノーベル経済学賞を取った金融工学者マイロン・ショールズとロバート・マートンを経営に迎えて設立された。ブラック=ショールズ方程式は金融商品をドル箱に変えた。
p219リーマンショックの反省として作られた「ドッド・フランク法」
p221投資先の欠如
p241デカルト批判:疑っていることは疑い得ないとしても、疑っているのが私だとは限らない。思考作用を発現させる主体が私かどうかは分からないはずだ。疑っているのは、私ではないかもしれないではないか。
p244ルソー の社会契約論:一般意志を自分自身の意志とすること
p247ルソーのロマン主義、ファシズム、カントの理性主義、マルクス主義には、どれも「本当の私」への回帰という共通した構造がある。
p249「私をすべての事柄の基礎に考える思考の枠組み」がマトリックス
p265結論:ゼロ地点に戻って各人が納得のいく思考の枠組みを得る「自由」と、多様な言説をひとしく尊重し、各人があらかじめもっているバックグラウンドに関して差別を設けない「平等」
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荒谷大輔の作品
